ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

階段を上がる

2007-08-31 | 育児
 だれでも良いところがあれば、悪いところがある。だからよいところをもっと伸ばしたいと思ったり、悪いところをなくしたいと努力する。この努力について階段を使って子どもたちによく話をする。階段にもいろいろある。家の中にもビルの中にも山道にもいろいろなところにある。
 初めて上がろう階段に足をかける一段目には、かなりのエネルギーが必要である。初めて上がる一段目には、
 ・階段を上ろうとする意欲がなければ、上がれない。
 ・自分の足では届かない段の高さだと上がれない。
 ・上がり方が分かっていなければ上がれない。
など上がるための障害となるものがいくつも見えてくる。
(よちよち歩き出した赤ん坊をイメージすると分かりやすい。)
 だから、新しい階段を上ろうと挑戦する気持ちが持てることはとても素晴らしいことだと思う。
 一段上がれば、上がる自信ももてるし、上がる要領も分かる。2段目、3段目は1段目を上がるよりかなり楽である。また、高い段ならば、補助の段をつけて段の高さを低くすれば、上がれるはず。その補助の段を用意してくれるのが友だちや先生の助けになる。そんな仲間が傍にいてくれると嬉しくなる。
 また、上がり続けていてもなかなか上がれない時がある。いわゆるスランプ。これは踊り場だ。踊り場の大きさは人によって異なるが、必ず踊り場の次には新しい階段がある。だから諦めないで歩き続ける努力が必要だ。
 階段を上がり終えたとき、安堵感、達成感、充実感などが持てる。
 今、自分はどこにいるのかを見つめさせ、努力をし続ける自分にする時にはとても役立つ話になる。さて、今の自分は階段のどこにいるのだろう。

3回見る

2007-08-30 | 育児
 私たちもそうであるが、信頼できる人を間違うと自分を見失ったり、迷い道に入り込んだりすることがある。人に動かされないで、自分の確かな目で友だちを選ぶことができたら、幸せな人生を送れると思っている。そこで、子どもによく「3回友だちを見なさい。」と話す。
1回目<離れた所で見る>
 学級の友だち、職場の友だちなど関わりがあるところの仲間として見る。
2回目<近づいて見る>
 話をしたり、一緒に活動したりして相手の人柄や性格、考え方などに触れる。
3回目<少し離れて見る>
 すこし離れて、仲間の中でどんな生き方をしているか見る。
 2回目で終わってしまうと、「あばたもえくぼ」ではないが、盲目的になってしまうことがある。少し冷静に判断できるようにちょっと離れて、もう一度見直すことができるとよいと思っている。そこで、私が大切にしているのが席替え
 月に1回席替えをすれば、かなりの学級の仲間についてこの「3回見る体験」ができる。自分の周りにはいろいろな人がいることを実感することができる。その中で自分に合った相手を見つけることができれば、幸いだと思う。(学期に1度程の席替えをしている学級が多いが、これでは少ない。できるだけ多くの友だちと関わる生活を作りたい。自分のことを分かっていてくれる友だちが多ければ、居心地のよい学級にもなる。1年間同じ学級にいて、話したことがない子がいる学級では人間関係が育つとは思えない。)
※離婚が多いのもひょっとすると相手を見る見方に弱さがあるのではないかと思う。この取り組みをすれば、少しでも人を見る目が養えるのではないかと思っている。そして、将来子どもたちが素敵な伴侶を見つけることができたらいいなと思い、この席替えを私は「お見合い形式の席替え」と呼んでいる。

