GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

インド・コメ輸出3月末まで400万トン

2012-02-19 01:00:01 | 農業・食品

インドのコメ輸出が3月末までに400万トンになるとの記事がバンコク・ポスト紙に掲載されてました。ベトナムの今年のコメ輸出計画は昨年比9.72%減の年間650万トン。インドのコメ輸出解禁の前にベトナムのコメ輸出国世界2位の地位もカンボジアの2015年100万トン輸出計画も吹き飛ばされそうな勢いです。

http://www.bangkokpost.com/business/economics/279137/indian-rice-steaming-ahead

インドのコメ輸出は来月4百万トンに達し、タイ政府の担保融資制度とコメ備蓄に対する更なる圧力となる。

ニューデリーの全インドコメ輸出協会(AIREA)のRajen Sundaresan事務局長は、先週金曜日のノン・バスマティ米の輸出解禁に際し、輸出業者は計200万トンの船積みが可能と言われた、と語った。
しかし、輸出業者の240万トンの船積後、インド政府は更に別の200万トンを認可し、3月31日までに400万トンの枠が満たされると予想される。

国際市場に向けて船積されたこのインド米の量はタイの輸出業者たちの予想を遙かに超えるものである。

更にSundaresan氏は、インド政府は別の200万トンの輸出を認可する準備をしていると言う。

コメの国際価格の動向に関して、彼は自然災害や人口増加によって今年は5~10%の緩やかな上昇を予想している。
これは9月30日に終わる収穫年度の生産性向上のお陰であり、昨年度8,000万トンから今年度は8,900万トンの収穫が見込まれている。

天候に恵まれ、高い生産と収穫技術、魅力的な価格によってもたらされたものだ、とSundaresan氏は言う。
「インド米の生産技術の良さや備蓄によって大幅な上昇とはならないだろう」と彼は語った。

タイはインドのノン・バスマティ米の主要な競争者であるが、インドは自らの価格競争力を確信している。
インド産ノン・バスマティ米の主要市場は、アフリカ、インドネシア、マレーシア、バングラディシュ、ネパールであり、タイ製白米と同じ市場である。AIREAは、またインドネシアとマレーシアへの更なる販売のためのロビー活動を行っている。

Sundaresan氏は、インドはイランへバスマティ米を販売しているが、代金受け取りに問題があり、出荷は遅れるかも知れないと語った。
イランの石油とインドのコメとの貿易をアレンジすることが可能だろう、と言う。

タイ農業省コメ部門のSuniyom Taprab主任研究員は、タイの主要農産物である稲の栽培面積は今年0.28%上昇して6,195万ライ(991.2万ha)であると語っている。平均単収は329キロ/ライ(2,025kg/ha)で昨年より0.09%減少する。
これは、2,000万トンの収穫を意味し、昨年の2,300万トンより少ない。

しかしながら、この少ない収穫量は1,669万ライ(267万ha)の3.66%増の二期作1,111万トンが前年比49.5%増となり、オフセットされるだろう。

Sundaresan氏は8月29-31に「Impact Muang Thong Thani」コンベンションセンターで開催される「International Sugar, Rice, Maize & Agriculture Expo Asia 2012」の組織化のためにタイを訪問していた。

2月の熱帯性低気圧

2012-02-18 00:52:54 | 天気

雨音で目が覚めた朝でした。1月にも何度か雨が降ったプノンペンですが、雨音はそれらよりも長引いて聞こえました。

昨年の雨期の終りを引きずった雨にしては余りにも遅く、今年の雨期の始まりというほどまだ気温は高くありません。

                

メコンデルタでも雨が降ったのだろうか、と思いベトナム気象庁のサイトを見ると熱帯性低気圧が南シナ海に発生してました。

ラニーニャ現象というのはこの海域の海面温度が上昇するものだったでしょうか。昨年の洪水と日本の大雪、きょうのプノンペンの雨もラニーニャという言葉で括られる一繋がりの異常現象なのかも知れません。

乾期の雨は籾米やキャッサバ、あるいは胡椒の天日干しや製塩農家にとっては迷惑至極なことです。

つい先日もメコンデルタ、バクリュウ省の製塩が季節外れの雨で損害を受けているとのニュースがありました。

http://www.vbard.com/31/834/tin-tuc/thi-truong-nong-nghiep/2012/02/4900/diem-dan-bac-lieu-that-thu-do-thoi-tiet-va-chi-phi--13-2-2012-.aspx

