ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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大事にしていることは何?

2009-01-31 | 育児
 子どもが「先生、何するの?」「どうしたらいいの?」と尋ねてくることは日常茶飯事である。これらの質問は「行動」を求めている質問である。その時の対応は教師によって様々だ。また、対応する子どもによって使い分けをすることもある。
①「これしなさい。」と、するとよい行動で答える。
②「あなたはどうしたいの?」と、質問をする。
③「自分で考えなさい。」と、突き放す。
④「どうしようかなあ。」と、一緒に悩む。
 これらの違いはなぜ生まれてくるのだろう。これは、子どもに対する思いの違いによる。
①子どもの願いに答えることが誠実だと考えていると、子どもの問題にしていることに即対応して答え出す発言をする。また、早く済ませて今の状況(子どもの質問責め)から抜け出したいと考えている場合でもすぐに答えを出す発言をする。
②③自ら考える子どもにしたいという願いから、子ども自身に問題解決をさせる投げかけをする発言をする。
④子どもの立場にたって一緒に行動することが大事だと考えていると、子どもの問題に付き合う発言をする。また、決断するだけの自信がないときにもこの発言をする。
 どれがよくてどれがだめだというものではない。大事なことは、その発言をした子どもがどんな状況の中でどうしてその発言をしたのかを一瞬のうちに判断して対応の仕方を決めることだ。いつも同じだ発言をしていると教師としての姿勢は分かりやすいが、子どもの期待に添うものにはなっていかない。
・今、この子には、自信をもたせたいので、行動した後の姿をほめるために教えよう。
・今、この子には、リーダーとして伸ばしたいからまずは自分で考えさせてみよう。
・今、この子は悩みを抱えているから、余分なことで悩ませたくないから教えよう。
・今、この子は、よいところに目をつけたので、これを伸ばしたい。だから、まずは考えさせてみよう。
・今、この子は、人にすぐ頼るから、答えることなく、自分の行動に責任を取らせてみたいから考えさせてみよう。
・ここは。教えることだ。一斉に動くことでまとまりができる。
・ここは、私が教えてはまずい。せっかく子どもが決めようとしているのだから、もう少し子どもたちに任せてみよう。
・今、この子には一緒に傍にいてやることが大事だ。離れないで悩みに付き合ってあげよう。
 こんな思いは言葉にはしないけれど、子どもへの熱い思いを抱きながら、子どもの質問に答えていく。ただ、この思いが伝わらないと、「先生、あの子に言ったことと私に言うことが違う。差別だ。」と子どもから非難を浴びることにもなりかねない。
 「あなたを大切に思うあなたのための言葉だよ。それは、一人一人ちがうんだよ。」と常に言い続けたい。これは差別ではない。区別をしているだけなのだ。しかし、子どもにはなかなか理解できない。本当に大切にされているという実感を子ども自身が感じていれば、差別などという誤解を受けることはない。これも日々の努力だ。

