ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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人はつながりの中で生きている

2013-07-16 | 育児
 若い頃は、自分を生かすことで精一杯で、なかなか他人に目を向けることができないことが多いと思います。
 私自身、全部自分で抱えて、自分の責任で何とかしなければならないと考えることが多くありました。
 そのため、悩みや苦しみも自分の力で解消しなければならなという気持ちでいました。そして、実際に自分なりに今まで苦難を乗り越えるための知恵を培ってきたように思います。

 しかし、よくよく考えてみると、自分ひとりの力で乗り切ってきたように思うことでも、実際には多くの人の支えがあって乗り切ってきたように思います。というよりも、支えがなくては乗り越えられないということだと思います。

 自分自身が身に付けた価値観一つでもそうです。

 価値観は、過去の体験によって作り出されてきます。それは、親から躾けられてきたことかもしれませんし、強烈な体験によって創り出されたものかもしれませんが、必ず価値観を作り出す人との関わりがあります。環境も同じです。必ずその環境を作り出す人がいたはずです。

 そして、身に付いた価値観を元に、社会の中で生きていくわけですが、その価値観を武器にきっと人と関わり、相手や自分を評価しながら、問題解決に当たってきたように思います。
 また、生きながら多くの価値観を身に付け、複雑にし、自分が生きる社会に適応しやすい自分に創り上げてきたように思います。

 必ず、人との関わりの中で自分を磨いてきています。そして、これが、相手にも大きな影響を与えてきています。

 言葉を通じて、人と関わることが多く、言葉が一人歩きして、誤った形で相手に伝わることもあります。その言葉を通して、また、多くの人が影響を受け合って生きています。

 今ここで、私が書いているブログに目を通す人に何らかの影響を与えていることも確かです。

 その人のもっている価値観によって、私のブログの価値が裁かれます。

 よい評価をもらうとうれしくなります。悪い評価をもらうと自分を見つめなおす機会だ、どのように考えたらいいのだろうと真剣になります。

 このように、有形にしろ、無形にしろ様々な形で私たちは、影響を与えたり、与えられたりしているということです。

 だから、人には、親切にしなさいとか、思いやりをもちなさい、感謝をしなさい等と言おうとしているのではありません。

 影響を与えている自分を意識することは、あるでしょうか。
 影響を与えられている自分を意識することは、あるでしょうか。

 相手のせいにして逃げているうちは、影響を受けないように自分の殻を閉じていることになりますが、この時でも、自分の殻を強くするために人の力を借りていることになり、やはり、影響を受けていることになります。

 自分を責める場合も、同じです。

 人との関わりなしに自分を生かすことはできません。

 自分を見つめるのも同じです。人との違いを意識したときに自分らしさを見つけることができます。

 人と同じであったら、自分か他人かわかりません。

 実際の所、人はみな同じだということも確かです。しかし、ひとり一人みな違うということも確かです。

 すべて、見方一つで考え方が変わるということです。

 自分は、今、何を見ているのでしょう。

 自分なのか、他人なのか、誰を見ているのでしょう。

 他人の中に自分を発見することもあります。

 この「他人の中に自分」を発見した瞬間に、相手の気持ちがわかる自分になるのではないでしょうか。

 その時には、相手を責める気持ちは生まれません。

「自分も同じようにするかもしれない。」
「自分も同じように考えるかもしれない。」
「自分も同じように感じるかもしれない。」
 
 平和な世界を作る人は、きっと自分と他人が同居している人なのかもしれません。

 自分と他人の壁がなくなったとき、相手との関係がよくなるのではないでしょうか。

 さて、私たちは、誰を見ているのでしょう。

子育てをすること

2013-07-08 | 育児
 どのように子どもを育てればよいのかわからないと悩みをもつ保護者や、思い通りにならないと困っている保護者や、子どもがよくわからないと子育てに戸惑う保護者の方がみえます。

 子どもが10人いれば、10通りの子育てがあり、子育てという言葉で一つにくくってしまうと、何か子育ての王道があるように錯覚してしまいます。

 子どもが健全に育つという方向はあっても、その歩みは一人ひとり違います。ですから、目の前の子どもに合わせて子育てをするしかありません。

 私たちは子どもの変化を見て、一喜一憂します。願い通りに変化をすれば喜び、思い通りに変化しなければ、悲しい思いをもちます。


 この変化を生み出す働きかけが子育てだと思います。

 つまり、試行錯誤しながら、子どもに働きかけ続けることが子育てになります。

 これは、刺激と反応の関係で見ることができます。

 一度の刺激で思うような変化を作り出すことは、できません。

 繰り返し何度も刺激をしなければなりません。この繰り返しの回数は、子ども一人ひとりによってことなります。

 まさに子どもとの根気比べになります。

 しなければならないことがたくさんあると思うと、そんなに悠長に構えていられないと焦りが出ます。

 この時に役立つのがニューロロジカルレベルです。
 
 ニューロロジカルレベルは、環境レベル、その上に行動レベル、その上に能力レベル、その上に信念・価値観レベル、そして、その上にアイデンティティレベルとなっています。


 上位の意識が下位の意識に影響を与えるという考え方を元にすると、「しなければならないこと」は、行動レベルになります。

 行動レベルには、様々な行動があります。なぜそんな行動が必要なのかという問いをすることは、信念・価値観レベルを明確にすることになります。
 これは、子育てをする側がもつことになります。
もし、みんながそうしているからとか、できないと恥ずかしいからなどという考えであれば、子ども自身にとってプラスとなる考え方というよりも、親としての見栄だとか、エゴがちらついているように見えます。

