子どもは、失敗を繰り返しながら、成長をしています。でも、自ら望んで失敗をすることはないと言ってよいでしょう。
失敗をした時、どんな対応をしているでしょう。
多くの場合、「それは、失敗だ。」と伝えています。
そして、何故失敗したのかを考えさせたり、教えたりします。
これが失敗しないための学びだと考えています。しかし、本当に学ばせているかといえば、そうではないことがあります。
例えば、廊下を走った時、「廊下を走ってはだめ。」と叱ります。
また、授業中に他事をしている時、「他事をしていてはだめ。」と叱ります。
学ぶ気持ちがなければ、「自分だけではない。他にもいる。」と言ってその場から逃げようとします。
強引に引き留めて、その場で叱ってきかせても、また同じことをします。
学ぶ気持ちがない子どもに学ぶ気持ちをもたせることは簡単ではありません。
それは、次の手順を踏まなければならないからです。
1 今していることを止める。
2 今していたことは何か、事実をはっきりさせる。
3 していた時の感情をはっきりさせる。
4 事実と感情が、今していたことを生み出したことを理解させる。
5 今していたことが、どんな意味をもつのかを考える。
6 今していたことが、自分や周りにどんな影響を与えたかを考える。
7 もし、別の行動をしたとすると何ができるかを考える。
8 別の行動をすることが、自分や周りにどんな影響を与えるかを考える。
9 別の行動をすることが、どんな意味をもつのかを考える。
10 どの行動をすることが、自分にとってふさわしい行動なのかを選択する。
11 その行動を選んだ理由を明らかにする。
感情が高ぶっている時には、言葉でいくら説明しても受け入れられないものです。まずは、落ち着かせることから始めなければなりません。ですから、1から11までがスムーズに進むことはありません。1でかなりのエネルギーを使うことが現実です。
どうしても、私たち教師は、価値観をもって、子どもに接しているため、子どもに考えさせなければならないことを教師が説明してしまうことが多々あります。
そのため、腑に落ちないで、別の行動に早く移るようにし向けてしまいます。別の行動も教師が決めることになるため、どうしてもやらされている気分が抜けません。
失敗を学びに変えるのは、教師ではなく、子ども自身なのですから、じっっくりと考えさせる時間をとらなければなりません。
人生経験が豊かな教師ならすぐに答えが出せても、相手は子どもです。すぐに答えが出せるというものではありません。
ですから、じっくりと時間をかけながら、子どものペースに合わせる必要があります。
これが、なかなかできないのです。
つまり、人生経験が多い教師は、経験をもとに語ることができること、もし考えたとしてもわずかな時間でできること、この2つがあるため、なかなか子どもに合わせて、1~11を進めていくことが難しくなります。
これは、子どもの問題ではなく、教師側の問題です。子どもとじっくり向き合う心のゆとりがなければ、失敗を学ぶにすることはできません。
「失敗してよかったね。こんな事が学べたね。」などと言えるのは、それほど単純ではありません。学びの質も違ってきます。
失敗を叱ることは、とても楽です。自分の価値観をストレートに伝えることができます。しかし、それが学びになるかどうかは別です。自らの気づきがないところに学びはありません。
叱りたいから叱るわけではありません。気づいてほしいから叱るのです。
失敗から学べるようにいかに子どもと接するかは、教師側の問題になります。決して叱ればよいというものではないということです。
教師の努力により、失敗から学ぶ子どもにしたいと思います。
失敗をした時、どんな対応をしているでしょう。
多くの場合、「それは、失敗だ。」と伝えています。
そして、何故失敗したのかを考えさせたり、教えたりします。
これが失敗しないための学びだと考えています。しかし、本当に学ばせているかといえば、そうではないことがあります。
例えば、廊下を走った時、「廊下を走ってはだめ。」と叱ります。
また、授業中に他事をしている時、「他事をしていてはだめ。」と叱ります。
学ぶ気持ちがなければ、「自分だけではない。他にもいる。」と言ってその場から逃げようとします。
強引に引き留めて、その場で叱ってきかせても、また同じことをします。
学ぶ気持ちがない子どもに学ぶ気持ちをもたせることは簡単ではありません。
それは、次の手順を踏まなければならないからです。
1 今していることを止める。
2 今していたことは何か、事実をはっきりさせる。
3 していた時の感情をはっきりさせる。
4 事実と感情が、今していたことを生み出したことを理解させる。
5 今していたことが、どんな意味をもつのかを考える。
6 今していたことが、自分や周りにどんな影響を与えたかを考える。
7 もし、別の行動をしたとすると何ができるかを考える。
8 別の行動をすることが、自分や周りにどんな影響を与えるかを考える。
9 別の行動をすることが、どんな意味をもつのかを考える。
10 どの行動をすることが、自分にとってふさわしい行動なのかを選択する。
11 その行動を選んだ理由を明らかにする。
感情が高ぶっている時には、言葉でいくら説明しても受け入れられないものです。まずは、落ち着かせることから始めなければなりません。ですから、1から11までがスムーズに進むことはありません。1でかなりのエネルギーを使うことが現実です。
どうしても、私たち教師は、価値観をもって、子どもに接しているため、子どもに考えさせなければならないことを教師が説明してしまうことが多々あります。
そのため、腑に落ちないで、別の行動に早く移るようにし向けてしまいます。別の行動も教師が決めることになるため、どうしてもやらされている気分が抜けません。
失敗を学びに変えるのは、教師ではなく、子ども自身なのですから、じっっくりと考えさせる時間をとらなければなりません。
人生経験が豊かな教師ならすぐに答えが出せても、相手は子どもです。すぐに答えが出せるというものではありません。
ですから、じっくりと時間をかけながら、子どものペースに合わせる必要があります。
これが、なかなかできないのです。
つまり、人生経験が多い教師は、経験をもとに語ることができること、もし考えたとしてもわずかな時間でできること、この2つがあるため、なかなか子どもに合わせて、1~11を進めていくことが難しくなります。
これは、子どもの問題ではなく、教師側の問題です。子どもとじっくり向き合う心のゆとりがなければ、失敗を学ぶにすることはできません。
「失敗してよかったね。こんな事が学べたね。」などと言えるのは、それほど単純ではありません。学びの質も違ってきます。
失敗を叱ることは、とても楽です。自分の価値観をストレートに伝えることができます。しかし、それが学びになるかどうかは別です。自らの気づきがないところに学びはありません。
叱りたいから叱るわけではありません。気づいてほしいから叱るのです。
失敗から学べるようにいかに子どもと接するかは、教師側の問題になります。決して叱ればよいというものではないということです。
教師の努力により、失敗から学ぶ子どもにしたいと思います。