授業を観る

2009-01-30 | 育児
 研究授業を参観することがある。このとき、どのように授業を観ているのだろう?保護者の場合は分かりやすい。「我が子の授業への取り組み」や「我が子への担任の関わり」など我が子が学校で十分活躍できるように配慮され、活躍しているだろうかという「我が子」に焦点を当てて参観している場合が多い。これは、保護者として当然の立場である。
 保護者向けの授業参観ならば、保護者のその焦点に合った授業としてどうかという視点で授業を参観することができる。
 研究授業は普段の授業ではない。授業の質を高めるためのある考えをもっての授業となる。だから、そのある考えがいいかどうかを確かにする授業となるから、それを明らかにする参観の仕方になるとよい。
 いろいろな参観の仕方がある。子どもたちの後ろに立って、授業を参観している姿をよく見かける。全体を眺めながら、子どもの動きや教師の動きを眺めている保護者の授業参観と同じ参観の仕方がある。これは一般的な参観の仕方だ。これではなかなか教師の考えや子どもの変化を捉えることはできない。
 一人の子どもに張り付いて、じっくりと動きを観察したり、言動をチェックしたりすることで、子どもの学びの過程を理解し、教師の考えがその過程に合っているかどうかを見極めていく参観の仕方がある。また、教師に張り付き、子どもにどんな言葉を投げかけているのか、どんな対応をしているのかをじっくり観察し、教師の考えが発揮されているかどうかをチェックしたり、その対応によって子どもがどのように変化するのかを見ていく参観の仕方がある。これだとかなり授業の質を見ることができる。
 その他にも、自分の今抱えている問題について、解決したいという思いがあれば、その視点に関わって、教師の動きや子どもの反応、環境設定(教室経営、資料、準備等)を見ていく参観の仕方もある。
 いずれにしても意図をもって自分が明らかにしたいことがはっきりしている参観の仕方が重要になる。子どもを育てるために研究を深めるための授業公開である以上、授業の質を上げるのは、授業者の姿勢よりも、参観する側の参観の姿勢で決まってくる。よりよい授業を作ろうとする仲間がいるからこそ、授業者はよりよい授業を準備し、期待に応えようと頑張るのだ。
 よく授業前に「今日の授業からいろいろ学ばせて頂きます。」と授業者に挨拶される姿を見るが、儀礼的にしか聞こえてこないのは、本気で自分の問題だと捉えて授業を参観しようとする情熱が伝わってこないからだ。授業者を応援するのならば、授業者の意図を十分くみ取り、意図に合った参観の仕方が重要になる。

安心できるために

2009-01-29 | 育児
 安心して学校生活を送りたいと誰もが思っている。自分の思い通りに過ごせたら一番いいだろう。しかし、仲間と一緒に生活するとなると、そんな事ばかり言っていられない。我慢も必要だ。
 仲間と一緒にいても安心できるために、子どもたちは、一緒にいて安心できる人を作る。入学した頃の子どもたちにとってそれは、担任の先生になる。そのうちに段々担任から離れて、友だちを作っていく。
 「一緒に遊ぶ」、「一緒に考える」、「一緒に作業をする」・・・様々な取り組みをしながら、自分に合った友だちを選んでいく。
 中にはうまく友だちを作れない子もいる。自分の力ではなかなかできない。そんなときに手をさしのべるのが教師の仕事。授業だけでは友だちは作れない。授業以外の時間の子どもたちの動きを観察しているだけでは、それは無理だ。
<意図的に関わる場を設ける>
・席替え
・学級による集団遊び
・係活動
<動きを教える>
・誘う
・一緒にいる
・よさを見つける(認める)
・話しかける
・手伝う
<言葉を教える>
・「おはよう。」「こんにちは。」
・「~さん」「~くん」
・「仲間に入れて。」「いいよ。」
・「ありがとう。」「ごめん。」
・「助けて。」「やって。」「お願い。」
・「すごいね。」「やったね。」「できたね。」
・「すきだよ。」「嫌いだよ。」「いやだよ。」「嬉しいよ。」
 特に今、言葉の乱れが気になる。互いを認め合ることよりも相手を傷つけたり、否定したりする言葉が多いことや相手への思いを伝える言葉が少ないことが気になる。
 認めてもらいたい気持ちが強いから、人をけ落としてでも自分をアピールしたがる子がいる。目立つことで自分の存在を認めてもらおうとする子がいる。安心できないことが子どもに歪な行動にさせていることがある。
 安心できるには、まず、その子自身の存在を認めることだ。うまく関われなくてもいい。失敗してもいい。あなたがいることが大事だというメッセージを子どもに送り続けることだ。うまくいかなかったり、失敗したりしたことで子ども自身を否定してしまわないように言葉を選んで子どもと接したい。
<その子の存在を認める言葉かけ>
・誰? ~する人?
・~したのは○○さんだね。
・~してくれて、ありがとう。
・~できるね。すごいね、○さん。できる?
・~と考えたんだ。○さんの考えがわかる?
・さすが、~さんだ。
 肯定的な言葉が多いか、否定的な言葉が多いかで見てみるのもわかりやすい。これらは癖になって使っている。だから、意識しないと使う言葉はなかなか変わらない。

