簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

沼津のお城(東海道歩き旅・駿河の国)

2020-02-05 | Weblog
 旧国道通りから左に折れ、川郭通りと言われる通りに入ってきた。
昔は三枚橋の当りに高札場が有り、この辺りには水神神社祀られていて、
舟高札場も有った。この狩野川からは物資を輸送する江戸廻しの舟が出
ていた。更に江尻(清水湊)までは七里の渡し舟が有ったそうで、船賃
は人ひとり50文だが、海上は常に危険が付きまとい、「楽はしたいが命
は惜しい」と旅人に取っては悩ましい選択を迫られたようだ。





 ここら辺りは、石畳の敷かれた整備された道で、道端にはサインも充実し
ている。右手の森が中央公園で、沼津城の本丸跡とされる場所である。
戦国時代には武田勝頼が築いたといわれる三枚橋城があったところだ。
この城は江戸時代には廃城となったが、平成に入りその外堀跡が発見された。
江戸に入ってこの廃城近くに水野氏により沼津城が築かれるのは、凡そ160年
ほど後のことだが、その規模は三枚橋城より劣っていたと言う。





 しかし歴史の古文書などには「三枚橋城」の記載は見当たらず、僅か
に手紙などに「三枚橋のお城」「沼津のお城」と出てくるだけらしく、
現代では混乱を避けるため中世の城を「三枚橋城」近世の城を「沼津城」
と呼び区別しているようだ。





 川郭通りからさんさん通りに出て左折すると繁華街で、ここら辺りから
先が宿場の中心的な場所となる。
宿内の人口は5000人余り、戸数1200戸余りの内、本陣が3軒、脇本陣が1軒、
旅篭は55軒あったそうだが、ご多分に漏れず当地にも当時の遺構は何も残
されてはいない。(続)



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沼津の三枚橋(東海道歩き旅・駿河の国)

2020-02-03 | Weblog


 東海道は黄瀬川を渡り、沼津の町に入ってきた。
下石田の辺りで、左に狩野川が近づいてくるが、川は高い堤防に囲まれ
ているので街道からは川面を見ることは出来ない。



 江戸から30里の一里塚が、清水町伏見の地にあった。
この塚はこの前の玉井・宝池両寺の塚からは一里に満たない場所にある
と言う。実際地図ソフトで測ってみると3キロ程しかない。
この先が宿内となる為、それを避け便宜上手前に設けられものらしい。



 その近くには玉砥石と言うものが有った。
今から千年以上も前、玉類を磨くために用いたと考えられる砥石らしい。
周辺は大昔の集落跡や古墳も多く、各種の玉類も出土しているが、この
地域が玉造郷で有ったと言う根拠が乏しく、謎を秘めた石で、県下では
例のない貴重なものだそうだ。



 その先の地名を三枚橋と言う。
箱根東坂の入口にも三枚橋というのがあったが、その名は架けられてい
た地獄橋、極楽橋、三昧橋と言う三本の橋に由来するが、当地の橋は、
三枚の石の板で出来た橋というのがその名の謂われだと言う。



 橋は東海道が沼津を通るようになった鎌倉時代から有ったことが知られ
ていて、沼津宿の入口に当たる。
広重の描く「東海道五十三次之内 沼津 黄昏図」に描かれているのがこ
の橋だと言われている。しかしこの図は一見すると木橋のようにも見える。
元々有った小さな石橋が掛け替えられたものかと思ってみたりもする。
市内を流れる狢川に架かっていたらしいが、今ではその所在はほんの一部に
知られるだけのようだ。(続)





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