ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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失敗を学びにする

2011-02-24 | 育児
 子どもは、失敗を繰り返しながら、成長をしています。でも、自ら望んで失敗をすることはないと言ってよいでしょう。

 失敗をした時、どんな対応をしているでしょう。

 多くの場合、「それは、失敗だ。」と伝えています。
そして、何故失敗したのかを考えさせたり、教えたりします。
これが失敗しないための学びだと考えています。しかし、本当に学ばせているかといえば、そうではないことがあります。

 例えば、廊下を走った時、「廊下を走ってはだめ。」と叱ります。
また、授業中に他事をしている時、「他事をしていてはだめ。」と叱ります。

 学ぶ気持ちがなければ、「自分だけではない。他にもいる。」と言ってその場から逃げようとします。

 強引に引き留めて、その場で叱ってきかせても、また同じことをします。

 学ぶ気持ちがない子どもに学ぶ気持ちをもたせることは簡単ではありません。
 それは、次の手順を踏まなければならないからです。
1 今していることを止める。
2 今していたことは何か、事実をはっきりさせる。
3 していた時の感情をはっきりさせる。
4 事実と感情が、今していたことを生み出したことを理解させる。
5 今していたことが、どんな意味をもつのかを考える。
6 今していたことが、自分や周りにどんな影響を与えたかを考える。
7 もし、別の行動をしたとすると何ができるかを考える。
8 別の行動をすることが、自分や周りにどんな影響を与えるかを考える。
9 別の行動をすることが、どんな意味をもつのかを考える。
10 どの行動をすることが、自分にとってふさわしい行動なのかを選択する。
11 その行動を選んだ理由を明らかにする。

 感情が高ぶっている時には、言葉でいくら説明しても受け入れられないものです。まずは、落ち着かせることから始めなければなりません。ですから、1から11までがスムーズに進むことはありません。1でかなりのエネルギーを使うことが現実です。

 どうしても、私たち教師は、価値観をもって、子どもに接しているため、子どもに考えさせなければならないことを教師が説明してしまうことが多々あります。
 
 そのため、腑に落ちないで、別の行動に早く移るようにし向けてしまいます。別の行動も教師が決めることになるため、どうしてもやらされている気分が抜けません。

 失敗を学びに変えるのは、教師ではなく、子ども自身なのですから、じっっくりと考えさせる時間をとらなければなりません。
 人生経験が豊かな教師ならすぐに答えが出せても、相手は子どもです。すぐに答えが出せるというものではありません。

 ですから、じっくりと時間をかけながら、子どものペースに合わせる必要があります。

 これが、なかなかできないのです。

 つまり、人生経験が多い教師は、経験をもとに語ることができること、もし考えたとしてもわずかな時間でできること、この2つがあるため、なかなか子どもに合わせて、1~11を進めていくことが難しくなります。

 これは、子どもの問題ではなく、教師側の問題です。子どもとじっくり向き合う心のゆとりがなければ、失敗を学ぶにすることはできません。

 「失敗してよかったね。こんな事が学べたね。」などと言えるのは、それほど単純ではありません。学びの質も違ってきます。
 
失敗を叱ることは、とても楽です。自分の価値観をストレートに伝えることができます。しかし、それが学びになるかどうかは別です。自らの気づきがないところに学びはありません。

 叱りたいから叱るわけではありません。気づいてほしいから叱るのです。

失敗から学べるようにいかに子どもと接するかは、教師側の問題になります。決して叱ればよいというものではないということです。

 教師の努力により、失敗から学ぶ子どもにしたいと思います。

子どもに尋ねる

2011-02-23 | 育児
 私たちは、よりよく生きるために様々な価値観を子どもに示します。具体的な行動に意味づけをし、それが子どもにとっていかに大切なことなのかをわかるように努力しています。
 それがどのように伝わったかということは、その後の子どもの反応を見て、確かめます。

 教師側の意図のように行動が変わった時に、「わかった。」と判断します。

 これが本当にわかったかどうかはこれだけでは十分判断できません。私たちが本当にわかったというのは、単に一度できればそれでよしという訳ではないからです。
 
 身につけるということは、一度できることではありません。繰り返しできることが前提になります。

 また、行動とその背景となる考えが一致していることも重要になります。

 「この行動には、こんな価値があるのだ。」と言えたときに、「本当にわかった。」と解釈します。

例 優しい人ってどんな人?

