ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

見え方が変わると世界が変わる

2013-11-25 | 育児
 個人セッションを行う機会が増えてきました。その中で、今一番腑に落ちていることは、「見方が変わると、こんなに人が変化するものだ。」ということです。

 私たちは、問題が起こるとすぐにその原因を探りたくなります。その原因がわかるとその原因を取り除こうと様々な努力をします。原因が一つでなければ、さらにその新たな原因を取り除こうと努力します。

 これは、もうモグラたたきと似ているように思います。

 「本当は、問題ととらえたこと自体に問題があったのかもしれない。」と考えることは、なかなかできません。

 しかし、実際に問題ではなかったと考えることの方が生きやすいようです。

 子どもが登校を渋ること、声が出なくなってしまったこと、人との関係がうまくいかないこと・・・・など

例えば、
・すでに起きるように仕組まれていたのかもしれない。

・このことが起きることで新たな気付きを生むように仕組まれていたのかもしれない。

・本当は、この状況になることを望んでいたのかもしれない。

 などと考えると、腑に落ちることがあります。

 これは、見えない世界に起きていることですから、自分の手の届くところではないと原因を探るのをあきらめるしかありません。

 その事実を受け入れ、その事実に寄り添うしかないのです。

 抵抗すればするほど、問題が複雑になっていきます。

 ただ、受け入れるしかないのです。

 そう考えた時に、新たな価値観が生まれます。受け入れられる新たな価値観をもった自分です。

 これが、世界の見え方を変えていくことになります。

・こうなっていいんだ。
・こうなったことで、新たな気付きが生まれたんだ。
・喜んで引き受けよう。

 「人は常に最善を尽くしてる。」そして、「必ず自分自身の力で対応できることしか起きない。」と考えるとこれらのことがすべて自分のために起きていると受け入れることができます。

 誰もが幸せになりたいと願っています。かつて無邪気に何でも挑戦したがる自分があったはずです。そのころはとても幸せを感じていたはずです。失敗を恐れず常に挑戦していたあの幼い頃の自分です。

 ひょっとすると、不幸にしているのは、価値観を身につけ、制限を加えて生きることを選択した自分なのかもしれません。

人間関係の源体験

2013-11-03 | 育児
私たちは、教師として、子どもたちにの健全な成長を願っています。そのためによりよい体験をさせようと考え、取り組みます。
ただ、同じ体験をさせても子どもによって 、その捉え方は、様々です。
ゲームをしても、勝敗に執拗にこだわる子もいれば、あまりこだわらない子もいます。
取り組みの早い子もいれば、取り組みの遅い子もいます。

これらの違いは、どのように生まれてきたのかということを考えてみると、その捉え方を生み出す元になる体験(原体験)が、子どもによって異なるためだとわかります。

初めて体験することは、誰でも不安を感じます。その不安を避けるため、多くの場合、嫌がります。その時、体験させるために「私がついているから大丈夫だよ。」と声をかけたり、「一緒にやろうよ。」と活動を促したりします。時には手を取り一緒に体験をします。
それでうまく活動できれば、「助けてもらえば、活動できる。」と、決めることができます。そして、その上手く行った体験を繰り返すことで、活動することに不安を取り去ることができます。
逆に、 助けてもらっても上手く行かなければ、体験することの不安を解消することは、できません。ですから、支える時には、いかに成功したと思わせることが重要になります。十分体験している私たちは、どこで、躓くかを知っているので、先回りをして、躓かないように策を練ったり、抵抗を少なくしたりします。でも支える側が、この程度の事は、自分でさせなければ、と思えばそういう配慮はしません。
ここに子どもの学びの違いが生まれてきます。

「困ったときに必ず助けてくれる人がいる。」という学びをする子ども、「人に頼って生きてはいけない。自分でするしかない。」という学びをする子どもです。

子どもが自分からすると言えないうちに、手助けをする、しないによって、子どもの学びに違いが生まれるということになります。

活動になれ、自ら挑戦したくなると、手伝われることが厄介になります。体験済みの私たちからすると、成功すると思えなくても、1人でやりたがります。

このときに手助けをする、しないによって、子どもの学びの違いが生まれるということになります。

「私は信用されていないんだ。」「言われる通りにしないといけないんだ。」という学びをする子ども、「私は信用されている。」「私のしたいようにさせてもらえる。」という学びをする子どもです。

