ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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何を背負っていようとも

2015-05-29 | 育児
 子どもたちが、学校で見せる姿が、子どものすべてではありません。子どもは、子どもなりに自分らしく学校生活で生きるための姿を表しています。
 それは、教師が好む姿になるか、それとも好まざる姿になるかは、別です。

 学級経営は、そんな子どもたちを一つにまとめていく作業になります。
教師の都合のよい姿にしようと力でねじ伏せれば、必ずどこかで、反発が生まれてきます。
 
 子どもは、教師の刺激に反応します。

 目の前で起きたことは、背負っているものの影響を受けるために、反応が子どもによって異なります。しかし、背負っているものの責任にすることはできません。

 背負っているものの違いがあっても、どの子も学級の仲間として大切にされなければなりません。

 もし、刺激による反応が好ましくないから、仲間に入れないという構えがあると閉鎖的な学級になり、差別が生まれます。

 先生のお気に入りの子どもとそうでない子どもです。これでは、学級がまとまるはずはありません。

 どの子も大切にされなければなりません。

 そのためには、目指す方向を示し、それに向かう仲間を増やしていくという考え方が必要になります。

 できない仲間をできる仲間が支える学級にするのです。

 そうすれば、みんながそろってできた時に、みんなで喜べる学級になります。

 背負っているものの違いは、できるまでの時間の違いになるだけです。
一緒の仲間になるために、半年かかろうと、一年かかろうと、構わないのです。その過程で、子どもたちは、仲間を見捨てない素晴らしい仲間に育っています。

 その姿勢が学級をまとめる方向に動いているのです。決して、あなたの取り組みが遅いからと言って非難されることはありません。
 むしろ、子どもの育ちに合わせながら無理なく子どもを育てる素晴らしい姿だと評価されるものです。 

躾けること

2015-05-28 | 育児
 「躾」・・・・しつけ 「身」が「美しい」という字ですが、これは日本人が作り出した国字です。習慣化したことが身についていると揺れや乱れがなく、美しく見えるものです。素敵な言葉です。

 「仕付け」・・・裁縫でいう「仕付け糸」を連想すると「躾」がよくわかります。
 仕上げの前に「仕付け糸」を使います。「仕付け糸」で大方の縫う方向を示し、それに合わせて仕上げ糸で縫っていきます。仕付け糸は、縫った後は、布から抜かれることになります。

 躾は、親の価値観を押し付けることではありません。子ども自身が「あっ、これは大事なんだ。」と自分で決めて、初めて歩み出すことが躾になります。あたかも仕上げ糸のように「仕付け糸」を縫っても、子どもの糸ではありません。いずれ「仕付け糸」は抜かれる運命です。私たちは、子どもの自立に必要な「仕付け糸」です。細かくすればするほど、窮屈になります。

 力を入れすぎていませんか?
 できないことで自分を苦しめていませんか?
 子どもの学びの機会を奪っていませんか?

 子どもは、見ています。知っています。ですから、親さんの苦しみも感じています。
 その苦しみを背負っていると、何とかしようと子どもも苦しんでしまいます。

 無理をせず、子どもの失敗も受け入れ、学びの機会にすると楽になります。

価値観の押し付け

2015-05-28 | 育児
 私たちは、子どもが健全に育つために様々な価値観を学校生活を通して学ばせる努力をしています。ここで扱う社会に出ても役立つための大切な価値観です。ただ、「こうすべきだ。」とするのではなく、それができるようになるまでの心の揺れや葛藤、様々な決意を道徳という形で扱っています。

 子どもの学校生活そのものが、それです。

 ですから、失敗は、学びになります。この学びがあるからこそ、社会に出た時に、失敗せずに済みます。

 ところが、刻々と変化する社会に対応することに精力を注ぐあまり、時代が変わっても大切にしなければならないことがなおざりにされている気がします。

 子ども自身の学びに合わせるゆとりがありません。そのため、失敗から学ぶ機会を丁寧に扱うことなく、「こうすべきだ。」と早く結論づけてしまいがちになっているように思います。