過去を引きずらない

2007-08-29 | 育児
 こちらでは、いよいよ新学期が始まる。多くの子どもは、新しい出発に向けて気持ちを新たにして頑張ろうと意欲をもっている。しかし、中には夏休みの宿題ができていなくて辛い思いをしている子もいる。子どもは特に1つの事が引っかかると切り替えがうまくできないためなかなか前に進めないことがある。
 この切り替えは、教師の構えで決まる。
×失敗は許さないという構え
 新学期が始まっても宿題を全部させないと許さない。
○失敗を生かすという構え
 宿題ができなかった分を2学期の取り組みの中で挑戦させる。
 切り替えがうまくできない子どもが前に進むためには、失敗を生かす構えがないとなかなか前に進めない。ただ、中には宿題へのこだわりが消えないため、この構えを許さない子どももいる。この場合は、宿題について子どもと話し合い、子どもが「私は宿題をした。」と納得できるところまでレベルを下げる努力をする。
 2学期のスタートラインに早く立たせると学級としての動きが早くなる。過去を引きずった宿題への指導をしているとなかなか前に進めない。「二兎を追う者は一兎をも得ず。」ということになる。
<初日にすること>
・子どもの表情を観察し、過去を引きずっている子はいないか観察をする。
・提出物の出来具合で判断せず、提出できたことをよしとする。
 提出していない子はすでに過去を引きずることになる。(「夏休みの頑張りの足跡だから途中でもよい。できなくても、ごまかさないでまずできなかったと素直に認めることが大事だ。できていなくてもまず提出すること。」)
・夏休みの取り組みについての満足度を子どもに聞く。
(過去を引きずりそうな子どもを探す。自覚の状態を把握する。)
・提出物の点検の中から過去を引きずりそうな子どもを探し出す。
(1学期につかんだ子どもの姿から、夏休みの頑張りがその子として頑張りが足りないのか、よく頑張ったのかを見ていきたい。宿題ができたできていないの判断だけでは、その子が見えてこない。自分では頑張ったのに先生が認めてくれないという思いにさせると2学期の取り組みに意欲が持てないし、教師との信頼関係が崩れる。逆に頑張っていないと自覚しているのに頑張ったと認めると同様になることもある。)
・過去を引きずりそうな子どもへの対応を考える。
(過去と切り離すための課題を2学期の取り組みから個に合わせて考える。
 例 忘れ物をなくす方法を決めさせる。家庭学習の時間を決めさせる。振り返りの場を設けさせる。困ったときに助けを求めさせる。)
・一学期末の生活や学習の取り組み方に2、3日で戻すことを話す。(過去を振り返り、未来につなぐための準備)
<翌日>
・提出された課題についての評価をする。
 頑張りを紹介し、その中に2学期に生かせる内容があることを知らせる。(過去から切り離して、未来につなぐ)
・課題がある子への対応を話す・・・個別に対応すること
(個別対応の中で)
 個別に対応するときには前日考えたことを話し、納得できるところで挑戦させる。
・個の課題と集団の課題を明確にする。
 (個の課題の中に夏休みの取り組みの課題を生かす。)
 (過去を引きずらないで、前向きに生きるための挑戦する内容を決める。)
 過去にこだわる姿は、子どもだけでなく教師もある。過去に引っ張られることなく明日を見て日々の実践をし続けたい。

ペアの仲良し

2007-08-28 | 育児
 集団作りの最小の単位は「ペア」だと考えている。隣の席に座った友だちにどんな働きかけをするのか、またどんな働きかけができるのかを見ていれば、その子の対人への思いや願いが見えてくる。
次の視点で見ているとその子の対人へ思いや願いが見えてくる。
 ・自分から働きかけるかどうか。
 ・困ったときに助けてもらおうとするのか。
 ・隣の子が困っている姿に気づけるかどうか。
 関心がなければ、隣の子の言動に気づかず、困っていても平気でいる。そんな子にはしたくない。仲良く助け合うペアにしたい。
<関わりを持たせる活動>
○点検 ・姿を見て ・作品を見て ・考え方を聞いて
    (最初は判断させないで「いいよ。」のみ)
    (人間関係ができてから判断をさせる)
 ※能力を知るきっかけや相手を認める場となる。
○交流 ・ノートを見合う、作品を見合う
    ・考えを聞き合う
 ※自分を理解してもらい、相手を理解する場となる。
○共働 ・一つの考えを作る ・揃って声を出す
    ・一緒に動く
 ※働きやすさや難しさを体験する場となる。
○競争 ・ゲーム 
    ・姿の優劣(もの準備、学習姿勢、取り組みの早さ)
 ※切磋琢磨をして自分を磨く場となる。
○補助 ・一人でできないものの扱い
    ・言っていることや考えの復唱
    ・気遣い(2人分)
 ※よき理解者として隣人を支える場となる。
 これらの取り組みを意図的に仕組まないとできないことの方が多い。授業中だけでなく、日常的にペアを利用しこれらの取り組みを増やす。
※配付物でも一人1枚渡るように列毎に配るのではなく、ペア分が渡るように2列毎まとめて配るだけでも違ってくる。
(隣人の事を考えないでいると自分の分だけ取って後ろの子に渡す姿が見られる。)これらの取り組みが進んでできる姿があれば、「素敵だね。」「優しいね。」「仲良しだね。」「相手の気持ちを考えているね。」などと言葉をかけ仲良しペアとして認めたり、紹介したりできる。この言葉かけがポイント!!
 効率を上げるためにペアを使ったり、教師の都合でペアを使ったりと学習形態の一つととらえているだけでは、これらの仲間作りを高める言葉かけはできない。
<仲間作りを意識してペアを見たとき気になる姿>
・席が少しでも離れている。
・ペア学習に入るのに時間がかかる。
・隣人が困っていることに気づかない。
・いつまでも自分で悩んでいて、隣人に相談しない。
「この姿は許せない。」と強く思うかどうかがポイント。
このことが、教師の仲間作りの力量の差となって表れてくる。

