みちのくの山野草

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伊藤ちゑと賢治の見合いの時期

2023-03-18 08:00:00 | 「賢治年譜」一から出直しを
《オオタカネバラ》(2021年7月17日撮影、岩手)

 この頃気になっていることの一つが、伊藤ちゑと賢治との見合いの時期である。それは、『新校本年譜』には昭和3年6月12日の付記として、その典拠は示しさずに、
 伊藤兄妹は以前(年月日は判明していないが羅須地人協会をはじめてからのことで、あるいはこの年の春ではないかと思われる)賢治を訪ねたことがあり、兄は大島で開校したい農芸学校や土壌などの助言・調査を依頼し、妹の方は賢治との見合いの意味があった。
            〈『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)、372p>
というような記載となっていて、その見合いの時期について「この年の春ではないかと思われる」という記載が、である。
 そもそも、単にこの記述内容は推定に過ぎないのに、『新校本年譜』の下段ならいざ知らず、上段にこのような記述がなされていれば、その典拠も示してもいないのにも拘わらず、いつの間にかその「推定」が独り歩きし始めて断定にすり替わっていくであろうことは、残念ながら今までの賢治に関する検証作業を通じて痛感したのだが、容易に起こり得ることが懸念される。そしてその懸念通り、伊藤七雄・ちゑの兄妹が見合いのために花巻を訪れた時期は「昭和3年の春」という説が独り歩きし出している。
 ちなみに、まずは賢治伝記の研究家として評価の高い境忠一でさえも、新たな典拠も明示することもせずに、
 賢治が当時東京にいた伊藤七雄、ちゑ兄妹の訪問を受けたのは、昭和三年の春であるから、
            〈『宮沢賢治の愛』(境忠一著、主婦の友社)、163p〉
と断定している。同様に、
 一九二八(昭和三)年春のことである。伊藤七雄が妹チヱを伴って花巻の賢治を訪ねてきた。
            〈『宮澤賢治と幻の恋人』(澤村修治著、河出書房新社)、165p〉
というように、澤村修治氏もやはり同様な断定をしている。あるいは、これまた何を典拠にしているか分からぬが、
 昭和三年五月のある日、賢治は伊豆大島に住む伊藤七雄、チヱ兄妹の訪問を受けた。羅須地人協会の活動を始めてからすでに三年目を迎えていた。
            〈『宮沢賢治とベートーヴェン』(多田幸正著、洋々社、平成20年)、175p>
というものや、孫引きだと誤解されかねない、
 賢治が四回としている恋の、その四つ目の恋は、昭和三(一九二八)年の五月に伊豆大島に住む伊藤七雄と、その妹チエが、賢治のもとに現れたのです。
            〈『宮澤賢治 愛のうた』(澤口たまみ著、もりおか文庫、平成22年)、249p~〉
という「昭和三年五月説」まで見られるようになってきた。いずれにせよ、断定調でこのように書くのであれば、読者にはその訳が判るようにその典拠等を明示してほしいものだ。
 さて、私が何故このようなことを主張するのかというと、この見合いの時期は実は「昭和2年の10月」であったことの蓋然性が極めて高いことを知っているからである。それはまず第一に、まだあまり広く世に知られてはいないものなのだが、同時代の「ある年」の10月29日付藤原嘉藤治宛のちゑ書簡中<*1>において、
 又、御願ひで御座居ます この御本の後に御附けになりました年表の昭和三年六月十三日の條り 大島に私をお訪ね下さいましたやうに出て居りますが宮澤さんはあのやうにいんぎんで嘘の無い方であられましたから 私共兄妹が秋花巻の御宅にお訪ねした時の御約束を御上京のみぎりお果たし遊ばしたと見るのが妥当で 従って誠におそれ入りますけれど あの御本を今後若し再版なさいますやうな場合は 何とか伊藤七雄を御訪ね下さいました事に御書き代へ頂きたく ふしてお願ひ申し上げます
というように、ちゑは嘉藤治に対して書簡をしたためているからである。よって、「私共兄妹が秋花巻の御宅にお訪ねした時」とは、その前に「昭和三年六月十三日の條り 大島に私をお訪ね下さいました」としたためていることに注意すれば、昭和3年より前の「秋」であったことが判るからである。
 しかも第二に、私は平成27年9月20日花巻F館において、著名な賢治研究者B氏から、
 伊藤七雄・ちゑ兄妹が花巻を訪れた時期は昭和2年の10月であったと宮澤清六が直接私(B氏のこと)に証言した。
ということを教えてもらったからである。
 したがって、この二つの事柄を併せて判断すれば、
 伊藤兄妹が賢治との見合いのために花巻を訪れたのは昭和2年10月であった。
という蓋然性が極めて高いことは明らかとなる。おのずから、典拠も示さずに「昭和三年の春」とか、まして「昭和三年五月」と断定することはあやかしだと私が言っても許されるだろう。

<*1:投稿者注> この書簡は、平成19年4月21日第6回「水沢・賢治を語る集い「イサドの会」」 における千葉嘉彦氏の発表「伊藤ちゑの手紙について―藤原嘉藤治の書簡より」の資料として公にされたものでもある。

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