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MMDに垣間見る可能性

2008年07月01日 | 産業

インターネット上のバーチャルキャラクターとして、アイドル化が進んでいる「初音ミク」に踊りを踊らせるMMD(MikuMikuDance)という無料ソフトがあります。このソフトによって、非常に楽しいコンテンツが出てくるようになりました。

本来、歌を歌ってくれるというソフト、あるいはそれをキャラクターとして表現しただけの「初音ミク」という存在が、ひとつの人格を持ち、それがあたかも生きているかのように歌ったり、踊ったりする姿を見せてくれるというのは、なかなか楽しいものです。MMDは、そうした「初音ミク」に魂を吹き込む作業を限られた特定の人々ではなく、多くの人々に開放したという意味で、非常に大きな役割を果たしていると言えます。

このMMDに関するコンテンツや議論のなかで、私が感じることは以下の通りです。

① 2次元アイドル時代の到来
実在の人間を3次元と称するのに対して、「初音ミク」などの仮想キャラクターはPC画面などを通じて見るだけの対象であるということで、「2次元」という言葉で表現したりします。3DのCGキャラクターなどについては、「2.5次元」という表現を使ったりもします。また、これらのキャラクターをフィギュア人形化した場合、それは「3次元」ではありますが、実在の人間(3次元)と区別するという意味で、いっても「2.9次元」という言葉になるでしょう。ただ、いずれにしても、所詮、元来の意味として、仮想キャラクターは「2次元」の範疇を超えることはないのだろうと思います。

しかし、「初音ミク」は、単なる仮想キャラクターではありません。多くの人々が制作に関わることで、あらゆる顔をみせることができ、それが人々の心を捉えるようになった結果、今や「(昔で言うところの)アイドル」としての役割を果たしています。昔、「アイドル」と言えば、いわゆる「芸能人」であり、それぞれ自分が憧れた「アイドル」を思い返せば明らかでしょうが、結局は普通の肉体を持った人間でした。しかし、所詮「アイドル」は偶像であり、夢です。自分の理想をかたちとして映し出すだけのものである「アイドル」は、必ずしも人間である必要はないのだろうと思います。そういう意味で、実在の人間ではない「初音ミク」も、十分に「アイドル」としての役割を果たしているのだろうと思うのです。

これからの時代、インターネットのようなオープンシステムによって、「初音ミク」に類する多くの「2次元」キャラクターが誕生するであろうことが予見されるなか、「アイドル」はそうした世界から多く輩出されるようになるのではないかと思います。

② オブジェクト指向の開発体制
インターネットのようなオープンシステムにおけるアプリケーション開発のポイントは、オブジェクト指向だと思います。MMDは、3Dの「初音ミク」を動かすソフトですが、この観点からの今後のポイントは、「顔」、「モーション」、「表情」、「衣装」といったパーツをオブジェクト指向でオープンに開発できる仕組みを提供することでしょう。

例えば、踊りを踊らせるというだけでも、実は非常に大変なことです。世の中には、振付師という職業があるくらい、踊らせるモーションを決めるというのは、本来、非常に難しいことなのです。しかし、振り付けが得意な人はいますし、そういう人々が振り付け専門で、ひたすら「モーション」のパターンを開発して、オブジェクトとしてライブラリ化しておくことで、それらを多くの人々が簡単に使えるようになります。こうしたことが「モーション」に限らず、「顔」、「表情」、「衣装」などのあらゆるパーツに適用できれば、これらの組み合わせは無数に広がり、コンテンツの可能性は、文字通り無限に開かれていくことになるでしょう。

Xbox360の「アイドルマスター」というゲームがありますが、そのゲームに出てくるバーチャルアイドルたちが歌ったり、踊ったりしているシーンを切り貼りしながら、ものすごい愛情と労力をかけて、素晴らしいMAD作品を生み出している人々がいます。しかし、上記のようなシステム開発体制が実現すれば、そんな労力を費やす必要がなくなるだけではなく、より多くのキャラクターや衣装、モーションを使用した動画が作れるようになるはずです。

著作権などの問題もありますが、私個人としては、「うたって!プリキュアドリームライブ」のようなものを作って、歴代プリキュアの曲を歌わせてくれたら、間違いなくお金を払います。

③ 分業化と要件の変化
前項にあるような、オープンシステムにおけるオブジェクト指向での開発を進めるということは、限りなく分業化を推し進めるということでもあります(「コンテンツ制作体制の未来」参照)。つまり、絵を書く人が「顔」を担当し、スタイリストが「衣装」」担当し、振付師が「モーション」を担当し、作曲家が「曲」を担当し、作詞家が「歌詞」を担当し・・・という具合で、それぞれの才能を持ち寄って、分業しながらひとつの「歌って踊る音楽動画」を完成させるということです。このことは、これからのアーティストやクリエイターの要件にも、大きな変化を及ぼすことになります。