 子ども自身が腑に落ちない状態の中で毎日を過ごすために、本当に大切にしなければならない心が伴わない学びが続いてしまいます。

 これでは、子どもの心は荒んでいきます。

 自分を理解してもらう場も少なくなり、一方的によい価値を押し付けられる・・・・そんな日々を送ることになっていないでしょうか。

 学ぶ側が本気で「これは、大切だ。」という気持ちにさせるためにも失敗を丁寧に扱うことが重要になります。
 
 失敗から何を学んだのか。そして、次に何をするとよいのか、子ども自身が自分の行動に責任が取れるように扱う必要があります。

 価値観を押し付けたところで、「だって、先生が言ったから。」となれば、先生が変われば、価値観も変わってしまいます。これでは、子どもに大切にしなければならない価値観が大切にされないで過ぎていきます。

 子どもが自ら学ぶ道筋をきちんと作る教師こそが、子どもを育てる教師だと思います。

 そんな教師になるために、日々努力を重ねているのが、私たちです。

 教員人生が終わっても、まだまだ学び続けなければならないと感じています。

 学校教育を支える立場になり、さらにこのことが強くなりました。

 現場は、危機的な状況です。どうか、冷静に現状を見つめ、「流行」に流されることなく、「不易」を見極める目を養ってください。 

テレビやゲームに子育てを委ねていませんか?

2015-05-25 | 育児
 仕事をしていると多くの保護者の方は、かなり疲れて帰宅するのではないでしょうか。
 そして、仕事に疲れて家に帰ってきたら、家でゆっくりしたいという気持ちになることでしょう。

 家に帰ってまで、子育てに力を注ぐには、それなりのエネルギーが必要だと感じている人は、少なくないと思います。

 家庭で、子どもがテレビやゲームをしている時間は、親にしてみるとほっとする時間になってしまいます。

 テレビやゲームは子どもにいろいろな刺激を与えてくれます。
製作者には、「もっと見せたい、やらせたい。」という意図があるので、時間を忘れて、次から次へと興味をそそる刺激をくれます。

 一度はまると抜け出せなくなります。
 これを止めるには、子どもの力ではなかなかできません。

 学習は、繰り返しによって身に付きます。

 テレビやゲームを見るという体験が繰り返されるのです。ここで身につける学習は何がを考え、冷静に判断し、止める役割が保護者の仕事になります。

 あくまで、私見です。ご参考までに

(例)
1 「面白いことはするが、そうでなければしない」という価値観を身につけることができます。
 (興味のある内容を選択する自由は、自分にあります。)
  → 好き嫌いがはっきりしている子に育ちます。

2 「自分の意志で、関わりを作ったり、切ったりできる」という価値観を身につけることができます。
 (番組やレベルを選ぶ主体は、自分にあります。)
  → 自分が主体でないと満足しない子に育ちます。

3 「テレビやゲームをしているときは、楽しい」という価値観を身につけることができます。
 (「勝った達成感や自分の情緒をくすぐるものが楽しさになります。)
  → 「楽しさ」の豊かさに欠ける子どもに育ちます。

4 「与えられた課題に達成する」という価値観を身につけます。
 (ゲームでは、新たな課題は自分ではなく、製作者の意図にあります。)
  → 自ら課題を作ることの苦手な子どもに育ちます。
  → 根気強さを身につけます。同時に飽きっぽさも身につけます。  

5 「テレビやゲームをしているときは、自分の世界に入ることができる」という価値観が身に付きます。
 (人と関わる時は、どちらが優れている(よく知っているか)、劣っているか(知らないか)等と比較することになります。)
  → 人とうまく関われない子どもに育ちます。
  → 競争心の強い子に育ちます。(優越感、劣等感を味わったり、味わわせたりすることに興味をもちます。)

6 「テレビやゲームが、関わりをもってくれる」という価値観を身につけます。
 (スイッチをONにすれば、反応の良し悪しに関わらず、必ず反応が返ってきます。無視されることはありません。)
  → 無視されることへの怒りを感じる子どもに育ちます。

7 「リアルよりもバーチャルの方が楽しい」という価値観を身につけます。
 (テレビやゲームは、情報提供が単純化されて、わかりやすくなっています。)
  → 現実の複雑さを面倒だと感じる子どもに育ちます。


