![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/16/08bc4e751ff0522be5fbcced70bc1dbd.jpg)
ご存じのように、「経埋ムベキ山 」32座の中の一座に「物見崎」がある。そしてこの山はどんな山かというと、小倉豊文氏の『「雨ニモマケズ」新考』(東京創元社)によれば、
「物見崎」、北上市八森、飯豊川が北上川に流入する川口近い右岸の小丘。
であるという。つまり、『物見ヶ崎』とも言われているこれから登ろうとしているこの小丘(120m)のことである、と。
ところが、どういうわけか、以前には登口あった木標「物見ヶ崎登口」がなくなっていた。
とりあえず、この階段状の参道を登ると、
《1 以前は鳥居に掲げてあった額の「金毘羅山」もなくなっているではないか》(2021年11月13日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/78/869a5b34c7e7214d2bfc0303a6d30079.jpg)
《2 金毘羅山参道階段改修工事寄付者名の一覧》(2021年11月13日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/41/b9582bc836594bec435333e131136ff2.jpg)
この一覧のタイトルを見ていると、地元の人(里人)はこの小丘を「物見崎」とは呼ばずに、やはり「こんぴら山(金比羅山)」と呼んでいた蓋然性が高そうだ。
《3 》(2021年11月13日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/89/8de94ddfa4e9686dfc54b600e58a697e.jpg)
《4 頂上着》(2021年11月13日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/2c/936f0ff1618dc9914f632271546e1cb7.jpg)
《5 》(2021年11月13日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/50/a04103debcc96ba9d310a7bfa8811bdd.jpg)
《6 「金比羅塔」の石碑》(2021年11月13日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c5/383a712add2d04266ed4e0bf0bb0c495.jpg)
どうやら、この山が無条件で「経埋ムベキ山 」の物見崎であると断定するのはやはり問題がありそうだということを、改めて覚った。
というのは、かつて〝229 実は『物見崎』は二子城址?〟でも疑問を呈したように、
「経埋ムベキ山」の『物見崎』とは二子城址のある八幡山である可能性がかなり高い。
と思っていたし、今度は、先に述べたように木標や額がなくなっていたからでもある。
言い換えれば、『飛勢城物語』(及川雅義編、北加美社)によれば、
八幡山の天守台を物見ヶ崎と呼ぶ人があるが
ということだが、賢治もまた、「経埋ムベキ山 」の「物見崎」はこの小丘ではなくて「八幡山の天守台」のことであると認識していた可能性も少なからずあるのではなかろうか。
続きへ。
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《ご案内》
来る12月16日付で、新刊『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))を発売予定です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/27/30eb9e789559602073f7d5dad9c61c02.png)
【目次】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/8d/c3325f44c2f28f6f1d5cdbbdca78c896.png)
【序章 門外漢で非専門家ですが】
「物見崎」、北上市八森、飯豊川が北上川に流入する川口近い右岸の小丘。
であるという。つまり、『物見ヶ崎』とも言われているこれから登ろうとしているこの小丘(120m)のことである、と。
ところが、どういうわけか、以前には登口あった木標「物見ヶ崎登口」がなくなっていた。
とりあえず、この階段状の参道を登ると、
《1 以前は鳥居に掲げてあった額の「金毘羅山」もなくなっているではないか》(2021年11月13日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/78/869a5b34c7e7214d2bfc0303a6d30079.jpg)
《2 金毘羅山参道階段改修工事寄付者名の一覧》(2021年11月13日撮影)
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この一覧のタイトルを見ていると、地元の人(里人)はこの小丘を「物見崎」とは呼ばずに、やはり「こんぴら山(金比羅山)」と呼んでいた蓋然性が高そうだ。
《3 》(2021年11月13日撮影)
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《4 頂上着》(2021年11月13日撮影)
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《5 》(2021年11月13日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/50/a04103debcc96ba9d310a7bfa8811bdd.jpg)
《6 「金比羅塔」の石碑》(2021年11月13日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c5/383a712add2d04266ed4e0bf0bb0c495.jpg)
どうやら、この山が無条件で「経埋ムベキ山 」の物見崎であると断定するのはやはり問題がありそうだということを、改めて覚った。
というのは、かつて〝229 実は『物見崎』は二子城址?〟でも疑問を呈したように、
「経埋ムベキ山」の『物見崎』とは二子城址のある八幡山である可能性がかなり高い。
と思っていたし、今度は、先に述べたように木標や額がなくなっていたからでもある。
言い換えれば、『飛勢城物語』(及川雅義編、北加美社)によれば、
八幡山の天守台を物見ヶ崎と呼ぶ人があるが
ということだが、賢治もまた、「経埋ムベキ山 」の「物見崎」はこの小丘ではなくて「八幡山の天守台」のことであると認識していた可能性も少なからずあるのではなかろうか。
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【序章 門外漢で非専門家ですが】
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