集団を高める

2007-08-27 | 育児
 一人一人を大切にすることは当然であるが、その一人一人が育つ環境としての集団を育てる目を持つことがとても重要である。
<集団を高めるために>
ー集団を高める活動ー
(集団遊び、席替え、集団活動など)
・集団を高めるための活動が学級に位置付いていること
・定期的にその活動を行い、集団の高まりをつかむこと
・子どもたちもしたいと思っている活動であること
ー集団を高める日常的な教師の取り組みー
(班活動、係の活動、遊び、当番活動、交流など)
・集団を使った活動をすること。
・集団の願いや目標を明らかにすること。
・集団の全員が揃う(できる)まで待つこと。
・集団の活動の中での関わり方を観察し評価すること。
・集団への貢献や役割を果たしたことを評価すること。
ー集団への参加を促す日常的な教師の取り組みー
(助け合う、教え合う、協力し合うこと)
・他との関わりを作ること。
・他の子の考えや取り組みなどを見させること。
・支え合うことの大切さに気づかせること。
・支え合った成果を評価すること。 
・他との関わりについて見つめさせること。
※集団を作ると役割分担が必要となることがある。役割を決めてからしか活動を始められないというものではない。
 集まった仲間から、自然発生的に役割が生まれることや仕事を見つけることもある。仲間と協力して取り組もうとする姿勢があれば、役割分担しなくても自ら役を作り出し動き出すことができる。(また、一人でもやってしまおうという活動への強い願いがあれば、そんな姿も見られる。)逆に役割を決めると、その役割しか考えず、全体が見えなくなることもある。教師の働きかけ次第で集団の質が決まる。

信じて支えてほしい

2007-08-26 | 育児
 最近、教員の不祥事が新聞の紙面で大きく取り上げられることが多い。これは、教育への社会の関心の強さやマスコミの話題性の大きさによるものと感じている。
その中で、「今まで信じていたのに裏切られた。」という発言をよく耳にする。
 直接その先生と関わっている人たちならばともかく、教師一般を指して発言をすることは、偏見や差別につながる。私たち教師は誰に見られても恥ずかしくない生き方を求められ、それぞれに努力をしている。努力をしない教師はいないと思う。
 誰もよさと可能性をもっている。これは教師も同じである。だからと言って不祥事を起こしたことが、許されるというものではない。また、個の問題だからそれほど問題にすることでもないというのでもない。問題としたいことは、真面目に努力している教師への取り組みへの影響である。人権感覚が育っていれば、目の前の教師と区別して捉えることができ問題は起こらない。しかし人権感覚が育っていなければ、偏見や差別が力持ち、目の前にいる教師への信頼の邪魔をする。問題をすり替えて自分の都合のよい方へもっていくことにもなる。
・気に入らないことがあるとこれをもとに圧力をかける。
・今まで以上に努力を求める。
・自分の教師像を押しつける。
 いろいろな人がいることは分かっている。人権感覚が育っていない人の声の方が人権感覚が育っている人の声より大きくなったら、その声に怯え、失敗を恐れ無難に済まそうとする教師が増えてしまう。(失敗を恐れ冒険をしない教師からは、挑戦し新しいものを生み出す子どもは生まれにくい。つまり、これからの子どもの育ちに関わる影響が大きい。)
 「今のままの努力で十分だよ。」「先生は記事になるような先生とは思っていないよ。信頼しているよ。」の声がどれ程真面目に努力をし続ける先生の力になるだろう。 (この姿勢は、国や地方の教師を指導する側にいる人も同様である。)
 信頼は、信頼される側の努力だけで深まるものではない。信頼しようとする側の姿勢によって深まり方が異なってくる。(間違いや失敗の多い若い教師が胸を張って子どもの前に立てるのも、信頼しようとする側の度量の大きさによるところが大きい。)完璧な生き方を示すのが教師ではなく、それをめざしてよりよく生きようとする生き方を示すのが教師だと思う。
 目の前にいる教師がよりよい生き方をしようと努力しているのならば、信じて支えてほしい。

