みちのくの山野草

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6.「新発見」と嘯いたことの責め

2023-12-23 12:00:00 | 本統の賢治と本当の露
《『本統の賢治と本当の露』(鈴木 守著、ツーワンライフ社)










********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
 6.「新発見」と嘯いたことの責め
 これに対して、それは分かったが例の詩〔聖女のさまして近づけるもの〕があるじゃないかと指摘する人がいるかもしれない。実際、この詩の誤解によって露は〈悪女〉されたとも言える。しかし既に論じた(91p~)ように、この詩を元にして露を〈悪女〉に決めつけることができないということは実証済みである。
 いやいや、例の「新発見」の書簡もあるではないかと指摘する人もまたあるかもしれない。あの『校本全集第十四巻』で明らかになった新発見の昭和4年の露宛賢治書簡によって、露は〈悪女〉だとされても仕方がないじゃないか、と。だがそこには信じられないほどの重大な問題点・瑕疵があるのである。
 たしかに、昭和52年になって同巻は「補遺」において、従前「不5」となっていた書簡及び下書について、
 新発見の書簡25(〈註二十一〉)2c(その下書群をも含む)とかなり関連があるとみられるので、高瀬あてと推定し、新たに「252a」の番号を与える。            〈『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)28p〉
と述べて、「新発見」の賢治書簡下書252c等を公にした。そして、
   本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている            〈同34p〉
と断定し、この「断定」を基にして、従前からその存在が知られていた「不5」を含む宛名不明の下書「不2」「不4」等の一連の書簡下書群約23通を〝昭和四年〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟として一括りにした。なお、なぜ年次が「昭和四年」なのかというと、同巻は、
 252cが四年十二月のものとみられるので、252a~252cはすべて四年末頃のものと推定し  〈同29p〉
たと述べていた。
 ところが、これら一連の書簡下書群の最もベースとなる肝心の書簡下書252cについて、同巻は「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定してはいるものの、その根拠が何ら明示されていない。また、その裏付けがあるということも、検証した結果だということも付言していない。したがって「判然としているが」といくら述べられても、読者にとっては、「客観的に見て判然としていない」ことだけがせいぜい判然としているだけだ。そしてそのような書簡下書252cを基にして、さらに推定を重ねた(推定を重ねれば重ねるほど当然確かさはどんどん減る)りしたものが一連の書簡下書群約23通である。確たるものは殆どない。あくまでも「昭和4年の露宛と推定される」賢治書簡下書群でしかない。
 にもかかわらず同巻はさらに推定を重ね、
…推定は困難であるが、この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか。
⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)…(筆者略)…
⑶、高瀬より来信(…(筆者略)…暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)…(筆者略)…
⑸、賢治より発信(下書も現存せず。いろいろの理由をあげて、賢治自身が「やくざな者」で高瀬と結婚するには不適格であるとして、求愛を拒む)              (傍点筆者)〈同28p~〉
と、続けて⑹、⑺の「推定」も書き連ねている(はしなくも「次のようにでもなろうか」というレベルのものを、『校本宮澤賢治全集』において活字にして公にしたことは如何なものか)。そしてこの「推定」⑴~⑺は、高瀬露がそれまでの信仰を変えて法華信者になってまでして賢治に想いを寄せ、一方賢治はそれを拒むという内容になっている。それ故、この「推定」を読んだ人達は、そこまでもして賢治に取り入ろうとしていた露に対して、きわめて好ましくない女性であるという印象を当然持ってしまったであろう。
 しかもこのような「推定」等を大手の出版社が公にすれば世の常で、同巻の出版時点ではあくまでも推定であったはずのこれらの書簡下書群がいつのまにか断定調の「昭和4年露宛賢治書簡下書」に変身したり、はては「下書」の文言がどこかへ吹っ飛んでしまって「昭和4年露宛賢治書簡」となったりして、独り歩きして行くであろう。そして同様に、「推定」⑴~⑺の内容も、延いては、「露は賢治にとってきわめて好ましくない女性であった」ということなどはとりわけ独り歩きしてしまうことを、私は懸念する。
 もちろん、このようなことを懸念しているのは私独りのみならず、例えば、tsumekusa氏が管理するブログ〝「猫の事務所」調査書〟も、平成17年に既に同様な事柄を指摘しているところである。また、米田利昭も、
   ひょっとするとこの手紙の相手は、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か。
と、『宮沢賢治の手紙』(米田利昭著、大修館書店、平成7年)の223pにおいて疑問を呈している。
 そして実際、少なからぬ賢治研究家の論考等において、自身では裏付けを取ることも検証することもないままに、まさに断定調の「昭和4年露宛賢治書簡下書」を再生産をしているようにしか見えない論考等(〈註二十二〉)を私はしばしば目にする。確実に、「推定」が「断定」に変貌して独り歩きしているのである。

 一方で唖然としてしまったのが、「旧校本年譜」の担当者である堀尾青史が、
 そうなんです。年譜では出しにくい。今回は高瀬露さん宛ての手紙が出ました。ご当人が生きていられた間はご迷惑がかかるかもしれないということもありましたが、もう亡くなられたのでね。
〈『國文學 宮沢賢治2月号』(學燈社、昭和53年)177p〉
と境忠一との対談で語っていたことであり、天沢退二郞氏も、
 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。〈『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)415p〉
と述べていたことである。
 当然これらのことから、何のことはない、『校本全集第十四巻』が「新発見の」と華々しく銘打った書簡下書252b及び252cではあったのだが、実は露の帰天を待って「新発見の」と嘯いて同巻は公にしたものであって「新発見」でも何でもなかった、という可能性があるということがおのずから導かれるからだ。だから中には、同巻は「死人に口なし」を悪用した、と詰る人だってあるかもしれない。先に私が「信じられないほどの重大な問題点・瑕疵がある」と述べたのはこのようなことを指していたのである。
 そこで私は次のようなことを疑わざるを得ない。その内実は、高瀬露が昭和45年2月23日に帰天したのを見計らったようにして、同巻の担当者が「新発見」の書簡下書があったとにぎにぎしく形容し、露宛かどうかもはっきりしていない書簡下書を充分な裏付けも取らず、まして検証もせずに「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としているが」とかたって、それまでは公的には明らかにされていなかった女性の名を突如「露」と安易に決めつけて公表してしまったのではないか、と。
 しかも、タイミング的にはこの「新発見」が切っ掛けとなって〈露悪女伝説〉が全国に拡がってしまった事が否定できない。となれば、「新発見」と嘯いて安易に実名を活字にしてしまったこと、そし「推定」⑴~⑺を載せてしまったことの責めを同巻は負わなくてもよいのですか、と問われることはないのだろうか。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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