「テガミバチ」を見ていて思うことは、他者を批判したり、否定したりするときは、極めて慎重にするべきだということです。
「テガミバチ」で展開されるストーリーには、何かと不気味だったり、陰湿だったり、卑怯だったり、狡賢いと思われるような人々が出てきます。主人公のラグは、最初、それらをちょっとだけネガティブに見てしまうのですが、彼の銃には、そうした人物がそうなってしまうまでの経緯を明らかにする力があり、各話の終盤では、それぞれのキャラクターがそういう性格になるまでの裏話が判明します。その裏話では、みんなが大変な苦しみを背負っていることが明らかになり、それを知ったラグは、それまで持っていたネガティブな見方を捨て去り、そうした人々に歩み寄るようになるのです。
要は、みんな良い人々、一所懸命な人々だということでしょう。みんなそれぞれの事情を抱えて苦しんでおり、その苦悩の末、各人がワケありな性格になっていくという点、つまりそれぞれ人には事情があるという点が、「テガミバチ」の各話で伝えられるとても重要なメッセージであると思うのです。
そういう意味で、そのようにそれぞれ事情があるであろう他者を批判したり、否定したりするということに対しては、極めて慎重でなければならないということが、とても大切なのだろうと思われます。言い換えれば、他者を批判したり、否定したりする場合には、「(人の生死を含めて)いかなる事情があろうとも」という覚悟が必要であるということです(「「ダメ出し」には要注意」)。
もちろんこれは、他者を批判したり、否定したりすることの善悪を断じるものではありません。また実際、私自身、他者の批判や否定を全くしないわけでもありません。
ただし、他者を批判したり、否定したりする前に、「こんな事情があるのかも・・・」、「すごく大変な状況なのかもしれない」、「いろいろとワケがあるんだろうなぁ」と一通り考えてみることも、また重要だということです。そのように様々なシミュレーションを重ねて、最悪のケースまでをも想定して、それでも批判したり、否定したりする「ダメ出し」をしたくなるのであれば、それは本物の「ダメ出し」であり、何もためらうことはないでしょう。そして、どうせ「ダメ出し」をするのなら、そのようにとことん突き詰めてからやった方がいいと思うのです。
こんなことが、私なりに「テガミバチ」という作品から読み取るメッセージなのでした。
おや!?うん、そういう意味で言うと、私の「ダメ出し」は、少々、厄介かもしれません。まぁ、それはそれとして、その点は悪しからず・・・。