誰もが自分を生かしたい(5)

2007-08-25 | 育児
 人の成功を「すごいね。」と感心したり、あこがれたりする人がいれば、逆にねたんだり、足を引っ張ったりする人もいる。自分らしさが分かり、生かされた経験があっても人の欲には限りがない。「もっと認められたい。」、「もっと生かされたい。」と思うのが人なのかもしれない。ここでは、自分を知り、わきまえることができるかどうかが大事になる。これが品格となって現れる。
ーもっと自分を生かすための働きかけー
1 生かされる自分の居場所を確保させる。
  (「あなたはあなた、私は私」と言える。)
2 人を助ける経験を増やす。
  (人を生かす難しさに気づく。「ありがとう。」)
3 人から生かされたことへの感謝を伝えさせる。
  (生かされることばかりでない。生かされないこともある。だから「有り難い。」)
4 人の生き方に関心をもたせる。
  (自分との違いに気づく。「生かされなくても仕方ない自分」「見習えば、生かされるかもしれない。」)
1について
 居場所は他が用意して作るものではなく、自らの手で作らなければ自分の居場所にならない。居場所としての自信がもてないし、居場所でなくなる不安が残る。
そこで、居場所であり続けさせるための努力が必要である。
 ア、自分のよさを発揮する。
   遠慮せず自分のよさを出す勇気や努力を求める。
  (この場なら「もっと出せるはずだ。」、「出てもよいはずだ。」「出さなくてはならない。」と話す。)
 イ、結果や努力することに満足したり、自信をもったりする。
   よさを発揮した勇気や努力に感謝を伝える。すると「発揮してよかった。」と発揮した自分を認めることができる。
  (「よくがんばった。」「ありがとう。」を伝える。)
2について
 人が困っている時というのは、人が「自分を生かしたいが生かせない。」ともがいている時だ。だから手助けすることは、相手を生かすことになる。
・もし、手助けできれば、「ありがとう。」が返ってくる。生かせた自分に自信がもてる。
・もし、助けようとしても助けるすべがなく一緒に考えたり、苦しんだりすることしかできなければ、支えてくれたことへの「ありがとう。」が返ってくる。生かすことの難しさに気づく。
・もし、手助けできなければ、助けようとした努力への「ありがとう。」が返ってくる。自分の力の至らなさに気づき、生かすことの難しさを痛感する。
※「ありがとう。」がポイント・・・言えないのは「生かす」「生かされる」に気づいていないからだ。教えるしかない。
3について
 助けようとする体験が多ければ、手助けできることより、手助けできないことの多さに気づき、生かすことの難しさがわかる。だから、自分が生かされた時、なかなか「有り難い。」ことをしてもらったことに感謝し、心から「ありがとう」と言える。
 ア 活動を振り返える。
  自分が生かされたときの支えに気づかせる。
 (自分一人の力でできたと考えさせない。支えを教える。「~がなかったら、できなかった。」「~のおかげでできた。」)
 イ 感謝を伝える。
  自分の中で収めていてはいけない。感謝の「ありがとう。」を伝えることは相手の努力や勇気を承認することになる。相手自身が自信や至らなさに気づくことにもなる。
 だから、「ありがとう。」が言えるようにする。
4について
 人によって自分の生かし方が違う。生かし方の違いがあっても自分を生かせるが、もっと自分を生かすためには、その違いから学ぶ自分が必要となる。
 ア 人との違いを見させる場を多く作る。
  道徳や生き方が見える本や資料(授業や読書)を活用し、人の生き方に触れさせる。
 イ 生かす視点が見える。
  価値や努力の仕方や困難の乗り越え方を見させ、自分の生き方に取り入れるような考え方をもたせる。
 誰もが自分を生かしたいと思っているが、人との関わりの中でしか自分を生かせないことが改めて見えてくる。また、自分を生かすも殺すも自分の努力次第であることも見えてくる。
 教師として、「一人一人を生かす。」と簡単に使うが、本当に生かし切っているだろうか。生かされた子どもが人を卑下することなく、自分に自信と誇りをもち、居場所を確保して生きているだろうか。
 こどもに「ありがとう。」と言える自分。そして、「ありがとう。」が通い合う仲間作りを目指す自分。そんな自分にしなければならない。「実るほど頭がたれる稲穂かな。」自分を見直す機会となった。

