ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

コントロールできない事は、諦める

2016-02-25 | 育児
昨日、「岐阜県子育て支援エクセレント企業 認定式」で茂木健一郎さんの講演を聞くことができました。

 講演は、男性の脳と女性の脳の違いということでしたが、男女差についてはほとんどないという事でした。それよりも、脳をどのように生かすかというお話でした。
私たちは、社会通念、価値観などで男女という枠を作り上げているために、十分能力を発揮できないでいることが問題で、これを個性ととらえて、自分らしく能力を発揮できるとよいということでした。
つまり、思い込みによって自分の枠を制限していることが多く、その枠を外すことが大事だということです。
 最後に質問の時間があったので、「ストレス」についてどのように考えているのか、質問しました。
茂木さんは、
 「自分でコントロールできることとできないことがある。コントロールできないことをコントロールしようとするところでストレスが生まれる。」とおっしゃいました。そして、「ストレスをためないためには、諦めることが大事だ。」ともおっしゃいました。
その通りだろうと思います。

 それでは、子育ては、コントロールできる部類に入るのでしょうか、それともコントロールできない部類に入るのでしょうか?

 信頼関係ができている時には、ある程度コントロールできる部類に入りますが、信頼関係ができていなければ、コントロールできない部類に入ります。

また、依存関係にある時には、コントロールすることができます。
どちらにしても、コントロールできることを繰り返していると、コントロールできないことがあっても、コントロールできるのではないかと錯覚してしまいます。

 これが、子育てのストレスを作り出してしまうのではないでしょうか。

ストレスをためないように力づくでコントロールできるうちは、コントロールできるでしょう。
しかし、子どもも成長をしています。ある意味、コントロールできなくなっていくとすれば、それは自立に向かっていると考えることもできます。
コントロールできなくなったことを喜ぶことができるにも関わらず、コントロールできないことで苦しんでいるのかもしれません。

 コントロールできないからと執着する裏には、ひょっとするとエゴがあるのかもしれません。
自分の立場だけで子どもを見ていると自分のエゴはなかなか見えません。
少し離れたところから、子どもと子どもに関わる自分を客観的に見ることができれば、自分のエゴも見えるようになります。

 夢中になっていると自分の枠の中から世界を見ていることになります。
 
 少し離れて、両者の関係を冷静に客観的に見る自分を作るだめには、今いる場所から少し離れて、両者を想像しながら眺めてみるようにイメージするとよいでしょう。

 コントロールできないことに気づくかもしれません。 
そして、子どもの成長を心から喜ぶことができるかもしれません。
 
 いよいよ3月です。今年度も1ヶ月となりました。子どもの成長と共に、自分の指導や支援を振り返る時期です。

 さて、コントロールできなくなってきたことは、増えたでしょうか?
 そして、コントロールすることを諦め、見守ることは増えたでしょうか?

今を受け入れる

2016-02-24 | 育児
 教員による不祥事が、新聞の記事にならない日がないという程、頻繁に起きているように感じます。

 教員は、人を育てるという立場上、注目されることは仕方がありません。

 でも、人を育てることに遣り甲斐を感じ、多くの教員がこのプレッシャーを乗り越えて日々子どもたちと共に生活をし、子どもを育てていることに誇りをもち続けたいと思います。

 そして、その誇りがあるからこそ、多くの教員がストレスを感じながらでも仕事を続けているのではないでしょうか?

