ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

自分にできること

2008-09-30 | 育児
 子どもを育てるのは、自分一人ではない。子どもと関わる全ての人によって子どもは育てられる。だからと言って手を抜くことはできない。反応するのは、子ども。子ども自身が影響を受けたと感じる人の影響しか受けない。子どもは意図して人を選ぶことは殆どできない。目の前に現れる人しかいない。
 目の前に現れ、時間的にも多くの時間を一緒に過ごす私たち教師には大きな責任がある。だからこそ、自分ができることを精一杯したい。常によりよいものを子どもに提供できる自分ならば、子どもに与える影響も大きくなる。
 一人で関わることよりも複数で関わることの方が難しい。同じ考えで動けばよいのだが、複数になれば、考えにズレが生じる。ここを子どもはよく見ている。自分にとってプラスになる人に影響を受ける。力でこちらを向かせても心の中では避けている。こんな状況では効果はあがらない。魅力のある自分を作り上げることが子どもをこちらに向かせる。やはり、自分を磨くことが一番。日々精進。自分にできることをまず精一杯しよう。

後押し

2008-09-29 | 育児
 子どもを前に立たせてみる。避けたい、逃げたいの気持ちが自分の動きを決める。立ち止まって動かない。後ずさりする。子どもの気持ちが強く行動に表れる。立ち止まったり、後ずさりしているとき、教師の励ましや後押しが前に進む勇気を与えてくれることがある。
 「先生がついているから大丈夫だよ。」
 「後ろにいるから安心していいよ。」
 「ほら、前に素敵な姿が見えるでしょ。頑張ろうよ。」
 「もし、これができたら、あなたは変わるよ。まず、やってみよう。」
 「悩んでいる場合じゃないよ。やってみないと分からないよ。」
 「何事も挑戦だよ。やってみると可能性が出てくるよ。」
 「失敗しても大丈夫。ちゃんと次の手は考えてあるから。」
 「あなたの勇気があなたを変えるんだ。先生が見届けてあげるよ。」
 「あなたは、できる人だよ。だから、心配はいらないよ。」
不安や心配で一杯な子どもがそこにいる。崖から突き落とすのではなく、一人でいられない子どもの気持ちを察し、一緒に崖から飛び降りる覚悟があれば、その熱意が子どもに伝わる。言葉の中の熱意が子どもを動かす。そこにあるのは、愛だ。避けようとしている子どもの力が抜けていくのを感じたり、少し前向きになった表情を見つけたりできれば熱意が伝わった証拠だ。あと少しで前に動き出す。そんな手応えを感じながら、寄り添う。焦らず子どもに合わせて一歩一歩進む。前に立って引っ張っていると子どもが見えなくなる。そこには教師のエゴが見え隠れする。 

完璧である必要はない

2008-09-28 | 育児
 誰も完璧な人ではいない。大事なことは、完璧を追い求めるエネルギーをもっているかどうかだ。そのエネルギーがあれば、物事に挑戦的になり、前向きに歩くことができる。問題意識をもち、問題解決のための知恵を出すこともできる。
 そんな姿があれば、子どもから見れば輝いて見えるはず。その輝きこそが、子どもへのよい刺激になる。あこがれにもなる。
 「誰でも失敗することがあるよ。失敗を恐れず、挑戦することが自分を生かすことになる。」と声を上げて子どもたちに訴えたい。決して失敗しないように手を貸すことではない。子ども自身が乗り越えるエネルギーをもち、挑戦的になることで自分の人生を切り開いていく。
 同じ人間として、前を向き、試行錯誤しながら歩いている姿は決して格好よくないかもしれないが、誠実さや謙虚さを感じることができる。時代の流れや人や社会の目を気にすることなく、大事なことを子どもたちに伝えることができる。まさに生きる力だ。

