ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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言葉に頼りすぎていないか

2015-09-23 | 育児
 子どもは、大人である私たちに比べるとかなり語彙が少なく、自分の思いをうまく伝えることができません。
 そのため、言っていることとしている事にズレがあることが往々にしてあります。

 その時の私たちの対応が、子どもとの関係を変化させることになります。

 言葉を優先していると、「誤魔化してはいけない。」「嘘をついてはいけない。」と子どもの言ったことを正そうとします。

 当然子どもからすると、この言葉からは、嘘つきと思われていると感じます。

 言葉でなく、行動を優先すると、言葉との違いがあるため、どういうことかわからないということになります。「どうしたの?」「なぜ、そんなことをするの?」と行動についての理解を深める発言になります。

 子どもが誤魔化したり、嘘をついたりするのには、必ず理由があります。

 意識して言うのか、それとも無意識に言うのかは、わかりませんが、その理由を探る努力が必要になります。
 無意識ならば、理由を子どもから聞くことは不可能です。

 子どもの行動から推測するしかありません。

脳は、安心・安全のためにはたらきます。その行動の裏には、必ず子ども自身の安心・安全を理由にそのような行動をすることがあると考えるとよいでしょう。

<例>
 「あなたが、したのでしょ?」・・・「ぼくじゃないよ。」
 
 ・叱られるのが怖い
 ・よい子に見られたい
 ・悪いところを知られたくない 等

 「あなた、みたでしょ?」・・・・「私、見てないよ。」

  ・関わりたくない
  ・友達との関わりを崩したくない
  ・見ていない方が得       等


 「あなたのいう事を信じているからね。」などと言うと、もう逃げ場所がなく、苦しめることになります。・・・・「あなたを信じていたのに!」となると子どもとの関係が崩れてしまいます。


 時には、見過ごしたり、大目に見たりしながら、その後の子どもの行動を観察し、本当の理由を探ることも必要になります。

人間関係を築く時間

2015-09-18 | 育児
 子どもに学力をつけることは、学校教育の中で大切にされます。同時に社会生活を営む上で大切にしなければならない人間関係づくりも大切にしなければなりません。
 実際に子どもたちは、学校生活のどの場面でこの人間関係作りをしているでしょう。

 休み時間の自由な時間、道徳や学級活動等の意図的計画的に組まれた時間だと考えることもできます。

 しかし、一番大切にしなければならないのが、日頃の授業の中での人間関係づくりだと思います。

 子どもが学校生活で一番多くの時間を費やしているのが、授業です。
この授業の中に仲間作りの視点をもっているかどうかによってかなり子どもの人間関係が変わってきます。

 授業中に「~がわかったのは、〇〇さんのおかげだよ。」「~ができるようになったのは、~してくれた〇〇さんがいたからだよ。」などと教師が意図的に仲間との交流の中で学習の成果が上がっていることを伝えることで仲間への意識が変わります。

 私たちの日常生活を見ても、深く関わる人間関係よりも何らかの集団の中でよりよく生きていく生き方をする方が役に立ちます。
 例えば、子ども会での人との関わり、町内の人との関わり、仕事上の人との関わり、係りや役割としての人との関わりなどがあります。

 これらの集団の中では、深い人間関係を築くことよりも、集団の共通の目的に沿って、集団の一人としてよりよい人間関係を築くことになります。

 これは、まさに授業中に現れる学習者の姿と同じです。わかるようになりたい、できるようになりたいという共通の目的に沿って、集団の一人としてよりよい人間関係を築く機会ではないでしょうか。
 学習内容について自分さえできれば(わかれば)よいと考えていると人間関係を築くことは、できません。互いの知恵を出し合いながら、みんなができる(わかる)ようにしようと、授業を進めると子どもの意識がかわってきます。この感覚を磨くと、授業中の助け合いになったり、自分の生かし方がわかったり、人間関係を築くことになります。

 教授の授業では、人間関係を築くことは難しくなります。子ども同志が関わりをもちながら、学習課題の解決をしていくという授業を作ることで、人間関係を築く機会を作ることができます。教師の立場で考えると、このことは、人間関係づくりを目指す授業にすることが授業改善につながるということになります。