 テレビやゲームを否定しているわけではありません。次代を担う子どもたちにとって、テレビやゲームとうまく付き合うことは、競争社会や情報社会に生きる子どもたちにとって大事です。


 ただし、全国学力調査の結果からみると、テレビゲームをする時間の短さと、学力テストの平均正答率との間に相関があるということです。(平日1時間以上→学力低下)

 子どもが家庭で自由に過ごす時間は、限られています。その中でしなければならないことは、たくさんあります。
<例えば、家族団らん、食事、勉強、入浴、手伝い(仕事)、明日の準備、稽古事、その他(読書、日記等)>

 このことから考えると、テレビやゲームの時間を短くすることのできる親になることが、上述の価値観を否定する親になると思います。

 何か新しいことをするのではなく、今ある家庭生活の中でしなければならない事をするために、テレビやゲームの時間を制限できる子どもの生活のリズムを作ることが子育てになります。

素直になれない

2015-05-22 | 育児
 「何かトラブルがあった時、子どもが、親に向かって、「お母さんの馬鹿」「大っ嫌い」などと嫌な言葉を言うことがあります。

 そして、まだ、興奮が冷めやらないうちに

母 「これ好きでしょ、食べなさい。」
  と、言っても

子 「そんな不味いもの嫌い。食べない。」
  と、言い返します。
  すると、

母 「そう、食べないの。それならいいわ。私が食べるから。」
  と、言い返します。

 子どもは、本当は食べたかったにも関わらず、素直に「食べたい。」とは言えず、好きなものを食べ損ねてしまいました。

 よく見かける光景です。


 これは、子どもの感情が意識を上回っているため、意識とは反する言葉を吐いてしまいます。

 ちょっとした会話ですが、子どもはよくこんな事をします。

 子どもは、大人よりも言葉が少ない分、感情に動かされます。
そのため、感情が優先されてしまうことが多くあります。

 これを「言葉で、きちんと伝えないあなたが悪い。」と子どもを責めても、仕方がありません。

 実は、感情に左右されるのは、子どもだけではありません。大人でもそうです。
あなたもその一人です。

 嫌いな人の「ためになるいい話」を「ためになるいい話」として素直に聞き入れることができますか?
 
 できないはずです。

 子どもは、この状態がかなり多いということです。

 「好き」でも、嫌なことが起こると「嫌い」とすぐに言います。
 「やれ」と言われると、「いや」と反発します。


 まともに言葉通りに受け止めていると、子どもは、次第に親から離れていきます。

 本当は、止めて欲しいのに、止めてくれない。
 本当は、やりたいけど、やらせてくれない。
 本当は、嘘をつきたくないけど、嘘をついてしまう。
 本当は、素直に言いたいけど、ごまかしてしまう。

 子どもの口から出る言葉には、言葉以上の思いが隠されています。でも、今の感情がそれを表すのを邪魔している感じです。

 だから、親が正論を言っても、素直に従うことなく、正論を覆し、屁理屈をいう子どもになっていきます。

 言葉だけでやり取りしようとすると、子どもの心がつかみにくくなります。

 子どもを理解するには、言葉以上の思いを含んだ言葉を理解しなければなりません。

 そのためには、まず、感情に寄り添うことになります。
 
 感情が高ぶっている時には、子どもの言葉からは、素直な言葉は見当たりません。言葉のやりとりをしていると余計に離れていきます。

 まず、感情が静まるのを待つしかありません。

 一緒にそばにいて、感情がおさまるのを見守るしかありません。

 今の時代、「そんな悠長なことは、言ってられない。こちらも忙しいんだ。」とおっしゃる親さんの声が聞こえそうです。
 でも、本当は、ここが大事なのです。

 「お母さんは、私の事を理解してくれない。」と言って、親から離れていきます。

 反抗期と言われるお子さんの反発もこれに似ています。

 感情と向き合うことが、子どもが素直になれる秘訣です。

 子どもの心を察する親でいれば、子どもが離れていくことはありません。 

子育てで悩むこと

2015-05-18 | 育児
「自分の事を好きですか?」と質問されたら、あなたはどう答えるでしょう?
近年、「好き」と答える人が少なくなっているように感じます。

