五輪峠で少し峠越えの真似ごとをしてみた。
《1 峠に建つ「賢治と五輪峠」の案内板》(平成23年5月9日撮影)
そのとき賢治は遠野側から五輪峠を越えて人首町に向かったことであろう。
とすれば、
《2 賢治が通った頃はこの桜の木はあったのだろうか》(平成23年5月9日撮影)
そばまで行って確かめたいのだが、手前に牧場の有刺鉄線が張られていて能わず、残念。
昔の峠道はこの桜の木のあたりを通り
《3 この凹みに沿って》(平成23年5月9日撮影)
あったようだ。
したがって
《4 こんな風に賢治は峠道を上り》(平成23年5月9日撮影)
《5 〃 》(平成23年5月9日撮影)
五輪峠を越えたはずだ。
ただし、
《6 その当時はここにこんな五輪塔》(平成23年5月9日撮影)
はなかったことになる。
《7 現在は右から順に五輪塔、五輪建立の碑、賢治の詩碑》(平成23年5月9日撮影)
が並んで建っている。
因みに
《8 当時はなかった五輪塔と》(平成23年5月9日撮影)
《9 往時を偲ばせる五輪建立の碑》(平成23年5月9日撮影)
である。なお、賢治の詩碑はこのブログの先頭のようなものである。
《10 賢治の詩碑の足元に》(平成23年5月9日撮影)
《11 ナガハシスミレ》(平成23年5月9日撮影)
その近くには
《12 ジンヨウイチヤクソウの蕾》(平成23年5月9日撮影)
《13 オオバクロモジの花》(平成23年5月9日撮影)
などが見つかる。
そしてこれが
《14 五輪峠竣工記念碑》(平成23年5月9日撮影)
であり、この碑の足元や周囲にはカタクリがまだ咲いていた。おそらくこの碑のあたりがかつての、そしていまの峠の頂上である。
《15 峠の頂上で振り返って見た五輪塔と賢治の詩碑など》(平成23年5月9日撮影)
《16 峠の頂上から焼石連峰遠望》(平成23年5月9日撮影)
《17 〃人首方向への峠道を見下ろす》(平成23年5月9日撮影)
峠道を下りてみるとそこにも
《18 ナガハシスミレ》(平成23年5月9日撮影)
が咲いていた。
《18 振り返って見上げた峠の頂上》(平成23年5月9日撮影)
おそらくいま人が立っているあたりにかつての五輪塔が「しょんぼり」と立っていたのであろう。
峠道をさらに下りてみるとジグザクの峠道が沢沿いにずっと続いていた。
一寸だけ賢治の峠越えを追体験してみたのだが、それだけからでもこの五輪峠越えは並大抵のものではないことが容易に想像できた。
続きの
”相去のとある丘(5/13)”へ移る。
前の
”せせらぎの広場等”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
《1 峠に建つ「賢治と五輪峠」の案内板》(平成23年5月9日撮影)
そのとき賢治は遠野側から五輪峠を越えて人首町に向かったことであろう。
とすれば、
《2 賢治が通った頃はこの桜の木はあったのだろうか》(平成23年5月9日撮影)
そばまで行って確かめたいのだが、手前に牧場の有刺鉄線が張られていて能わず、残念。
昔の峠道はこの桜の木のあたりを通り
《3 この凹みに沿って》(平成23年5月9日撮影)
あったようだ。
したがって
《4 こんな風に賢治は峠道を上り》(平成23年5月9日撮影)
《5 〃 》(平成23年5月9日撮影)
五輪峠を越えたはずだ。
ただし、
《6 その当時はここにこんな五輪塔》(平成23年5月9日撮影)
はなかったことになる。
《7 現在は右から順に五輪塔、五輪建立の碑、賢治の詩碑》(平成23年5月9日撮影)
が並んで建っている。
因みに
《8 当時はなかった五輪塔と》(平成23年5月9日撮影)
《9 往時を偲ばせる五輪建立の碑》(平成23年5月9日撮影)
である。なお、賢治の詩碑はこのブログの先頭のようなものである。
《10 賢治の詩碑の足元に》(平成23年5月9日撮影)
《11 ナガハシスミレ》(平成23年5月9日撮影)
その近くには
《12 ジンヨウイチヤクソウの蕾》(平成23年5月9日撮影)
《13 オオバクロモジの花》(平成23年5月9日撮影)
などが見つかる。
そしてこれが
《14 五輪峠竣工記念碑》(平成23年5月9日撮影)
であり、この碑の足元や周囲にはカタクリがまだ咲いていた。おそらくこの碑のあたりがかつての、そしていまの峠の頂上である。
《15 峠の頂上で振り返って見た五輪塔と賢治の詩碑など》(平成23年5月9日撮影)
《16 峠の頂上から焼石連峰遠望》(平成23年5月9日撮影)
《17 〃人首方向への峠道を見下ろす》(平成23年5月9日撮影)
峠道を下りてみるとそこにも
《18 ナガハシスミレ》(平成23年5月9日撮影)
が咲いていた。
《18 振り返って見上げた峠の頂上》(平成23年5月9日撮影)
おそらくいま人が立っているあたりにかつての五輪塔が「しょんぼり」と立っていたのであろう。
峠道をさらに下りてみるとジグザクの峠道が沢沿いにずっと続いていた。
一寸だけ賢治の峠越えを追体験してみたのだが、それだけからでもこの五輪峠越えは並大抵のものではないことが容易に想像できた。
続きの
”相去のとある丘(5/13)”へ移る。
前の
”せせらぎの広場等”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます