みちのくの山野草

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3686 「種蒔く人」とその運動(#6)

2013-12-13 08:00:00 | 賢治関連
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
 同解説書は「クラルテ運動」等についても触れている。
シャルル・ルイ・フィリップ
 まずは、
 パリにおった、小牧の場合を見てみましょう。小牧がパリで、新しい作家の小説を読んだ(その洗礼をうけた)というのは、大正四年(一九一五年)であったといいます。それは「小さな町」という短編小説であって、その作者は、シャルル・ルイ・フィリップと言う、社会主義者の作品であったということであります。
と述べてあって、このフィリップという人は、以前〝賢治、家の光、犬田の相似性(#19)〟の中でも触れたことだが、
 わが国の農民文学運動に直接的な役割を担ったのは一九二二年(大正一一年)の「シャルル・ルイ・フィリップの十三周忌記念講演会」であった
と犬田卯が語っていたその人のことであろう。
「クラルテ運動」
 そして肝心の「クラルテ運動」については、
 小牧が日本へもってきて、「種蒔く人」の運動のなかで、推し進めた「クラルテ運動」すなわち、(日本文字にあらわすと、光、の運動)を、フランスでおこした、パルビユス、という小説家が、「戦争というものを、文学者としてセキララ(赤裸々)にしたという「砲火」という作品を出したのがわが国の大正五年にあたっていて、この作品で「コンクール賞」をうけて、パルビユスは文壇の流行児になったと小牧が記しているからこの「砲火」などもむさぼり読んで「戦争と戦う真理」の目を開かせられた、といっていいのでありましょう。
        <ともに『「種蒔く人」とその運動-解説書-』(「種蒔く人」顕彰会)一一頁より>
と続けている。
 なお、
《『歌と随筆』(石川啄木著、昭和22年9月発行)》

という本をたまたま手に取ったところ、その出版社の名はまさしく「クラルテ社」だった。
パルビユス
 さてこのパルビユスだが、当時の雑誌『改造』を見てみると
《『改造』(昭和3年十月號)》

《〃の目次》

となっていて、室伏高信、山川均、堺利彦等の名に並んでパルビユスの名もそこにあり、
《「ゴーリキを訪ふ」 アンリ・パルビユス》

という特別寄稿が巻頭を飾っていた。日本でもパルビユスは当時かなりの寵児であったということなのだろう。
 それにしても、昭和3年といえば3月にはいわゆる「3・15事件」があり、8月頃には岩手では凄まじい「アカ狩り」が行われ、その10月には「陸軍特別大演習」が行われたわけで、当時「主義者たち」は陰に陽に官憲等から弾圧や圧力をかなり受けていたのだろうが、それに対して彼らは皆しっぽを巻いて逃げていたというわけではなくて、多くの「主義者たち」が勇敢にペンでも戦っていたのだということがこの『改造 十月號』から容易にくみ取れる。

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『賢治が一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』   



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