 よく、仕事の量や質、対人関係、責任の重さなどが、ストレス要因として挙げられます。ただ、これらが子どもを育てる効率を下げることにつながっては大変です。

 不祥事が取り上げれば取り上げられるほど、責任の重さを強く感じる方もいると思います。

 しかし、大切なことは、目の前の子どもです。

 不祥事をわが身と置き換えてみたとき、「私は大丈夫」「自信をもって対応している」という姿勢があれば、過剰に反応する必要はありません。

 それどころか、過剰に反応すると、それが子どもを育てる効率を下げることにつながります。

例えば、 
 不祥事があったから、これまで以上の気を引き締めなければならない。
 これ以上、仕事量が増えたら大変だ。
 対人関係が難しいのに、このことで対応しなければならないのか。
 今まで以上に責任を強く感じる。

などと思うだけでも、仕事の効率が下がります。

 私たちの脳は焦点を当てたものに意識が当たりやすくなります。不祥事の内容を意識しすぎると、その視点が強く意識されてしまいます。今までの取り組みでうまく育てることができていたのに、新たな視点を強く意識するためにバランスが崩れてしまいます。

 これが、子どもへの影響となって現れます。

 「今まで、それほど強く指導していなかったのに、なぜ最近はそれを強く指導するの?」
と、子どもは敏感に教師の指導に反応します。

 変化を嫌うのも人間です。今までの指導に変化が起きると、それを受け入れるだけの姿勢がなければ、拒否することにもなります。

 不祥事が起きるたびに、焦点の当て方が変われば、一貫性の無い指導者に移ってしまいます。

 不祥事のような出来事に振り回されることなく、柔軟性を発揮し、それらの出来事に対応し、うまくこれまでの指導に位置づけることが無理のない指導になります。

「仕事量が多く感じたり、対人関係が難しく感じたり、責任を強く感じたりするのは、教師ならば、当たり前だ。」
「今まで十分に指導しているから、不祥事の事については、十分に配慮しているから大丈夫だ。」

 などと、今を否定することなく、「このままでもいいのだ。」と「今を受け入れる」ことができれば、ストレスを感じることはありません。

 これは、学級作りだけに限らず、学校、家庭での生活に置き換えても同じことが言えます。

 安定した場を作るには、出来事に振り回されない自分にすることが必要です。
 集団の中で育つのですから、その中心にいるリーダーとしてのあなたが、自信をなくし、優柔不断な対応をしていると、周りの人々が振り回されることになります。

 ここまで育ててきた集団です。自信と誇りをもって対応することが次につながります。

 「大丈夫、私は大丈夫。」「何も心配することはない。」と堂々としていると安心してついていくことができます。 

 どんな出来事でも、「今までやっていることと何のかわりもない、今まで通りで十分に対応できる。」と言い切ることができるように柔軟性を発揮すると「安心」につながります。

 目の前の子どもへの指導に全力を尽くしていれば、必ず今していることとつないで考えることができます。

 何も恐れることはありません。今のあなたで十分対応できるはずです。

 今を受け入れ、自信と誇りをもって取り組んでいきたいと思います。


アプリ
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HP
 http://asunarokyoshitu.jp/ (あすなろ教室)
 http://asunarokyoshitu.jp/index2.htm (輝く瞳と素敵な笑顔を求めて ―教師向け―)

言葉に頼り過ぎていないか

2016-02-15 | 育児
 学習経験が豊かになるについて、子どもの言葉も多くなっていきます。この言葉の獲得が、世界を広げていきます。
 子どもの言葉が豊かになると、親としてとても嬉しくなるのではないでしょうか。

 子どもと対等に話ができるようになると会話も弾みます。

 言葉がなかなか通じない時には、子どもの一挙手一投足に注意を払い、子どもの気持ちを探りながら接していたため、なかなか子どもの気持ちがわからずに苦労していたかもしれません。

 言葉が増えると子どもの気持ちを直接言葉で聞くことが増え、子どもの気持ちが言葉がなかなか通じない時よりもわかりやすくなったと感じる方もいると思います。

 ただし、言葉ではすべてを把握することはできません。あくまでも子どもを理解する入口になります。

 言葉に頼りすぎていると、子どもが「したくない。」と言ったとしたら、「したくない。」という事が子どもの気持ちだと考えてしまいがちになります。
 当然ですが、子どもと接する時間も短く、すぐに子どもの気持ちを知りたいという事も手伝って、言葉を信じて判断することになってしまいます。
 これに慣れてくると、「言葉が通じなかった時にしていた一挙手一投足に注意を払ったあの努力」を怠るようになってしまいます。

