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ノロティの死から学ぶこと

2010年03月02日 | ヒーロー&アニメ

ノロティ、死んでしまいました(「ノロティの優しさと力」参照)。「この世界は自分のもの」と言ってのけていた彼女の死は、とても残念です。

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どこかで誰かが幸せになったら、それ全部私のものなんですよ。
私はこの世界がすごく大事なんです。大事で大事で、たまらないんです。
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こんなことを真剣に言える人は、とても貴重だし、これからの人類にとって手本となるべきキャラクターではなかったかと思います。

ただし、彼女は決定的なミスを犯しました。それは殺されてしまったことです。これでは、実世界で言うところのイエス・キリストが為したことと大差ありません。私は、これからの世界において、人類がイエスという人物から十分に学び、それを超える存在になっていかなければならないと考えます(「イエスから学ぶもの」、「クリスマスシーズンを迎えて」等参照)。然るに、これからの世界における人類は、イエスと同じレベルではいけないと思うのです。

イエスという人物は、人々に愛の重要性を説き、憎しみや悲しみを乗り越えなければいけないことを口にしながら、結果として、それを説いていた人々に殺されてしまいました。これでは愛の本質、憎しみや悲しみを乗り越えることの重要性は伝わりません。もっと意地悪く言えば、「愛を主張したら殺される」という悪しき前例を残したとも言えるのであり、ここに彼の限界があったと思うのです。

これに鑑みて、ノロティの死を見たとき、残念ながら彼女の死もこれと同じではないかと考えるわけです。他人の幸せを自分の幸せとして喜ぶことができ、けっして人を憎んだり、殺したりしないノロティのような素晴らしいキャラクターは、本来、殺されてはいけないのです。その彼女が殺されてしまうというのは、何かが決定的に間違っていると言わざるを得ません。

ただし一応、私なりには、彼女の死に、彼女自身の問題があったと見ています。

ノロティは、この物語の中で、「武装司書」として働いていました。彼女は、「武装司書」という職業を通じて、世界を守ろうと考えていたわけですが、「武装司書」とは何なのかについて、きちんと知りませんでした。私が見る限り、その世界を守るために、「武装司書」という肩書きを持ち続けることには無理がありました。「武装司書」が働く図書館を作った権力者には、それを作るだけの理由と思惑があるのです。当然、そこで働く「武装司書」には、それを守るための役割が期待されています。そして、それらは世界の裏側で繋がっており、非常に強大な仕組みになっているのです。

ノロティが、「この世界は自分のもの」と言い張るのであれば、そうした世界の仕組み、その中における図書館の位置づけ、さらには「武装司書」の役割などについて、きちんと知る必要がありました。その上で、「武装司書」を続けるならよし、違うのであれば「武装司書」を辞めて、世界を守る別の方策を考えなければならなかったはずです(個人的には、武装司書から敵対されながら戦ったヴォルケンも、惜しいキャラだったと思っています)。

そういう意味で、自分が置かれている「武装司書」としての立場、所属している図書館という組織の位置づけ、その世界全体の仕組みを知らずして、「この世界は自分のもの」と考えてしまったノロティには、死ぬ道しかなかったのかもしれません。

私自身、自らを神と考える「自分教」を提唱している(「「自分教」の薦め」参照)ため、ノロティの考え方自体には、非常に大きな共感を覚えます。しかし、それを口にしたり、実行したりするためには、それに相応しい世界観を持たなければならず、また、それに応じた身の置き方をしなければいけないということでしょう。今回、ノロティは自らの死をもって、そのことを教えてくれているように思うのでした。

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