ひとつの例を挙げれば、歌手の要件も変わる可能性があるということです。歌手は、あくまでも歌い手なので、歌唱力がポイントになります。しかし、現実の問題として、見た目を抜きに歌手を評価するのは難しいでしょう。例外はあるにせよ、プロモーションをするのに、歌手の素顔を見せないというのは、なかなかあることではありません。いくら歌唱力があっても、見た目で「イケメン」、「かわいい」の範疇から外れてしまったら、歌手としてデビューするのには不利になる、あるいは売れないということが十分に起こり得るわけです。そういう意味で、大多数の歌手にとって、歌唱力のみならず、外見もひとつの外せない要件であったと言えると思います。

しかし、上記のような流れで、それを歌わせるキャラクターが別途作られ、また彼らが(見た目上、歌い)踊ってくれるのであれば、実際の歌手は、歌うことにだけ専念すればよいことになります。

もともと「初音ミク」は、ボーカロイドと呼ばれるように、若干機械音のような声で歌を歌ってくれるソフトですが、MMDで歌って踊るキャラクター「初音ミク」の声は、必ずしも本来の「初音ミク」の声ではありません。どこかの生身の歌い手が歌っているものを、さぞかし「初音ミク」が歌っているかのように、演出が加えられているものも多数あるのです。このときの歌の歌手は、「初音ミク」でありながら「初音ミク」ではないですし、その歌手に実力があれば、当然、その生身の歌手が評価されることになるのだろうと思います。

このように、外見は一切関係なく、歌手本来の本分である歌唱力さえあれば、きちんと評価されるだろうという意味で、歌手としては、だいぶ公正な競争ができるような環境になるわけです。

④ 「振り込めない詐欺」の撲滅
MMDの開発をめぐっては、「振り込めない詐欺」という言葉が出てきています。これは、MMDがあまりに素晴らしいにも関わらず、MMD開発者の方が、あくまでも無償で提供すると言われているため、MMDの利用者からは「お金を振り込みたくても、振り込めない」ということから、「振り込めない詐欺」という言葉で、利用者側のやりきれなさを表現しているわけです。

オープンシステムであるインターネットにおけるコンテンツについては、とにかく「見せてあげて、使わせてあげて、お金を払わせたくなる」ようにすることが大切なのだろうと思います。これは本来の「お金をいただく」という商売の本質において、けっして忘れてはならないポイントでしょう(「報酬は感謝・感動の証」参照)。インターネットで展開されるコンテンツの世界を盛り上げていくときには、この考え方をいかに取り入れるかが重要です。

既に、本ブログの他の記事でも取り上げている「才能の無駄遣い」(「「才能の無駄遣い」の克服」参照)のみならず、この「振り込めない詐欺」についても、これからのインターネット時代におけるコンテンツ産業を考えるときに、けっして放置してはならない問題の深刻性を含んでいると考えます。

「才能の無駄遣い」や「振り込めない詐欺」は、インターネットのオープンシステムのなかで、コンテンツの世界を盛り上げてくれる方々がいるということで、大変ありがたいことではあります。しかし一方で、それはその方々の善意や愛情で成り立っているだけであり、それで盛り上がっている業界で、ビジネスマンとしてその恩恵に与っている方々が、そうした方々の善意や愛情に甘えていてはいけないとも思います。そしてまた、それらを許してしまうことは、長い目で見て、インターネットのコンテンツをつぶすことにも繋がるため、それを放置するということは、コンテンツ産業に関わる人々のみならず、善意や愛情を提供してくれている一般の方々に対しても、裏切りになってしまうことが恐ろしいことです。

インターネットのようなオープンシステムで、活発なコンテンツのやり取りがされていても、ここにお金が儲かる仕組み、あるいは儲けさせる仕組みがなければ、社会的な規模で動く人々は出てきません。このことは、従来の著作権の仕組みのなかで生まれてきたコンテンツ産業の方々が、一向に足を踏み入れてくることはないし、かえってインターネットで盛り上がることが、既存の著作権者の方々の怒りを買うかたちになり、インターネットのコンテンツ群が立ち消えするという恐れがあるということでもあります。もっと個人的関心事から言えば、既述のように私が「うたって!プリキュアドリームライブ」で、プリキュアの歌を歌ってほしいといった既存のコンテンツ産業を巻き込んだ話は、いつまでたっても叶わぬ夢になってしまいます。そのことは、善意や愛情をもって、インターネットのコンテンツを、もっと豊かにしていきたいという方々の思いを裏切ることにもなると考えます。

インターネットのコンテンツは、今まさに力強く羽ばたこうとしています。そんなに簡単に立ち消えるとは思えません。しかし、「振り込めない詐欺」を放置してしまうようでは、いつまでたっても、インターネットは三流メディアだし、そこに載るコンテンツは三流コンテンツと言われかねないと思うのです。このことは、結果としてインターネット上のコンテンツ産業を廃らせることに繋がるでしょう。

以上、MMDを通じては、いろいろなことを考えさせられます。私自身、上に列記した問題群については、きちんとした解決策があると思っています(詳細は、本ブログのなかで「コンテンツ」や「著作権」といった用語で検索してみてください)。MMDを巡る一連の流れのなかで、次の楽しいコンテンツ時代が訪れてくれるような気がしてなりません。本当に、本当に楽しみです。

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