コメ価格下落とVN・カンボジア

2012-02-17 12:03:50 | 経済

輸出が低迷するこの時期、ベトナムの食糧輸出協会(VFA)は政府に対し百万トンのコメ備蓄のための銀行融資を要求し、カンボジアでは政府が精米業者への商業銀行融資を保証する政策を行うとのニュースが伝えられています。

VFAの発表によれば1月のベトナムのコメ輸出は27.9万トンで昨年1月の半分。カンボジアの輸出も著しい減少と伝えられています。

タイ政府の担保融資制度復活コメ高価格政策にも関わらず、低価格インド米との競争にベトナムとカンボジアは苦戦を強いられているようです。

       「Mua tạm trữ 1 triệu tấn gạo vụ đông xuân」
http://cafef.vn/20120216092636214CA52/mua-tam-tru-1-trieu-tan-gao-vu-dong-xuan.chn



  「カンボジア政府コメへの融資をバックアプ」
http://www.phnompenhpost.com/index.php/2012021554507/Business/govt-backs-rice-loans.html

政府はカンボジアの商業銀行と資本を渇望するコメ分野との間の保証人としての役割を計画していることを当局は昨日確認した。

経済財務省は精米業者への融資担保として2,500万ドルを保証する計画であると、最高経済会議のアドバイザー Kalyan Meyは昨日語った。

カンボジアの精米業者はしばしば大量の籾米の買い付けや精米加工設備の資本を欠落させている。
彼らはまた商業銀行からの融資を確保するための必要とされる担保にも不足している。

政府がコメ分野のデフォルトに保証を与えることは生産を押し上げ、フンセン首相の提唱する2015年に百万トン精米輸出に近づくことが期待される。

この2,500万ドルはより多くの融資を精米業者にもたらし、生産を増大し精米加工量を拡大することになる、とKalyan Meyは言う。

「政府は一貫して精米分野を支援し続ける」と語り、この努力は可能な限り早く3月に始まるだろうと付け加えた。

専門家と当局は、地域のコメ価格下落はカンボジアの精米製品の高コストと国際市場での競争力の無さを曝け出した、と月曜日に語った。

専門家は、カンボジアの精米受注は昨年に比べ1月は著しい減少を見せた、と語っている。

カンボジア精米輸出協会のLim Bun Heng会長はこのプロジェクトを称賛する。

「政府が本当にこのプロジェクトを進めるならば、精米輸出をより早く推し進める役割を果たす。特に精米業者は一般的に自己資金の不足のため自分では行えないからだ」。

ACLEDA銀行のIn Channy会長兼CEOはイニシアティブをサポートして来た。

しかし、銀行は既に多くの精米業者に融資していると言い、まだどの契約書にも調印していない。

彼は、「政策は商業銀行に融資のオファーを定期的なものにし、より快適なものにするのに役立つだろう」と語った。

「われわれは、この分野への融資を最終的には増やすことになるだろうが、増大はわれわれの成長に依存する」と付け加えた。

ACLEDA銀行は116,645の顧客を持ち、昨年1億6,600万ドルの融資を提供した。
融資の1,050万ドルは451の精米業者に実行された。

この分野では100万トンの輸出のためには、買付け、加工、運送に6億ドルが必要とされる、と農村開発銀行は月曜日に語った。
この銀行はこれまでに3,600万ドルをこの分野に融資している。

プノンペンSteung Meanchey地区の精米業社オーナーのVong Bun Hengは、財務的困難は彼や他の精米業者に籾米の買い付けを難しくさせているため、近隣国への輸出をもたらしている、と言う。

多くの人々が生産拡大に挑戦するために多くの支出を行い、彼らには籾米を買う資金が残っていない、と付け加えた。
彼は、計画が実現すれば参加するが、2,500万ドルは余りにも少ない額でわずか4つか5つの精米所を保証できる過ぎない、と言う。

