みちのくの山野草

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『本統の賢治と本当の露』(28~31p)

2020-12-12 12:00:00 | 本統の賢治と本当の露
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版、定価(本体価格1,500円+税)〉




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「沢里君、セロを持って上京して来る、今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる、君もヴァイオリンを勉強していてくれ」そういってセロを持ち単身上京なさいました。そのとき花巻駅までお見送りしたのは私一人でした。…(筆者略)…そして先生は三か月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました。             (傍点筆者)
〈『賢治随聞』(関登久也著、角川選書)215p~〉
となっていて、私は今度は愕然とした。
 それはまず、本来の武治の証言は「今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる」だったのだが、故意か過失かは判らぬが、同年譜の引用文では「少なくとも三か月は滞在する」の部分が綺麗さっぱりと抜け落ちていたからである。その上、この武治の証言の中で、「賢治が武治一人に見送られながらチェロを持って上京した日」が「大正15年12月2日」であったということも、「大正15年12月」であったということも、「大正15年」であったということも、「12月」であったことさえも、何一つ語られていなかったからである。
 その挙げ句、「先生は三か月間……帰郷なさいました」というところの「三か月間の滞京」を同年譜の大正15年12月2日以降に当て嵌めようとしても、次頁の《表2『現 宮澤賢治年譜(抜粋)』》から明らかなように、それができないという致命的欠陥があるからである。そしてこの致命的欠陥は次のことを逆に教えてくれる。典拠となっている「ものと見られる」というところの、〝関『随聞』二一五頁〟自体が実は同年譜の「大正15年12月2日」の記載内容の反例になっているということ、それゆえこの記載内容の少なくとも
一部は事実と言えないということ、延いては典拠が危ういということをである。
 一方で、武治の証言通りにこの「三か月間の滞京」を『新校本年譜』の昭和2年11月~同3年2月の間に当て嵌めようとようとすれば、次頁の《表3『現 宮澤賢治年譜(抜粋)』》から明らかなように、すんなりと当て嵌められる「三か月間」の空白があることが直ぐ判る。 したがって、まさにこの〝関『随聞』二一五頁〟が、
〈仮説2〉賢治は昭和2年11月頃の霙の降る
日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京、しばらくチェロを猛勉強していたが病気となり、三ヶ月後の昭和3年1月頃に帰花した。
が定立できるということを否応なく教えてくれている。
 さらに、『賢治随聞』には次のような問題点があることも知った。それは、昭和45年出版の同書の著者名が「関登久也」となってはいるものの、実は関自身が出版したものではなかったという問題点がである。関は疾うの昔の昭和32年に亡くなっていたからだ。
 ではなぜこのような不自然なことが為されたのか。そのことについては、森荘已池が書いた同書の次のような「あとがき」が教えてくれている。
 宗教者としては、法華経を通じて賢治の同信・同行、親戚としても深い縁にあった関登久也が、生前に、賢治について、三冊の主な著作をのこした。『宮沢賢治素描』と『続宮沢賢治素描』そして『宮沢賢治物語』である。…(筆者略)…
 さて、直接この本についてのことを書こう。
 『宮沢賢治素描』正・続の二冊は、聞きがきと口述筆記が主なものとなっていた。そのため重複するものがあったので、これを整理、配列を変えた。明らかな二、三の重要なあやまりは、これを正した。…(筆者略)…
 なお以上のような諸点の改稿は、すべて私の独断によって行ったものではなく、賢治令弟の清六氏との数回の懇談を得て、両人の考えが一致したことを付記する。
〈『賢治随聞』(関登久也著、角川書店、昭和45年)277p~〉
つまり、宮澤清六と懇談の上で、森荘已池が関の既刊の著作を改稿して出版したのが〝関登久也著『賢治随聞』〟であったというのである。しかもこれに続けて森は、
 多くの賢治研究者諸氏は、前二著によって引例することを避けて本書によっていただきたい。
という懇願まで述べているのだが、なんとも奇妙なことだ。関登久也に対してあまりにも失礼であり不遜な謂(いい)だ。そしてこの懇願を受けたかの如くに、『新校本年譜』はまさに「本書によって」(後に34pで述べるが、これは初出でも一次情報でもないというのにも拘らずである)いることが、先の〝*65〟の註釈から判る。
 そこで次に、この「あとがき」で挙げている関の「三冊」を、出版年を遡って澤里武治の証言に注目しなが

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           〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
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