 これが、子どもとの溝を作っていくことになります。
 
 あくまでも言葉は子どもを理解する入口です。
「したくない。」と言ったこの言葉の裏には、何が隠されているのだろうかと探る必要があります。

・本当にしたくないのだろうか。
・子どもがしたくないと言ったことについて腑に落ちるだろうか。
・もしかして、「したくない。」と親が言わせたのではないだろうか。

などと疑う必要があります。

・相手を思いやる気持ちが育っていくと親の気持ちを考えて「したくない。」と言うことがあります。
・いろいろな知恵が身に付き、その場を誤魔化すために「したくない。」という事があります。
・したくないと言わないと困ることがあるから、「したくない。」という事があります。
・本当にしたくないからしたくないと言ったのかもしれません。

 自分の本心を言葉に隠して見えにくくしていくことを身につけていくため、益々子どもの心が見えにくくなっていきます。

 子どもの一挙手一投足には、子どもの心が必ず現れます。
この見えにくくなった心も必ず一挙手一投足に現れます。

 「きっと誤魔化しているな。」、「私の気持ちを察しているな。」等と子どもの心を察しながら子どもの発する言葉にうまく付き合っていくことが、子どもをより深く理解することにつながります。

 「~と言ったでしょ。もっと自分の言葉に責任をもちなさい。」と突き放しても子どもを育てることにはなりません。

 「今は、本心を言いたくないから言わないのだろう。」と慮って「そうなんだ。」と受け止めることと、子どもは安心して関わることができます。

 深い人間理解をする方向に自分自身を磨くことが、子どもとの関係を深めることになります。

 子どもとの会話には、常に言葉だけでなく、一挙手一投足から醸し出される雰囲気を読み取る努力は欠かすことはできません。

 つまり、「2つのコミュニケーション」(1月29日付け)は、子どもが年を重ねても、益々大事になるということです。

安心につながる言葉

2016-02-12 | 育児
 私たちは、いろいろな言葉を投げかけています。相手にとってその言葉が、どれだけ影響を与えているのか、あまり意識せずに使っていることが多いと思います。
 この言葉をもっと意識し、意図的に使えるようになると言葉が効果的に働くことは、間違いありません。

 特別な言葉を探して伝えようとすることも大事ですが、学習は、インパクトと繰り返しの両面があります。インパクトのある言葉を探すことはなかなか大変ですが、繰り返す言葉ならば、苦労して探す必要はありません。
 何気なく使っている日々の言葉でいいのですから、難しく考えることにはなりません。

 そこで、一番子どもが生き生きと活動できるために必要な「安心につながる言葉」を探してみました。

 その時々の状態によって受け取り方が違いますから、「それって本当?」などと感じることもあります。でも、この言葉なら安心につながるはずだと感じる言葉があります。

 50程探してみましたが、実際に子どもに尋ねてみると、その中の5~6ほどの言葉でした。

 また、子どもによっても選ぶ言葉が違っています。

 その子に合った安心が違うということです。。

 ただし、「安心につながる言葉」をたくさんもっている方が、一人一人の子どもに合わせやすくなります。

 どの子にも当てはまる「安心につながる言葉」が見つかれば、これは、宝物です。

 子どもの反応を見ながら、「安心につながる言葉」をたくさん集めたいと思います。

 例

 「大丈夫だよ。」「すごいね。」「いいね。」「あなただからできる。」
 「誰でもミスするよ。」「それが、あなたのよいところ」「甘えていいよ。」「ちゃんと見ているよ。」「ひとりじゃないよ。」「辛かったね。」「私も同じだよ。」「その調子だよ。」「そばにいるからね。」「あなたらしいね。」「助かるわ。」「そうだね。」「それなら安心だ。」「心配はいらないよ。」「わかっているよ。」「よくわかるよ。」等

