常識について思うこと

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龍馬がやり残した仕事

2010年01月08日 | 日本

今年のNHK大河ドラマの主人公が、坂本龍馬であるため、年初から何かと龍馬の話題が目につきます。坂本龍馬については、私もずいぶんと関心を持っていた時期があり、それなりに思い入れもあります。もう20年近くも前ですが、龍馬が襲われたとされる寺田屋(どうやら偽物だったようですが・・・)に宿泊して、彼が撃った弾丸の跡や、お龍が裸で抜け出したというお風呂等を目前にしたのは、当時の私にとって、非常に貴重な体験であり、今ではとてもいい思い出でもあります。そういう意味で、もしその頃に、「龍馬伝」が放送されていたとしたら、きっと噛り付いて見ていただろうと思います。

しかし、今の私からすると、幕末から明治にかけて日本で起こったこと、龍馬が成したこと、今日まで引きずっている問題等が、一応、一通り整理されており、その中で自分が成すべきことが既に定まっているため、特段、今更になって、「龍馬伝」を見なければならない理由を失ってしまったように思うのです。

この点、非常に重要です。歴史を学ぶ以上、それは活かしていかなければなりませんし、自分の生き方に反映していかなければなりません。貴重な時間を費やして、わざわざ番組を見るのであれば、そこにはそれなりの問題意識と理由を持って、臨む必要があると考えるのです。そういう意味で、今の私にとって、「龍馬伝」を見ることと、自分のミッションにおける龍馬という人物の位置づけや功績、限界を明確にすることは、とても重要なことなのです。そう考えた時、今の私は「龍馬伝」を見るよりも、むしろ私なりに結論が出ている、「龍馬がやり残した仕事」を片付けなければならないと考えるわけです。

それには、いくつかのポイントが挙げられるでしょうが、そのうちの大きなひとつが、薩長と幕府側勢力の和解です。

周知の通り、坂本龍馬の偉大な功績のひとつとして、薩長同盟が挙げられます。龍馬が仲立ちした薩長同盟によって、幕藩体制は綻びを見せ、それが後々の明治政府樹立へと繋がってくるわけです。しかし、彼はこれを見届けることなく亡くなってしまいました。龍馬暗殺の真相には諸説ありますが、少なくとも、彼が亡くなってしまったことで、明治政府の顔ぶれが、薩長の色合いを濃くしたことは間違いないと思われます。龍馬は、薩長同盟を成した後、徳川慶喜を副関白に据える人事構想を立てる等、幕府側勢力を明治の新体制に取り込もうと考えていた節があります。もしこれが成っていれば、幕府側陣営が軍事的に痛めつけられる戊辰戦争のような摩擦は生じなかったかもしれません。

翻って、現代の日本については、言う人に言わせると、かなり真面目な話として、「今も薩長体制は続いている」と言います。そしてまた、当時、幕府側に付いて死闘を演じた人々(例えば会津藩)の関係者の中には、今もなお薩長に対して、強い憎悪と警戒心を持っている方々がいることも事実です。この裏には、当時の薩長が、天皇の扱いなど、相当強引なことをしてきたらしいこととも関係していると思いますが、この際、ポイントはそこにはありません。

要は、そうした一世紀半近くも昔の薩長と幕府側勢力との間に生じたシコリが、今もなお残っているということです。これは、これからの時代において、日本が一致団結して世界の問題に取り組もうという時に、大きな障害になり得るという意味で、私にとっては看過できない問題でもあります。そして、それは紛れもなく、幕末から明治にかけての時代に端を発する問題であり、見方によっては、幕府側勢力を平和的に新政権へ取り込むことに失敗し、志半ばにして倒れた龍馬の残課題であるとも言えると思うのです。

実際のところ、こうした歴史的な問題は、日常生活を営んでいく上で、ほとんど関係のない世界の話とも言えます。しかし、私の経験上、巨視的な課題に取り組もうとすればするほど、けっして無視のできないものとなっていくものだと考えています。

いずれにせよ、私としては、上記のような問題意識から、薩長同盟を成立させ、明治維新に至る道筋をつけた坂本龍馬という人物の功績を大いに認めつつも、彼の限界を知り、彼がやり残した仕事についても、きっちりとこなしていく必要があるのだろうと思う次第です。

なかなか楽しみな時代になってきました。

《おまけ》
明治維新時の真相について議論を始めると、「そんなのはトンデモ話だ」等とおっしゃるような方々がいらっしゃいます。その方々は、その方々なりに勉強されており、そうした知識の裏付けをもって「トンデモ話である」と言われているのだろうと思います。それはそれで、そう信じるのは結構なことですし、それは各人の自由だとも考えます。しかし、もし余裕があるならば、こうした重い問題については、座学ではなく、是非、直接いろいろな関係者の方々とお会いになって、お話を伺ってはどうかとも思います。問題が核心に迫れば迫るほど、到底、座学では見えない部分があるものです。ただし、こうした問題は、極めてセンシティブな事柄でもあるため、ヒアリングをされる際には、それなりの覚悟と真剣味を持って臨む必要があることも事実です。そうでなければ、相手の方々はなかなか口を開かないでしょうし、また場合によっては、とんもない代償を支払うことになると思います。ご興味を持たれ、追求をされる場合には、その点、くれぐれもご注意ください。

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