夢を語る

2008-09-27 | 育児
 変化の激しい時代。夢を語り難くなったという人がいる。そう語る人は,きっと社会に適応した生き方を目指す人なのだろう。しかし,私たち教師は違う。次代を作る子どもたちを育てることを目指している。社会とは無関係に子ども自身の内なる可能性を信じ,子どもの可能性を伸ばし,生かすことが夢を叶える子どもを育てることになる。
 夢は自分の中にある。その夢の実現のために社会を変えることもある。そんな力強い夢をもたせるためには,教師自身が夢を持ち,夢を語る存在でなければならない。
 今の自分で満足せず,自分の可能性を信じ,夢を語る。そんな生き方がしたい。夢の大小ではない。夢をもって生きている生き生きとした自分を子どもの前にさらけ出す。子どもはそれを見ている。「何て素敵な先生なのだろう。」「あんな先生のように輝いていたい。」と憧れを抱かせる教師でいたい。そんな教師は,子どもの前で偉ぶることはない。謙虚で受容できる存在である。夢を語らない教師には,魅力を感じない。
 私の今の夢は,子どもの幸せのためによりよい環境となる大人がどんどん増えるような,影響を与えられる自分になることだ。

ブログを考える

2008-09-26 | 育児
 文章を書いたときに何度も読み返し、自分の言いたいことを整理する。この時間は、自分を冷静に見つめ、自分を客観的に見ようとする時間となる。「相手に伝わるだろうか。」「読み手の立場に立って考えてみよう。」と書いている時の自分とは違う立場で自分の文章を見ている。
 夢中になって書いているときには、見えない自分が見えてくる。
日記を書くことは、毎日夢中になって生きている自分を冷静に見つめる自分を作り出していることになる。日記を書く人は、それを毎日続けていることになる。この立ち止まりの機会を自ら作り出せる人とそうでない人では、かなり生き方が違ってくるのではないだろうか。
 新しい自分の発見は、生きるエネルギーにもなる。これは、人からエネルギーをもらう以上に力強いものだ。もちろん、この発見を認め、励ましてくれる人がいればよりパワフルになる。
 自らエネルギーを作り出すことができる自分をどの子にも作らせてあげたい。人と比較することなく自分自身の素晴らしさに気づき、自分を勇気付けてくれる自分が自分の中にいる。
 ブログへの書き込みは、まさにこれだ。人からの評価を得たいという気持ちがこうした公開の場への書き込みとなっているのだろう。
 子どもたちはどうだろう?自分を見つめる自分を作っている子どもはどれ程いるのだろう。

変化していくイメージを作る

2008-09-25 | 育児
 私たちは、子どもたちの成長を願ってやまない。日々の指導を通して変化を作り出すことが成長につながる。
 子どもの様子から見ると「できない」→「できる」→「いつもできる」→「うまくできる」→「できることやそのよさが説明できる」→「できる自分に頼られる」とその姿が成長へと高まっていく。この変化していく過程(階段)をイメージすることで変化が捉えやすくなる。そして、それぞれの過程(階段)で手助けをすることができる。
①できないことに挑戦することを喜ぶ。(挑戦することに価値がある)
②できたことを心から喜ぶ。(できないことができたことに価値がある)
③何度でもできるかを問う。(繰り返し挑戦することに意義がある)
④うまくできるかを問う。(無駄なくできることが効率を上げる)
⑤「なぜ」「どうやって」できるかを問う。(できる自分が見える)
⑥助けを求める。(役に立つことで自信がもてる)
 早くできるようにしたいとか時間がないなどと教師側が焦るとこの過程(階段)を経ないで飛び越えてしまうことがある。そして、強引に次の階段に目標を設定することもある。また、できて当たり前と思うと子どもと一緒になって喜ぶことができない。変化していく過程をイメージし、一つ一つのステップを子どもと一緒に喜びを分かち合うことができれば、変化も早くなる。

活動と活動をつなぐ

2008-09-24 | 育児
 行事等をしたときにその取組について反省をする。その反省が反省のための反省では意味がない。次の活動につなぐ反省にしなければならない。
 そのためには,行事と次の活動の共通点を見つけ,意識がつながるようにすることである。
例1 連帯感(協力するという意識をつなぐ)
 あの時,みんなで協力して一つのことを成し遂げたから,きっと次の活動でもみんなと協力して取り組めるはずだ。
例2 企画力(能力でつなぐ)
 あれだけのことをみんなで考える力があるのだから,次の活動でもその力は使えるはずだ。
例3 声かけ(行動でつなぐ)
 みんなで声をかけあって取り組めたから,次の活動でも声かけができるようにしよう。
 様々なつなぎ方がある。活動と次の活動だけでなく,活動全部をつなぐことも可能だ。活動が増えれば増えるほど,共通点が抽象的になっていき,具体性に欠けるようになる。(学級目標がそれ)まずは,1つ1つの活動をつなぐ努力が必要となる。