さて、あなたはいくつ見つかるでしょう。

気持ちを引きずる時間

2016-02-07 | 育児
 出来事があるとそれに反応し、いろいろな感情が湧き上がります。この感情をいつまでも引きずっていると、次に起きる出来事に様々な影響を与えます。

 気持ちの切り替えを早くすることは、感情をうまくコントロールできることにつながります。

例えば、

 子どもが親に叱られ、何もする気が起きない。

 友達から悪口を言われ、悪口を言った友達がずっと気になっている。

 算数のテストの点数が悪かったから、算数が嫌いになった。

 ゲームで負けたから、もうそのゲームはしない。

 魚の骨がのどにつかえて痛い思いをしたから、魚は嫌い。

 トラウマのように一度の失敗がずーっと尾を引くものもあれば、数時間後にはもとに戻るものもあります。

 気持ちを引きずらず、その時の気持ちを切り替えることができれば、常に新しい事に全力で立ち向かうことができますが、気持ちを引きずっているとそのようにはいきません。

 子どもの場合は、特に感情に流されやすい子が多いように感じます。

 どのようにすると早く切り替えができるか、その技は、多くの場合、体験的に身につけていきます。

 しかし、時間に追われ、激しい変化の中で生きている私たちがその技を身につけさせるだけのゆとりがないのが今の子どもたちではないでしょうか。

 学びの場を設けなければ、なかなか身につけることができません。

 学校現場を見ているとその技を身につけていないために、常に失敗を繰り返し、仲間から疎外されていく子どもが増えているように感じます。

 我慢を強いられ、うっぷんが溜り、一気にそれを吐き出しているという感じです。

 うまく切り替える技を身につけさせなければなりません。

それを学ぶ場が、子どもたちに必要だと感じています。

 アンガ―マネージメントもその一つだと思います。怒りだけでなく、どんな感情であっても同じです。

 いつまでも引きずることで、次の活動が滞っては、大変です。

 わたしは、「切り替えの方法」として、今の状態から抜け出すことが大事だと考えています。
 そのための方法として次の3つを提案したいと思います。

 1 場所を変える
   目の前の映る映像が変わると、気分が変わります。
   例 ・教室に居れば、教室から出る
     ・人が多い場所ならば、少ない場所に移る。
     ・騒々しい場所ならば、静かな場所に移る。
     ・暗い場所ならば、明るい場所に移る。
     ・無臭ならば、匂いのする場所に移る。
    
    五感を変化させることがこれになります。

 つまり、感情を受け取る入口は、五感になります。今ある感情を変えたいのですから、この入口を変えれば、変わりやすくなります。
 
     
 2 時間を変える
   現在を過去や未来から見ると、気持ちが変化します。
   例 ・辛い体験は、過去の貴重な体験と見る
     ・悲しい体験を乗り越えて、未来が豊かになると見る。
     ・辛さと向き合えるのは、過去に耐えうるだけの体験をしたと見る。

 つまり、悲しみや辛さをつらい体験として考えるのではなく、大事な体験だという見方に変えると、気持ちが変わりやすくなります。この時、実際に過去・現在・未来という場所を変えて位置づけると、実感しやすくなる。


 3 見方・考え方を変える
  時間を変えることも見方・考え方を変えることにつながります。ただ、ここでは、時間以外でも、見方・考え方を変えることができます。この場合は、投げかける言葉がとても重要になります。
   例 ・この体験をしてよかったことは何?
     ・この体験のおかげで、新たに気づいたことは何?
     ・もし、この失敗を体験せずに済ませてしまい、損をすることは何?
 