 これは、かなり幅広い価値ある姿です。
子どもたちに聞くと
・困った時に助けてくれる人
・勉強を教えてくれる人
・遊びに誘ってくれる人
・けがをしたとき一緒に保健室に行ってくれる人
・忘れ物をした時、貸してくれる人
など具体的な行動に表れる姿を教えてくれます。

次に「やさしい人は、どんな事を考えているのでしょう?」
と尋ねると、なかなか答えづらくなります。中には「相手の事を考える人」と答えてくれる子どもがいます。
 その他にも「やさしい人は、どんな力があるのでしょう?」と質問しても同様に、答えづらくなります。

 この事は、子どもだけでなく、私たち大人でも同じです。

 価値観は、なかなか表面には現れませんから、じっくり考えないと出てこないことがあります。

 指導したことは必ず子どもの姿として跳ね返ってきますから、子どもが何を大事に毎日を生きているのかを探ることは、とても重要になります。

 日頃の自分の指導を見つめることにもなります。

 ひょっとしたら、教師の顔色を伺って生きている子がいるかもしれません。また、友達に振り回されて生きている子がいるかもしれません。場当たり的にその場その場の雰囲気に流されて生きている子がいるかもしれません。

 子どもに客観的な立場で、「優しい人(例)はどんな人」と問うだけでも、子どもが大事にしている価値観が見えてきます。

 こんな問いかけは日常的ではありません。

 具体的な行動に意味付け、価値付けをして、「~する人は、こんな価値のある人だ。」と子どもたちに伝えることの方が日常的です。

 非日常的なこの問いかけをすることで、新しい発見をすることができます。

 私たち大人も子ども同様、いかに曖昧に生きているかがよくわかります。

 

過去にとらわれないで

2011-02-21 | 育児
 よく、子どもには無限の可能性があると言われます。また、よさと可能性を生かすことが大事だとも言われます。

 しかし、本当に可能性があると信じて子どもに向き合っているでしょうか。

 時間軸で考えてみると、可能性はどこにあるでしょう。
未来にあるのでしょうか、現在にあるのでしょうか。それとも過去にあるのでしょうか。
 
 「今はできないけれど、いずれできるようになるはずだ。」と言ったとします。これは、過去の出来事を基準に未来を見ていることになります。できるようになるはずだと考えているのは、現在になります。

 これを「今は、優しくないけれど、いずれ優しい子になるはずだ。」という文に置き換えてみます。

 この場合、この子は、過去に優しい子でない行いをしたから優しくないと決め、それを今もそう思っているから、優しい子ではないと今言っていることになります。つまり、現在の時点では優しい子ではないということで、この子に優しくなる可能性があるように見えてきません。

 これでは、子どもには無限の可能性があると言いながら、可能性を見ていることにはなりません。

 どこに原因があるのでしょう。

 過去に優しくない子だと決めた瞬間にその子の可能性を奪ってしまったのです。
 過去にあった出来事は、氷山の一角だったかもしれません。その出来事をもとにその子を優しくない子だと決めてしまったのです。
 一度決めてしまうと、決めたことに合う出来事が次から次へ集まってきます。ですから、「こんなことも。こんなこともするから優しい子ではない。」と言い切ってしまうのです。

 これは脳の働きによるものです。

 脳は常に一般化し、安定を求めます。そのため、一般化することで、焦点が優しくない子に当たり、優しくない子として固定させようとそれに合う出来事を集め、強化します。

 優しい子というイメージに合わないと判断した瞬間からその作業が始まっているのです。

 どんな子だろうと常に探り続けることは辛いことです。脳は空白を埋めようとしますから、常に答えが見つからない状況には耐えられません。そこで、何かを答えにしようともがきます。そして、優しくない子だと決めてしまいます。脳が空白を埋めようとする働きも、この子はこんな子だと決める要因になります。

 ここまで考えてくると、可能性があるということは、どのように考えることになるのかわからなくなってしまう人がいるかもしれません。

 可能性を考える第一歩は、「この子は、優しい子かもしれない。」「この子は優しくない子ではないかもしれない。」と自分の判断を疑うことから始めることになります。

 自分の判断が正しいと決めた瞬間にそれにとらわれてしまいます。ですから、判断した後も自分の判断が本当に正しかったかどうか疑ってみます。

(ただ一つ勘違いしないでください。その子にとってプラス面ととらえたことを疑うことではありません。プラス面ととらえたことは活力になるので、間違った判断であったとしてもその子にとっては力になります。ここでは否定的にとらえたことを扱っています。)

 次は、優しい面を探し続けるのです。状況や場面を変えながら、どこかに必ず優しい面が見られるはずだと探し続けます。

 この作業が可能性を信じることになります。

 「この子は優しい子かもしれない。」と自分に問いかけることが、具体的な場面で子どもの可能性を信じている言葉になってきます。

 ただし、残酷なことに私たちは、子どもや保護者に判断を迫られることがあります。見つからない段階でも判断を求められる事が多いのです。また、判断をもとにし指導しなければならないことは、日常茶飯事です。

