常識について思うこと

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円安に期待するなかれ

2008年06月28日 | 産業

日本の産業を支えている方々が、「円安が良い」と言うと、そういうものなのかと思わざるを得ませんでした。高付加価値製品を輸出することで潤っている日本の産業界にとって、円安は日本製品の国際的な価格競争力を後押ししてくれるので、より日本製品が売りやすくなるというのがその理由です。

正直、私はこのロジックに多少なりとも違和感を持っていました。もちろん、国際的な価格競争力が強まるという理由は理解できるのですが、円貨で生活をしている一国民として、「円安が良い」というのは、ちょっと不思議な感じがしたのです。

最近になって、この状況はだいぶ変わってきたようにも思います。もともとエネルギー資源や食糧を海外からの輸入に頼っていた日本にとって、円安は死活問題に発展する恐れがあるわけですが、最近のようにそれらの価格が高騰を続けることで、もはや「円安が良い」などとは言っていられない状況になってきたと思うのです。

そこで将来、日本の産業を背負っていこうと思っている方々に、あえて申し上げたいのは、今までのように「円安が良い」などというのは、単なる甘えに過ぎないだろうということです。即ち、産業が果たすべき役割は「社会ニーズに合致した良いものを作り出し、その価値を認めて買ってもらうこと」です。その本質は、あくまでも「良いものを作り出す」ことであり、「円安を期待する」ことではありません。これは至極、当たり前のことなので、あえて言うことでもないかもしれません。

先日、ある成功しているとされる若手の事業家の方のお話を聞きました。現在の日本経済の閉塞感に対して、解決策を見出すことができず、ほとんど政治頼みの姿勢を示されているのをみて、ひとつの大きな壁を感じました。

「これではダメだ」

日本の産業界がするべきことは、まだまだ山ほどあるはずです。「円安」や「政治」に頼る前に、自らの努力でできることは、もっともっとたくさんあります。他人や環境に頼ることも必要でしょうが、それが早過ぎてもいけません。それは甘えになります。今、日本の産業が抱える最大の問題は、他人や環境に問題があることについて詳細な分析ができても、実際、自らが主体となって、できることやするべきことが何なのかを見失っていることにあると思います。

日本の産業を背負っていく人々にとって、「円安」も「政治」も自分の背中を後押ししてくれるものにはなっても、自分を救ってくれる切り札にはなり得ないことは間違いないでしょう。日本を救う切り札は、自分でしかないことを、産業界の責任ある方々には、是非とも自覚していただきたいと思います。そして同時に、円高でもきちんと売れる良い商品、あるいは良いサービスを生み出してくれることを切に願うのでした。

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