 つまり、大変を肯定的にとらえさせるための言葉を選ぶことにより、見方・考え方を変えることで、感じ方を変えることができます。

 これは、子どもだけでなく、私たち大人でも利用することができます。また、すでに実践していることの方が多いかもしれません。

 どれがうまく行くのかはわかりません。また、これ以外にもよい方法があるかもしれません。ただ、どんな技でもよいのですが、一つでも身につけることができれば、気持ちを引きずらないで、新しいことに全力で挑戦することができます。
 
 「目の前の子どもにはどんな方法が有効なのか。」を考える機会になれば、幸いです。

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2016-02-03 | 育児
 私は、心を豊かにしようと様々な体験をします。自分の世界を広げ、多くの人と関わりをもちながら、努力しています。
 
 しかし、最近思うのですが、体験から何を学ぶかは、自分次第だということです。

 自分の枠でもって、何を学ぶかを決めているということは、その枠の中で考える豊かさしか体験できないということになります。


 受け入れるだけの豊かさがなければ、いくらよい体験だとしてもそれを受け入れることはできません。

 子どもに与える体験でも同じです。体験する前に子ども自身が「つまらない」と思っていたならば、その体験を通して学ばせたい内容を100%受け取ることはできません。

 素直に体験を受け入れることができれば、体験をして100%受け取ることができることになります。

例えば、
・ジェットコースターに乗るのが怖いと思っている人に無理にジェットコースターに乗せても、楽しいという体験にはなりません。

・おいしいお菓子を用意しても、すぐにでも遊びたいと思っている子どもならば、早く食べて遊びたいと思っているので、おいしさを十分に味わうことはできません。

 つまり、前提として、豊かさを受け入れるだけの器をもっていなければ、豊かさを受け入れることはできないことになります。

 このことから考えると、人間は、生まれた時は何でも受け入れることができたにも関わらず、体験を積みながら、年を重ねる毎に次第に受け入れられることと受け入れられないことを作り、次第に豊かさを欠くようになっていったように思います。

 どんな色にでも染まる純粋だった幼い頃の方が心は豊かだったのかもしれません。いろいろな価値観を身につけていく中で、次第に心を閉じてきたのかもしれません。

 人との壁、との壁、時間との壁、文化との壁、きまりとの壁・・・様々な壁を作ることで、自分を守ろうとしているように感じます。

 遊びたいのに・・・・・・・・・・勉強してから遊びましょう。
 もっと遠くに行きたいのに・・・・校区外には子どもだけで行けません。
 もっとじっくり考えたいのに・・・時間がないので急ぎなさい。

 子ども自身が壁を作ったというよりも、子どもを育てる私たちが、壁を教え、豊かになる機会を奪ってきたのかもしれません。
 
 壁を作って子どもを守ろうとしている私たちと壁を取り除きたいと思う子どもとが、豊かさを手に入れるための駆け引きをしているように思います。

例えば、
 遊びたいのに  →「勉強してから遊びましょう。」

    ↓ 駆け引き

 「遊びたいの?」
 「遊んだら後ならば、勉強を一生懸命にできるかな。」 

 
 もっと遠くに行きたい →「校区外には、子どもだけで行けません。」

    ↓ 駆け引き

 「遠くに行きたいの?」
 「大人が一緒ならば、いいんだけど、どうする?」


 もっとじっくり考えたいのに →「時間がないので急ぎなさい。」

    ↓ 駆け引き

 「時間がほしいの?」
 「時間がないけど、何分ほしいの?」

 どんな駆け引きがよいかは、試行錯誤しながら体験してつかむことになります。

 思い通りに子どもを操るための努力ではありません。子どもが豊かさを手に入れるための努力です。

 駆け引きをしている時や体験をして学んでいる時の子どもの姿から、「子どもってすごいなあ。」と子どもの豊かさに感動することがあります。

 そして、この感動がある限り、駆け引きを楽しむことができます。

 そして、子どもと一緒にいて楽しいと思える瞬間にもなります。

 私が子どもを好きなのも、きっと子どもの中に豊かさを発見できるからかもしれません。 

変化を受け入れる

2016-02-02 | 育児
 慣れてくると、当たり前にしてしまうことがあります。子どもを見る目もそうです。
 「あの子は、こんな子だ。」「こんないいところがある。」「ここは、もう少し努力しないといけないな。」などと考えることがあります。