 この時、判断するのが恐いと言って逃げ出すことはできません。私たちは教師ですから、逃げられないのです。

 過信せず、今の判断は判断として、誠意をもって対応することがベストの対応になります。
 そのためには、判断した後も疑いながら、対応します。そして、その子の可能性を追い求めるのです。


 子どもにも様々な面があります。可能性を追い求めるだけではありません。その子のよさはよさとして伸ばすことができます。本人もよさであれば、伸ばそうと努力することができます。


 ここまで考えてくると、よさを伸ばすことの方が可能性を引き出すことよりずっと簡単なように思えてきます。

 私たちも一人の人間です。常に正しい判断をしているとは言えません。
ですから、過去の判断にいつまでもとらわれてないで、柔軟に対応することが必要です。

 過去にとらわれることなく、今を大事にすることが子どものよさや可能性を伸ばす近道になるのではないでしょうか。

久しぶりの風邪

2011-02-18 | 育児
 体がだるくて、もどしそうないやな気分を久しぶりに味わっています。昼から早退し、睡眠を十分とりました。

どこかで、自分は病気にならない強い体に恵まれていると思いこんでいる節が私にはあります。

 強い体力と精神力がモットーで、少々の事ではびくともしない私ですが、今回はちょっと弱っています。

 風邪が、孫から始まり、家族に広がった風邪が私にもやってきたという感じです。

 ただ、ここからが大事だと思っています。いかに早く回復するかが鍵になります。

ここでは、早く回復しなければならないという強い意志が必要になります。
・早く元気になれば、早く子どもたちに会える。
・早く元気になれば、迷惑をかける人が少なくてすむ。
・早く元気になれば、仕事ができる。
・早く元気になれば、家族と楽しく過ごすことができる。
・早く元気になれば、病院へ行って孫に会いに行ける。
・早く元気になれば、ブログもかける。

 まだまだ、たくさん浮かんできます。

 病気になっていられない自分を作り出し、活躍している自分をイメージします。

 休養と睡眠、栄養が病気からの回復には必要だと言われますが、それにもまして、元気な自分をイメージすることが回復を早めることになると信じています。

 ブログを書き始めた自分が今、ここにいます。

 体が本調子になるのももう少しだと思います。

 何事を始めるにも、まずは健康が第一だと改めて感じることができました。

 油断をせず、健康管理を十分に怠らないようにこれからは気を付けようと思います。

誕生

2011-02-16 | 育児
 2人目の孫が昨晩誕生しました。今回は、夜だったため、付き添うことができました。
 陣痛の痛みは、男の私にはとても想像ができません。
早く元気な姿を見せてほしいと願いながら、娘の腰をさすりました。
さすること1時間半。娘は、産室へ移動しました。

 何もできず、ただただ待つしかないこの時間は、とても長く感じました。

 そして、やっと産声を聞いたとき、娘に心から
「よく頑張った。」と声をかけたくなりました。

 新しい命の誕生は、周りの人々を幸せにします。

 これからどんな人生が待っているかわかりませんが、幸せな人生が送れるように心から応援したいと思いました。

 どの子もこの過程を経て、今を生きています。

 今まで以上に大事にしたい気持ちが沸いてきました。

子どものためなら

2011-02-14 | 育児
 私たち教師は、子どもたちの幸せのためにどんな努力ができるだろうと考えながら、日々の生活を送っています。
 しかし、経験を経る事にある程度、子どもの反応が読めるようになると「この程度すれば何とかなる。」と安易な方向に流れてしまうことがあります。

 そうなると、今度は自分のエゴが出てきます。自分の都合が優先するようになります。
 初任の頃のあの精一杯の姿が次第に薄れてしまいます。子どもは直感的に教師の姿勢をとらえる力があるため、すぐに見抜きます。

 一生懸命な姿は子どもに伝わります。言葉に迫力があります。それは、何とかしたいという思いが態度になって現れてくるからです。

 ゆとりがもてるようになったら、子ども理解の幅を広げるように自分の視野を広げる努力ができるとよいでしょう。

・この子の考えの背景を考える。
・この子の置かれた状況を考える。
・この子の状態はどのようにすると変わりやすいのかを考える。
・この子の状態に影響を与えやすいのは、何かを考える。
・この子を生かす場を考える。
・この子の目指す方向に合った支援を考える。
・この子の将来を見据えて、何をすべきかを考える。
・この子に影響を及ぼす、環境に働きかけられることはないか考える。
・この子の状況に合った支援を考える。