保護者の気持ち

2009-01-28 | 育児
 保護者が担任と話をするとき、多かれ少なかれ「ここまでは、言わない方がいい。」とか「これは言えない。」という思いをもっている。特に信頼関係を築こうと願っている保護者ほどその傾向は強い。
 昔、よく「子どもを人質に取られているから、本音は言えない。」と話された保護者がいた。この言葉の裏には、我が子を守るために担任との関係がまずくなっては大変だという思いが見えた。しかし、この曖昧さが逆に誤解につながったり、間違った指導になったりしてしまうことがある。
 これは、保護者の問題ではなく、担任の思い込みから生まれてくる問題だ。担任は、保護者の願いに合わせて動こうとしているのにその願いが本当は願いではなかったということに気づかないでいる。保護者が話されたからといいながら、実は自分の都合のよい解釈で指導しているかもしれないのだ。
 これを防止するためには、絶えず、指導と子どもの姿を合わせて保護者に報告したり、保護者の気持ちを探る努力をしたりすることだ。
・「こんな指導をして、こんな姿になったけれど、いかが?」
・「家庭での変化はありますか?」
・「最近の様子はいかがですか?気になることはありませんか?」
・「いつでも、困ったことがあったら話してくださいね。」
 本気でお子さんのために努力したいと願っていることが伝わることが大切なのだ。やりすぎていたり、方向がずれていたりすれば、必ず保護者からストップのサインが現れる。
 「有り難いけれど、そこまでは・・・・。」
 「もう、十分です。」
 「大丈夫です。」
 「それよりも、このことの方が気になります。」
 保護者のこの言葉を聞いたときに、素直にその言葉に乗れば、指導を変えることができる。しかし、
 「いや、まだ不十分ですから、もう少し続けたいと思います。」
 「それは、違うのではないですか?」
 「それでは、子どものためになりませんよ。」
などと自分の解釈を言い出すと段々保護者は壁を作っていく。自分の考えていることが正しいのだといくら主張しても保護者には伝わらない。育てたい子どものの姿とのズレを感じているだけなのだ。
 保護者が担任を気遣うのではなく、担任が保護者を気遣うことが保護者との信頼関係を深め、安心感をもつことつながる。ここには、おごりはない。自分の姿勢を問う謙虚さだけがある。

助け合う

2009-01-27 | 育児
 「困っている人を見つけたら、助けてあげなさい。」とよく子どもたちに声をかける。子どもたちにとって困っている人とはどんな人なのだろう。
・泣いている子
・立ち止まって動こうとしない子
・みんなと比べて動きが遅れる子
・「助けて」という子
・「わからない」という子
 きっと一人一人、その捉えが違う。今までの経験から、困っているだろうと判断する。実際に困っているのか、それとも自分で乗り越えようと時間がかかっているのかは、聞かないと分からない。
 だからと言って「困っていると言わないから、助けない。」では、困る。相手が困っているかもしれないぞと察する構えが大事なのだ。
○困っていないと分かったら、「ああ、よかった。心配したよ。頑張って。」
○困っていない振りをしているかもしれないから、「いつでも、助けるよ。」
○自分でも分からない状態かもしれないから、「本当に困っていない?大丈夫?」と相手を見守る。
○困っていたら、「一緒に何とかしよう。」
 と、声かけをする。この声かけが大事なのだ。助けたかどうかではない。いつも相手と関わりをもとうとし、助けられるときにはすぐに飛び出せる構えを作っていることが大事なのだ。これは、「困っている人を見つけたら、助けてあげて。」という簡単な言葉では伝えられない。教師が見本となって、これらの言葉で声かけをし、体験的に学べるようにすることだ。教師から困っている時に助けてもらった体験をたくさん積むことでこれらの声かけの言葉を子どもが遣えるようになる。教師の真似をするところから始まる。