 長く関わるとその思い込みも強くなります。

 1年間毎日のように関わりをもっていると一人一人の子どもに対して、断定してしまうことも多くなります。

 しかし、子どもは日々変化しています。そして、まだまだ体験を通して成長していく存在です。

 もし、固定的に見ることで、子どもの可能性を奪う事があれば、子どもにとって不幸なことです。

 これは、学級でも同じ事です。

 ある程度、学級の形ができるとその形に慣れてしまいます。1年間子どもと関わりを深めながら、作り上げた学級には、学級独特の風土があります。
学級文化と言われるものが出来上がっています。

 そして、今の安定した学級での生活に慣れてくると、保守的な考えが顔を出してきます。 

 「学級の約束だから、守らねばならない。」
 「みんなができることだから、当然しなければ。」
 「自分だけ、そんなことをしたら、みんなから嫌われる。」
 
 こんな言葉を子どもが口にすることがあるかもしれません。

 その時、「そうだね。」と変化を受け入れない対応をするか、「ちょっと待って。考える余地がある。」と変化を受け入れる対応をするかによって、その後の歩みが変わります。

 形を作っても、その形は完璧なものではありません。

 形を作っては壊し、また作っては壊し、と繰り返しながら、次第によい形を作り上げていきます。

 その事が、これからの時代を生きていく子どもたちにとってとても大切な力になります。

 つまり、変化を受け入れる集団にしておくことが、次の学年に向かう子どもを育てることになります。

 新しい学級になった時に、「前の学年ではこうだった。」「前の先生の方がいいなあ。」などと変化を嫌う子どもの発言が、新しい学年での学級作りを遅らせてしまいます。

 変化は新しい可能性を作り出します。

 1年間、子どもと共に築き上げた学級を壊したくないと思うのは、教師だけではありません。
 
 しかし、次の学年への橋渡しをしなければなりません。

 子どもを今の学級の文化に縛り付けることは、新しい変化を受け入れられないことにもなります。

 常に新しいものを受け入れていく姿勢を教師が示すことで、変化を受け入れる姿を学ぶことになります。

 何もせずに時間が過ぎるのを待っていても、いずれ今の学級は終わりを迎えます。
 そのため、よい思い出を作ることに力を入れがちになります。

 よい思い出は、強固な土台にして生きていくことになります。しかし、それが、次の学年の足かせになっては大変です。

 足かせにならないように、

 「この学年で学んだ力があれば、変化にも耐えうることができる。」
 「学んだことは、必ず次の学年で生かされる場が生まれる。」
 「次の学年で生かすことが、今の学年で学んだ証拠となる。」

 と、次の学年につながるように配慮することが大事です。

そのためには、変化を受け入れる体験が必要になります。

 今の学級にくすぶる不満、納得できない取組などが役に立ちます。

 これらは、子どもから素直に出てくるものではありません。

例えば、教師が次のような子どもの気持ちを代弁して、

 「この約束を守っていると、辛い気持ちになることがある。」
 「凄く努力して守っているので、もっと楽になりたい。」
 「何故、ここまでしなければならないのかと思うことがある。」
 等

 「こんな気持ちをもつことがあるけど、みんなはこんな気持ちになったことはない?」と子どもたちに投げかけます。

 この思いに共感する子どもが、一人や二人は、現れてきます。

 この子たちの思いを大切にしながら、既存のきまりについて見直し、考えさせるようにします。

 これは、子どもではなく、担任教師として変化を受け入れられる自分かどうかという姿勢が問われることになります。