戦象20万頭

2012-02-16 18:39:07 | 地理・歴史

平凡社「真臘風土記」の附録に「諸蕃志 真臘国」が収録されていて、そこに「戦象は二十万[頭]にちかい」とあります。アンコール朝の絶頂期の数字なのでしょうか?1頭の象が排泄する糞が1日百キロとも言われてますが、すると二十万頭の象だと1日に2万トン、年間730万トンとう膨大な量になります。アンコール期のカンボジアは至る所象の糞だらけだったのでしょうか。

もっとも現在のカンボジアでは牛が約350万頭ほど飼われています。体重は象の13%ほどですから糞も比例するとして1日1頭が13kg×350万=4.55万トン/日で当時の象の糞の2倍以上を排泄していることになるわけだし。



2003年の農業統計にモンドルキリ州の家畜、象74頭とあったのを思い出し、改めて他の州の統計を探したところ象の記載はありませんでした。アンコール・ワット周辺でも観光客乗る象を見たことがありました。

ベトナムでも戦象は西暦40年ハイバチュンの時代にも描かれています。最近でも野生の象が密林から下りて来て電柱を倒したなどというニュースを見た記憶もあります。しかし、野生の象はこの間ベトナムでは激減し、2009年には80頭しか残っておらず、5年間に半減したとのこと。

http://tuoitre.vn/Chinh-tri-xa-hoi/Moi-truong/349893/Ca-nuoc-con-80-con-voi-rung.html



更にそれ以降は、野生象の死体が発見されるニュースばかりが続いています。

ベトナム戦争中には密林の兵士が象を目撃することも多かったようで、尻尾のない象の話を聞かされたことを思い出しました。

原田君がベトナム戦争の写真集(発刊されずに終わった)を編集している時で、今思えば再会した後で彼が一番昔の彼らしく、無邪気に語っていたように思えます。急流を渡る時に子象が母親象の尻尾を掴むため母親象の尻尾が切れてしまうわけですが、戦争のただ中でそれを観察して記した兵士の心境に彼は感動していたようでした。

「真臘風土記」には戦象については触れられていません。象牙については記されています。また、「馬には鞍がないが象にはかえって凳(腰掛け)があって座ることができる」とあります。馬や牛は乗らずに車を引かせるだけというのは今も変わらないようです。

「象牙はすなわち山間の僻地の人家がこれをもっている。・・・その牙は投げ槍で殺したものを上[等品]とし、みずから死んで、その時どきに人に取られたものはこれに次ぎ、山中に死んで多年たったものの場合はすなわち下[等品]とする」

象が戦争に使われた時代、或いはナパーム弾や枯葉剤で密林が破壊された時代、象にとっても不幸な時代だったと思うわけですが、もはや絶滅が危惧されるまでの状況となったインドシナの平和な今日、何れは観光客を乗せる象しか残らなくなってしまうのでしょうか?もっとも、餌代を考えると観光客用の象を維持するためにはそれなりのサービス料を支払う必要がありそうです。

エタノール工場稼働で魚大量死

2012-02-15 17:37:50 | 社会

ベトナム中部クアンガイ省のユンクアット・バイオエタノール工場が稼働したとのニュースに続き、早々に魚の大量死が伝えられ、会社は工場廃水によって引き起こされたものであることを認め農民への補償も行うことです。

http://dantri.com.vn/c20/s20-565394/bioethanol-dung-quat-nhan-trach-nhiem-vu-ca-chet-trang-dong.htm



以前はタピオカ澱粉工場の排水が各地で問題を引き起こしていたベトナムですが、やはり大きな転機となったのは台湾資本VEDAN工場の排水汚染問題だったように思います。

廃水処理には多額の投資が必要となるためVEDAN社は地方行政へ賄賂を配って見逃して貰っていたものの中央の環境大臣が激怒。コープマート等スーパーが不買運動を展開するなど世論の高まりもあって状況は一変したかのようでした。

謂わば、水俣病の「チッソ」に匹敵するネームバリューを「VEDAN」社はベトナムで確立してしまったわけです。また、2008年、中国のメラミン入り牛乳問題の際には「ハノイミルク」社製品からミラミンが検出され、経費削減で経営を建て直しつつあるものの3年以上経った今でも当時の売上を大きく下回ったままです。

カンボジアでも最初のバイオエタノール工場、韓国資本のMH Bio-Energy Cambodia社が2008年に操業を開始し、オープニングセレモニーにはフンセン首相も出席し大いに期待されていたものの汚染排水腫れ流しで魚の大量死を引き起こしました。そのため操業許可が取り消されたとの話も耳にしましたが、公式には操業停止はキャッサバ価格高騰によるものとされています。再三にわたり再稼働の話もありますが、実際のところは知りません。