このように子供たちは、体験を通して学ぶことは、体験そのものの学びだけでなく、体験を支える人との関わりから学ぶことがあるということです。

これは、育てる側が、どのような考えをもって子どもと関わっているかということが、そのまま子供の学びにつながることを示しています。

この関わり方は、意識的にしていることばかりではありません。無意識のうちにしていることの方が多いと思います。つまり日頃の声かけがそれです。それが、どれほど子どもの人との関わりを作り出す上で大きな影響を与えているか、その重要性に気づくことができます。そして、人との関わりは、正に日頃の子どもとの関わりで、決まることがわかります。

何気無く子どもにかける一言が子どもの人間関係を築く元になる考え方を作っていると考えると、子どもへの言葉かけには、十分な配慮が必要になります。それも、幼ければ、幼いほど体験が少なため、子供に与える影響が大きく重要だということになります。

つまり、 人間関係の原体験は、親子関係だということになります。

こだわりの強さ

2013-11-03 | 育児
私たち教師は、子どもを育てることが仕事です。子どもを育てるには、それなりのこだわりが必要です。
 例えば、聞く姿勢を育てたいというとき、どんな指導をするのでしょう。
きっと、話し手を見ること(体の向き、姿勢、目を見て等)や話の内容の捉え(うなずき、話した内容への反応、話した内容の利用等)、仲間への働きかけ(一緒に聞く仲間としての注意や手助け等)などの内容を指導することでしょう。
 このような指導する内容を知らないために、聞く姿勢を育てることができないと考えている人もいます。
 知らないために指導できないということは、かなり痛手です。

 でも、初めからこれらの内容を理解している教師はいません。うまく育たないという体験を通して、次第にうまくなっていくという流れが普通です。これが教師の仕事が職人技だといわれる理由です。

 特に若い頃は無我夢中で子どもと対峙しています。ですから、指導する内容や手順がはっきりしていないため、時間がかかることになります。

 ただ、整理されていなくても聞く姿勢の指導がうまい若手の教員もいます。彼らは、感覚的にわかっているということです。

 経験年数だけでは、片づけられないのがこの指導内容です。
ただし、指導内容が不十分だと聞く姿勢が育たないかと言えばそれは違います。
少ない内容であっても、徹底することで次第に子ども自身が内容をつかむことがあるからです。 

 この徹底がとても重要なポイントです。

つまり、一つ一つの指導内容へのこだわりです。

 このこだわりが子どもの質を変えていく原動力になります。

 10人のうち、何人ができれば指導したと考えるのでしょう。
また、できた人一人一人が何回できれば、指導したと考えるのでしょう。

 ここがこだわりになります。

 そして、この教師のこだわりが子どもの心に通じていた時に子どもが変化していきます。
 教師が「指導したから、あとは子どもの問題だ。」などと言っても子どもが変わらなければ、指導したことにはなりません。

 また、子どもの学習の自立から考えると、指導しなくてもできる状態になるまで指導した時に、初めて「指導した。」と言えます。

 ですから、教師が指導しても子どもが変わらなければ、指導へのこだわりが弱いと考えるとよいでしょう。

 それでは、具体的に1時間の授業で何回子どもに聞く姿勢についての指導をすれば、こだわったことになるのでしょう。

 1年間を通して考えると、年度初めはかなり多くなります。

 一人発言したら、即指導します。その時、叱るよりも褒める指導の方が効果的です。(叱られると萎縮し、指導内容を広げることができません。つまり、指導したこと以外の指導内容を子ども自身が表現しづらくなります。)

 ここに先ほど話した「何人できているのか。」「一人が何回できるのか。」がこだわりになります。

 11月のこの時期にそれを始めるならば、今まで身につけた癖を変えながら、聞く指導することになり、今まで以上の苦労が必要になります。

 ここには、教師の熱い思いを加えながらの指導でないと、子どもの心に伝わっていきません。聞く姿勢がよくなる仲間も増えません。

 こだわりは、厳しさにつながります。例外を許さない厳しさが必要になります。
これは、叱ることではなく、逃さないことです。

 見逃しても厳しさは伝わりません。やり残しても厳しさは伝わりません。気を緩めると伝わりません。

 適度な緊張感の中でこそ、伝わっていきます。それは、教師自身が醸し出している聞く姿勢へのこだわりの緊張感が子どもに伝わるのです。

 ですから、子どもの反応に緊張感が漂い始めるまで、教師がこだわりをもつことになります。その時点から指導が充実していきます。
 
 まだ、間に合います。1年間で子どもが育てばいいのです。

 教師にこだわりがある限り、間に合わないことはありません。