 自分を責め続けると、自分に自信がなくなり、次第に自分が嫌いになっていきます。これは、特別なことではありません。当然の事です。

 失敗した時、自分を責める時に湧き上がる感情は、自分が作り上げた価値観によるものです。決して自分ではありません。


 子育てがうまくいかないから、自分はダメだという人がいますが、子育てがあなたのすべてではありません。一つがダメだとすべてダメにしてしまうのは、脳のはたらきによるものです。子育てと自分を切り離して考えることがとても大事になります。

 子育ては、子どもに合わせてしなければならないため、試行錯誤で行うことになります。うまくいかなくて当たり前です。失敗を経験しながら、学び続けるしかありません。

 子育ては、他人と比べることもできません。世界に一人しかいない特別で価値ある存在のお子さんのための子育てです。それは、親だからできることで、他人ができることでもありません。

 すべてが学びのチャンスです。子どもが親を困らせる時、「困ったことだ。」と捉えるから、「困ったこと」になります。
 子どもは、学びのチャンスを与えてくれたのだと思います。ただ、それだけです。うまくいかないというのは幻想でしかありません。

 うまくいくときは、自分の思いと子どもの思いが同じになっているということになります。
 うまくいかないときは、子どもの思いとズレがあり、親としての学びのチャンスが訪れたことになります。

 思い通りにならないから、うまくいかないと感じているだけです。

 子どもは、あなたではありません。思い通りにならないのが子どもです。一人の人格をもった人としての子どもを大切にすれば、思い通りにならなくて当たり前と感じるはずです。

 どこかで、自分と子どもを同一視しているかもしれません。分身のように感じているから、思い通りにしたくなるのかもしれません。
 ただそれだけのことです。

 決して、あなたと子どもとは同じではありません。

 一人の立派な人間です。

 ですから、うまくいかないときこそ、自分とは違うその子らしさを見つけるチャンスになります。
 
 子育ては、すべて学びです。自分自身を高めてくれるよい機会です。

 子育てを「自分を責める材料」にしないでいただけないでしょうか。

 母親からよく耳にする「私の子どもとして生まれてきてくれてありがとう。」の言葉の裏には、一人の人間としてお子さんを見ている母親の気持ちがあるように思えてなりません。



親を困らせる理由

2015-05-15 | 育児
子どもは、親の姿を見て育ちます。子どもは、刺激に反応していることが多くあります。刺激が重要です。子どもにとって、安心・安全な刺激ならば、受け入れることができます。危険であれば、避けようとします。時には、嘘をついたり、ごまかしたり、逃げ出したりします。ですから、今だけでなく、長い将来を見据えて、考えなければなりません。子どもは愛されたい存在です。愛されるためにいろいろな行動をします。
 愛されていることを実感すれば、自分から少しずつ離れていきます。離れるまでに、自立できるだけの素地を養うことが躾だと思います。

 ただし、躾だと言って、力を入れすぎるとその反動が必ず現れます。

 ハンドルに遊びがあるように、ゆとりをもって子どもに接することが反動を少なくすることにつながります。

 今は、親を困らせることで、「私のことを一生懸命に考えてくれているんだ。」と子どもが実感しているのかもしれません。今は、子どものために、苦しむ必要があるのかもしれません。

 必ず解決できます。目の前に解決できない問題は起きません。決して逃げることなく、誠実に目の前の出来事に向き合うあなたでいてください。

 人に迷惑をかけることがあれば、子どもを叱るのではなく、親としての責任ある姿を精一杯子どもに見せることが大切です。これが、生き方を身をもって示すことになります。親が泣いたり、叱られたりする姿を見た時、「あー、何て事をしてしまったのだ。」と子どもが実感し、変化が起きます。

 人に迷惑をかけていないのならば、迷惑かけるかもしれないなどと余計なことを考えることなく、目の前の子どもと向き合ってください。問題は目の前で起きています。起きていない未来を考えるから問題を複雑にしてしまうのです。ひょっとすると、目の前の問題に真摯に向き合えないから、未来に逃げているのかもしれません。子どもの心を察して、今に向き合うことで、未来は変化します。心配はいりません。