中国の澱粉やエタノール需要の高まりが続き、タイではインラック政権による最低賃金の引き上げが追及される中、アセアンの経済統合の進展はタイやベトナム資本によるカンボジアへの投資がこの分野でも活発化しているようです。

タイ国境では買い手の付かないカンボジアのキャッサバですが、家畜飼料への需要を含めアジアでのキャッサバ需要は当分減る気配はなさそうです。

地方キャッサバ業者へ国の融資

2012-02-14 21:39:12 | 農業・食品

     「State loan for local cassava processor」

農村開発国有銀行(RDB)は、キャッサバの市場価格の不安定さを抑制するため国内のキャッサバ加工業者と輸出業者へ100万ドルの融資を行った、と明らかにした。
融資を受けたPower Unity Cambodia Investment社はカンボジア農民からキャッサバを買い、中国へ輸出する。

キャッサバ農家、特に北西部の農家は主にタイからの不安定な需要に懸念を抱いている。

2011年初めから中旬にかけてキャッサバ価格は上昇し、農民はトウモロコシなどの作物の畑を潰してより儲かるキャッサバを植えた。ところが、タイ国境の規制と供給過剰は、カンボジアの多くのキャッサバ畑を収穫されないままになった、とポスト紙は伝えている。

Power Unity社からのコメントは昨日得られなかったが、1月にポスト紙は、この会社が今年30万トンのキャッサバを中国に輸出すりことを伝えている。

キャッサバ輸出の大半がタイに向けられている一方で、政府は現在、カンボジアの主要な農産物の輸出先をより大きく、より安定した買い手として中国に期待している。

「政府は、近隣国市場への依存を避けるために、キャッサバ加工工場の設立と中国市場へ輸出するための投資を奨励している」とRDBのSon Koun Thorゼネラル・ディレクターは語っている。

パイリン州の70~80%のキャッサバは収穫されていない。市場を見つけることができないからだ、とパイリン州のキャッサバ乾燥工場のChea Kea社長は言った。

http://www.phnompenhpost.com/index.php/2012021454482/Business/state-loan-for-local-cassava-processor.html
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百万ドルの融資というと約40億リエル。キャッサバチップは現在キロ約600リエル程ですから6,600トン分の購入費になります。年内に30万トンを輸出するならこれを45回転させないと実現しない計算。

また、この融資を受けるPower Unity Cambodia Investment社はタイとの合弁企業のようです。
http://www.cmtevents.com/eventposts.aspx?feedid=1384&ev=120212&


醤油文化

2012-02-13 20:53:24 | 農業・食品

カンボジアの雑貨店でもベトナムの醤油「Chin su」が売られていました。数あるベトナム製醤油の中では名の通った唯一の国産ブランド品とベトナムでは思ってもいた商品です。

数年前、ベトナム製醤油から発ガン性物質が検出されて大騒ぎになったことがありました。ベトナム人の多くが薄々感じていた安い醤油の安全性について決定的な一打を浴びせ、確かChin suにも疑惑が広がったように覚えていますが、大キャンペーンを張って逆に市場を拡大して行ったような印象でした。

        

ベトナムでは今でも醤油よりヌックマム(漁醤)の方が多く使われているとは言え、スーパーでは中国圏や日本の醤油も置かれています。

ベトナム語(南部)では一般的には「nước tương」と呼ばれています。「tương」は大豆「Đậu tương」から来ている言葉では、と思います。ところが大豆は「đậu nành」とも呼ばれ、豆乳の場合は「Sữa đậu nành」。醤油には「Xì dầu」という呼び名もあります。「dầu」は油ですから中国語から来た言葉のようです。ベトナム語ではnước「水」と呼び漢越語では「油」ということに。

カンボジアでは「si yu」と聞こえる発音でベトナム語のXì dầuに近いものがありますが、「トゥック・シーユー」で「醤油水」の意味になります。タイでも確かシーユーと呼ばれていたと思います。

そんなわけで、ベトナム人もカンボジア人も醤油や漁醤は「油」ではなく「水」なのですが、何故か日本人は中国語に忠実に「油」と記しています。火を付けて燃えないのだから水だろう・・・などという素朴な考えは起きなかったのでしょうか?