 こんなことを考え始めたら、時間はいくらあっても足りません。
ここが知恵の出しどころになります。
 私たちは、目の前の子どもだけを見ているわけではありません。
次代を担う子どもを見ているのですから、子どもが活躍する未来の姿をイメージしながら、関わっています。
 ですから、その未来の姿に向かうために「今、何をすべきか」を選択するのです。それが知恵の出しどころになります。

 これは、一般的な子どもの姿がわかったからと言って対応できるものではありません。

 常に知恵を出して、目の前の子ども一人ひとりと向き合うからできるのです。

 いつまでも目の前の子どもと一緒にいるわけではありません。関わる期間は子どもの人生のほんの一瞬でしかありません。

 だからこそ、大事なのです。その時々に現れる子どもの状況に合わせて、的確な支援の積み上げをすることが子どもの幸せに大きく影響を及ぼします。つまり、日々の積み上げが、得られる幸せの大きさとなります。

 子どもが見せる姿は、ほんの氷山の一角でしかありません。支える子どもの背景にも目を配りながら、その子の全体をつかみながらの支援が本当の支援になります。

 「こどもは・・・・。」と一般化し始めたら、要注意です。評論家になっていないか、教師としての自分を見つめる大切な時期が、学期末の今の時期です。

今を生きる

2011-02-11 | 育児
 一週間があっという間に過ぎしまったという感じです。時間が経つのが早く感じるようになったのは、年のせいでしょうか。

 時間感覚というものは、人それぞれ感じ方が違います。また、状況によっても異なります。好きなことをしているとあっという間に時間が過ぎてしまったり、嫌いな時間だと長く感じることがあります。

 現実の時間の流れと私たちの感じる時間の流れは、どうも違っているようです。

 今という時間についてもかなり幅があるように思います。

現在の職業は、何ですかと問われれば、教師と答えます。
現在の家族構成、人間関係、経済力、趣味など、答えなさいと言われれば答えることができます。
 これらは、すべて今と考えるでしょう。

 しかし、今という瞬間をとらえたときの今は、これとはちょっと違います。
机の前で、パソコンに向かい、「今を生きる」という日記に向き合って、一生懸命にタイピングをしている私が目の前にいます。

 読み手の皆さんは、私の書き終えた「今を生きる」を読んでいます。

 日記を読まれる頃には、私は別の事をしています。

 そして、私たちが今と考えた、職業、家族構成、人間関係、経済力、趣味などはすべて自分に貼り付いた価値観であり、イメージだということがわかります。

 このイメージが私たちを苦しめているということになります。

 タイピングしている私にあるのは、読み手を意識しながら、よりよい教育を夢見ながら、自分の思いを語っている自分しかいません。

 場面が変われば、教師としての自分の顔が現れます。父親の顔もあれば、子どもの顔もあります。地域の一人としての顔もあります。

 その顔がなければ、もっと自由に生きられるのにと思うこともあります。
例えば、「教師のくせに・・・。」「教師ならば・・・・。」「さすが、教師だ。」などと他人から見られている自分を意識するときに悩みや苦しみが生まれてきます。
 また、「私は教師である前に一人の人間だ。」などと言って、今の自分を正当化してしまう自分もあります。

 このように考えると、母親が子どもの事で悩み、苦しむのもよくわかります。

 母親としての責任感が自分を苦しめているということになります。

 もし、母親として自分を苦しめている自分が四六時中自分だったとしたらかなり苦しい毎日を過ごすことになります。そんな自分だったとしたら、辛くて逃げ出したくなります。
 これを自分に向けて、病気になって、母親としての責任を手放すことを選ぶ人もいます。これを外に向けて、子どもを虐待したり、子育てを放棄したりする人になることがあります。

 母親ならば、誰もが責任を感じないはずはありません。

これを苦しいと感じる所に問題が潜んでいます。

 苦しいと感じる自分に焦点を当ててみると見えてくることがあります。

○子どもを思い通りにしようと思っている自分はないでしょうか。
(人は誰もが違っています。同じ人など一人もいません。)
○理想の姿から子どもを見ている自分はないでしょうか。
(人と比べたり、自分で作った基準と比べたりして、目の前の子どもから離れて、願う子どもを見ている。)
○自分の評価を気にしている自分はないでしょうか。
(子どものできが自分のできと言われることが気になっている自分がいる。)

 この自分から解放されなければ、問題が次から次へと生まれてきます。
いや問題が生まれるというよりも自分で問題を作っていると考えた方がよいかもしれません。

 苦しむことではなく、ただ、受け止めることだと思います。                                        
例 「子どもが勉強しない。」と悩む母親
子どもが勉強をしないことは子ども自身の問題としてとらえる
子どもの問題
・勉強の仕方がわからない。
・勉強に興味関心がない。
・勉強する癖がついていない。
・わからないから、勉強できない。
 など様々な問題が考えられます。
母親としての悩み
・子どもに勉強をうまく教えられない。
・子どもに学習習慣を身につけさせる方法がわからない。
・他者からの評価が気になる。
・自分の時間に制限を受ける。

