みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

国見山(10/13、リンドウ)

2018-10-14 20:00:00 | 北上・江刺周辺
《1 》(平成30年10月13日撮影) 《2 》(平成30年10月13日撮影) 《3 優しい人がいて、添え木がしてあった》(平成30年10月13日撮影) 《4 ホソヒラタアブだろうか、しばし見惚れていた》(平成30年10月13日撮影) 《5 》(平成30年10月13日撮影) 《6 》(平成30年10月13日撮影) 《7 》(平成30年10月13日撮影) 《8 》(平成30年10月1 . . . 本文を読む
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国見山(10/13、センブリ)

2018-10-14 18:00:00 | 北上・江刺周辺
 国見山にセンブリが沢山咲いていた。 《1 》(平成30年10月13日撮影) 《2 》(平成30年10月13日撮影) 《3 》(平成30年10月13日撮影) 《4 》(平成30年10月13日撮影) 《5 》(平成30年10月13日撮影) 《6 》(平成30年10月13日撮影)  今まで、国見に今の時期これだけ沢山咲いたのを見たことがなかったので、ちょっと感動。  続きへ。 前へ 。 . . . 本文を読む
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国見山(10/13、ほにょう)

2018-10-14 16:00:00 | 北上・江刺周辺
 先頃、平泉の幾何学模様のほにょうを投稿したが、北上市の国見山のほにょうである。 《1 》(平成30年10月13日撮影) 《2 》(平成30年10月13日撮影)  そしてそもそも、最近は稲束をこのように「ほにょう」や「はせ」に掛けて干す光景はこの辺りでは殆どなくなった。ハーベスタ等で刈り取った後、お米(籾)はカントリーエレベーターなどへ運ばれる。まして、幾何学模様のほにょうは平泉以外で見たこ . . . 本文を読む
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「伊藤勇雄年譜」(生涯)

2018-10-14 14:00:00 | 伊藤勇雄関連
〈伊藤勇雄〉(『夢なくして何の人生ぞ 伊藤勇雄の生涯』の見返しより)  では、久保田好唯著『夢なくして何の人生ぞ』に所収されている「伊藤勇雄略年譜」を元にして、伊藤勇雄の誕生から死没までの、一生分の簡単な年譜を今回はいよいよ完成させてみよう。 《「伊藤勇雄年譜」》 明治31年  9月11日 岩手県東磐井郡薄衣村字堀田百五番地に長男として生まれる。 明治38年(7歳)  薄衣村尋常高等小学校へ入学 . . . 本文を読む
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下根子桜(10/13、後編)

2018-10-14 12:00:00 | 下根子桜八景
《1 ビワ》(平成30年10月13日撮影) 《2 コマユミ》(平成30年10月13日撮影) 《3 ヤマガシュウ》(平成30年10月13日撮影) 《4 チャ》(平成30年10月13日撮影) 《5 スギ》(平成30年10月13日撮影) 《6 》(平成30年10月13日撮影) 《7 スイカズラ》(平成30年10月13日撮影) 《8 オニノゲシ》(平成30年10月13日撮影) 《9 》(平 . . . 本文を読む
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松田甚次郎の証言に従えば(検証1)

2018-10-14 10:00:00 | 「羅須地人協会時代」検証
 では、先の仮説「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」を少し検証してみたい。  今回はまず、松田甚次郎の証言を用いて検証してみたい。もちろん松田甚次郎とは『土に叫ぶ』の著者であり、その巻頭「一 恩師宮澤賢治先生 先生の訓へ」における次のような証言がある。  私は(松田甚次郎のこと)「学校で学んだ学術を、充分生かして合理的な農業をやり、一般農家の範になり度い」と答へたら、先生(宮澤賢治のこと)は . . . 本文を読む
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下根子桜(10/13、前編)

2018-10-14 08:00:00 | 下根子桜八景
《1 ノイバラ》(平成30年10月13日撮影) 《2 マムシグサ》(平成30年10月13日撮影) 《3 高台から俯瞰したかつての田圃、今は荒れ放題》(平成30年10月13日撮影) 《4 イヌタデ》(平成30年10月13日撮影) 《5 》(平成30年10月13日撮影) 《6 下根子桜にもあったんだガンクビソウ》(平成30年10月13日撮影) 《7 ナンバンハコベ》(平成30年10月13日 . . . 本文を読む
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