キッコーマンのホームページに「江戸時代のしょうゆ輸出について」という資料が載っていて興味深いものがありました。18世紀にオランダの船によってバタビアにほぼ毎年2000トンの醤油が送られ、内700トン余りがオランダに送られていたようです。その他に中国船による輸出等があったとか。

オランダ船でカンボジアのピニャルー商館にも1665年に1樽送られています。当時鎖国令で日本に帰れなくなった日本人がカンボジアに300~400名ほど暮らしていたようです。(サイトに掲載されているピニャルー商館、プノンペン西北250kmは25kmの間違いと思います)

347年前のことですが、一代30年として計算すればたかだか11代前のこと。ちょうど現在と「真臘風土記」の時代との中間です。キリシタンが多かったとすれば教会を探せばその子孫に出会える可能性もあるのでしょうけど。

2006年のピニャルー日本人町の発掘調査では何も見つからなかったようです。
http://www.47news.jp/CN/200607/CN2006072201003424.html

平壌冷面餐庁

2012-02-12 17:57:25 | 生活

プノンペンに来ていた知人に誘われてコリアン・レストランで食事することになりました。しかし指定されたのは再びモニボン通り400番の「平壌レストラン」。バイクは故障して修理を依頼しているところだし、日が暮れてからの時間でもあり、歩いて行くことにしました。30分ほど歩きましたが汗をかくこともなく、ちょうど良い散歩の距離でした。

店の前には車が所狭しと留められていて、店は空いてるテーブルがないほどの混雑ぶり。この店の雰囲気にはどうも馴染めないものがあるわけですが、プノンペンならではのことでもあるので楽しむことにしました。

客はやはり韓国人が多いようで、日本人客も2つのテーブルに居たようです。近くには女性だけの欧米人のテーブルがあり、見たところ盛り上がっている雰囲気ではありませんでした。

2・3人で来るものと思っていたところが、6人でやって来てわれらがテーブルは合計7名の円卓になりました。8時頃からは恒例の歌と演奏、踊りがステージで行われました。連日ケーブルTVに映し出される「少女時代」の映像との落差は南北の落差というよりは時代の落差のようにも思えます。それでも韓国人の中年の男性客などは結構この時代物のパフォーマンスに違和感がないかのようなノリで盛り上がっていました。

テーブルにはカンボジア人3名と外国人4人。初めて会う人が3人居て内2人はオランダとスペインの男性。もっともそうと気づいたのはかなり時間が経過してからのことで、たぶんそう紹介されたのでしょうけど英語が聞き取れてなかったわけです。



喫煙者がもう一人居たことは幸いでした。プノンペンでも禁煙のレストランが多く、小奇麗なカフェも殆どが入口に禁煙マークが貼ってあります。が、平壌レストランは喫煙可の様子。壁には撮影禁止の張り紙があるものの携帯電話のカメラで撮影してる姿があっても注意を受けてる気配はありません。

喫煙者のスペイン人の隣に座りました。彼が吸っていたのがスペインから持って来たNobelとかいうこの煙草。一本貰って吸ってみるとHEROよりかなり上品な味で気に入りました。使い捨てライターはスペインでは1つ1ユーロだそうで、ベトナムやカンボジアで10円か20円で買っている身には驚くべき物価高。労働者が通常食べるランチも12ユーロだそうです。ユーロに加盟してからスペインは物価高になった、と嘆いてました。

スペインと言えばピカソ、ガウディ、セルバンテス、無敵艦隊、レアルマドリード位しか記憶になく、しかも「無敵艦隊」の英語は知りません。思い浮かぶままの単語を口にしていると「僕はバルセロナ」だけどね、とのこと。バロセロナというとカタロニア?と古い記憶が蘇り、10代の頃に読んだ「カタロニア讃歌」を思い出しました。

彼の家はピレネー山脈の近くだそうで、家を出る時に写した雪の積もった家の画像をHTCのスマートフォンで見せてくれました。スペイン市民戦争の時には彼の祖父も銃を取って戦ったバスク人だそうです。

