ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

子どものため

2015-01-14 | 学校教育
 1月も中旬となり、新年度に向けての0学期としての3学期のスタートもいよいよ本格的になってきたことと思います。
 この時期は、自分の描いた理想の学級にどれほど近づいたのか、見つめなおす時期でもあり、中には焦りを感じている方もいるでしょう。
 力を抜かず、精一杯、今もてる力を発揮してきたあなたです。
 今後、あなたの掲げた理想を追えば、目の前の子どもから少しずつ離れていきます。これまで子どもたちは、子どもたちなりに精一杯あなたの要求に応えようと頑張ってきました。
 当然、いろいろな子どもがいます。願い通りに変化した子ども、なかなか変化しなかった子ども、今後の変化に期待がもてる子ども等々。

 それもあなたの刺激による成果です。

 この観点から見ると、すべての子どもの変化の成果はあなたの力によるものです。

 子どもをもっと変化させたいと思うのならば、自分を磨くしかありません。

 
 その意味から考えると、子どものためにと力を入れて頑張るあなたが本当に子どものためなのかを試されるのが、この時期になります。
 
 つまり、子どものためと言いながら、自分を守りたいという気持ちから生まれる虚栄心や自尊心等はないかということです。
 この気持ちがあると必要以上に子どもに要求してしまいます。子どもを責めることにもなります。

 これから行おうとしているあなたの指導は、本当に子どものためなのでしょうか。

 もし、力不足を感じることになるのならば、あきらめることも大切です。そして、これまで身につけた力を十分評価し、「よく頑張った。」「ここまで頑張ったあなたならば、きっと次もうまくいくはずだ。」と子どもの頑張りを十分にほめ、「まだ、伸びるはずなのに私の力不足でごめんなさい。」と素直に子どもに頭を下げる気持ちで子どもと一緒にいてください。

 すると、子どもたちは、「この先生と一緒に勉強できてよかった。」「この学級でよかった。」「充実した1年だった。」等とよいイメージをもって1年を終えることができます。

 結果がすべてです。

 子どもによい印象をもたせて1年を終えることが、あなたへの評価を上げることになります。

 無理をせず、今の自分を承認し、次を目指すあなたでいてください。

意識はどこに

2012-11-12 | 学校教育
 私たちは、学校という組織の中で生きています。目の前の子どもを育てるために目標を立て、目標の実現のために日々、子どもたちと関わっています。
 この目指す方向(ゴール)が教師の意識の違いによって育ち方が変わってきます。

 これを、意識レベルで説明することができます。

家庭学習を例に考えてみます。

 ①目の前の目標に意識が向いている時・・・ミクロレベル
  宿題をしたかどうかを問題にする。

 ②学校教育に意識が向いている時・・・・・マクロレベル
  学力が身に付くかどうかを問題にする。

 ③その子の人生に意識が向いている時・・・メタレベル
  生涯学習につながるかどうかを問題にする。

 この意識レベルの違いが対応の違いになります。

宿題を忘れた子に対して
①「忘れないでね。宿題はやらなきゃだめだよ。」
②「勉強は、繰り返しが大事だよ。だからおうちでも勉強してね。」
③「何事も振り返りが大事だよ。できることが増えると楽しいよ。」

 教師の意識の違いが言動の違いとなって現れます。

 宿題だけではありません。
すべての言動の源がこの意識レベルによって決まります。

 目の前の目標にこだわりすぎると、視野が狭くなります。
少し長い目で見てみると、視野が広がってきます。

 これは、日頃の自分の生活と同じです。

 どこを目指して日々の生活をしているのかがとても重要だということになります。

 教師としての自分は、目の前の子どもたちの幸せを願うのは当然ですが、それだけでいいのでしょうか。

 もっと先に教師としての自分の夢があるはずです。

 それを思えば、今の苦労は苦労でなくなるかもしれません。

 人は価値あると思ったことに動きます。
 物事に価値を付けます。それが意味づけです。

 目標はまさにその意味づけそのものです。

 意識レベルを①ミクロレベル②マクロレベル③メタレベルのどのレベルに置いて見つめることが多い自分なのでしょう。

 生きる意味さえも、意識レベルで決まってしまいます。

 人として生きる自分、教師として生きる自分・・・・様々なレベルで自分を見つめることができます。

 目の前にいる子どもたちの将来を築くための手助けをする私たちです。子どもたちが夢を語ることができるのは、まさに私たちが夢を語る私たちでなければなりません。