 子どもの問題と母親自身の悩みとを分けることから始めないと問題が複雑に絡み合っていて問題解決に時間がかかります。

 そのためには、今を生きることがとても重要になります。
次の順序で整理してみると今がよりはっきりと見えてきます。
・目の前に起きている事柄をじっくり観察して事実をきちんととらえる。
・自分の中に起きている事と子どもの中に起きている事を区別する。
・今起きていることから感じていることか、それとも過去や未来に引きずられて感じていることなのかを識別する。
 (脳は現実とイメージを区別できません。でも沸き上がる感情があります。かなりイメージによって感情が動かされていることに気づくはずです。)

 悩んでいる自分からちょっと離れて、外から見てみると違った自分が見えてきます。

 今を生きている私たちです。過去や未来はイメージに過ぎないので、自由に変えることができます。
 どうせイメージするならば、素敵な過去や未来を創り出したいものです。

ほどほどに

2011-02-09 | 育児
 よさを見つけては、褒めることを私たちは日常的に行っています。
しかし、それが逆効果になることがあります。

 例えば、「あなたがいてくれるから助かるわ。」という言葉です。
相手の存在を承認するとても素敵な言葉です。
しかし、これを言い続けると、どうなるでしょう。

 言われた側にとってみると、頼られているという気持ちが沸いてきます。
頼られていると感じることで、今まで以上に頑張ろうとする気持ちが沸いてくる人と逆に責任を感じ、それを重荷となり負担感が増してくる人がいます。この負担感を感じるようになると次第にしていることが辛くなります。
 
 これは親切も同じです。親切のつもりでしていることが、し過ぎると相手は、お節介だと感じることがあります。

 子どもたちにいろいろ指示し過ぎると、指示を待ってしか動けなくる子どもが増えるのもそのためです。

 し過ぎることが、逆効果を生み出すことは、日常的に感じていることではないでしょうか。

 しかし、この事も渦中にいると全く、気づかないでいることがあります。

それは何故でしょう。

 私たちは一度に2つの事を思い浮かべることができないからです。

 自分の考えを主張しているときは、相手の考えは考えられません。
逆に相手の事を考えている時は、自分の事は考えていません。

 このように私たちの焦点はいつも一つになります。

 助けてもらいたい、助けたあげたい、教えてあげたいなどはすべて自分の内側を見ていることになります。自分の気持ちの方向に向かっています。

 この時、相手の状態とは無関係になります。

 これが悪いわけではありません。そういう性質をもっているということです。

 し過ぎることが問題なのです。強くなれば強くなるほど、相手が見えにくくなってしまいます。

 恋は盲目と言われるのも、そのためです。

ということは、ここで、一旦自分から離れて、自分や他人を見る視点をもつことがとても重要になります。

 やりすぎていないだろうか、言い過ぎていないだろうかと立ち止まってみるのです。

 その事自体は素晴らしいと思っても、それがどのような影響を回りに与えているかを考えることはとても重要になります。

 これがエコロジーチェックです。

 若い頃は、猪突猛進で進んでしまうことがありますが、年を経る毎に次第に視野が広がり、周りの影響を考えられるようになってきます。
 これは、経験によるものです。しかし、エコロジーチェックを日頃から心がけることができれば、早く視野を広げる力が身に付いていきます。