 子どもの人間関係を築く時間として授業を行っているでしょうか。

学習し続けること

2015-09-08 | 育児
 私たちは、子どもに学力を身につけさせるために、家庭でも学習が身に付くように宿題を出しています。子どもたちは、素直にそれを受け入れ、取り組みます。
 保護者も学習の大切さがわかっているので、学校から出された宿題を子どもにさせようと協力してくれます。

 しかし、これが慣れ過ぎると、「宿題を出してもらわないとうちの子は勉強しない。」「教は、宿題がないから遊ぶ。」「宿題が勉強だ。」等と宿題に依存する姿が生まれます。

 これは、子どもにとって不幸です。

 勉強は辛いものだ。
 勉強は難しいものだ。
 勉強は嫌いだ。
 できれば、勉強はしないでいたい。

 などと子どもたちが感じるようになってしまっては、これからの時代を生き抜く子どもを育てることにはなりません。

 他人任せで勉強しているために、このような姿になってしまいます。

私たちの生活は、すべて学習することで成り立っています。

 生活習慣を身につけることも、趣味をもって生活することも、ライセンスを取得することもすべて学習です。
 
 本当は、

 知りたい。
 わかるようになりたい。
 できるようになりたい。

 という心があるから学び続けられるのです。

 宿題一つとっても同じです。
 
 宿題をどのように取り組んだのか、わかりたい、できるようになりたいという思いに応える体験になっているかどうかが見極めることが必要です。

 お母さんが叱るから宿題をする。
 先生に怒られるから宿題をする。
 友達に負けたくないから宿題をする。
 ~がもらえるから宿題をする

となっては大変です。

 地道に努力するあなたが素晴らしい。
 わからないときにわからないと言えるあなたが素晴らしい。
 困った時に何とか解決しようと頑張るあなたが素晴らしい。
 時間通りに始められるあなたが素晴らしい。
 したい事を我慢してでもやろうとするあなたが素晴らしい。
 将来を考えて、今すべきことをしようとするあなたが素晴らしい。
 めあてをもってやり切ろうとするあなたが素晴らしい。
 自ら進んで学習しようとするあなたが素晴らしい。
 粘り強く何度も繰り返し力をつけようとするあなたが素晴らしい。
 ・・・・

 宿題に向かう子どもの姿の中に必ず「わかりたい。」「できるようになりたい。」という気持ちが見える姿が必ずあるはずです。

 「学習をし続けるために、今この子には、何が必要なのだろう。」
 「どんな気持ちで取り組ませると、この子は学習し続けるのだろう。」
 「学校と家庭がどう支えると、この子は楽しんで学習するのだろう。」

 「宿題は、与えられたことをこなすこと」として、宿題を考えるには、とてももったいない話です。

 宿題を通して、身につけさせたい内容はたくさんあります。

 宿題がなくても、自らの課題解決のために学習をし続ける子どもに育てる要素が、宿題の中には隠れています。

 宿題を通して、どんな心を育てているのでしょう。

 育てた心の違いが、宿題をする子どもの姿となって現れてきます。

子どもの姿を見れば、どんな心を育てているかが見えてきます。
 
 早く済ませたいと思えば、字は乱雑になります。

 反対にめあてをもって取り組む子どもは、意欲が学習している姿に現れます。

 これは日頃の指導の結果です。宿題の出し方、取り組ませ方に工夫が必要です。マンネリ化が子どもの学習を停滞させます。
 学び続けるかどうかは、宿題を出す側の問題ということです。

行事をこなす

2015-09-04 | 育児
 2学期には、1年間で一番長く、子どもたちが一番成長する学期になります。この2学期こそ、教師の力量を発揮する時期です。

 教科の授業で力をつけるだけでなく、行事を通して子どもが力を伸ばす時期でもあります。

 2学期にはきっと多くの行事が組まれていると思います。

 時間に追われ、行事をこなすことになっていると思うことはありませんか?

