ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

自分らしく

2008-12-31 | 育児
 継続は力なり。今日で今年が終わり。習慣にしたことは,いくつあるだろう?新しく挑戦することを1つでも作りたいと年始めにはいつも思う。これは,年齢とは関係ない。生き方だ。 挑戦できるエネルギーがある間は,まだまだ若い。可能性を信じ,あきらめないで何かに挑戦する。
 自分らしさを磨くために,常に前向きに物事をとらえ,自らに課すことで自分自身をより自分らしくする。年齢を重ねると周りとの協調を考えて,自分らしさをなくすこともある。しかし,これは後悔につながる。一度しかない人生。無駄にはしたくない。自分らしさが生かせるように周りを巻き込む程のパワーと魅力があれば,必ず受け入れられるものになる。
 未熟な自分を励ますもう一人の自分を信じて任せてみよう。明日から新たな挑戦ができるよう一晩ぐっすり寝て,考えてみよう。明るい未来を切り開くのは自分だ。世間の荒波とは関係なく自分次第でどんな人生にでもなる。いよいよ始まる2009年を飛躍の年にしたい。

一年を振り返って

2008-12-31 | 育児
 「笑顔と感謝」をキーワードにしてきた1年間、実際に笑顔が増えただろうか、感謝の気持ちをもつ機会は増えただろうか?自分の立てた目標を振り返ってみるとまだまだ不十分だと思うことはいくらでもある。
 ここで大事にしたいことは、「振り返ること」だ。
どこかでけじめをつけ、新たな出発をするためには、どうしてもこの立ち止まりの機会が必要となる。過去は過去として、明日に向かってどんな自分を創り出そうとしているのか。立ち止まる機会を作ることができる。
1年という長い道のりも始めの一歩がなければ、進まない。
 世の中不景気の風が吹いている。その不景気の風をまともにくらって、自分の心の中にも風が吹き始めては大変だ。
 心は世の中の動きとは別。自分のイメージを豊かにし、1年の始まりには新しい気分で臨みたい。そのための立ち止まりの機会が、今日、明日の2日間。大事にしたい。
・自分らしく過ごせた1年間だったろうか。
・一つでも、自分の願いを叶えたことがあっただろうか。
・どんな力がついたのだろう。
・職場の人間関係は、今まで以上に改善されただろうか。
・したいことは増えただろうか。
・好きな人は増えただろうか。
・家族と過ごす時間は増えただろうか。
 様々な視点で振り返ってみると、自分がどこに視点を当てて過ごしてきたのかがわかる。新しい1年を迎える心の準備をしよう。

見つめ直す

2008-12-28 | 育児
 よりよいものを創り出そうとするには時間がかかる。ただ、時間が経てばよいというものではなく、「いいものができないかな。」と考えを思い巡らせていることが大事になる。そのうちに、ふとよいものが浮かぶことがある。これは、不思議なことだ。でも、自分の可能性を信じて、時間をかけてみる。このふと浮かぶ感覚を作ると必要なときに必ず助けてくれるようになる。これは、イメージトレーニングに似ている。自分の中にあるもう一人の自分が助けてくれる。つまり、自分の無意識をうまく活用することで、思わぬ力が発揮できる。無意識の協力は計り知れないものだ。より自分らしいものを創り出すには、この無意識をうまく活用することがポイントになる。
 実践のまとめをしている時に、どんどん浮かんでくる新しい考えは正にこれだ。この冬休みは時間をかけるには最適な時期だと思う。これなら3学期の実践に向けてかなりの準備ができそうな予感がしてきた。来年もよい年になりそうだ。