見守るってどういうこと

2008-09-23 | 育児
 よく「見守る」という言葉を聞いたり、話したりする。しかし、「見守る」ってどういうことなのだろう。見守り方の違いから、「任せ放しでは?」と思うこともある。逆に見守るために「支援をしなくちゃ。」と思うこともある。また、それが見守りなのと疑問に思うこともある。
 「見守る」とは、手や口を出すか出さないかの違いではない。
子どもを見守るとき、そこには子どもへの思いがある。子どもの自立を願う見守る側の深い愛情だ。その深い愛情から子どもの自立を見つめているにも関わらず、実際の場面になると今までの自分が躾られてきた経験で子どもを見ている「見守り」になっていることが多い。
 自立した姿には、いろいろなレベルがある。そのレベルに合わせて見守り方が違ってくる。(前提となるのは、自立しやすい環境を整えておくことは見守る側の責任だと考えている。)
○行動レベルでの見守り
 「できる」「できない」が明確になる。
○能力レベルでの見守り
 「ある」「ない」が明確になる。
○見方・考え方、価値観レベルでの見守り
 「している」「していない」が明確になる。
○アイデンティティーレベルでの見守り
 「こんな子である」「こんな子ではない」が明確になる。
 見守る側は、つねに見守るレベル以上の視点で見守らないと見守りにならない。
例 机の上の整理ができない。
 行動レベルで見守っていると「やり方」「手順」「道具」などの行動に関わることにしか目が向けられない。
 もし、アイデンティティーレベルで見守っているとすると、「この子は、机の上の整理をしなくても仕事がしやすいと考えているから整理をしないのかもしれない。」と子どもの価値観レベルで捉えることができるし、「この子には、机の上の整理をする能力がないのかもしれない。」と能力レベルでとらえることもできる。
 つまり、目の前の行動だけを見ていても見守りにはならないということだ。行動の裏にある能力や価値観などを探ろうとしながら見守ることで適切な支援もできる。また、できない原因を探ることもできる。

好きな人、大事な人を増やす

2008-09-22 | 育児
 関わりが深くなればなるほど相手を思う気持ちは強くなる。相手を思う気持ちを自分にとってプラスと見るか、マイナスとして見るかによって関わり方が違ってくる。
<好きな人、大事にしたい人>
・相手と一緒にいようとする。
・相手の行動に合わせようとする。
・相手の思いを大切にしようとする。
・相手のよさを見ようとする。
・相手の考え方を尊重しようとする。
・相手のために行動する。
<嫌いな人、軽蔑したい人>
・相手と一緒にいることを避けようとする。
・相手の行動を否定する。違う行動をしようとする。
・相手の思いを否定しようとする。(分かろうとしない。)
・相手のいやな所を見ようとする。
・相手の考え方を認めない。否定する。
・相手を無視する。
 いつから、相手への気持ちがプラスやマイナスに変わっていくのだろう。
・いつも一緒にいてくれる。
・同じ行動をしてくれる。
・思いを分かってくれる。
・よさを見てくれる。
・私の思いを大切に考えてくれる。
・私のために行動してくれる。
 このように好きな人や大事な人のように関わってくれる行動をすることで好きになっていくし、大事な人にもなっていく。鶏と卵ではないが、行動と気持ちの関係もそれに似ている。
 相手の気持ちをプラスにする行動や気持ちを取り上げ、それを繰り返し行うことで好きな人や大事な人が増えていく。

生かしてくれることへの感謝

2008-09-21 | 育児
 怪我をして不自由な生活をすると健康の有り難さを実感するという経験をもたない人はいないだろう。ところが、最近日頃から当たり前のようにしていることが実はすごいことなんだと思うと自分の生かしてくれている無意識のうちに働いている体に感謝を忘れてはいけないなあと感じるようになった。
・「疲れるでしょ?少しは休憩したら?」と思っても休まず働く心臓がある。
・「どうしてそんなに早く気づけるの?」と、安全に配慮して痛みや体の変化として知らせてくれる神経や皮膚もある。
・迷ったときにどの方向に進むかを何となく教えてくれている直観もある。
・再生したり、補ったりしてくれる部位もある。
 忘れず、サボらずにそれぞれがきちんと働いてくれているから今の私がここにいる。
○お腹の痛みや胸焼けを感じながら、「食べ過ぎてごめんね。次からは気を付けるね。」
○鏡に映った顔を見ながら「きちんと寝不足にならないようにするね。」
○筋肉痛の足をさすりながら、「日頃の運動不足がたたったね。」
○心臓の鼓動を感じながら、「落ち着い行動するから、みててね。」
○怪我をした指を見ながら、「君を働かせてごめんね。私の不注意でした。」
 感謝の気持ちを感じながら自分の体に問いかけができることはたくさんある。そして、もし、「これがなくなったらどうなるだろう。」と愛おしさを感じることもある。反対に自分を傷つけたり、落書きをしたりすることがとても残酷なことに思えてくる。
 命の大切さは、無意識のうちに働いている体への感謝から生まれるのではないだろうか。