 保護者の苦情も同様です。保護者の視野が狭い状態になっていると考えると対応の仕方も違ってきます。一緒に渦の中に入ってしまうと泥沼化してしまいます。

 一旦外に出る機会を作ることが重要になります。

 焦点の当て方は、癖のようなものです。ですから、常にエコロジーチェックに心がけることが関係性をよくすることになります。

 「ほどほど」がよいというのもそのためです。「ほどほど」に裏には、必ず相手の側から自分を見ることに焦点が当たっている状況があります。

 相手の状況がなかなか見えない状態であれば、失敗したときにそれを発見することができます。失敗から学ぶことができます。

 うまくできないから、何をしてよいかわからないと対応を恐れて、引いてしまっては、学ぶことができません。

 試行錯誤でよいのです。経験が自分を鍛えてくれます。

 失敗したら、相手に謙虚に謝るだけです。怖がることではありません。
学ぶ機会になったことで感謝することもできます。

 よりよい関係を築きたいという気持ちがあれば、必ず気持ちが伝わるはずです。 

自分の可能性を信じる

2011-02-07 | 育児
 指導し続けてもなかなか変わらないと嘆くことがよくあります。そんな時、指導の問題よりも子どもの側に問題があると考えることがあります。
 それは、なぜでしょう。
・努力しても無駄だと考えることで、努力しなくてもすむ。
・指導する責任から逃れられる。
・子どもから離れて、見つめ直すことができる。
・他の人を巻き込むことができる。
・何をしてよいかわからない悩みから解放される。
 このように様々な思いが浮かんできます。
 この根底には、「自分にはできないから。」という思いが流れているように思います。
 この状態では、指導を他人に任せても効果があがるとは思えません。
 なぜならば、指導に問題があるのではなく、諦めてしまった自分がここにいるからです。

 私たちが指導し続ける裏には、「この子のために、何とかしたい。」ともがき続ける自分がいます。
 このもがき続ける自分が子どもに映っているのです。うまく行かなくても、「先生は、必死になって、私のことを見ていてくれる。」という感覚を子どもは感じているのです。
 諦めた瞬間、子どもは、「見捨てられた」という感覚が芽生えてきます。
これが、子どもとの関係を悪くしてしまいます。

 これは、日々指導に悩んでいる子育てしている親でも同じです。失敗し続けるけれど、必ず関わっていてくれるからこそ価値があるのです。

 このことを考える時、特別支援のためサポートに支援者が学級に入った時の担任の対応でよく見かけるある風景が目に浮かびます。
 入っていないときは、必死で関わっていた教師が、支援者が入った瞬間から、子どもへの対応を手放し、任せっきりにしてしまうのです。
 これでは、子どもは担任から離れていきます。
「今まで、関わってくれたのに・・・・。寂しいな。」と、子どもは感じるのではないでしょうか。

 私たちの仕事は、子どもと関わりをもたなければ、仕事にはなりません。いくら支援者が入ったとしても、大事な子どもです。サポートに入ってもらったからと言って、関係を切ることではありません。

 人が入っても、もし仮に、この困難な状況を自分の力が試されている機会だと考えると見方は、変わります。
・自分には何が足りないのだろう。
・どのような取り組みが必要なのだろう。
・どのように考えたらよいのだろう。
・どのように関わればよいのだろう。
などと学びの場としてとらえることができます。
ですから、
・他人の力を借りることも必要なことがあることがわかる。
・自分の指導とどこが違うのだろうと探ることができる。
・子どもの変化を楽しみにすることができる。
・子どものとらえ方を見つめ直すことができる。
・変化に必要な素材や資源を見つけることができる。
・変化の過程を見ることができる。
・今後の指導に役立つ指導の仕方を見つけることができる。
などと、次の指導に生かすための素材を学ぶことができます。

 常に支援者と関わり、その支援者から学ぶ自分がそこにはいます。
そして、それは、支援者に対して感謝となって現れます。そして、その姿を子どもは、見ています。子どもは、
「私の変化を喜んでくれる先生がいる。」
「私と関わる人を大事にしてくれる先生がいる。」
「私を見捨てないで、見守ってくれる先生がいる。」
と考えるのではないでしょうか。

 ここには、愛情深く包み込んでくれる先生が子どもの目の前にいるのです。決して手放しにはしていません。素敵な先生が目の前にいます。

 ここでは、支援者が入ることと自分の能力とを切り離して考えることがポイントとなります。

 そして、子どもと関わるすべての人から学ぶ姿勢があれば、自分への見方も変わってきます。決して「できない自分」ではありません。

 私たちは、常に可能性を秘めた存在なのです。

 自分を否定することは、変化を止めることになります。今の自分でよしとしています。変化する可能性があるにも関わらず止めてしまうのです。同じ苦しみを味わうことのないようにするには、学び続けるしかありません。

 自分の可能性を信じ、「人にできることは私にもできるはずだ。」と学び続ける自分でいたいと思います。

今こそ家庭教育

2011-02-04 | 育児
 子どもを取り巻く問題がとても多く、今のままで子どもは本当に幸せなのだろうかと心配になります。
 児童虐待を発見することは、なかなか難しいものです。社会不安が家庭の中にも影響があるのかもしれません。一番弱い子どもにそのしわ寄せがきているようにしか見えません。

 冷静にそして、客観的に子どもを見守り、育てられるのは、教師しかいないのかもしれないと強く思います。

 その分、教師の仕事は増えますが、家庭を支える力のある教師にならなければいけない現代社会ではないでしょうか。

 教師の不祥事で教師への風当たりはかなり強いものがあります。今教師が倒れてしまっては、大変です。大変な世の中になってしまいます。
 子どもの心に傷を負わせないで健やかに子どもが育つことが、日本の未来を切り開くはずです。