誰もが自分を生かしたい(4)

2007-08-24 | 育児
「自分らしさはこれかな?」などと思い始めると、その自分らしさを確かな姿にしようと追い求める自分(仮の自分らしさ)が現れてくる。「豚もおだてりゃ、木に登る。」ではないが、その気にさせることがここではとても重要になる。相手に任せたり、頼りにしたりすることで仮の自分らしさが本物へと近づいていく。
ー仮の自分らしさへの働きかけー
 「この仕事は~らしい○さんにお願いしようか。」
 「きっと~らしい○さんならうまくやってくれると思うよ。」
 「~らしい○さん、頼むよ。」
 「~らしい○さんなら、どのように考えるのかな?聞きたいな。」
 何となくその気になってしていると、そのうちに次第に本気になり、それができると周りから
・ありがとう。
・助かったよ。 
・やっぱり~らしい○さんだね。
・任せてよかったね。
の声が上がるようになる。
(仲間関係が希薄の時、見届けをしながらこの声が上がるように支援することが必要となる。)すると、自信が芽生え、仮の自分らしさが本物となり、自分を仲間の中で生かすことができる。
 山本五十六の名言に
「やつてみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」
 その続きには、
「 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず 」
「 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず 」
とある。自分らしさを生かすことは、山本氏の「人を実らすこと」になるのだということが分かった。それにしてもすごい。名言だ。私がまとめた(1)~(4)の内容が簡潔な言葉でまとめられている。

誰もが自分を生かしたい(3)

2007-08-23 | 育児
 「あなたのよい所は?」と言われてもなかなか「これ」と自信をもって言える子どもは少ない。ひょっとすると大人である私たち自身もそうかもしれない。
 上に見たり、下に見たり、対等に見たりすることに慣れてきた子どもたちだから、いろいろな場面で自分のよさが出てくるし、課題も出てくる。何が自分のよさで何が自分の課題なのかがよく分からない状態である。だから、次の段階として自分のよさは何かを自覚させることになってくる。
 ここで大切となる活動が「聞く」「話す」「見る」である。
聞き方や話し方を鍛えることにより、「聞き合い」「話し合い」ができると、「いつもの自分」が見えてくる。また、一緒に活動している仲間と何度も関わらせいると相手の行動が見えてくる。自分ではなかなか自分は見えない。しかし、外から見ている仲間は他と比較しているからそれが見えてくる。
 自分を見てくれている仲間から「いつも○さんは~だ。」
 「○さんらしい。」という言葉が出てくるまで仲間と関わらせていくことに慣れていく。
 「○さんらしい考え」「○さんらしい行い」「○さんらしい作品」などがそれである。
 ※ノートに名前が書かれていない時、これ誰のと子どもに聞くと「ちょっと見せて」・・・・「あっ、これ○さんの。」と言う子どもに出会う経験はないだろうか。一人二人ではなく、多くの仲間が「そうだ。」「そうだ。」と言うことになると「自分はそうなんだ。」と自覚するようになる。
 その中心となって認めていく立場となるのが、教師である。一人一人のその子らしさをつかみ、承認する。
 ※何でもよさを見つけて紹介すればよいというものではない。その子らしさになるような紹介の仕方が自覚につながる。(日頃から関わっているとその子らしさが見え、的確に紹介(「○○さんは、いつもこうするね。」「○○さんらしいね。」など)することができる。たまたま見えたことは可能性であって、その子らしさではない。また、みんなができ、自分もできていることもその子らしさではない。それは、基礎基本になる。また、らしさはできていく過程に現れることも多い。)
ー自覚を促す働きかけー
 いつも~してくれるのは誰?
 この役(リーダー、係)に合うのは誰?
 ○さんらしいところ(考え方、やり方、作品)だね。
 ○さんらしいと思わない?
 さすが○さんだね。
(教師がぶつかる壁) 
 ・なかなかよさとして生かせない。 
 ・すべての子の中によさを見出せない。
 ・生かし方がわからない。うまくできない。
※私自身も日々これに苦しんでいる。永遠の課題かもしれない。ただ、自覚を促す働きかけを繰り返ししていると子どもの反応からこつが見えてくる。