話し合う

2009-01-26 | 育児
 相手の考えを理解し、一つの考えを作り出すときに話し合いをする。この「話し合う」ということはどういうことなのだろう。時々話し合いになっていない「話し合い」を目にすることがある。
 子どもたちに「話し合いなさい。」と投げかけるが、具体的にどのようになることが話し合いなのかを伝えているだろうか。
・互いの考え方がわかる。
・互いの感じ方がわかる。
・互いの焦点の当て方がわかる。
・互いの考える道筋がわかる。
・互いに大事にしていることが何かがわかる。
・感じ方に違いがあることがわかる。
・似ている所を探そうとする。
・何か一緒に作り出せることはないかを探ろうとする。
 一方的に話をするだけでは話し合いにはならない。互いに自分を出し合い、認め合わないと話し合いにはならない。話し手が、相手に返事を求めているうちは話し合いではない。話す側の焦点に合わせて返してきただけで、本当に話したいことではないかもしれない。また、自分の考えを主張し合うだけでも話し合いでは話し合いにならない。生みだそうとする構えをもたないと話し合いにはならない。
 互いの立場を明らかにし、お互いを理解し合った上で何かを生み出す。だから、創り出そうとする構えがなければ、話し合いにならない。(発言力の強い者が勝つ話し合いは「話し合い」にはならない。)

人の意見を聞く

2009-01-25 | 育児
 自己主張が強いと人の意見を聞くことがなかなかできない。一緒に活動をし、強引に自分の意見を押し通そうとすると必ずぶつかる。そして、意見が衝突すると活動を前に進めることができない。こうなると、互いに譲り合ってお互いが納得できる形にできるだけ早くしようと努力する。
 しかし、自己主張が強いとそれさえ受け入れられない。なぜ受け入れられないのだろう。
<受け入れられない理由>
・自分の意見が一番いいと考えている。
・相手の意見のよさがわからない。
・自分の意見が通らないことで自分を否定された気持ちになる。
・譲ることで自分が負けた気持ちになる。
・自分の意見が通ったときの気持ちよさを味わえない。
 これは、今までの生活経験の中で思い通りにならなかったことがなかったことが原因ではないだろうか。だから、どこかで、自分の意見が通らないときの乗り越え方を学ぶ必要がある。
<人の意見を受け入れるために必要なこと>
・意見に優劣がないことがわかる。
・いつも自分の意見を通そうとすると人に迷惑をかけることがわかる。
・みんなの意見で新しい考えを生み出す楽しさがわかる。
・自分の意見の一部が通ることで喜べる。
・意見の一部でも認められたり、感謝されたりする体験を味わう。
・意見の一部が通るだけでも十分楽しいことを味わう。
 グループ活動でのもめ事を子どもたちだけで解決させるだけでは、自己主張の強い子どもが「譲ってよかった。」「我慢してよかった。」などという気持ちをもつことはなかなかできない。「仕方ない。」という諦めだけが残ることが多い。そのため、また別の活動の時に同じような状況が起こる。たびたび起こると、「どうせ、私は受け入れてもらえないのだ。」という自己否定につながる。だから、もめ事が起きたときに教師が見届けをし、譲ったり、我慢した姿を褒めたり、認めたりしながら、仲間の中でうまく自分を生かせるように導いていく必要がある。これは、子どもよりもちょっと高い位置から子どもを見ている教師だからこそできることだ。

活動を見る

2009-01-23 | 育児
 互いに気持ちよく仕事をするためには、仕事を一緒にする仲間への配慮が必要となる。それを欠くと気まずい思いになったり、仕事へのやり甲斐を欠いたりすることになりかねない。
 配慮をするということが、具体的に何をすることなのかがはっきりしていることが大事。
 グループで活動をさせるときに、活動を任せ切りになって、結果だけを見ていることはないだろうか。
 どんな仲間関係なのか、どんな仲間関係にしたいのかをはっきりしていないと結果しか見えない。
 活動中の取り組みの様子を見るとかなり互いのエゴが飛び交うことがある。したいことには一生懸命になるが、面倒だと思うとしないで人任せになっている子、自分のやり方を通そうとして譲らない子、人の動きに合わせて従順に動く子、様々な子どもがいる。
 1つのことをするのに時間がかかるのは、互いに思いやりがなく、譲り合う気持ちが欠けていることが多い。
 「もっと友だちの立場になって考えてご覧。」「助け合ってやらないとできないよ。」と言っても、具体的な動きが分からない子もいる。
 具体的に動き方を示すことがその手助けとなる。
・みんなができるように順番にする。
・必ず「これでいいですか?」とみんなで確認をする。
・足りないことがあったら、補う。
・自分の役割をするだけでなく、グループの活動として知恵や力を出す。
・活動経過を確認し合う。
・互いに「ありがとう。」と言い合う。
 早い時間で活動できるのは、それなりによさがあるからだ。それに気づかせることも仕事に向かう人間関係を高めることになる。結果を生み出す過程に力を注ぐことが結果をよいものにする。
 グループ活動に現れる人間関係に注意を払うことで仕事ぶりをよくし、やり甲斐を生むことができる。子どもと一緒にいる時間は、どんな活動であっても目を離さないでいたい。 