 そのためには、家庭教育の充実がとても重要になります。そして、それができるのは、育てるプロである教師だと思います。

 問題が大きくなると次第に原因が複雑に絡み合ってしまいます。問題が大きくなる小さな問題のうちに解決できることはたくさんあります。
 その小さな問題に気づいて、解消するために手を差しのべられるのは教師です。子どもの一番近くにいて、変化を見抜くことができるのは、教師です。

 一人の子どもを救うことは、その家族を救うことにもなります。そして、家族と関わる人々を救うことになります。

 それ程重要な位置にいるのが私たち教師です。

 一人一人の教師の使命感が自分を鍛えてくれます。もっている力を伸ばしてくれます。

 カウンセリングの能力は誰にでもあります。特に教師は、子どもとの信頼関係ができている分、効果を上げます。

 この信頼関係を基盤に、どんどん家庭教育に刺激を与えることで、子どもを危険から守りたいと思います。

 例 幸せプログラム
 個々の頑張りだけでは、家族の問題はなかなか解決できません。家族対象のカウンセリングが効果を上げます。
1 家族全員に基礎となる考え方を腑に落ちる状態まで高めるワークをする。
2 家族の一人一人の抱える問題を1つずつカウンセリングする。
3 互いの関係をより深めるワークをする。

 互いに相手を気遣って、遠慮したり、思いこんだりするために関係が余計に複雑になることがあります。家族が苦しんでいることが、本当は相手を思いやるところにあることに気づけば、家族はもっと幸せになれます。
 それに気づかせるためのプログラムが幸せプログラムです。

 保護者を学校に呼んで、懇談するのもいいですが、「わかっているけど、できない。」という状況を創り出すだけになります。

 ワークを使って、体験することで、感覚を変えることができます。

 私たちの脳は、変化しやすいように作られています。
あとは、繰り返しがあるだけです。

 子育てに自信をなくしている親がとても多いのです。その支えになれるのが私たち教師です。家庭と関わることが子育ての近道になるかもしれません。

 ちなみに、「幸せプログラム」の最後には、

 「私は、○○さんに ~が見えます。そして、それが好きです。」
 「私は、○○さんに ~を感じます。そして、それが好きです。」

 家族一人に対して家族一人一人が正面で声をかけます。
日頃「好きだ。」とは言いにくい家族であっても、このような活動の場ならば、結構平気で言えるものです。

 是非、活用ください。

意図を汲み取る

2011-02-02 | 育児
 体験や語彙の少ない子どもの心を読み取ることはなかなか難しい事です。特に私たち大人は、体験や語彙も多いため、子どもが話したいことを多角的に解釈することができます。
 しかし、あくまでもそれは、大人の側の解釈でしかありません。
本当の所はどうなのか?と常に疑う気持ちを持ち続けることが、大事なように思います。
 「きっとこうだ。」と思いこむと、それが一人歩きし始めます。そのため、本当の子どもの心とは違った動きを創り出してしまいます。
 「ひょっとすると、違うかもしれない。」と疑いをもっていれば、修正ができます。これが柔軟性を生みます。

例 
A児 「今日、何で遊びにきてくれなかったの?」
B  「仕事の都合で、時間が作れなかった。」
しばらくして、
A児 「今日、何で遊びにきてくれなかったの?」
B  「仕事の都合で、時間が作れなかった。」
しばらくして、
A児 「今日、何で遊びにきてくれなかったの?」
B  「仕事の都合で、時間が作れなかった。」

 A児が同じ事を何度も質問します。それに対して同じ事を繰り返し答えます。終いに「何度言ったらわかるの?」とBが叱ってしまいます。

 言葉を使って十分に話せないのが子どもです。

 ここは、子どもの意図が、来られなかった理由とは別のところにあるのだと早く気がつかなければなりません。

「来てくれなくて寂しかったんだよ。」と言っているのかもしれません。
もし、そうならば、
「ごめんね。次は必ず行くからね。」
と答えた方がよいかもしれません。

「私の気持ちをわかってよ。」と言いたかったのかもしれません。
もし、そうならば、
「そうか、寂しかったんだね。寂しい思いをさせてごめんね。」
と答えた方がよいかもしれません。

 「なぜ、同じことを言うのだろう。」と考えたり、「どうも、求めている回答は違うかもしれない。」と疑ったりしてみると、別の答えが浮かんできます。これが、子どもと向き合う時に配慮しなければならない私たちの立場です。