誰もが自分を生かしたい(2)

2007-08-22 | 育児
 誰もが自分を生かしたい。(子どもも、教師も、親も皆)私も同じように自分を生かしたいと思っている。
 自分を生かすためには、いわゆる「よいとこ見つけ」をさせればよいかと言えば、そんな単純なものではない。(よいところは比較から生まれてくるため、よい悪いがあるからよいが目立つのであり、よい所だけでは存在しない。)よい所ばかりでなく課題も見させなければ生き方が歪になる。(通知表でも同様、よい所ばかり書かれても課題が見えないと自分が見えなくなる。そんなによいところばかりではないはずだと保護者は思っている。)
<よさ見つけだけをし、課題を見させないことの弊害>
 ・認められないときの対応ができない自分になってしまう。
 ・おごりが生まれてくる。
 ・他が見えなくなり、自己主張が強くなる。
 ・失敗を恐れ、失敗しないようにものごとを考える。
 ・可能性がみえないため、努力しなくなる。
 ・変化や課題への対応が鈍くなる。(たくましさがなくなる。)
 誰も完璧な人間ではない。よい所もあれば、悪いところもある。誰もが認められたり、認められなかったりする体験をしながら、よりよい自分を創り上げていく。(可能性があるから挑戦するのだ。)
 上に見たり、下に見たり、対等に見たりすることに慣れさせていないと強く思う。本気になって取り組まないと人間関係がうまく作れない教育がはびこっていく。(もてはやされるのが、人間関係作りの本。ここには、人間関係に慣れさせる体験活動が一杯載せてある。しかし、他に求めても自分の中に「自分や相手を見る見方」がなければ、本に書いてあることしかしない。日常生活の中に人間関係作りがあることを見落としてしまう。別に本を読まなくても日常的な人間関係作りを充実させれば仲のよい学級は作れる。)
<上に見たり、下に見たり、対等に見たりすることに慣れさせる場>
 挨拶・・・・目上の人、友だち、後輩等への挨拶に慣れる。
 発言・・・・発言の内容の質の善し悪しを見させる。
 席替え・・・傍にいる友だちを替える。
       (これにはこだわりがある。HP参照(http://www.tcp-ip.or.jp/~suda1016/sekikae.htm))
 反省会・・・取り組み方の善し悪しを振り返る。
 交流・・・・能力を比較する。
 競争・・・・自分の得手不得手を知る。
など、日常的にたくさんある。ここで意識的に取り組むかどうかで子どもの育ちが違ってくる。

誰もが自分を生かしたい(1)

2007-08-21 | 育児
 私たちは、一人で生きていくことはできない。いつも誰かに支えられ生きている。しかし、相手に頼るのではなく自分が自分らしく生きたいと願っている。その生かし方が難しい。自分の主張が通らないときの対応を考えてみると
・力ずくで相手をねじ伏せる。
・相手をけなす、揚げ足をとる。
・相手の考えを加える。
・我慢する、耐える。
・相手の考えに従う。
・諦める。逃げる。など様々である。
そして対応の仕方は、相手に対する見方によって異なってくる。(相手を次の3つから無意識のうちに見ている。)
1 相手を上に見る
2 相手と対等に見る
3 相手を下に見る
 この3つの見方は誰もがしていることで自然なことである。
しかし、見方が固定的になると問題が起きる。けんかをしたり、相手を傷つけたり、いじめたりしてしまうことは、いつも自分が上にいたいと思う所から起きてくる。逆にいつも下にしてしまうと自分に自信が持てず、病気になったり、自分を傷つけたりすることにもなる。人権同和の問題もここから生まれてくる。
 誰もが平等だから対等に見なさいなどときれい事を言っても解決にはならない。だって、誰もが自分を生かしたいと思っているのだから。大事なことは、自分の生かし方を教えていくことだ。(私たち教師は子どもに自分の生かし方を教えているだろうか。)
<自分を生かすための見方>
・自分にもよい所、悪い所があること。
・人にもよい所、悪い所があること。
・時と場、相手によってよい所悪い所が変わることがあること。 
 だから、自分が上に見られたり、下に見られたり、対等に見られたりすることがある。また、相手を上に見たり、下に見たり、対等に見たりすることがある。
 自分を生かすためには、まず 自分が上に見られたり、下に見られたり、対等に見られたりすることに慣れることから始まる。