自分らしくできる

2008-09-19 | 育児
 人は、誰でも自分のしていることを認めてもらいたいと思うことがある。自分のしていることに対して、「本当にこれで正しいのだろうか。」「間違っていないだろうか。」「このまま続けていていいだろうか。」等自問自答する。そんな時、「いいよ。それでいいよ。」と声をかけられると安心できる。一人でも分かってもらえる人がいると「やっていてよかった。」と感じる。しかし、その評価がないと続けられないという事でもない。した後に何となく心に残る爽快感や達成感、成就感などが自分を支えている。
・歩いている時に見つけたゴミを拾ってゴミ箱に捨てた自分
・混み始めた車内で座席を作るために横においたカバンを膝上に置いた自分
・駐輪場の倒れた自転車を起こして並べた自分
・印刷用紙が少なくなっているのに気づき、倉庫から補充した自分
 「誰かに見ていてほしい。」「認めてもらいたい。」と思ってするわけではない。さりげなくごく自然にできることに価値がある。
 認められないと価値がないというものではない。「これでいいよ。」と自分に声をかけている。誰もがもっている価値観というものはそういうものだ。自分の体に染みついているからこそできる。
 勤務評価が気になり、評価基準に合わせて行動したり、保護者の目が気になり気に入る行動をしたりと評価されるためにしていることはないだろうか。もっと自然に自分らしく、やってよかったと感じることをしたい。繕っていると必ずボロが出る。言動の不一致は、不信を招く。まずは、感じるところに焦点を当てて自分のしていることを振り返ってみたい。自分の行動をいつも自分は見ている。自分には嘘はつけない。

悩んだときこそ

2008-09-18 | 育児
 事の大小に関わらず、悩みは誰にでもある。悩むということは一体どういうことなのだろう。
<悩む時の状態>
・先が見えない状態
・変化が期待できない状態
・考えが及ばない状態
 この状態では、解決の方向も分からず不安で一杯になっているから、辛い気持ちになり、自信をなくしかけている自分がある。
 いつまでも、この状態にいると余計なことまで考え始め、悪い結果ばかりが浮かんでしまう。だから、少しでも早く、この状態から抜け出なければならない。
 抜け出すためには、行動あるのみ。体裁を気にしたり、結果を恐れたりせず、なりふり構わずとにかく行動する。抜け出すことだけを考えた行動をする。行動すれば、解決の可能性が広がる。
そこには、格好いい素敵な自分がいる。
・可能性を広げた自分
・未知なるものに挑戦している自分
・困難から逃げ出さない自分
 だから、その抜けだそうと努力する自分の姿に「素敵だね。」「素晴らしいよ。」「格好いいよ。」と応援の言葉をかける。そうすると、悩みはずーっと小さくなる。
 悩みとうまく付き合えば、悩みは自然と消えていく。力み過ぎず、肩の力を抜き、悩みを楽しむくらいの自分が丁度いい。
 最近の悩みは何だろう?考えないと出てこない。やはり行動あるのみ。