常に誤解されている

2015-05-14 | 育児
 言葉は、自分の体験・経験から作られます。同じ言葉でも、人によってイメージが異なります。

 このイメージの違いが、誤解を生む原因になります。

 私たちは、自分しか体験できないため、自分が理解したように他人も理解するはずだと感じています。

 例えば 「子どもが、頭を打って血を出すけがをした。」と聞いたとします。

  私たちの脳は、この言葉を聞いただけで、イメージを作り出します。

 ただし、そのイメージが正しいかどうかは、わかりません。

 正確に判断するために質問することになります。

 〇「どのように頭を打ったのか」が気になります。

  鉄棒から落ちて、地面にたまたま転がっていたとがった石に頭をぶつけて、  額に傷をつけ、血が出たとなると、傷だけでなく、脳に影響がないかかなり
  心配になります。

  でも、畑にいる虫を観察するために教室から慌てて、廊下に出る友達と押し
  合い、よけようと頭を下げた時、友達の爪でひっかかれて、おでこに傷をつ
  け、血を出したとなると、前述とは異なり、心配度は下がります。

  状況の違いによって、イメージがかなり感じ方が違います。

 〇「誰が」が気になります。
  自分から進んでしたのか、それとも友達にされたのか 
   自分の意志なのか、それとも友達の過失なのか、故意なのかによって、感
  じ方が違います。

 〇「いつ」が気になります。
  授業中なのか、それとも休み時間なのか。
   責任の所在をはっきりさせることで、感じ方が違います。

 〇「どこで」が気になります。
  安全な場所なのか、危険な場所なのか。
   学校は安全な場所ということが前提ですが、隠れた危険や予知しきれない  危険があります。すべてに責任を負うことは難しいのですが、その中でも安
  全に配慮されているかどうか知ることで、感じ方が違います。

 言葉は、すべてを語ることはできません。必ず不備があります。

 至らない言葉を発する相手を責めるのではなく、その至らない部分を補い合うことがコミュニケーションを円滑に進めることができます。

 ※責めるとすれば、相手に何らかの嫌なイメージが張り付いていると思われます。

 
  「相手は、わかっているはずだ。」ではなく、「相手には、きっと誤解があ
 るはずだ。」ととらえながら、会話を進めるとコミュニケーションがうまくと
 れます。


 このことは、言葉によるイメージの違いは、出来事だけでなく、物でも、人でも同じです。

 誤解を招かない方法が、「確認」「質問」になります。    

 特に子どもは、体験が少ないため、「誤解」だらけになると考えた方がよいでしょう。   

いいですか?

2015-05-13 | 育児
 私たち教師は、子ども同士の関わりを増やすために、子どもが発言時、自分の考えを述べた後に、仲間に問いかける言葉を使うように指導します。

 その時の問いかけの言葉は、どんな言葉を使っているでしょう。

例えば、「~だと思います。いいですか?」です。

 この「いいですか?」という問いかけについて疑問に感じることはないでしょうか。

 「いいですか」という言葉の裏にある、話し手と聞き手の関係を考えてみると、聞き手の方が上位になっているように感じます。

 また、発言の内容が、「いい」か「間違い」という二択になることが予想されます。 

 そして、「いいです。」と聞き手が答えたとすると、次に発言しようとする人にとって、「いい」以外の発言はしづらくなります。
 大きな声で、多くの聞き手が「いいです。」と答えたとすると、それ以外の内容をもっていた子どもにとって、発言しづらいものです。