おごりが邪魔をする

2007-08-19 | 育児
 最近、教育は愛だと思っている。子どもへの愛情の深さが子どもを育てる。母親は生まれたばかりの子どもが泣いている姿を見て、何が欲しいのかを探り、おしめを替えたり、お乳を与えたりする。そして泣いた時、したいことがあっても自分の時間を割いてでも子どものために尽くす。自分の都合ではなく、子どもに合わせて自分の都合を変えている。我が子への愛情がなければ、それはできない。私たち教師の子どもへの対応もそれだ。
 「お前たちのために時間を作ってやったんだ。」
 「せっかくこれだけ準備をしたのに。」
 「これだけ丁寧に説明したのに、何故で分からないのだ。」
 「もう中学生なのだから、そのくらい自分で考えなさい。」
 こんな自分の都合に合わせた発言からは、子どもへの愛情は感じられない。
「今この子は何を求めているのだろう?」、「分からないのは何故だろう。どこがいけないの?」、「何をすればいいの?」と自問自答する姿は、泣く原因を探り試行錯誤して一番よい手だてを打とうとする母親の姿に似ている。
 「泣くな。」と言っても泣くのが赤ん坊。
 「わかれ!」といっても「なかなかわからない。」のが子ども。
 自分のしたことを伝えても相手が受け入れなければしたことにはならない。
 お乳が欲しい赤ん坊にお乳を与えず、おもつを替えていること同じである。相手が望まないことはしたことにならない。
 おごりは、自分のしたことをよしとするところに現れる。そして、自分のしたことが本当によいかどうかを確かめる機会を奪ってしまう。
 泣く我が子を何とかしたいと思考錯誤する母親の姿と同様に子どものために思考錯誤する教師に愛情はあってもおごりはない。おごりが思考錯誤して伸びようとする自分の邪魔をする。
 経験が豊富になり技術を身に付けても、このおごりだけはもちたくない。そして、愛情を感じさせる言葉をかけ、安心して助けを求める子どもとの関係を築きたい。

自分事にする

2007-08-18 | 育児
 人から学ぶことは、たくさんある。しかし、自分にとって都合のよい所だけを取り入れることが多い。また、都合のよさは考えていないが、無意識のうちにわかる所だけ取り入れることもある。つまり、見えないためにそれがすべてだと勘違いして取り入れることがある。どちらにしてもその取り入れる部分は、氷山の一角でしかない。見える部分よりも見えない水面下の部分の方が多い。
「昔、先生に言われたことがようやく今分かるようになった。」と言う言葉を時々聞くが、正にそれだ。それなら、時間や経験を経ないと学びとれないかというと、そうではない。
 水面下を見ようとする学び方ができれば、より効果的な学びができる。しかし、これにはかなりの努力と勇気が必要となる。 それには、
1 自分を捨て、相手の中に飛び込むこと(自分事にする)
 自分の考えはあるにせよ、まずは相手の懐に飛び込むこと。(言われたことを言われたようにすること)
 これをするには、相当の勇気が必要である。相手との信頼関係が築かれていなければ、懐に飛び込む勇気も出てこない。
「あの人なら信じられる。」、「あの人に私を任せてみよう。」・・・・・こんな気持ちを抱かないとできない。(これは愛にも似ている。)
2 確認し続けること
 相手の懐にいるから、自分の考え方では動けない。動こうとすれば聞くしかない。相手の考えや思いをより理解し、相手の思い通りに動く自分を作る。そのためには、自分の動きが確かなものかどうか、確認するしかない。確認すれば安心でき、自分の動きを変えることもできる。
3 自分の願いから疑問や質問をすること
 相手の思い通りに動いても、自分の願いが叶わないと思うことがある。これにはきちんと質問し、回答を得る。信じた相手であろうが自分を生かすために大切なことである。
 自分の考えが不足しているのか、信じた相手の考えがそこまで及ばないのかを見極める必要があるからだ。今後、続けるべきか続けざるべきかを判断しなければ、身の破滅となる。自分の願いに対する思いが強ければ強いほど見極めが早くなる。
「相手を信じていたのに・・・。」と後悔するのは、自分の判断が遅いためだ。
 信じて続けられると思えば、やり続けられる。・・・・・師を見つけることになる。自分事にするということは、相手の懐に入って物事を相手の考えのまま動く自分にすることだと思う。これは真摯に学ぶ姿がなければできない。これは日々の生き方がそうさせる。
 自我が目覚めていない子どもたちは、まさに教師を師と仰いで疑わないでついてくる。これに答える私たち教師である。自我が目覚めた子どもたちから出てくる反発は、まさに師として仰げるかどうか見極めるための反発であり、真摯に受け止めなければならない。(自分が相手にとって師でありうるかどうか)
 私たち教師は、師と仰がれる存在になるために日々努力しなければならないし、信じて(信じようと)ついてくる子どもたちを裏切るわけにはいかない。
 人から学ぶ姿勢は、教師自身の生き方が問われる問題でもある。