輝く宝石のように

2008-12-27 | 育児
 誰しも欠点はある。その欠点を自覚していると、見られたくないので欠点を隠したくなる。一緒に仲間といると、その欠点について様々な対応を見つけることができる。その欠点を欠点だと指摘する人もいる。欠点を知っていてその欠点をカバーして動く人もいる。欠点を欠点とせずよさとして応援する人もいる。
 欠点を指摘する人へ・・・・・・・「やっぱり欠点だな。」
 欠点をカバーして動く人へ・・・・「ありがとう。」
 欠点を欠点としない人へ・・・・・「これでいいかも?」
 人によって様々な捉え方があり、それに動かされている自分がある。周りに様々な人がいて、自分が上手く生かされていると感じると、欠点を受け入れながら仕事ができる。
 欠点だと思っていたことは、欠点ではないかもしれない。自分の思い込みかもしれない。そんな気持ちにさせてくれる仲間と一緒に仕事ができると思うと嬉しくなる。
 仲間と一緒に飲みながら、自分を振り返る機会を作る。自分もまんざら捨てたものじゃないぞ。自分らしくこれからも生きていこうと力がわいてくる。
 子どもも同じだ。周りから指摘される自分の問題に振り回されている姿を時々見かける。認められたくて、自分らしさを曲げて見せている姿があるとしたら、これはもったいない。いろいろな視点から見られることで今の自分はいいんだと自信がもてる。自分はだめだと決めつけないで自分らしく生きて欲しい。
 そのためには、教師が子どものために一緒にいて頑張れる仲間を作る努力が必要になる。その時の構えとして、
・仲間から認められる場を設けること
・子どもを自分の都合に合わせて使わないこと
・目の前の子どもを長い目で見ること
・本当にその子の欠点なのだろうかと疑うこと
・互いを認め合う顔になっているか見届けること
 どの子も大事な一人だ。将来のある子どもたちだ。光輝く宝石にでも触れるように大切に関わりたい。そして、自分らしく光り輝かせたい。

冬休みにしたいこと

2008-12-26 | 育児
 時間に追われて忙しい毎日を送っているとつい見逃してしまうのが、自分の努力の整理。二学期に取り組んできたことを自分なりに整理することで三学期の取り組みの目標や取り組みの目安が見えてくる。
・してきたこととその事で子どもが変化したことを振り返る。
 努力したことに失敗はない。成果の大きさがあるだけ。次につながるためにその取り組みを振り返る。
 学級経営として取り組んだこと・・・・・・子どもはどうだった?
 教科経営(授業作りでしてきたこと)・・・子どもはどうだった?
 生徒指導として取り組んだこと・・・・・・子どもはどうだった?
 ※してきた取り組みとそれにともなう子どもの変化とつないで見る。
・変化した原因を自分の考え方や能力と結びつける。
 少しでもうまく行ったことを事実として捉えるだけでなく、それを作り出した自分自身と結びつける。
 自分にはどんな能力があるのだろう?
 自分のどんな考え方がその結果を導き出したのだろう?
自分自身と結びつけるだけで、自分に自信が沸いてくる。そして、「もっとあるとよい考え方は何だろう。」と自分で作ることができれば、3学期の取り組みの方向が見えてくる。
 教師は孤独な仕事だ。自分自身をじっくりと見つめ、こんな自分でよかったと言えることをたくさん作ることがまず大事だ。冬休みに自信がもてる自分にして、新しい年を迎えたい。私たちにも輝く未来があるのだから。

笑顔で

2008-12-25 | 育児
 辛いことがあるとどうしても笑顔が少なくなっていく。学期末になり、子どもたちと過ごす日々もあとわずかとなった今、新学期へのつなぎとしても笑顔で子どもたちと別れたい。
・やり残しが気になっていることはないだろうか?
・目標に達成していないことへの申し訳なさはないだろうか?
・子どもとの関係が十分築けなかったことへの思いはないだろうか?
 できなかったことに目が向いていると、できたことが見えなくなる。
できたことがどれほどたくさんあっても、それが見えなくなる。できなかったことは、いくら悔やんでもできるようにはならない。
 子どもたちとできたことに焦点を当て、自信をもたせ冬休みを迎えさせたい。時々、できなかったからと言って、できない分を冬休み中にできるようにしてきなさいという教師を見かけることがある。教師と一緒にいてできないことを保護者に任せてさせるということがどれ程、無責任で、自分の能力のなさをさらけ出しているかわからない。保護者は、我が子のためだから必死になってしようと努力する。しかし、本来これは、教師が保護者に代わり必死になって努力しなければならないことだ。子どものせいにしていては、自らの力量を高めることはできない。
 今できていることが自分の力だ。子どもと作り上げることのできる今の力だ。
・子どもとの信頼関係はどの程度築けたのだろう。
・子どもたちの姿で変化したことはどんなことだろう。
・子どもと作り上げたと実感できる体験はいくつあるだろう。
・子どもに力をつけたことは何だろう。
・何人の子どもが思いを理解し、動いてくれるようになったのだろう。
・子どものことがどの程度理解できるようになった自分なのだろう。
 努力の成果を子どもと一緒に振り返ると結構頑張ってきた自分が見えてくる。そこに焦点を当てたい。
 できないことに視点を当てるのならば、欲張らず1つだけにしよう。そして、そのできないことを3学期のめあてにしよう。冬休みは、3学期を迎えるまでに、人間関係を見直したり、自分自身を振り返ったり、力を蓄えたりできる時期だ。笑顔で別れ、笑顔で再会できるように最後を締めくくろう。