集団が動く

2009-01-22 | 育児
 みんなと一緒の行動ができると安心する一方で、自分のしたいことはみんなと違ってもしたいと思うことは、いくらでもある。そして、したいと思ったことを優先するか、それとも一緒の行動を優先するかは、場によって違う。個性重視だから、みんなと一緒に行動することよりもしたいことをさせることが大事だと考えているのならば、それは大きな間違いだ。
 個性は、集団の中で発揮されて初めて個性だ。マナーだとかエチケット、ルールだとかがある。これらを意識せず、各自が自由気ままにしていたら、全体として動けないし、その場にいても安心できない。どこを目指しているか、そのためにどんなことを考えて、どのように進めばよいのかが揃うと全体として動くことができるし、一緒に居ても安心だ。そして、その中で、「これは、いい。」と多くの指示を得たとき、「これ」を生み出した個性が生かされる。
<明確にしたいこと>
・(場を読む)・・・けじめをつけるために
 したいことでも授業中にしてはならないことがあること。
 休み時間の言葉遣いがそのまま授業の言葉遣いにはならないこと。 
 休み時間で作る人間関係と授業中の人間関係は異なることが多いこと。
※この考え方があると子どもの動きを制約することは間違いない。しかし、これがあると誰もが安心して学校生活を送ることができる。
・(空気を読む)・・・活動の流れに合わせるために
 活動の中ですべきことはすること。
 見通しをもった活動は、その流れに乗って歩むこと。
 予定通りに行かないときには、変更があること。
 個々によって能力が異なるから思い通りにいかないことがあること。
 助けたり、助けられたりしながら流れを作っていること。
 その助け合いの中で個性が発揮できること。
※この考え方があると他を意識して事を進めることになることは間違いない。だからと言って個性をつぶすことにはならない。
 集団は、個々の能力を上げるだけでは動かない。その集団の中の一人一人に場や空気を読む力を身に付けることで集団が動く。

心を開く

2009-01-21 | 育児
 自分にとって安全な相手だと分かったときに心を開く。心が開かれた状態でないとなかなかこちらの思いも伝わらない。
・話を聞かない。
・目を合わせない。
・言った事に反発をする。
・無視をする。
 力尽くで心を開こうとしても余計に閉じてしまう。まるで、「北風と太陽」のようだ。言えば言うほど反発をする。どうしてよいのかわからない状態に至ることがある。
 「どうして、心を開いてくれないの。」「どうすれば、心を開いてくれるの。」・・・そのうち、「私の何が悪いの?」と自分を責め始める。しかし、自分を責めて解決にならない。
 理屈で子どもを責めても解決はしない。心を開くことは、心が感じることであり、納得することではない。心が心地よいと感じる状態にすることを考える。
 これには、相手に合わせることが一番大事。しかし、本心から合わせる気持ちがなければ、相手の心は何かおかしいと感じる。本気で合わせなければ余計に離れていく。感性が強い子どもをごまかそうとしてもすぐに見破られてしまう。
<相手に合わせる>
・相手の気持ちを理解する。
・相手のそばにいる。
・相手の言動を承認する。
・一緒の行動をする。
 共感という言葉で簡単に片づけることはできない。相手の立場を分かるためには、相手を十分知らなければ、分からない。上っ面の言葉ではない。本気になって、「あなたの立場ならば、そうする(そう考える)のも分かる。」という立ち位置に立たなければ、本気でいることが伝わらない。
 相手に合わせたときに、さてそこからどうやって私に近づき、私の思いを理解してくれるようになるのだろうと相手側から道筋を考える。これができれば、相手と一緒に歩むことができる。
 これは、子どもを引っ張り上げることではない。子どもの後から背中を押すことだ。
 こちらの願いに引き上げようとしているうちは、心を開くことはない。後ろから応援してくれると感じたときに、子どもが心を開き始める。
 そして、私のために応援してくれる大事な先生になる。

