現代社会においては、資本経済が非常に大きな役割を果たしています。そのルールのなかで、仕事の価値は、常にお金に換算されていくため、お金持ちというのは、立派な仕事をした人ということであり、また人生の成功者という見られ方をしてきました。つまり、その人々が行ってきた仕事の価値が、お金の量で可視化できるため、その尺度を持って、人の価値を量り、評価してきたということです。
しかし近年、資本主義のルールに頼ってばかりではいられないことを示唆するような問題が多く見られるようになり、人々の価値観のみならず、社会全体の仕組みも大きく変わらなければならなくなってきました。エネルギー、食糧、環境などを巡り、地球規模で起こっている諸問題は、世界全体を荒廃させるようなインパクトを持ち得ますし、そのまま無策で過ごそうものなら、社会そのものが地盤沈下を起こしてしまうことになり兼ねません。万が一、そのような状況に陥ってしまったら、いくらその社会のなかで、一所懸命お金を稼いだところで、いずれその荒廃した社会に自らも飲み込まれ、まともな生活を続けることができなくなってしまいます。それでは、頑張ってお金を稼いでも、何の意味もありません。
即ち、これからは世の中の仕組みが、大きく変わらなければならない時代であるということです。そして、これには莫大なコストがかかるのです。
ここに大きなパラダイムシフトが生まれます。つまり、これからの時代において、社会から求められることは、いかにお金を稼ぐかではなく、地球規模のあらゆる問題をも解決し、将来にわたって持続可能な世界を実現するため、いかにお金を遣うかということになるということです。これは、今までのように「お金持ち」ばかりが尊敬されたり、評価されるのではなく、次の時代に向けて、社会を変えていくための「お金遣い」の人々が、評価されていく時代になると言うこともできるでしょう。
もちろん、歴史は繰り返されており、過去においても「お金遣い」が台頭し、その結果として「お金持ち」が生まれるといった循環はあったため、このこと自体、それほど特別なことではないかもしれません。ただし、こうした問題が、地球規模で起こったことは過去に例がなく、全人類がこれらに向き合わなければいけなくなったという点で、パラダイムシフトと言うべき現象が起こるであろうことは、予見されて然るべきだと思うのです。
そして、パラダイムシフトが起こるような、極めて大きな変化が起こる時代において、「お金を遣う」ということは、実は大変難しいことであることにも注意が必要です。つまり、過去の経験のみからは、お金を投じた結果を予測することができないだけでなく、動かさなければいけない金額も桁外れに大きくなるため、そこには未来に対する明確なビジョンと確固たる信念が求められるということです。もちろん、それらは地球規模の問題を解決するという、非常に大きな視野から発されていなければなりません。
しかし実際、私自身、今日において社会的に高い地位や莫大な資産を持っている方々から、そうしたビジョンや信念を感じることは、ほとんどありませんし、自らが持つ力を使って、具体的に何かをしようという話に触れることも、まずありません。大抵、社会における問題点を列挙し、その責任を他人に擦り付けてやらせようとしたり、他人を責めたりという方々が、大部分であるように思います。当然、この繰り返しで、社会がよくなるはずがありません。
こうした現状を踏まえたうえで、結局、これからの時代において大切なことは、「お金を持っていること」ではなく、「お金を遣うこと」であり、それを通じて、いかに社会を変えていくかということではないかと、強く思わざるを得ないのです。
今でこそ、「お金持ち」が羨望の眼差しを集める対象になっているかもしれませんが、これからの時代において、単に「お金持ち」であることは「お金を遣えない人」、あるいは「お金を何に遣っていいのか分からない人」という意味で、無能という評価を受けるようになるかもしれません。大切なのはビジョンや信念であり、そうした社会的価値観に基づいて、「お金遣い」たちが活躍していくことは、これからの時代における自然の流れであり、必然のように思えてならないのです。