見えないものを見せる

2007-08-17 | 育児
 子どもが分かって(できて)いく道筋がわかると指導がしやすくなる。ポイントは、
 具体から抽象へ
 単純から複雑へ
 近くから遠くへ
 例から一般へ
 見えるもの(行動)から見えないもの(意識)へ
 短い時間から長い時間
 単数から複数へ などである。
つまずきが見えないから何をしてよいのかがわからないことが多い。まず、見えないものを見えるようにするのが我々の仕事。見えればすることが見えてくる。
1 立ち止まらせる。(動きを止め、自分を見させる。)
2 見えるところまでをはっきりさせる。
3 見えないところをポイントから見えるようにする。
  抽象なら具体へ
  複雑なら単純へ
  遠くなら近くへ
  一般なら例へ
  見えないもの(意識)なら見えるもの(行動)へ
  長い時間なら短い時間へ
  複数なら単数へ
 見えてもするかどうかは別。これにも働きかけがいる。
 ①目標を持たせる。
 ②一緒に歩む。→一緒に歩めることを認め励ます。
 ③見守りながら歩む。→自分でできるところを認め励ます。
 ④任せて歩ませる。→一人でできることを認め励ます。
 まずは、見えないものを見せるところから始まる。
 生活面では学習と比べるとつまずきが単純ではなく、複雑なことが多い。その複雑さが見えにくくしているため見えてもできないように思ってしまう。(できるだけ単純にして問題解決にあたる。)
 例 掃除中の箒の使い方がわからない。
  1 掃除の途中でも止める。
  2 箒の使い方をやらせてみる。
    箒の使い方のできているところとできていない所をはっきりさせる。
  3 具体的に師範してやってみせる。(見えるようにした)
  ①箒の使い方について目標を持たせる。
  ②③目標に合わせてできるか見届ける。できていれば承認する。(できなければ、一緒にやってみる。)
  ④一人でさせて、「それなら安心だ。」と言って任せる。

努力に無駄はない

2007-08-16 | 育児
 努力に不足はあっても無駄はない。目標に向かっていて迷い道をすることもある。それは、見通しの甘さや準備不足によることが多い。無駄な努力と思うのは、こんなとき。そして、「どうせ私にはできないのだ。」と諦めてしまう。
 せっかく自分の未熟さに気づかせてくれたのに。
ここで諦めないで、ちょっと見方を変えると必ず光が見えてくる。 少し高い所から自分を見つめ直してみる。
・目標を見直して見たらどうだろう。
・本当にこれでいいのだろうか。まだ他に道はないのだろうか。
・助けを求めた方がいいのではないだろうか。
・他(相手)の動きがみえていないのではないだろうか。
 一途になることはとても素晴らしいことであるが、危険も伴う。これに気づかせてくれるのが努力。努力し続けるからうまく行かないことに気づく。そして、うまく行かないと思ったときに立ち止まる勇気。これは理屈ではない。子どもたちの日頃の努力の中にそれがある。子どもの努力を「無駄な努力」に見せないのがプロの教師。そのために努力している具体的な姿を認め励ます。そして、立ち止まる機会を作る。私たちは、子どもの行く先を見通せる易者であるから、立ち止まらせることができる。努力を無駄にさせるかさせないかは、教師の力量次第である。