オランダ人とはそもそも日本語で話すとしても話題が思い付きません。ビールのハイネケン位しか。最近日本に行って「鶏の生肉料理」を食べて来た、と言ってこれまたスマートフォンの画像を見せてくれました。オランダは日本の徳川幕府をそそのかして鎖国させ、貿易利権を独り占めにしたんだろう。

みたいなことを言うつもりが上手く英語で表現できません。とりあえオランドと日本は長い間の関係がある、ということで誤魔化し、コロニアル時代のオランダの地図にはメコン河の河口近くはJapanese riverと記されていたりして、当時のオランダの航海日誌は日本人にとっても貴重な歴史資料であるなどとお世辞を言い、久しぶりに「南洋日本人町の形成」を思い出し、一人で盛り上がりました。「バタヴィア城日誌」を読んで次回は歴史好きなオランダ女性との会話に備えたいものです。

最近は下手な英会話能力の上に居直って生活しているわけですが、その割にクメール語の単語も覚えられず立場がありません。

もっとも平壌レストランの可愛いウエイトレスの英語も随分と意味が通じてませんでした。その分は愛嬌で十分カバーできてましたが。中国語や片言の日本語を話すウェイトレス兼エンターテイナーもいました。彼女は、3年ほどは北朝鮮には帰らずここで働くそうです。


FAO食料価格指数1月は反発

2012-02-11 23:31:13 | 農業・食品

昨年12月末には14か月前の水準にまで低下した世界食糧価格。1月は再び上昇してしまったようです。FAOのニュースはブルームバーグが引用し、それがベトナム語のサイトで取り上げられて目にする機会が多いわけですが、この記事はFAOの日本語サイトに翻訳されていました。

http://www.fao.or.jp/detail/article/770.html

世界の食糧価格は今後20年間に2倍以上に高騰するとの予測もあるようです。

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LM34LT1A74E901.html

デフレ下の日本では、元々国際価格に比べ高い価格に設定されていた食糧価格でもあり、あまり関心を引かない話題とも思うのですが、ベトナムやカンボジアで暮しているとかなり切実なものがあります。

はたして2012年、FAOのグラフの赤い線はどんな曲線を描くのか気になります。

食糧価格高騰を牽引しているトウモロコシの価格は依然として2005年と比べ3倍以上の水準にあります。



トウモロコシ価格上昇は、中国の豚肉需要の増大とエタノール需要によるものと説明されています。1月の食糧価格上昇の要因の一つはブラジルの悪天候によるものと言われ、砂糖価格も上昇したのだとか。ブラジルのサトウキビが不足すればエタノール価格への影響も考えられそうです。

今年もまた「資源高で商社好決算」の1年になるのでしょうか?

キャッサバ・チップの作り方

2012-02-10 23:29:19 | 農業・食品

キャッサバ・チップと言ってもスナック菓子のキャッサバを原材料にしたポテトチップのことではありません。キャッサバのポテトチップ菓子があることを知ったのも最近のことで、近所の道路にキャッサバチップの広告が描かれたミニバンが停められていました。まだ食べたことはないのでどんな味なのかもわかりませんが、そういう商品があることは確かです。



生のキャッサバは劣化し易いのでタピオカ澱粉などの加工工場の近くか国境近くでないと生のままで販売することは難しいようです。時間の経過と共に澱粉質が減ったり腐ったりするそうです。トラックの荷台から落ちたキャッサバ芋を持ち帰ってそのまま部屋の窓際に放置していたところ、ぶよぶよになってしまいカビが生えていました。

そのため、カンボジアの農家では皮を剥き、小さく刻んで天日干しをしてから出荷するのが一般的のようです。



工程1:芋の皮を剥く。皮剥き器を使ってました。



工程2:皮を剥いたキャッサバを切る。



工程3:チップを家の前の道路に干す。ここでは6日間天日に干すそうです。

天日干しは雨が降ると困るので収穫期は12月から4月の乾期になるようです。この家では家族親戚含め8名ほどで作業してました。3ヘクタールほどのキャッサバ畑を持っているため4ヶ月ほど作業が続くそうです。

生キャッサバはキロ300リエル(6円)、乾燥させたキャッサバチップはキロ600リエル(12円)ほどで売れるそうです。カンボジアの2010年の平均単収はヘクタール当り20.6トンほど。生キャッサバ3ヘクタールの収穫で37万円ほどの収入となる計算です。