本当の理由

2008-12-24 | 育児
 子どもは、時々学校でトラブルを起こす事がある。誰もが安心して学校生活を送りたいと思っているから、トラブルを起こしたくて起こすことはない。そこには、何らかの原因がある。自分の意が通らなかったり、自分の意とは反したことが起こったり、何か別に問題を抱えていてその解消のためにぶつかったり、様々な原因が考えられる。
 現象として起きた(喧嘩をした、暴力を振るった、暴言を吐いた)ことに焦点を当てて指導しても、根本的な原因につながっていなければ、何度でも同じことを繰り返す。
 「いつも言っているでしょ。」「前にも指導したでしょ。」「何度言ったら分かるの?」などという言葉は、根本的な原因を知らずに指導している指導する側の見方に問題がある。同じことを何度も繰り返ししていても問題解決にならないのは、なぜだろう。どこか別に原因があるのではないだろうかと探ることしか問題解決の出口は見当たらない。
・友だちがいなくて寂しがっていることはないだろうか。
・自分の事を分かってもらえないとおもっているのではないだろうか。
・保護者の愛情に飢えているのではないだろうか。
・日頃の欲求不満が溜まっているのではないだろうか。
 本当の理由は何だろうと問い続け、誤った判断をしていないだろうかと自分に問い続けることが問題解決の近道となる。
○最近忙しくて、子どもとのふれあいが少なくなっていたため、子どもが学校で友達に暴力を振るっていた。
○家庭で保護者で厳しくされていたため、学校で羽を伸ばして暴言を吐いていた。
○日頃から仲間外れにされていて、うっぷんをはらすために友だちの物を隠して困らせていた。
 学校と家庭と同じ顔をもっていることはない。反面が現れていることもある。家庭と学校が連携をしたり、子どもの日頃の様子を見続けることは、本当の理由を探す上でとても大切になる。ひょっとすると本当の理由を探っていないために、叱ることではないことを叱っているかもしれない。

信じているから

2008-12-23 | 育児
 所見を読むと書いた先生の人柄が見えてくる。この子のよさをどこまで知っているのだろう。可能性をどこまで引きだそうとしているのだろう。短い言葉の中に精一杯の思いやりと愛情が込められている。
 今、目の前にいる子どもだけへのメッセージではない。子どもの周りにいる保護者や家族、そして、子どもが生きていくであろう未来に向けての熱いメッセージである。
 これも、目の前にいる子どもを信じているからこそ、書きたくもなる。所見を書くことは義務でもあるが、誠意の現れだ。今まで集めた多くの情報の中から、どんな情報を利用し、どんな意図をもちながら、どのように内容を作り、どのように伝えようとするかは、教師次第だ。だからこそ、値打ちがある。
・本気でいれば、必ず伝わる。
・本気でいれば、次から子どもへの行動が変わる。
・夢の実現に向けて一緒に追いかけたくなる。
・保護者への協力を求めたくなる。
・保護者と一緒にダンスを踊るように子どものことを一緒に語りたくなる。
 所見の行間からは、保護者を奮い立たせようとしている思いが伝わってくる。所見を読むときは、「おうちのみなさん、本気で子どもの未来を作りましょう。」と心の叫びを感じる瞬間でもある。

