常識について思うこと

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次世代インターネット

2008年07月19日 | 産業

インターネットのことをウェブ(くもの巣)と言いますが、これは、インターネットのネットワークが、くもの巣のように張り巡らされていることに由来します。インターネットでホームページなどを閲覧するときに、アドレスにWWWと記述したりします。それは「World Wide Web」の略で、「世界的規模のくもの巣」という意味です。

ところで、このように「インターネット=くもの巣」と理解するのは、正確ではありません。後述するように、インターネットが開発された時点において、「インターネット=くもの巣」と理解するのは、正しかったと言えるでしょう。この考え方に沿って、インターネットをウェブと呼ぶこと自体、間違っていなかったと思います。しかし、現在あるいはこれからのインターネットにおいては、それは本質を突いているとは言えません。そして、従来のくもの巣の発想から抜け出さない限り、今日、インターネット上で起こっている諸問題を解決することはできないだろうと考えます。

インターネットは、アーパネットに端を発していると言います。アーパネットとは、アメリカの国防総省が構築したコンピューターネットワークであり、その目的については諸説あるようですが、少なくとも軍事的な目的があったことは確かだろうと思われます。

戦争では、情報が勝敗を分けます。ある情報中継基地が破壊されることによって、情報経路が途絶えてしまうことは、戦争において決定的なダメージを及ぼしかねません。したがって、複数の情報中継基地が破壊されたとしても、必ず情報収集ができるようなシステムを構築することには、軍事的な見地から大変な意味がありました。大規模な破壊活動があっても、作戦本部に情報が届き、また作戦本部から指示が出せるように、無数にネットワークを張り巡らせるというのは、まさにくもの巣の概念に沿っていると言えるわけです。

ここで重要なことは、くもの巣には中心点があるということです。もともと、インターネットをアーパネットのような軍事的意味合いがあるネットワークとして考えた場合、すべての作戦を指揮する総本部こそが、くもの巣の中心点であり、その中心点があるからこそ、そのネットワークをくもの巣と認知できるということが大切です。

しかし、インターネットが発達し、そのネットワークに誰もが参加し、また自由に情報を発信できるようになると、本来中心点ではなかったポイント(交差点)が、中心点のような振る舞いを始めるようになります。このことによって、これまでインターネットを単なるくもの巣と捉える人々にとって、大きな障害が生まれるようになりました。つまり、自らをくもの巣の中心点であると考える人々からすると、情報を統制したり、収集したりするということがインターネットの価値であったのに対し、無数の中心点が生まれてしまったことで、それをうまく扱えなくなってきたという決定的な問題を抱えてしまったということです。

さらにややこしい問題は、その無数の交差点が中心点となり、独自のくもの巣を張り出し始めたことです。こうなると、従来のくもの巣の中心点からは、全体像がまったく見えなくなってしまいます。このことにより、インターネットはカオス化し、ますます統制不能な状況に陥るわけです。

これは、現在のインターネットと著作権の問題についても言えることです。放送や出版のようなメディアにおいて、情報の流れは基本的に一方通行であり、情報の発信側と受信側がはっきりと分かれています。これが今日の著作権に関するルールを成り立たせている大前提です。こうしたメディアで流通している著作物を、従来の著作権ルールに適用させながらコントロールしようとすると、インターネットにおける「くもの巣の中心点」を定める必要があります。その「くもの巣の中心点」が、いわゆる既存メディアにおける「発信者」となるわけであり、そこから広いくもの巣の世界を統制していくわけです。しかし実際には、そこに一度著作物が流通してしまったら、無数に展開する交差点が中心点となり、独自のくもの巣を展開して、それらの著作物を勝手に流通させてしまうという問題が生じるのです。これは、インターネットの仕組み上、避けることができないことだと言えるでしょう。

私は、これらの問題が、インターネットを「単なるくもの巣」として捉えていることに起因していると考えます。インターネットは「単なるくもの巣」ではなく、「無数のくもの巣集合体」なのです。この概念をイメージにすると右図のようになります。ご覧のとおり、インターネット全体を3次元に捉えることで、「無数のくもの巣集合体」を表現することは可能でしょう。このなかから、ひとつの中心点を抽出し、引っ張り出せば、それは従来のくもの巣のようなかたちをしています。

インターネットの検索には、いろいろな仕組みがありますが、これからのインターネットの検索システムには、この概念が取り入れられていなければなりません。つまり、ひとつの対象物に対して、検索をかけたときに、その検索結果はくもの巣のかたちで返してこなければならないのです。

著作権に関した事例で示すならば、ある著作物について検索する場合、その権利についての結果は、くもの巣のように関係を整理して見せる必要があるということです。例えば、インターネット上で流通しているひとつの著作物が、複数の著作物の流用によって作られているようなケースは、往々にしてあります。そして、そのコンテンツを作るために流用されたそれらのコンテンツも、さらに複数の著作物の流用によって作られており、さらにそれら流用されたコンテンツも・・・といった具合に、インターネット上のコンテンツの著作権は、まさにくもの巣のように関係しているのです。これからのシステムでは、こうしたくもの巣のような著作権関係を、きちんと整理して出力することが重要であるということです。それは、これまでのように、インターネットの中心点をひとつとして捉えるのではなく、中心点が無数にある(著作物の数だけある)ことを前提に、インターネットにおける著作権を考える必要があるということでもあります(「3次元DBと著作権」、「「ウェブで管理する」ということ」など参照)。

インターネットの中心がひとつであるというのは、インターネットの原型であるアーパネット的な発想ではないかと思います。インターネットは広く普及し、多くの人々が日常的に利用するようになってきました。その時代にあって、アーパネット的な旧世代のインターネットは大きく生まれ変わり、次世代インターネットへと移行していく必要があるでしょう。

基本に立ち返れば、インターネットの構造は、敢えて言及するまでもなく、「単なるくもの巣」ではないことは明白です。ずいぶん前から、「無数のくもの巣集合体」として機能しているのです。問題の本質は、それを実体として捉えてきれていない、あるいは真面目に向き合えていないことにあるのだと考えます。そしてその責任は、関連する業界の方々に負わされているのでしょう。

難しい課題があるのも事実ですが、それらを解決して、現実に即した新しいシステムを構築していくことこそが、新しいインターネットを切り拓いていく人々が負うべき役割であり、任務ではないかと思います。そして、これを実現していくことで、インターネットは旧世代から次世代へと大きく生まれ変わり、社会に大きな活力を与えてくれるのではないかと考えます。

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