 余程自信をもっている子どもならば、発言することはできますが、少し自信のない子どもにとって、発言することはかなり大きな壁になります。

 一番問題だと思う事は、常に正答を求められるため、「正しいことを言う。」「正しいことしか言えない。」という意識が根付くことになることです。

 この問いを続けていると、発言しづらくなり、挙手率が下がることが予想されます。

 これらのことを考えると、本当に「いいですか?」という問いかけの言葉は、適切な言葉かどうか、吟味が必要だと思います。

 そこで、

 私は、「~だと思います。どうですか?」を子どもに使うように話します。

 「どうですか?」となれば、話し手と聞き手は対等です。
そして、話した内容についての考えを求めているのですから、選択は、二択にはなりません。

 選択肢を増やすことができます。

 返答として、

 「わからない」「同じ」「つけたし」「違う」等が挙げられます。

(ちなみに私は、ハンドサインとしてこれらを整理します。そして、どう受け止めたのか、無言で挙手するよう子どもに求めます。)
 ※無言ならば、他の子どもの影響を受けにくくなります。

 これならば、聞き手は自由に自分の考えを述べることができます。

正答を求められているわけではないので、自由です。

 教師が、「本当にそうなの?」とか、「誤答を応援する」とかすると、子どもは混乱します。

 このことにより、子ども一人一人が、「正答は何か」を追究することになり、ここから学習が始まることになります。

 話し合いをしながら、思考を深めるためには、この追究する姿勢が必要になります。
 
 「いいですか。」では、この追究する姿勢は身に付きません。すでに正答が出ているということが前提になります。

 さて、あなたの学級の子どもは、どんな言葉を使って、自分の意見を述べた後に、聞き手に問い返しているのでしょう?

子どもとうまくコミュニケーションを取りたい

2015-05-07 | 育児
 私たちは、健全な子どもを育てようと日々努力しています。それは、投げかける言葉や行動として子どもの刺激になっています。

 子どもが素直に反応すれば、心地よくなりますが、そうでないときは、イライラしたり、腹が立ったり、ストレスを抱えることになります。ストレスが溜るとなかなか冷静に判断することはできません。
 子育てで一番大事にしなければならないことは、この冷静さだと思います。

 子どもと冷静に向き合っている時とそうでない時の対応を客観的に自分を観察してみると明らかです。何とか冷静に子どもと対応したいと思われるでしょう。
なかなかそれができないのが、私たち人間です。逆に、感情があるから、自分らしさが出るということも考えられます。

 少しでも冷静に対応したいと思った時のヒントとなるのが、「言葉の理解」です。

 私たち大人と子どもでは、語彙の量がかなり違います。また、1つの言葉であっても豊かさが違います。これは体験・経験の量によるものです。

 ですから、同じ言葉を使っていても、全く違っていると考えた方がよいでしょう。

 対等にするには、子どもが発する言葉の至らない部分を補ったり、言葉の裏を読み取ったりしなければなりません。
 これを怠ると、子どもの発する言葉を「自分の理解している言葉」と同一のものとして脳が受け取り、自動的に反応してしまいます。

 例えば「お母さんは嫌いだ。」と言われたとしても、受け取った「嫌い」だけをそのまま受け取ると「私がこれだけ愛しているのに。」「これだけあなたの事を考えてやっているのに。」と愚痴が出ます。そして、子どもに対する嫌な感情が湧き上がってきます。

 でも、「嫌い」の前に、「~する時のお母さんは、」「私に無理な要求をするお母さんは、」「2,3度言っただけではできないなのに~」「もっと愛してもらいたいと思っている私なのに~」「私の気持ちを考えてくれていないにも関わらず」などと言葉を補うことができたら、嫌な感情は湧き上がることはありません。少し立ち止まることができます。また、嫌いでないはずの子どもに、「嫌い」と言わせた理由は何だろうと考え、その理由を探ろうと背景を察することができたら、「嫌い」に反応することはありません。

 幼い子どもです。対等に話をするには、幼すぎます。コミュニケーションの能力を高めるためにも、「補う」「察する」という構えを大事にすると、言葉のやりとりはゴツゴツしますが、子どもとのコミュニケーションが、今まで以上にスムーズに進むはずです。

 子どもは、いつも「ねえ、おかあさん。私のことをわかって!」と一生懸命に訴えてます。

 「時間がないから」、「その事ばかりしていられないから」などと目を子どもから逸らすことなく、きちんと向き合うだけで、子どもは安心します。

 できないときには、「ごめんね。」の一言があると救われます。