本質を見る

2009-01-20 | 育児
 物事の本質を見るということは、どういうことなのだろう。複雑になればなるほど見誤りやすくなる。また、目の前に現れることに振り回されていると、見えにくくなる。本質は単純であり、どこにも見えてくる。しかし、それが見えているかどうかは別だ。
「教育は子どもとの信頼関係から成り立っている。」・・・このことは、どの場面を見ても見えてくる。だから、これは教育の本質だろう。
「まず、やり方を教えることから始まる。」・・・このことは、どうだろう。子どもは知らないから教えるというが、知らなくてもできることはある。やりながら学ぶこともある。失敗して学ぶこともある。となるとこれは本質ではない。
「まず、関心や意欲をもたせることから始まる。」・・・・このことは、どうだろう。関心や意欲をもたせないで進めていると必ずどこかで不満が出る。できない言い訳をし、責任を転嫁することもある。関心や意欲をもたせることは行動するエネルギーとなることは間違いなさそうだ。となるとこれは本質だろう。
 毎日の生活で「すること」に流されていると「大事にしたいこと(本質)」が忘れられてしまう。「この授業で大事にすることは何だろう。」「この場でつかませなければならないことは何だろう。」「今すべきことは、これでいいのだろうか。本当は何をすべきだろう。」と自問してみる。これは、人間関係を築く上でも当てはまる。「今、この人との関係で何が大事なのだろう。」「今していることは本当にこれでいいのだろうか。」「本当は、どんな関係を築きたいのだろう。」などと自問してみる。
 本質を見ようとする癖をつけると、すべきことが変わってきたり、言うことが違ってきたりする。そして、これは、自分の生き方につながってくる。

欲しいと思った時が一番してほしいとき

2009-01-19 | 育児
 子どもが「~してほしい。」と思った時が、一番してほしいときだ。その時に、こちらの都合で「後からね。」「ちょっと待って。」と言ってもこれは通用しない。見通しがもてない小さな子どもはなおさらだ。今しかないのだ。何とかしてやりたいがなかなかできないと悩むのもそのためだ。
 「今は、できない。」と即決して子どもに伝えることは、子どもの気持ちに応えていない。だから、子どもは反発する。「あなたの気持ちが分かるから、何とかしてやりたい。」という気持ちを伝えることが必要だ。
 「困ったなあ。」という顔をする。「してやりたいが、してやれない。どうしよう。」と声をかける。即決よりは、子どもにこちらの気持ちが伝わる。子どもも自分の願いを実現させるために親の悩みに協力をする。(但し、このような問題解決になれていないさらに小さい子どもには難しい。その時は、「ごめんね。ごめんね。」と伝え、泣き続ける子どもを気にしながらできるだけ早く自分の事を済ませて、必ず応えてやる。)
 相談し合って決めたことならば、願いの実現が後になっても子どもは納得する。
 一番いいのが、即対応することだ。これをすることで、「私の願いを叶えてくれる人」になる。それを繰り返しているうちに子どもから信頼を得ることができるようになる。
 ここで陥りやすいのが「何でも聞いてくれる人」になってしまうことだ。「ここは、我慢させないといけない。」「ここは譲れない。」ということをもっていることが大事だ。このときは、後に回ったり、できないと言い切ったりすることができる。それを通すことで、こどもは、「このことは、だめなんだ。」「このことは通用しないのだ。」と学習する。これが躾となる。したいと思ったことがある程度満足できる子どもになっていれば、この学習が成立する。いつも我慢させられている子どもでは、それはできない。不満が溜まっているので、どこかで爆発する。
 親の言う通りに生きていくしかないと我慢し続けてきた子どもは自我が目覚めると反発が強くなって出てくる。今まで自分を出せなかったことへの反発となって出てくるのだ。
 子どもがしてほしいと思った時に、してもらえた体験をたくさんすることで子どもは自分らしく生きられる。多少の我慢もできる。
 子どもは親の鏡だ。こちらがしてきたことが子どもの反応として現れてくる。そして、その反応は、今すぐなのか、近い将来なのかは別として、必ず現れてくる。子どもへの対応が私たちがしたことのすべてだ。優柔不断な対応をしていると子どもは学べない。何を大事にして子どもに対応しているのかをはっきりさせることで子どもも何が大事なのかを学ぶことができる。子どもがしてほしいと思った時にどのように私たちが対応しているかということは、子どもが私たちに生き方を問うている時なのだ。