 この子にとって大切だからという思いが伝わってきません。

 ここが揺れたり、曖昧だったりすると子ども自身、何のためにするのかが曖昧になります。そのため、なかなか身に付きません。

 それよりも上位にあるアイデンティティレベルを明確にする方が影響力があります。

 つまり、どんな子に育てたいのか、という願いをもつことです。

 これが明確になっていると、次のような問いをすることができます。

 もし、その願いが叶うと、その子はどんな見方・考え方をするのでしょう。

 もし、その願いが叶うと、その子は、どんな能力を身につけているのでしょう。

 もし、その願いが叶うと、その子は、どんな行動をするのでしょう。

 もし、その願いが叶うと、その子は、どんな環境を創り出すのでしょう。

 この問いに答えた時、今しようとしていることが、この願いの実現に近づく刺激なのか、それとも遠ざかる刺激なのかを振り返ることができます。

 この答えは、自分の外側にはありません。すべて、自分の内側にあります。

 自分が納得できるかどうか、それしかありません。

 悩みや不安もすべて自分が作り出しています。自分の価値観が揺れているから不安を感じるのかもしれません。思い通りに育てるだけの技をもっていないから苦しむのかもしれません。

 すべて自分の中の問題です。

 子どもに問題はありません。子どもは刺激に反応しているだけです。

 育つには、時間がかかると言いましたが、次の4つの段階を経て、学んだことを身につけていきます。

 つまり、

 無意識的無能・・・知らないからできない
 意識的無能・・・・意識してもできない
 意識的有能・・・・意識すればできる
 無意識的有能・・・意識しなくてもできる 

の4つの段階です。

 子どもの今の段階はどこなのかを見届けることで、適切な刺激を与えることができます。

 いくら焦っても、この4つの段階を経ることなしに子どもは成長しません。

 子どもをよく観察するしかないのです。

 幼いうちは、手をかけます。そのうち、できるようになると手を放します。しかし、一緒に目を離してしまうと大変です。それは、意識してできる段階であれば、意識しないとできないからです。

 この段階にいる子どもに、「以前はできたのに、なぜできないの?」と子どもを責めても仕方ありません。「意識していたからできた」に過ぎないからです。まだ無意識的有能ではありません。ですから、まだ目を離すことはできません。
 この段階でも、まだまだ、繰り返しが必要です。できたら褒めることで子どもは自信をもちます。その繰り返しをしているうちに無意識的有能になっていきます。

 そして、無意識的有能の段階になると、褒められても、「うるさい。」とか、「お母さん、もうできるからいい。」という声が、子どもから聞こえてきます。

 そうなるまで、じっくりと子どもを見続けることが子育てをすることになります。

 途中で諦めていることはないでしょうか。できていると錯覚して目を離してないでしょうか。

 子どもの変化を見逃さず、その変化を子どもと一緒に喜ぶあなたであれば、子育てに自信をもっていいのではないでしょうか。

評価されること

2013-07-01 | 育児
 人の評価は、誰でも気になります。その評価がよければ、安心し、悪ければ不安になることがあります。
 学期末となると、通知表をもらい、子どもの評価が気になることになります。子どもの評価は自分への評価と同様に、よけれ安心し、悪ければ不安になります。

 他人の評価を気にすることはないと言われても、気になるものです。

 完璧な人間はいません。誰もが不完全でよい所もあれば、悪い所もあります。
 
 また、人の評価を気にする余り、自分らしさが出せないとなるのも困ったことです。

 それでは、人の評価をどのように受け止めればよいのでしょう。

 例えば、「あなたは、自己中心的な人ですね。」と言われたとします。

自己中心的な人間は、だめだと考えていると、これは辛いことになります。
しかし、自己中心的な面もあるかもしれないと思えば、ちょっと楽になります。


このことから考えると、次のことがわかります。

(1)自分の価値観が自分を裁いている
 だめだと考えている自分だから、そんな生き方をしないでいようと思っています。それなのに、「自己中心的だ。」と言われるから、ショックが大きくなったのだと思います。
 すべての人が「自己中心的な人」はだめだと考えているわけではありません。

(2)それがすべてではない
 そういう面があるというとらえ方をすれば、それ以外の面もあると解釈することができます。
 「いつもそうなのか。」、「その面しかないのか。」と問うと、「自己中心的」が真実でないことがわかってきます。


 ひょっとすると、こだわりをもっているから辛くなって苦しむのかもしれません。

 人には、いろいろな顔があります。環境や条件によって見せる顔も違ってきます。
 
 評価を下す側の人も全く自分とは異なる体験をして、今の立場にいるはずです。ですから、その立場に立ったら、私もそのように言うかもしれないと思うことができます。


 大事なことは、評価されても、自分らしさを見失わないことです。

 自分らしさを一番知っているのは、自分です。
 しかし、自分らしさって何だろうと問われて、頭を抱えるのも自分です。

 私たちの人生は、ひょっとすると、その自分らしさを追い求める道なのかもしれません。

 環境が変わっても、本来の自分は変わることがないはずです。

 もし、それでも変わったように見えるならば、きっと評価されたことに影響を受けた自分かもしれません。

 評価されることは、自分らしさを発見するよい機会になるかもしれません。
 つまり、「それが本当の自分なのかな。本当にそうかな。」と自分に問い返す機会になります。

 評価された自分をちょっと離れた所から、見てみるという感覚をもつと評価に揺れない自分になれるかもしれません。

 私は、どんな私としてあなたに映っているのだろう。