繰り返し

2008-09-17 | 育児
 ブログへの書き込みの中で一番多く使っている言葉は,何だろう。振り返ってみると「繰り返し」という言葉が多い。これは,教育にとってとても大切な言葉だと思うからだ。
 子どもたちが考えないでも自然に学んだことが働くようにすることが学んだ力と言える。それは,意識レベルではなく,無意識のレベルで使えるようにすることになる。これは,車の運転と同じことだ。運転を意識しているのが初心者マーク。ベテランともなると,音楽を聴きながらでも運転ができる。意識しないでも体が覚えているから運転ができるのだ。
 大切なことは,「何を繰り返すか」にかかっている。育てる側が意図していることを繰り返すことが子どもにとって幸せなことだ。
<大切にしたいこと>
・身の回りに起こる事柄について主体的になること。
 何事にもすぐに目標が作れる。
 (「どんな自分のなりたいか。」を問い続ける。)
・立ち止まったときに自分の問題としてとらえること。
 問題解決を自分の問題としてとらえ,問題の発見から解決までできる。
 (「どのように取り組むのか」を問い続ける。)
・学んだことを武器として使うこと。
 学んだことを生活化し,いつでも使えるようにすること。
 (「何が使えるのか。」を問い続ける。)
・立ち止まること
 冷静に自分を見つめる目を作ること。
 (「これで,(自分にとって,人にとって)いいのか。」を問い続ける。)
 新しいことを学び続ける子どもたちだ。大人である私たちよりも多くのことを一度に吸収できる能力がある。子どもの可能性を信じ,生活に生きるための繰り返しをたくさん意識して行うことが大事である。(無意識に行っていると私自身の今まで培った癖が出てくる。よい癖ならばいいが,そうばかりではない。だからこそ意識し自分を鍛えるしかない。)

失敗への見方・考え方

2008-09-16 | 育児
 長年教師を続けていると,何となく教師の価値観が子どもに影響することはわかってくる。しかし,これも経験から言えることだ。同様に家庭における子育ても「三つ子の魂百まで」と経験的に3歳になるまでの教育が大事だと感じている。
 しかし,これがなぜそうなのかをきちんと説明したことはない。
 私たちは,自分を守るために自分なりの見方・考え方を身に付けてきた。そして,その見方・考え方が行動となり,繰り返すことで能力となって身に付いてくる。
 例えば,失敗をしたことへの自分の見方・考え方で説明すると,失敗をマイナスと捉えれば,自分に受け入れたくないものとなり,できるだけ影響を受けたくないと思う。それが,他人に責任をかぶせたり,言い訳をしたりする姿となる。これを繰り返ししていれば,必ず自分を守るための道具となってその能力が身に付いていく。責任転嫁は,自己防衛の表れだ。
 逆に,失敗をプラスと捉えれば,自分に受け入れることが可能となる。これは学びのチャンスとなり,自分の行動を変え,繰り返すことで能力が身に付くと考えられる。
 子どもを失敗したときにいつも叱っている教師は,子どもに責任を転嫁して自己防衛を図っていることになる。子ども自身も責任を負いたくないので,自己防衛のために責任を転嫁したり,言い訳をしたりする。まだに,教師の価値観がそのまま子どもに伝わっている。
 子どもは,教師の価値観にただ,反応しているだけである。教師自身が自分を磨かなければ,子どもは豊かになることはない。このことが明確になってきた。

探り続ける

2008-09-15 | 育児
 不思議なことに「これは、どのように考えたらいいのだろう。」と探り続けると必ず、新しい考えが浮かんでくる。時間はかかるが何とか自分なりのものができあがる。それが正しいかどうかは別にして、必ず浮かんでくる。時にはふと目が覚めたときに浮かぶこともあれば、じっくり考えているときに浮かぶこともある。浮かび方はいろいろだ。
 これは私だけなのだろうか?そうではない。誰にもこんな経験はあるに違いない。
 だとすると、私たちは子どもたちに考えさせないで、「安易に考えを教えていることはないだろうか。」と振り返ることができる。考えが見つかるまで待つことが子どもの考える時間を作ることになる。
 すぐに諦めて人に聞きたがる子は、ひょっとしたら、考えることを面倒だと思っていないだろうか。しかし、そんな子どもにしたのは教師かもしれない。時間を与えないで、すぐに結論を与えている教師だとすれば、きっとこんな子どもを育てることになる。
 考えが浮かんだときのあの嬉しさ、喜びは誰もが一度は経験している。そんなことを考えると、探り続ける時間を子どもたちから奪っているとすれば、これは大変なことだ。
 自分で考える癖をつけさせることが私たちの大事な仕事のようにも思う。ある程度時間を作って子どもたちに「まずは、自分で考えて!」と言い、結論がでなければ、ヒントを与える。それでも考えつかないときに、仲間から学んだり、教師から学んだりできるようにする。「そうか。そう考えればいいのか。」・・・そんな子どもにしたい。探り続ける子どもにするには、教師の我慢強さも時には必要となる。