創造力

2008-12-22 | 育児
 物事を理解するとき、人は頭の中でいろいろ想像しているそうだ。その時に言葉が浮かんだり、映像が浮かんだり、音や色が浮かんだりとか人によって浮かぶものが異なるらしい。その浮かべたものは、過去の体験や経験が元になっている。その意味から考えると、小さい頃の体験や経験はとても重要になる。体験や経験していなければ、想像することができない。
 子どもたちは、体験や経験が少ないから想像できる範囲が大人よりも狭い。しかし、どうして子どもの方が創造力が豊かなのだろう。それは、大人は、体験や経験が多い分、制限を加える体験や経験も同時に体験しているからだ。
 例 本
・形は四角、何ページかの厚さがある。
・本は、読んで楽しむもの。
・同時に扱い方も学ぶ。
・本の内容を知る。
 2歳の赤ん坊が、本をブロックのように並べて道を作った。そして、その上を行ったり来たりして遊んでいる。そのうちに偶然、本が立った。今度は山を作ったり、壁を作ったりして遊び始めた。
 本の扱い方を学んでいないため、本を平気で踏むし、開いて本を読むだけでなく、本の形状を使って遊ぶこともできる。つまり、制限が加わっていないから、自由に本を扱うことができる。
 「こうしてはいけない。」「こうすると危ない。」などは、自分の命の危険を感じない限り、小さな子どもにとっては制限はない。だから自分のもっている能力をフルに使い、組み合わせて創造的な活動ができる。
 「子どもを躾ることは、この創造力に制限を加えていることにもつながる。」と言うことは、制限を加えている大人が子どもの創造力の限界を決めていることになる。子どもに制限を加えながらも、より豊かな未来を創造できる子どもに育てるかは、子どもを育てている今の自分の構え一つで決まってしまう。子どもの活動にこちらの都合で制限を加えていることはないだろうか。本当にその制限は、子どものためになっているだろうか。目の前のことではなく、常に子どもの未来を描きながら目の前のことに制限が必要かどうかを見極めたい。

知らないことのもったいなさ

2008-12-21 | 育児
 知っていれば得をするのに知らないために損をすることは、身の回りにたくさんある。学習は、まさに知ると得をする分野に入る。自分にとって得をする体験がなければ、なかなか続かない。「やりなさい。」と言ってもやって得をしたと実感しなければ、なかなかやり続けられない。
・できなかったことができるようになった。
・知ったことで考えが及ぶようになった。
・したことで褒められた。
・したことで話題になり、承認された。
・知ることの楽しさを実感した。
・追求することの面白さが分かった。
・知ったりできたりしたことで、仲間が変わったり、増えたりした。
 何がきっかけで学習しようとなるかは、人によって異なる。しかし、このきっかけがつかめないでいる子どもが多い。
 最近の子は、勉強しなくなったとよく言われるが、学習することの楽しさを感じるように支援しているかどうかの方が大きな問題。日頃の子どもへの言葉かけに注意したい。
□ することやしたことだけを話していないか。
 「今日の宿題は、計算ドリルの○ページです。」
 「よくやってきたね。」
□ するとどんな力がつくのかを話しているか。
 「これをすると、こんな力が身につくよ。」
 「やったから、こんな力がついたね。」
□ するとどんな価値があるのかを話しているか。
 「こんな力がつくと、こんな事がわかってくるよ。」
 「こんなことが考えられるようになったんだね。」
□ するとどんな人になるのかを話しているか。
 「どんなあなたになるのか、楽しみだ。」
 「こんな考え方ができるあなたは素晴らしい。」
 したことで、何が変わってきたのかを自覚させるように言葉かけをするか、しないかは大きな違い。言葉一つで、大きく変わる。

立場をかえて考えてみる

2008-12-20 | 育児
 自分の思ったように人が動いてくれないと思ったとき、その原因を探ることがある。自分にはなかなか気づかないことでも、立場を変えてみると分かることがある。
 もし、私の思ったことを受ける取る人の立場だったら、どんな考えが浮かぶだろう。
・それは、いいかもしれないな。
・いや、そうは言ってもなかなか難しい。
・それは、おかしい、ここに問題がある。
・そうかもしれないけど、他への影響は考えているのだろうか。
 自分の考えていることは素晴らしいと思いこむことも多いが、立場を変えるとそうでないかもしれないことに気づく。
 足りないところ、配慮が不足しているところ、見えていないところなど様々ある。
 人間誰しも完璧のはずがない。しかし、思い込みの強さはすごい。これをよりよいものにするために人に尋ねることはかなりの力添えになる。賛同する協力者もいれば、批判する人もいる。そう思っているだけでも違う。みんながこちらを向いていないと気が済まないと思うと、かなりの強引さが出てくる。「こちらを向かない人もいるかもしれないな。」と思って行動するだけで、こちらを向かない人への配慮を考えることができる。強引に向かせてもいずれは、逃げていく。自分への関心を高めていくには、こちらを向きたがるだけにの要素をもっていないといけない。今のままの自分に何が足りないのかを見つめることができるのも立場を変えて考えてみるからだ。自分の中にそんな人物を作る。イメージを膨らませ、何度も繰り返しそんな自分を作ってみる。
 そして、見つめた後に「それじゃあ、何ができるかな?」と応援してくれる自分も作りたい。

