常識について思うこと

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日本に眠る宝物

2008年06月02日 | 日本

アメリカのユニバーサルスタジオで火災が起きたとの報が入ってきました。ユニバーサルスタジオについては、あらためて説明をする必要もないかと思います。言うまでもなく、アメリカを代表するテーマパークのひとつであり、日本にも「USJ」という略称で多くの人々を楽しませています。本来、多くの人々が楽しむべき場所で、事故が起きてしまっていることを残念に思うほかありません。

ところで、アメリカを代表するテーマパークといえば、ユニバーサルスタジオ以外にディズニーランドやディズニーシーを思い浮かべる人も多いでしょう。私自身、それらのテーマパークに行ったことがありますし、とても楽しい思いをしたことを覚えています。

私は一方で、そうしたアメリカのテーマパークで満足するばかりでなく、もっと多くの人々を喜ばせるための新しいかたちを考えてもいいのではないかと思っています。もう少し踏み込んで言えば、日本人はもっと積極的に日本が持っている文化や資産を活かして、多くの人々を喜ばせることを考えてもよいのではないかと思うのです。

ユニバーサルスタジオのアトラクションは、当たり前のことながら、ハリウッド映画をもとにして作られたものです。「ジョーズ」、「キングコング」、「E.T.」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「ジュラシックパーク」・・・。どれも大変なヒット作で、観たことはなくても、名前くらいは知っているというタイトルばかりではないかと思います。ユニバーサルスタジオは、そうした映画の世界をアトラクションというかたちで具現化し、人々を楽しませているものですが、ディズニーランドやディズニーシーについても、同じように映画による影響が極めて大きいのではないかと思います。

けれども近年、人々の生活スタイルや楽しみ方が変化し、エンタテイメントにおける「映画」の位置付けが変わるとともに、ハリウッド映画も大きな転換点を迎えているのではないかと考えます。

テレビが普及する以前、人々の視聴覚を楽しませるメディアの王様は映画でした。撮影機や映写機が、極めて高価な時代にあって、コンテンツは大変貴重であり、数少ないコンテンツを大勢の人々で楽しむ「映画」のかたちは、時代の流れとして、至極当たり前の姿だったのだろうと思います。そして時代が進むに連れて、テレビが普及するなかで、人々が手軽で身近に動画像を楽しめるようになると、映画はテレビとの差別化を図るため、通常テレビでは使わないような最高レベルの映像技術(CGなど)を駆使して、独特の映像を作り出してきました。

私自身、初めて「ジュラシックパーク」を見たときには、本当に大きな衝撃を覚えたものです。絶滅したはずの恐竜が、スクリーンのなかで生き生きと蘇り、生身の俳優たちと共演する姿には、随分と興奮させられました。「ターミネーター2」に出てくる液体金属製のアンドロイド「T-1000」が、鉄格子を通り抜けていくシーンで、持っていたピストルだけが引っかかるといった場面なども、なかなか面白かったと思います。

ところが、目に訴えかけてくる、こうした「映像の衝撃」というのは徐々に薄らいでいくものではないかと思うのです。少々前になりますが、トランスフォーマーというアニメがハリウッドで実写映画化されました。トランスフォーマーは、自動車や飛行機などの乗り物が、それぞれ意思を持って生きており、人間型のロボットに変身したりしながら、戦うというストーリーです。映像的な肝は、乗り物からロボットに変身するところです。実写版であれば、当然CGを駆使した迫力映像になります。実際に映画の本編でも、そうした乗り物がロボットに変身するシーンが出てきます。おそらく10年前であれば、このシーンだけで、多くの人々に、相当な衝撃を与えられたのではないかと思います。しかし、実際にはそうはなっていないのではないかと考えます。最近では、トランスフォーマーほどの迫力ではないにせよ、自動車のCMで、自動車がロボットに変身するシーンがあるくらいです。映像技術は、間違いなく広く普及してきており、全体としてレベルの底上げも進んでいます。そのように普及が進んだ高度な技術によって作り出された映像に、常日頃から接している私たちにとって、最高水準の技術によって生み出される映画の映像が与えるインパクトは、以前に比べて、相当低下しているのではないかと思うのです。

私は、こうした流れのなかで、映像コンテンツにおけるストーリー性や内面的な美しさ、文化的な要素が、これまで以上に重要視されるような時代に入ってきているのではないかと思っています。そして、そうした新しい時代において、潜在的に大きな可能性を秘めているのが、日本のコンテンツ群ではないかと考えるのです。

日本のコンテンツには、ハリウッド映画のような派手さはないかもしれません。しかし、世界観やキャラクターの設定などの点において、日本特有の緻密さを大いに発揮していますし、それが世界中の多くの人々を感動させ、楽しませる要因になっていると思うのです。

例えば、「ドラえもん」というアニメは、世界中のたくさんの人々に見られていますが、その魅力は間違いなく、映像の派手さや綺麗さではありません。「ドラえもん」に出てくるキャラクターや環境設定をはじめとする世界観全体のなかで展開されるストーリー自体に、多くの人々を惹きつける力があると思うのです。

幸い日本には、そうしたコンテンツがたくさんありますし、それに纏わるキャラクターも大勢います。そして、それらのキャラクターは、長い本編での活躍を通して、ひとつの世界観を作り出しています。例えば、週に1回30分番組を1年間放送すれば、18時間超の本編があることになります(本編1本が約22分だとして50回放送という単純計算)。これだけのボリュームで本編があれば、物語の世界は広がりを持ちますし、キャラクターや環境設定が緻密であればあるほど、その世界観は厚みを増していきます(「ローゼンメイデンを初見」参照)。この点、一般的には随分と軽視されているように思われてならないのですが、私はこれが非常に重要なことだと思っています。

映画は限られた時間で、作品独特の世界を作り上げていかなければいけなければなりません。例えば、映画1本は、概ね2時間以内であり、ヒット作で続編などを勘案したとしても、通常3部作程度までと計算して、まず10時間を越えることはありません。この点、映画のコンテンツは、年中制作され続けているテレビコンテンツに比べて、極めて不利であると言えます。逆に、日本が世界に発信しているコンテンツは、ストーリー性や世界観を構築していくために、より多くの時間を割いているという意味で、大変有利な状況にあると考えることができると思うのです。

日本には、数多くのコンテンツが宝の山のように眠っています。アメリカの映画コンテンツやキャラクターを活かして、あれだけ素晴らしいテーマパークができるのであれば、日本に眠っているコンテンツやキャラクターで、それらを実現したら、既存のそれを遥かに超えた非常に魅力的なテーマパークができるのではないかと思えてなりません。

コンテンツを届けるメディアの仕組みは、大きく変わろうとしています。そして、実際にそれが大きく変わったとき、日本に眠っていたキャラクターたちは、次々と目覚め、活き活きと動き出し、私たちを楽しませてくれるのではないかと思えてならないのです。

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