みちのくの山野草

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『本統の賢治と本当の露』(20~23p)

2020-12-10 12:00:00 | 本統の賢治と本当の露
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版、定価(本体価格1,500円+税)〉




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か? またどういうふうにやつたか? 寒さにはどういふ處置をとつたか、庭の花卉は咲いたか? そして花の手入はどうしているかとか、夜の更けゆくのも忘れて語り合ひ、また農作物の耕作に就ては種々の御示教をいたゞいて家に歸つたものです。歸つて來るとそれを同志の靑年達に授けては實行に移して行くのでした。そして研鄕會の集りにはみんなにも聞かせ、其後の成績を發表し合ひ、また私は先生に報告するといつた方法をとり、私と先生と農民は完全につなぎをもつてゐたのです。
〈『四次元5号』(宮澤賢治友の会)10p〉
ということも述べていたから、そのような指導の一環として賢治から施肥の指導も受けていたのであろう。その具体的な事例がこれらの施肥表であり、これらの3枚は恭及び「研鄕會」の他の会員分2枚を恭が取りまとめて「下根子桜」に持参し、賢治に肥料設計を依頼したものに違いない。
 なお、これら計17枚の〔施肥表A〕のうちの何枚かにはそれぞれの提供者名のメモがあると『校本宮澤賢治全集第十二巻(下)』の〝校異〟にはただし書きがある。したがって、これら3枚の〔施肥表A〕についても提供者名の記載があればことは簡単に解決するはずなのだが、残念ながらこの3枚の施肥表にはその記載がなかったようだ。

 こうなれば、恭の長男の益夫氏に会ってその田圃の場所を確認をし、恭の実家の近くには〝町下〟だけでなく〝中林下〟及び〝堤沢〟という地名があるか否かも確認したくなった。もしこれらの地名がその辺りにあれば、これらの〔施肥表A〕は100%、賢治が恭に頼まれて設計してやったものだろうと断定できると思ったからである。実は、このこともあって益夫氏の許を訪ねたのが、先に述べた平成23年6月16日その日であったのだった。そして、『校本宮澤賢治全集第十二巻(下)』掲載の件の3枚の〔施肥表A〕のコピーをお見せしながら、
 お父さんが真城のご自宅に戻って農業をしていた頃、〝町下〟に8反の田圃があったでしょうか。
と訊ねると、嬉しいことに、
 確かに真城の実家の近くに〝町下〟という場所があり、そこに田圃がありました。その広さから言っても実家の田圃に間違いない。
という予想どおりの答が返ってきた。そして、
 そもそも水沢の〝真城折居〟は、かつては〝真城村町(まち)〟と呼ばれていて、〝折居〟は以前は〝町〟という呼称だった。
ということも教えてもらった。これで、〔施肥表A〕の〔一一〕に記されていた
   場処 真城村 町下
   反別 8反0畝
は、まさしく当時の千葉恭の実家の田圃のことであり、
〔施肥表A〕〔一一〕は恭の実家の水田に対して賢治が設計した施肥表である。
と、もう断言してもいいだろう。
 また〝中林下〟及び〝堤沢〟という地名が〝町下〟の近くにあるということも知った。もっと正確に言うと、〝中林下〟及び〝堤ヶ沢〟という地名が真城村の〝町下〟の近くにあることが判った。おそらくこの〝堤沢〟は〝堤ヶ沢〟のことだろうから、
   町下、中林下、堤沢
という地名のいずれもが、当時の真城村の〝町下〟の周辺に存在していたとしてもいいだろう。よって、これら3枚の〔施肥表A〕のそれぞれに記された場処、
   〔一一〕の〝町下〟、〔一五〕の〝中林下〟、〔一六〕の〝堤(ヶ)沢〟
は全て〝真城村 町下〟周辺に実在していた地名であり、
〔施肥表A〕の〔一一〕〔一五〕〔一六〕の3枚はいずれも恭に頼まれて賢治がわざわざ設計した、花巻から遠く離れている真城村の田圃に対する施肥表である。
と言い切っていいだろう。
 これでやっと、今まで千葉恭が残した幾つかの資料から一方的に賢治を見てきたが、初めて逆方向からも見ることができた。つまり今までの流れの図式は、
  ・千葉恭→賢治
というものであったが、これで
  ・賢治→千葉恭
という逆の流れも初めて見つかったので、両方向の流れができた。それゆえ、先に定立した
〈仮説1〉千葉恭が賢治と一緒に暮らし始めたのは大正15年6月22日頃からであり、その後少なくとも昭和2年3月8日までの8ヶ月間余を2人は下根子桜の別宅で一緒に暮らしていた。
の妥当性に私はますます確信を持った。

 それからもう一つ、『拡がりゆく賢治宇宙』の中に次のような記載があることも知った。それは、賢治が「下根子桜」の近所の青年たちと結成した楽団のメンバーについての、
   第1ヴァイオリン  伊藤克巳(ママ)
   第2ヴァイオリン  伊藤清
   第2ヴァイオリン  高橋慶吾
   フルート      伊藤忠一
   クラリネツト    伊藤与蔵
   オルガン、セロ   宮澤賢治
 時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです。
〈『拡がりゆく賢治宇宙』(宮沢賢治イーハトーブ館)79p〉
という記載である。つまりこの楽団に、「時に、マンドリン・平来作、千葉恭、木琴・渡辺要一が加わることがあったようです」と、推定表現ではあるものの「千葉恭」の名前がそこにあったのである。ということは、「羅須地人協会時代」に恭は時にこの楽団でマンドリンを弾いていたようだということになるから、恭が下根子桜の別宅に来ていた蓋然性が高いということをこの記載は意味している。

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           〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
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