気づかないと動けない

2008-12-19 | 育児
 自分ではなかなか気づかないことが、他人からは見えることがある。そんなとき、指摘を受けると「そうだったんだ。」「えー、そんなことない。」などと様々な反応をする。
 自分で気づけないことを教えてもらえることほど有り難いことはない。自尊心を傷つけるから言わないでおこうという姿勢では、本人にとってプラスにはならない。人間関係を大事にするから言わない方がよいということでなく、人間関係をもっと大事にしたいから言おうという構えが相手に伝わることが気づきを生む。
 また、体験から気づくこともある。こちらの方が人から言われることよりも自分への影響は大きい。失敗体験があると考えることが多い。それは気づきに直接つながる。しかし、失敗だと思わなければ学びは少ない。また、逆に成功したときにも「できて当たり前だ。」と思っていると気づくことはない。「できたのは、なぜだろう。」と振り返ることがあれば、気づきが生まれる。
 失敗しても成功しても要は、自分への問いかけをするかどうかが気づきにつながるかどうかだ。
 年齢を重ねると経験も多く、気づくことも少なくなる。また、周りも遠慮して指摘することも少なくなる。気づけるときに気づかないと気づかずに過ぎてしまう。子どものうちは気づきが多い。だからこそ、失敗の体験や人からの指摘が必要だ。子ども任せの放任は、失敗したときにも視点を示して気づかせようとしない。体験したときには、視点を明らかにして振り返りをさせることがとても大事だ。
 「これをすれば、いいんだ。」「このことが大事なんだ。」と子どもが言った時、気づいたことになる。活動の後に、子どもに尋ねてみたい。
「この活動から何を学んだの?」
「やってみて、何か気づいたことはある。」
聞いてみると、新たな発見をすることがある。「そうか、子どもはそう考えるのか。」「そんなところを見ているのか。」などと思うことがある。そして、その時、意図する気づきでなければ、こちらから気づかせる視点を示さなければならない。「ところで、これについてはどう?」と問い返すことがそれだ。ここがポイントとなる。さて、子どもは教師の願い通りに気づいているのだろうか。

保護者が安心する所見

2008-12-18 | 育児
 保護者は、「うちの先生は、私の子どもをどう見ているのだろう。」という保護者の思いに答えるために、、子どもに関する様々な情報を集め、できるだけ説得力のあるものを作ろうと誰もが努力している。しかし、その集めた情報の質によって保護者への伝わり方が違う。
 誰もがいくつもの顔をもっている。学校での顔もあれば、家庭での顔もある。学校の顔と家庭での顔が一致することはない。だからこそ、保護者が「うちの子はそんな子ではない。」という思いになることもある。それでもあえて、「学校では、こんな面もありますよ。」と伝え、保護者が「そうか、家庭とは違ってそんな面もあるのか。」と受け取るように情報を伝えたい。
 このときにその子のもっているよさを取り上げることが多い。その子らしさはどんな表現で表されているだろう。
<A 性格や考え方に関する情報>
 根気強い、責任感がある、情熱的、活発だ、冷静、意志が強い、~と考えている
 好奇心旺盛、積極的、優しい、おおらかだ、素直だ、真面目だ、明るい、~を好むなど
<B 能力に関する情報>
 創造力がある、表現が豊かだ、笑顔が多い、友だちと仲良くできる、
 言葉遣いが丁寧、~が得意だ。~ができる。リーダーとして活躍できる。など
<C 行動に関する情報>
 よく~をする。こんなことがあった。~になった。など
事実を伝えることは大事であるが、その事実がいつもそうなのか、時々なのかによっても違う。事実は例として取り上げると説得力を増す。
例 やさしい子だ(性格)→困っている子に声をかける(行動)
  表現が豊かだ(能力)→図工で~な作品を作った(行動)
また、人間誰しもよい所だけではない、課題や問題もある。それは、可能性として保護者にも伝えたい。
例 この努力がこんな力になっていく。
  こんな面が伸びるとさらにこんな活躍が期待できる。
  ~の解消には、こんな点に努力するとよい。
  こんな見方ができるとさらに~として伸びていく。
このようにABCやよさと可能性を上手く取り入れると保護者が「うちの子をよく見ていてくださる。」と安心してもらえる所見になる。片寄ると「本当にそうかな。」とちょっと疑いたくなる。

