簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

総社まちかど郷土館(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-09-07 | Weblog
 「総社宮」の南参道の脇に白塗りのモダンな木造二階建て洋風の建物が建っ
ている。正面には明り取りか全面に大きな窓を広げ、その隅には八角形の楼
閣風の塔が有る。



 その下部が建家への入り口となる特徴的な建物で、これは明治43年に建てられ
た旧総社警察署だ。今では「総社まちかど郷土館」として使われていて、国の登録
有形文化財に登録されている。



 江戸幕府が倒壊後、明治政府は全国の官公署や学校などを、旧来の和風様式
から西洋建築を強く意識したものに立て替えてきた。
この建物もそうした流れの中建てられた明治洋風建築と言われるものだ。



 少し前まではすぐ裏にある現幼稚園の敷地にも警察の官舎などが建ち、中には
珍しい八角形の建物も有ったらしいが、老朽により全てが取り壊され今日市内に唯
一残ったのがこの建物と言う。



 館内に入ると警察の建物であることが良く窺える。
左手に待合である土間が延び、その前がカウンター式の窓口でその奥が板敷きの
執務室に成っていて、そこが展示コーナーとして利用されている。



 そこには、「市の歴史」「物産」や民具などが展示され、ビデオコーナーがある。
二階では、備中売薬や阿曾の鋳物、い草などの産業が紹介されている。

 総社の町を航空写真で眺めると、間口が狭くても奥に広大な庭を持つ町屋が少
なくないそうだ。それらは殆どがい草に関する仕事を生業としていた証だと言うが、
今日ではほとんどが廃れてしまっている。



 ここには案内者も常駐していて、訪ねると昔懐かしい紙風船をお土産に頂ける。
この紙風船は、売薬が顧客へのお土産として持参する品であったと言う。(続)






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備中の総社宮(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-09-05 | Weblog
 服部駅のある地域は古くは服部(はたべ)と言って、機織りなどを専業とする一族
が住んだとされる地である。そんな服部を過ぎ賑やかに市街地が広がり、その家並
みの間から「総社宮」の森が見え隠れすると東総社に到着だ。





 駅を出て車が激しく行きかう国道180号線を5分ほど歩くと、備中国総鎮守「総社
宮」がある。国司が国中の各神社の参拝する手間を省く為、備中国内の大小304
社の祭神を合祀した神社で、創建は大化年間と言うから、あの大化の改新の後で
あり既に1370年近くも続く古社である。「総社」と言う地名や駅名は当社に由来
している。





 石の鳥居の建つ参道入口は、東と南にそれぞれある。
東から入ると参道は、真っ直ぐに東向きに立つ拝殿に向かい伸びている。
南の入り口は石畳の敷かれた参道で、途中から瓦葺の屋根を持つ回廊が100m
程続いている。正式な参拝を・・・となると決められたものが有るのであろうが、ど
ちらが表参道なのかは良く知らない。



 参道脇は松の巨木が立ち並ぶ、池を構えた庭園となっている。
上古の頃、渡来人によって作庭された三島式と言われる庭園であり、池は心字池
である。池中に島が有り石橋が架けられていて、そこには祠も祀られている。
その池の水面に松の木と回廊が姿を映すスケールの大きな優美な庭園で、岡山
市にある日本三名園の一つ後楽園を造る際にはモデルにされたと言う。



 全国各地に設けられた「総社」が、次第に衰退していく中で、ここは現代まで当時
の姿を色濃く残しているとされ、それは全国的に見ても珍しいことだそうじゃ。(続)






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秘境・岩屋寺(JR乗り潰し・桃太郎線)

2016-09-02 | Weblog
 服部が最寄り駅とは言え、ここから「鬼ノ城」に向かう公共交通機関は無く、訪れ
るにはウオーキングか車となる。
歩く場合、駅から途中、2.5㎞地点にある砂川公園で一休みしたい。
これより先は飲料水の確保が難しくなるので、ここの販売機などで飲料水などで調
達し持参することがお勧めだ。





 ここから鬼ノ城ビジターセンターまでが凡そ3.5㎞、所々狭い道を少しずつ登り続
ける道で、車で行く場合も離合には注意が必要だ。

 ビジターセンターには、ウオーキングセンターが併設されている。
周辺のウオーキング情報を仕入れるのが良いだろう。
ここから復元された城門までは、数百mの遊歩道を登ることに成る。



 ビジターセンターからさらに北方に2.5㎞ほど行くと、岩屋と言う集落が有る。
平安時代には鬼ノ城などと共に山上仏教の中心地として栄えたとされているが、
それらはいまだに解明もされず謎に包まれている。
そのせいか、観光客向けに整備されているわけでも無く、荒れた印象で訪れる人
を見ることは殆どない。





 山深い地で、僅かばかりの民家がひっそりと身を寄せ合うように建っている。
そんな登り口に駐車場が有り、10分ほど登ると突然立派な石垣と石の階を構えた
寺跡が目の前に現れる。岩屋寺である。かつて平安時代には多くの僧坊が有った
とされているが、今は無住で荒れ果て手入れもままならぬと言った感じである。



 廃寺の手前を左手に登ると、「鬼の差し上げ岩」と呼ばれる巨岩群があるらしい。
しかしこの辺りマムシの生息地らしく、ヒンヤリと湿り気を持った夏草が足元を隠す
シーズンに登るには余りにも気持ちが悪い。
結局ここで足止め、そこまで登る勇気は沸いては来なかった。(続)






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