思いを伝える

2009-01-18 | 育児
 赤ん坊が泣く理由は様々。どうにかしたいから泣く。しかし、泣くだけでは、どうしたいのかがわからない。赤ん坊は、何とかしたいという自分の思いが伝わるまで、泣き続ける。赤ん坊が泣き続けるから、親は、思いを分かろうとして試行錯誤する。思いが伝われば泣きやむ。泣くことで相手に気持ちを伝えるにはかなり時間がかかる。それを解消するために私たちは道具を手に入れた。それが、言葉だ。
 しかし、言葉で自分の思いを十分伝えることはなかなか難しい。自分の感情を上手く表す言葉が見つからなかったり、言葉足らずになったり、相手に言葉の取り間違いをされたりする。このことは、言葉を使う私たちは、誰でも感じることだ。思いを言葉で伝えることの限界があるのかもしれない。
 相手が時間をかけてでも理解しようと精一杯努力をしてくれれば、思いは早く伝わるし、誤解も少ない。しかし、逆に関心がなかったり、関わろうとしなかったり、適当にあしらおうとしたりする相手だったら、思いは伝わらないし、間違って伝わることもある。つまり、自分の思いが確実に伝わるかどうかは、相手との関係次第ということだ。
 「あなたの事が気がかりだ。」「あなたの事を分かりたい。」「あなたの願いを生かしたい。」などと愛情をもって関わろうとしている相手ならば伝わりやすい。母親が泣き声一つで何をしてほしいのかを聞き分けられるようになるのは、我が子への愛情があるからできることだと思う。
 となると、愛される自分になることが、一番思いを聞いてもらえる自分になることになる。果たしてどれだけの子どもから愛されている自分になっているだろうか。
 愛されていると感じなくても、信頼関係があることが次に思いを聞いてもらえる自分だ。子どもたちが分かろうと質問することは、信頼関係があるからできることだ。その質問をうるさがっていることはないだろうか。一方的に話すことで伝わったと思い込んでいることはないだろうか。関わりを保とうと必死で教師についてくる子どもたちの精一杯の努力をどれだけ受け止めようとし、応えているだろうか。そして、伝える側として、赤ん坊のように本気で伝えたいことを伝える努力をしているだろうか。言葉の限界を超えて本気で伝えたいことを伝えているだろうか。このことは、子どもとの関係だけではない。日頃の人間関係に置き換えることができる。家庭や職場の人間関係ではどんな結びつきを築いているのだろう。