頼るものがほしい

2008-12-17 | 育児
 生きていると自信があることばかりで事が進むわけではない。不安を抱いたり,困難にぶち当たったりすることは日常茶飯事である。そんな時に頼りになる人がいることはとても心強い。
 子どもが幼いころには,育ててくれる両親がその頼りになる存在であり,年齢を重ねると社会が広がり,広がった所で頼りになる人がほしくなる。いつまでも両親に頼れないし,両親のいる場ではない。(最近は子どもから離れられない保護者が多くなっているように感じるが。)
 学校に通うようになれば,やはり学校の先生が一番の頼りとなる。そのうち,自我が目覚めてくると先生から関わりの深い人物を自ら見つけて,求めていく。恩師だとか,親友などというのは,まさにそれだ。
 人に頼らずに生きていける強さがあれば,不安を抱いたり,困難にぶち当たったりしたときに自分の力で乗り越えていく。その困難が自分にはそれほど大したことでないから解決できるのだろうし,それだけの度量を備えているのだろう。
 頼るものは,人だけではない。自分を生かしてくれる考え方や価値観などがある。人が何と言おうと,この考え方があれば,自分は生かされると思えばそれに頼る。宗教だとか思想だとか言われるものがそれになる。
 子どもに自立を求め,目指している教師にとって,子どもが一人で生きていく上で必要な人物としての自分を磨くことも大事であるが,思想や信条と言われるものを子どもに伝えることができ,それが頼るものとして相応しいと感じ取らせることができたら,きっと教師に頼らなくても生きていける。
 私たちは,毎日の生活の中で,子どもたちに頼るものを伝えているだろうか。教師の価値観がまさにそれだ。目の前の子どもに必要な価値観を伝えていく自分だろうか。目の前のことをこなすために子どもに伝えるのではなく,子どもの後ろにある未来や家族など生きていく土台を意識しながら,働きかけていくことに意味がある。子どもたちは,頼るものをほしがっている。自分で探しなさいでは子どもには酷だ。ヒントとなるよりよい生き方を示さないと子どもには見つからない。そのことができるのが,教師だ。自らの生き方そのものがヒントになることが多い。あんな先生みたいになりたいと憧れをもってもらえる生き方ができたら,幸せだ。これからも自らの姿で子どもに働きかけよう。

関わり続ける

2008-12-16 | 育児
 本気かどうかは、どうすればわかるのだろう?
本気で思っていることを「これは本気だ。」と思わせるには、繰り返ししかない。そのためにも、離れないことだ。
 ただ、夢中になっていると自分のしていることが見えなくなってしまうので、どこか別の所からいつも自分を見つめながら、離れないことが大事。
 受け取る方は、本気かどうかをいろいろ試してくる。ある時は反発する。ある時はこちらを罵倒し、否定する。そんな時、「そこまで言うなら、もういい。」と言って諦めてしまうとすれば、「別の所から自分を見つめている自分」がないことになる。そんな時にでも「そうか、私を試しているんだな。」と冷静でいられることが次の機会を用意できる自分でいられる。
 いろいろな試しは、本気だと分かるまで続く。自分が試されていると思いながら、離れないで関わり続ける。すると、いつの間にか、相手のためにしていると思っていることが実は自分のためだと気づく。本気だということに焦点を当てているから、ぶれが少なくなっていく。いろいろ試され、揺らされる自分。それでも耐えながら「しっかりしなくちゃ。」「ここで折れてしまってはだめだ。」と自分に言い聞かせている。それが自分を強くする。芯がしっかりし太くなる。この試しに耐えたとき、自分が変化していることに気づく。すると、相手が変化していることにも気づく。関わり続けることは、相手のためでもあるが、本当は、自分のためなのかもしれない。