常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

コミケとディズニーランド

2010年01月04日 | 産業

昨年末にはコミックマーケット(以下、「コミケ」)、今年のお正月にはディズニーランドに行ってきました。そのなかで感じたことから、総じて言えるのは、以下の3つです。

■アメリカが教えに来てくれている

幕末から明治にかけての時代、「脱亜入欧」という言葉があったとおり、日本はアジアを抜けてでも、欧米に学んでいかなければなりませんでした。そのため、当時から今日に至るまでの多くの日本人は、そうした最先端の文化や文明を学ぶために、一所懸命外国語を学び、海外へ留学していくことになったのだろうと思います。しかし、その状況は現代に至り一変し、欧米に向かって、それほど積極的に学びに行く必要はなくなったのではないかと考えます(「脱亜入欧の終焉」参照)。

世界の最先端を行く国の人が何を良しとして、何を楽しみ、何に喜びを感じているのか、150年前のほとんどの日本人には、まったく想像がつかなかったでしょう。しかし、現代においては、アメリカ人がわざわざ大量に出張をしてきて、彼らの文化を日本語に変換してまで、その価値観や世界観を日本人に教えてくれているのだと思うのです。


お馴染みのピーターパン


世界のハリウッドを背景に

ディズニーキャラクターたち

アメリカには行ったことがなくても、こんなにも簡単にアメリカ的な文化に触れることができるというのは、150年前では到底考えられなかったことであり、とても有難いことです。現代の日本人は、ここから多くのことを学ばなければならないと思います。

■「プチコスプレ」で楽しみの幅を広げる

日本人というのは、とても生真面目な人々が多いような気がしてなりません。そうした日本人に対して、アメリカ人はもっと気軽に楽しむことを、教えてくれているように思うのです。

それは、コスプレ文化についても言えるのではないかと考えます。

日本のキャラクターを使ったコスプレの特徴は、「それなりに本格的」であり、「それなりの場所」で楽しむことが要求されるということです。日本のキャラクターでコスプレをしようとなると、基本的に全身で、しかもそれなりの「なりきり度合い」でなされるのが一般的です。したがって、その格好のままで行動するには少なからぬ問題が予想されるため、大体においては、ある程度のスペースにおいて、楽しむことが要求されるのです。

コミケでコスプレをする人々は、基本的に「コスプレ広場」なる場所にて、コスプレを楽しむことが求められます。しかし、これは大変、窮屈な場所です。当然のことながら、コスプレをしながら、(写真撮影以外で)何かを楽しむというのは、なかなか難しいと言わざるを得ません。

一方、ディズニーランドでは、園内、コスプレし放題になっています。正確に言うと、ミッキーの耳をつけたり、ドナルドのぬいぐるみをかぶったり、手袋をしてみたりという程度のコスプレであるため、日本のキャラクターで行われるところのコスプレには当たらないかもしれません。しかし、ちょっとしたコスプレをしていることは事実であり、これは言わば、「プチコスプレ」とでも言うべき代物だろうと思うのです。こうした、ちょっとした「プチコスプレ」で、園内を自由に歩き回り、その格好のまま一日中遊べる施設があるというのは、とても楽しいことだろうと思います。

日本でも、京都の東映太秦映画村では、新選組や水戸黄門などに変装できるコスプレサービスがありますが、どうも生真面目な日本人らしく、その衣装やメイクが、かなり本格的に作り込まれてしまっているため、利用客のハードルを上げてしまっているようにも感じます。

このあたりの文化において、日本人がもっと気軽に楽しむことを学び、具体的に「プチコスプレ」として根付かせることができるようになれば、遊びの幅が格段に広がり、多くの人々が楽しめるようになるのではないかと思えてなりません。例えば、コスパのTシャツを着て歩くだけでも、それは立派に「プチコスプレ」として成り立つかもしれないのです。こうした文化を狭苦しい自己満足の世界に押し留めることなく、もっと広い空間にて、大勢で楽しめるようにすること、あるいはそうした娯楽施設を作ることが、今後の日本にとっての大きな活力源になるようにも思います。

■キャラクターへの愛情とビジネス化は両立する

正直、日本アニメのキャラクターは、世界のどこにも劣らない力を持っていると思います(「日本に眠る宝物」参照)。しかし、ディズニーのキャラクターには、それを超えるだけのエネルギーを感じてしまうのです。右写真は、昨夏にディズニーランドを訪れたときのものですが、こうしたキャラクターと写真を撮りたがって、群がる日本人がいるわけです。こんな状況ですから、ディズニーランドのメインキャラクターであるミッキーマウスが登場したら、その盛り上がり方が凄いであろうことは、言うに及びません。こう考えると、日本は何かに完敗していると言わざるを得ないと思います。

しかし実際、私は日本アニメのキャラクターの数々が、ミッキーマウスに劣っているとは思いません。むしろ、より活きたキャラクターとして、どちらに愛着を持ちやすいかと言ったら、圧倒的に多くの日本のキャラクターに軍配が上がるのではないかと思っています。このギャップが生じる原因について、私は両国における演出力の差であろうと見ています。この演出力という意味では、日本はアメリカの足元にも及びません。

この演出力の差には、いろいろな視点からの原因が指摘できると思いますが、私からは、「キャラクターへの愛情」というポイントを挙げないわけにはいきません。ディズニー映画のキャラクターたちは、その原作者であるウォルト・ディズニー氏の深い愛情によって育てられました。同時に、同氏自身がビジネスを牽引していくことで、「この可愛いキャラクターたちを、多くの人々に愛してもらいたい」という思いが広がり、そのビジネスにおけるキャラクターや世界観の演出力向上に寄与したのではないかと思うのです。その具現化したかたちが、ディズニーランドのような娯楽施設なのでしょう。

愛情を持つことと、ビジネスを成功させることのノウハウは、本来、別物であり、それらを分業しなければならないというロジックは分かります。しかし、これらを同時に実現させ、愛情があるからこそビジネスが成り立ち、ビジネスが成り立つこそ愛情を表現できるという歯車の噛み合わせは、けっして別世界の夢物語ではないことを、ディズニーランドは教えてくれるような気がするのです。

今のコミケの仕組みは、このあたりの踏み込みが、あまり得意ではないように思います。それはけっして悪いことではなく、現状において、お金儲けというビジネスの世界とは、ある意味で一線を画しておくことの重要性も否定できないと考えます。ただし、自分たちが愛する文化や価値観を世界的規模で広げていき、より多くの人々にも楽しんでもらい、また愛されるようにすることもとても大切であり、そのためには、それなりにビジネスの仕組みを使っていくことも必要なのではないかと思うのです。

愛情を持つからこそ、それを多くの人々に知ってもらうための演出力を磨き、それをビジネスに繋げていくという流れは、これからの日本のアニメにとって、とても重要なポイントになっていくことでしょう。

以上、ここ最近、コミケとディズニーランドに行ってみて思ったことでした。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お正月の日常化 | トップ | 「関係図」可視化の重要性 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

産業」カテゴリの最新記事