常識について思うこと

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脱亜入欧の終焉

2008年10月30日 | 日本

150年ほど前、日本は激動の最中にありました。それまで閉じていた世界が突然開けて、その開けた世界のなかで、日本がどう立ち回るべきかについて、さまざまな議論や動きがあったのだろうと思います。そして、その当時ひとつの指針として打ち出されたのが、福沢諭吉による「脱亜入欧」という考え方です。

この言葉について、「アジアを切り捨てる」という負の面ばかりを捉える人々もいるかもしれませんが、私は、けっしてそのように考えるべきではないと思います。当時の世界は、帝国主義的思想が頭をもたげ始め、力のある国が力のない国に進出し、そこを植民地として支配していくという弱肉強食の時代でした。それを許容するか、しないかという悠長な議論は許されず、その現実を受け止めた上で、どう対処するかが求められる時代であったと理解するべきでしょう。そしてまた、そうした世界をリードし、ルールを決めていたのが、「欧」を中心とする国々であり、その仲間入りをしていかない限り、日本の未来が開けないという判断は、当時として、あって当然だったのではないかと思います。「亜」を切り捨てるというよりも、致し方なく「欧」に入らざるを得ないという苦渋の選択の結果が、「脱亜入欧」という考え方として表出したのではないかと思うのです。

それ以降の日本の指導者が、どれだけ「脱亜入欧」を意識したのかは分かりませんが、少なくとも「欧」への仲間入りを目指した日本は、彼らの思想や文化、それに付随するあらゆる事柄について、懸命に学んできました。とくに鎖国状態にあった、当時の日本人にとって、「欧」で生み出されたものは新鮮で珍しく、それら全てが学ぶべき対象であったことは間違いないでしょう。

しかし、それから1世紀半が経過し、状況は大きく変わりました。「グローバル」という言葉が、既に死語ではないかと思うほど当たり前になり、「欧」の思想や文化、それに纏わる多くのものが、現代を生きる日本人にとって、何の違和感もなく受け入れられるような時代になったのではないかと思います。それだけ、地球は小さくなったのであり、「欧」についても、知らないことがほとんどなくなったのです。海外で家族や友人が生活するということは、当たり前のようにありますし、日本において外国人が生活していたり、日本人が外資企業に勤めていたりということも、ごく普通にあることです。そうしたことから、日本人が「欧」について知らないことはないと言っても、過言ではないと思います。

むしろ私としては、近年、日本人が「欧」について、ひとつ別のことを知るに至ったように考えます。それは「欧」の限界です。

「欧」の思想や文化も、当時の帝国主義的な考え方から、さまざまな進化を重ね、今日に至るまで、複雑な社会システムを整備してきました。日本人は、そうした進化が起こるたびに、それを懸命に学び、「欧」にしがみつくように追随してきました。けれども、その「欧」の思想や文化は、近年に至り、ますます限界を露呈しつつあります。それは、資本主義という世界的な社会システムのみならず、宗教や科学のあり方についても言えることであり、このことは、かつての「脱亜入欧」に代わる、新しい指針を必要としていることを意味します。

「欧」の限界について、実感できていない方々は、最近の金融不安について、想起していただければと思います。そしてまた、その解決がどのように行われるのかについて、注視されればよいと思います。まだ「欧」の文化や思想に、世界を動かすだけの余力があるということであれば、この世界的危機は、「欧」を中心とした国々が自ら克服し、彼らが相変わらず世界のリーダーとしての地位を保ったまま、力強く世界を牽引していくことでしょう。

実際、この金融危機も、何らかのかたちで収束するはずです。もしかしたら、表向きそれは、彼らが自らの力で、克服したかたちになるかもしれません。しかし、それは必ず、別の思想や文化、価値観を許容するきっかけになりますし、そのことが「欧」の時代を終わらせるスイッチとしての機能を果たすことは、後の歴史が証明するものと思います。

ところで、その「脱亜入欧」が終わるとして、次はどのような時代になっていくのかを考えなければなりません。私は、次の時代において、重要な役割を果たすべきは、日本であると考えます。日本は、これまで「欧」から多くのことを学び、それらを血肉に変えて生きてきました。しかし、それが限界を迎え、別のパラダイムを生み出さなければならない時代にあって、日本が次に成すべきことは、「欧」を消化した上で、自分たちの思想や文化の発信することです。

それでは、日本はどのような思想や文化を、どのように発信していかなければならないのでしょうか。それについては、既に目の前に答えがあると思います。そしてそれは、さほど難しいことではないと考えます(「「No」と言えないことへの誇り」、「世界のリーダーたるべき日本」、「新しい産業構築に向けて」、「別世界の演出ができる国」、「日本人の大切な「ゼロ」」等参照)。

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