みちのくの山野草

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まずは地元の岩手から、「本当の賢治」を取り戻したい

2023-12-05 08:00:00 | 本統の賢治と本当の露
《上鍋倉の秋のみのり》

 私は今、ある著名な賢治研究者S氏の著書を読んでいる。その論考の精緻さや格調の高さに、著者の明晰な頭脳・才気煥発・博覧強記などを知らされ、圧倒される。以前から、天沢退二郞氏や入沢康夫氏に抱いていたそれをS氏にも抱く。やはり、著名な賢治研究者の論考は違うのだ。まして、非才で非専門家の私などは到底足元にも及ばないのだと思い知らされる。
 ただしS氏の場合にも、この著書の中に例えば、
 宮沢賢治は、一九二八(昭和三)年夏に、東京・大島旅行での疲労に、その後の天候不順・旱魃での奔走による疲労を重ね、両側肺浸潤に倒れた。〈330p〉……●
という記述があるし、このことは「校本賢治年譜」に従えば導かれるはずだが、この記述内容はそっくりそのまま歴史的事実であったのであろうか、と不安に襲われる。もしそうでなかったならば、このS氏の推論は違ったものとなる場合もあるのではなかろうか、と。
 というのは、私は地元に住んでいるから、賢治に関しては巷間云われているものとは違うこと、場合によっては真逆なことが云われていることも耳にすることなども少なくない。それは、言い方を換えれば、私の恩師である岩田純蔵先生(賢治の甥、妹シゲの長男)の、
という嘆きと通底しているようだ。
 もちろん、S氏は当時の『岩手日報』なども調べ尽くしており、それらに基づいて論を進めておられるから、まさに、石井洋二郎氏が鳴らす警鐘、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
に倣っているとは思うのだが、もしこの〝●〟が事実ではなく、この「東京・大島旅行」は、昭和3年に行われた凄まじい「アカ狩り」から逃れるための逃避行だったり、「天候不順・旱魃での奔走による疲労」とあるが、その疲労が「天候不順・旱魃での奔走」に依るものでなかったならば、話は違ってくると思うのだが……。
 実際私が検証してみたところ、それは逃避行であり、賢治はそこまで奔走はしていないとなった。そして一方で、このことを殆どの賢治研究者はご自分では検証せずにいるのではなかろうか、と私は危惧してしまう。それは大明敦氏が、「賢治の年譜としては最も信頼性が高いとされる『校本』の年譜に記されたことで、それを「説」ではなく「事実」として受け取った人も少なくなかったであろう」と危惧しているようにだ。そして、その危惧どおりであったとすれば、本当の賢治はそこには無いので等閑視は出来ないから、私の中に厚かましくも、
   まずは地の元岩手から、「本当の賢治」を取り戻したい。
などという生意気な考えが頭をもたげつつある。

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れが粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対したいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうしてて自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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