7月19日、毒ヶ森登山の帰途、次のような理由から石鳥谷町の長谷堂に寄った。
どのような里山に山野草はその種類や個体数が多いのだろうかという問いに対して、神社のある里山である場合に多いということにこの頃気がついた。その様なところは神聖な場所として昔から崇め奉られてきて、美しい山野草等も盗掘などされずに大切にされてきたからだと思う。
県道13号(盛岡和賀)線を矢巾から花巻に向かうと、”石鳥谷町長谷堂”にさしかかったあたりに右手に赤い長谷寺の鳥居がある。
その鳥居をくぐって砂利道を進んだ。すると、
《1 ミソハギ》(平成20年7月19日撮影)
《2 クズ》(平成20年7月19日撮影)
《3 アキカラマツ》(平成20年7月19日撮影)
《4 ボタンヅル》(平成20年7月19日撮影)
などがあった。
やがて道はやや上り坂となり
《5 二番目の鳥居》(平成20年7月19日撮影)
が現れ
《6 鳥居の傍に筆塚》(平成20年7月19日撮影)
が建てられており
《7 〃ヤブカンゾウ》(平成20年7月19日撮影)
が咲いていた。そこを通り過ぎると
《8 カラスウリの花》(平成20年7月19日撮影)
が咲いていて、直ぐに
《9 長谷寺(はせじ)》(平成20年7月19日撮影)
に着く。
その境内は古くから信仰の霊地である長谷寺は804年開創と伝えられ、本尊として「十一面観世音菩薩」と「不動明王」の二体が祀られていて、後者は恵心僧都の作と伝えられているとのこと。
また、境内の役行者像は背が十字に切られていて隠れキリシタンの守護神とされていると云うことである。
《10 ヤブカンゾウ》(平成20年7月19日撮影)
《11 モジズリ》(平成20年7月19日撮影)
《12 オミナエシ》(平成20年7月19日撮影)
などが境内を彩り
《13 杉の古木》(平成20年7月19日撮影)
が見守ってる。特に
《14 長谷寺(ちょうこくじ)の杉》(平成20年7月19日撮影)
と云われるのがこの杉で、樹下の湧水はどんな旱魃でも涸れたことがないと云われている「閼伽井(あかい)」である。
《15 長谷寺の裏手》(平成20年7月19日撮影)
には沢山のトリアシショウマ等が咲いていた。
さらに登ると別な神社等もあるのだが、続きは次回へ。
”石鳥谷町の長谷堂(後編)”のTOPへ移る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
どのような里山に山野草はその種類や個体数が多いのだろうかという問いに対して、神社のある里山である場合に多いということにこの頃気がついた。その様なところは神聖な場所として昔から崇め奉られてきて、美しい山野草等も盗掘などされずに大切にされてきたからだと思う。
県道13号(盛岡和賀)線を矢巾から花巻に向かうと、”石鳥谷町長谷堂”にさしかかったあたりに右手に赤い長谷寺の鳥居がある。
その鳥居をくぐって砂利道を進んだ。すると、
《1 ミソハギ》(平成20年7月19日撮影)
《2 クズ》(平成20年7月19日撮影)
《3 アキカラマツ》(平成20年7月19日撮影)
《4 ボタンヅル》(平成20年7月19日撮影)
などがあった。
やがて道はやや上り坂となり
《5 二番目の鳥居》(平成20年7月19日撮影)
が現れ
《6 鳥居の傍に筆塚》(平成20年7月19日撮影)
が建てられており
《7 〃ヤブカンゾウ》(平成20年7月19日撮影)
が咲いていた。そこを通り過ぎると
《8 カラスウリの花》(平成20年7月19日撮影)
が咲いていて、直ぐに
《9 長谷寺(はせじ)》(平成20年7月19日撮影)
に着く。
その境内は古くから信仰の霊地である長谷寺は804年開創と伝えられ、本尊として「十一面観世音菩薩」と「不動明王」の二体が祀られていて、後者は恵心僧都の作と伝えられているとのこと。
また、境内の役行者像は背が十字に切られていて隠れキリシタンの守護神とされていると云うことである。
《10 ヤブカンゾウ》(平成20年7月19日撮影)
《11 モジズリ》(平成20年7月19日撮影)
《12 オミナエシ》(平成20年7月19日撮影)
などが境内を彩り
《13 杉の古木》(平成20年7月19日撮影)
が見守ってる。特に
《14 長谷寺(ちょうこくじ)の杉》(平成20年7月19日撮影)
と云われるのがこの杉で、樹下の湧水はどんな旱魃でも涸れたことがないと云われている「閼伽井(あかい)」である。
《15 長谷寺の裏手》(平成20年7月19日撮影)
には沢山のトリアシショウマ等が咲いていた。
さらに登ると別な神社等もあるのだが、続きは次回へ。
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