考える機会

2009-01-17 | 育児
 新しいものを発見したり、新しいこと考えを生み出したりすることはとても楽しいことだ。簡単に発見したり、生み出したりしたことよりもじっくりと時間をかけて発見したり、生み出したりしたことの方が心に強く残る。それは、発見や生み出すために思いを巡らしたり、動きを工夫したり、悩んだりすることが多いからだ。努力をしている過程が複雑であればあるほど達成したときの喜びも強くなる。
 今の子どもたちは、恵まれ過ぎていて、欲しいと思ったときにものがすぐに手に入る。すぐに手に入らないと身動きができず立ち止まったり、諦めてしまうことが多いように思う。だから、苦しんで、もがいて手に入れる喜びを味わうことが少ないのではないだろうか。
 考える力が弱いと言われることが多い。このことも同様だ。考える力が弱くなるのは、できるだけ早く結論がほしいと思い、十分考えを巡らすことなく、諦めてしまったり、人に頼ったりしてしまうことが多いからだろう。
 そこで、自分で考えを十分巡らし、生み出すことの苦しさを乗り越えたときの喜びを感じるような取り組みを日常的に行うことがとても重要になる。「日常的に」である。
 考えさせるためには、次のような言葉かけが役に立つ。
<環境への働きかけ>
「何を整えればいいの?」「どこで?」「いつまでにすればいいの?」
<行動への働きかけ>
「どうするの?」「どうなるの?」
<能力への働きかけ>
「どんな力がいるの?」「どのようにすればできるの?」
<考え方や価値観への働きかけ>
「どんな気持ち?」「何を考えているの?」「何のために?」
<人そのものへの働きかけ>
「誰がすればいいの?」
 このように考えさせる視点を子どもに投げかけることにより、考える時間を作り出す。
 人によって癖がある。すぐに答えられることとすぐに答えられないことがある。いつも気にしていることは、すぐに答えられる。しかし、そうでないことは、なかなか答えられず、乗り越えるまでに時間がかかる。
 これを待つことができるか、それともこちらから答えを出すかによって充実度が違ってくる。(こちらの都合でこちらが答えを出したときには、自分で考えを作り出せなかったと解釈したい。)
 逆に投げかける方にも投げかける言葉に片寄りが出る。得意な投げかけと不得意な投げかけがある。自分の得意と不得意を発見することも子どもへの投げかけの幅を広げる上で重要となる。
 さて、これを生かす場面はどこにあるだろう。
・めあてを決めたとき
・悩みをもったとき
・問題を解決したいと思ったとき 等
 壁を乗り越えようとする時がチャンスだ。このチャンスを作るのも教師の仕事である。
 一時間の授業は問題解決の過程であり、十分これを使うチャンスがある。また、めあて決めをする機会も多い。(決めたらよしとするのではなく、問い返しをしてみることが刺激となる。)トラブルは日常的に起こる。ここまで、考えてみると学校生活のどこにでも自分で考える機会がある。子どもの力で乗り越えさせようとする教師の構えさえあれば、考えるチャンスはどこにでもあるということだ。

焦点の当てどころ

2009-01-16 | 育児
 小学校生活最後の学期を迎える6年生にとって、晴れ舞台は卒業式だ。その卒業式に向けて、どんな取り組みをしているのだろう。「卒業式に向けて準備をする。」と言われたときにどんなイメージが浮かぶのだろう?
 具体的に教師自身がしなければならないことが浮かぶのだろうか、それとも子どもの姿が浮かぶのだろうか、この浮かべることの違いがこれからの取り組みの違いになってくる。
 しなければならないことが浮かぶと、することのために子どもを動かすことになる。どんな力を付けなければならないかと思えば、力を付けることのために子どもを動かす。どんな構えをもたせなければならないかと思えば、構えを作ることのために子どもを動かす。どんな子にさせたいかと思えば、願う子にすために子どもを動かす。どこに焦点を当てるかによって動きが違ってくる。
 また、することに焦点が当たるとすることができる環境を整えることへと焦点が広がる。力を付けることに焦点が当たると力を付けるためにすることやそれができる環境へと焦点が広がる。構えに焦点が当たると構えさせるために力を付けることや力を付けるためにすることやそれができる環境へと焦点が広がる。願う子に焦点が当たると願う姿にするための構えを作り、その構えが身に付くための力や力を付けるためにすることやすることができる環境へと焦点が広がる。
 焦点の決め方で焦点の広がりも違ってくる。しなければならないと思ったことも焦点の当て方によってしなくてもよいことややり方を変えなければならないことになる場合がある。
 例えば、仲間と心を一つにして行動する子を目指したとき、教師が教えなければならないと思っていることが、子ども同士で注意し合ったり、気遣い合ったりするすることが大事になる。この場合、直接教師が注意をして教えることではなく、注意し合ったり、気遣い合ったりできるために、仲間の姿に気を配ることに配慮をすることになり、教師の動きは変わる。
 焦点の当て方一つで教師の姿勢が変わる。つまり、どこに焦点が当てられる教師なっているかによって指導の質が違うことになる。さて、どこに焦点を当てて指導をしているだろうか。今、自分を見つめ直してみる機会だ。