 行事を点で考えるのではなく、行事と行事をつないで、線として考えていくことが子どもを伸ばすためには、必要になります。

 この線にするには、常に行事を通してつけたい力を決めておくことです。
それぞれの行事から、子どもに力をつけるための共通点を見つけ、行事をする毎に力を伸ばしていくという見方が子どもにできれば、子ども自身が、線として行事をとらえることになります。

 その時、大切にしたいのが、目標です。

 子どもに「この行事を通して、どんな自分になりたいの?」と問いかけます。

 その目標に向かって取り組み、行事が終わったら、次の行事に向けて反省し、取り組みを変えていくというものです。

 子どもは、私たちが考えるよりも純粋に目標に向かって頑張ろうとします。

 行事をこなそうとする教師は、形を大切にし、形を整えるための指導になりがちです。
 
 形を作り上げる過程の中にその子なりの目標が位置づけば、子どもは意欲的に形を作り上げようとします。

 この丁寧さを欠くと、「やらされる」感覚で子どもは、行事に向かうことになります。

 どんな目標を立てさせるか、ここがポイントです。

 行事までの取り組みの一回一回に目標に対する振り返りを設けることができれば、目標を意識しながら、行事に向かうことができます。

 行事の成功のためにも、子どもに「どんな自分になりたいのか。」と問い、目標をもたせて取り組ませたいと思います。

子どもを道具にしていませんか?

2015-09-01 | 育児
いよいよ2学期が始まりました。
 子どもたちは、新しい気持ちで、意欲をもって2学期に向かおうとしていることと思います。
 1学期に培った様々な約束事を再確認し、夏休みの生活パターンを変えて、早く学校生活に馴染むように取り組む作業が始まっていることと思います。

 この時に注意しなければならないのは、再確認の仕方です。

 私たちは、形に慣れすぎてしまうと、当たり前として扱ってしまい、何故それを大切にしているのか、価値観を子どもに伝えずに形を確認してしまうことがあります。

 子どもを育てるためには、子ども自身が形に意味づけをし、それが大事だと自分自身が考えたり、感じたりして、行動させることが重要になります。

 子ども自身が大切だと思っているのか、それとも教師が大切だと思っているか、これはとても大きな違いになります。

 子ども自身が、「だって、~だから。」と形に意味づけをして、行動して初めて、育ったことになるからです。(教師が意味づけをして、行動させていることは、育ったことにはなりません。)
 

 私は、時々意図的に、授業の開始時間に遅れて教室に入ることがありました。
 「先生がいても、いなくても、始業時刻が授業の始まり」と子どもに伝えてあり、そのための具体的な取組を育てたつもりでいるので、子どもがそのように動くかどうかを確認するためです。

 「始まったら、できることはないか。」と子どもたちに問い、教科書を読んだり、国語や算数ならば、ドリル学習をしたりすることができるということを決めてあります。

 それが、行動として、できるかどうかを確かめるのです。廊下で子どもたちの様子をうかがっている時間が一番楽しい時間です。期待と不安が入り混じっていますが、子どもたちは裏切りません。

 子どもたちで授業を進めるまでには、かなり時間が必要ですが、授業の始まり程度のことならば、わりと簡単にできます。

 このように子どもが育ったかどうかは、教師のいない時の子どもの姿でわかります。
始業時刻を過ぎても、教師を待っている姿は、自ら学ぶ子どもの姿ではありません。

 子どもがどんな姿になればよいのか、きちんと子どもに伝え、その方法を身につけさせて初めて、子どもを育てたことになります。

 担任の前だけでいい姿を示す子どもでは、育ったとは言い切れません。

 自習や出張で補充の方に入ってもらう時こそ、子どもの生の姿が見えます。

 授業がしやすいようにルールを決めることがありますが、それも同じです。子どもを教師が使っているのか、それとも子どもがその姿を求めているのか、どちらかを見極めることが大切になります。

 全員挙手でも同じです。一斉に挙手する子どもの姿を見て、「よく育っている。」と感じる人もいれば、「何となくやらされている感じがする。」と感じる人もいます。

 子ども自身が価値を見出し、自らその姿を望んでいるのならば、担任がいてもいなくても、その姿を目指します。

 学期始めの今だからこそ、ルールが形だけになっていないか、見直すよい機会になります。