 「何故」という質問だから、理由や原因を答えればよいという思い込みは大人である私たちだから考えることなのです。
 
 これが、体験不足、語彙不足が生み出した子どもの世界です。

 子どもと向き合う時、常の試行錯誤の繰り返しをしなければ、本当に子どもの話の意図を汲み取って対応することはできません。
 子どもは一人一人体験も語彙も違います。ですから、一般化した子どもでは、通用しません。

 一人一人大事にするためには、常に自分への問いかけをしなければ、なりません。

 「この子にとって、今の私の対応は本当に、これでよかったのだろうか。」

 言い過ぎていないだろうか、言い足りないことはないだろうか。
常に子どもの反応を見ながら、対応する自分かどうかが問われてきます。

心の傷

2011-02-01 | 育児
 子どもはいろいろなトラブルに巻き込まれ、様々な体験をしています。時には、苦しんだり、悲しんだり、悩んだりします。これも次の体験のよい材料になります。
 しかし、逆にその体験が制限を加えることもあります。

 ~恐怖症というものがそれです。

 始めは些細なことが原因かもしれませんが、繰り返し否定し続けると、感覚が変わってきます。
 人を好きになったり嫌いになったりするのもこれと同じことのように感じます。


 厳しい→辛い→嫌い
 わかってもらえない→ちょっと違う→別だ→関わりたくない→嫌い
 嫌い→気持ち悪い→見たくない
 優しい→気持ちが伝わる→同じだ→好き

 人は変化し続けています。なのに過去にとらわれていることで、人間関係を制限してしまってはとてももったいないと思います。

 自分の力でその制限をはずし、自由に生きることができたら、とても楽に生きられるように思います。

 例 友達にからかわれ、叩かれたり、つねられたりした子ども
「自分からやめて!」と言ったり、逆に手を出して反抗したりすれば、楽なのでしょうが、何も言えず、何もできない大人しい子だったら、とても辛い思いをし、自分の心の中にイヤな気持ちがどんどんたまっていきます。

 自分の心に傷を負った状況になってしまえば、この先、人間関係に制限を加え、自分を守ろうとします。

 こんな時、どのように対応すればよいのでしょう。

 子どもの脳裏にある嫌な体験が残っているうちは、似た状況が現れると脳が自分を守ろうとして、制限を加えてしまいます。
 この嫌な体験を変えてしまえば、似た状況が現れても、制限を加えることはありません。
 
 問題は、この嫌な体験の記憶なのです。

 これを別のものに置き換えたり、変形させたりすることで変えることができます。

 渦中にいる自分では、なかなかできません。ガイドが必要になります。
そのガイドにその記憶を変えてもらうための次の作業を手伝ってもらいます。
1 体験を思い出す(対象となる人物と関わった状況)
2 体験を十分を味わう(映像に映し出し、できる限りリアルに)
3 映像を変化させる(色・鮮明度・距離・静動等を変える)
4 変化しやすい要素を合わせる
5 以前、味わった嫌な感じが残っているかどうかを確認する。
6 変化していれば、OK
7 対象となる人物と今後関わる時を想像して、嫌な感じが現れるか確認する。
 これは1つの方法です。
 これがすべてとは言いませんが、かなり効果を上げます。
(事例では、この活動の前にある程度うっぷんをはらすために箱などを壊す活動を取り入れました。)

 心の傷は、時間と共になくなるわけではありません。逆に強化されることもあります。

 癒してごまかすのではなく、きちんとその傷に向き合って、変化させることが重要です。
 ごまかしていると必ず、似た状況ではまた嫌な感情が顔を出します。
癒しは一時的なものです。決して根本の解決にはなっていません。

 「癒し」がもてはやされる理由はここにあります。

 制限が多く、ストレスを自分でためている人が多いからです。もし、自分でそのストレスの原因に向き合って、解決することができれば、ストレスは次第に小さくなっていきます。

 究極的には、自分でストレスの原因を自分で変化させる力をもつことではないかと思います。

 子どももストレスを感じています。そんな子どもが次第に多くなっているように思います。

 子どもと関わる教師の出番です。癒すのではなく、心の傷を取り除く取り組みが必要です。

 もし、「そんなことは、専門家に任せておけばよい。」と考えていると自体は一層ひどくなります。心の傷を負っている子どもの数はどんどん増えています。専門家の対応だけでは、その対応に追いつかないのです。
 
 私たち教師ができないのは、手軽にできることなのにその方法を知らないからです。誰にでもできることです。

 専門家に任せる前の小さな心の傷のうちに教師の力で手当してあげたいと思います。
 辛いだとか、苦手だといううちならまだ間に合います。「そのくらい我慢しなさい。」では通用しない子どもたちが増えているのです。小さいうちに芽を摘んでおくことが重要です。