ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

すべては愛

2006-10-31 | 育児
子どもを育てる側の愛情が子どもに伝わる時、子どもは愛されていることを感じ、それに応えようとする。仕事ではない。子どもの輝く瞳と素敵な笑顔がみたいから子どもに立ち向かっている。
 これは、ゆとりがあるなしの問題ではなく、生き方だと思う。
当然人数が増えれば、それだけ子どもにかける時間は増える。それを負担と思うか、それともやり甲斐があると思うかは教師次第。一人でも多くの子どもと関わりたいと思う気持ちはどこから沸いてくるのだろう?
 私は、愛だと思う。

模倣が恐い

2006-10-30 | 育児
 岐阜でまた中学生が自殺をした。いじめが原因かどうか調査中ということだ。
 身近なところで起きるとは!子どもたちは、弱いもの。楽な逃げ道を教えられるとすぐに真似をする子もいる。子どもたちにとってこのような報道は、プラスに働くものだろうか、マイナスに働くものだろうか。難しさを感じる。

不易と流行

2006-10-29 | 育児
 高校における必修科目の不履修の問題は、教師のいじめによる自殺、教師の飲酒運転など教師個人の問題でなく、組織を動かす側の生き方が問われている問題だと思う。学校の管理職として企業から校長、教頭などとなっていく人がいる。また、教育委員会の長となる人の多くは行政の方と聞いている。教育者でない人がトップに立つことの良さもあるが、弊害もあるのでは。
 大事にする軸が狂っているとその影響は大きくなる。トップに立つ人間が、教育の本質である「不易」の部分をどれだけ大事にして経営に当たっているかが、今問われているのだと強く感じる。(個々の教師は、管理される側になる。)
 「事件は、現場で起きている。」ではないが、現場をよく分かっている人が上に立たないと心配だ。

しなければならないこととしたいこと

2006-10-28 | 育児
高校の必修科目の履修漏れが話題となっている。義務教育では許されないことが、高校では、大学入試制度があるためにこのような歪な現象を起こし、まかり通っていたということである。教育は人なりというが、まさに学校経営においても同じなのである。経営のトップが目標をどこに置いているかによって教育内容も変わってくることがこの事例からよくわかる。今の日本はどこかおかしい。
 個々の問題の解決も重要ではあるが、問題の発生の原因となる元を正さなければ、別の形で問題が発生することが予想される。
 生き方を教える教育がなされていないで、小手先で教育をしている教育者が多いのではないか。それは、個々の教師の問題だけでなく、経営する側にも同様のことが言える。
 子ども←学校(小中高大)←市町村教育委員会←都道府県教育委員会←文部科学省
 「しなければならないこと」と「したいこと」を両立させる生き方を子どもに教える側としてどのような生き方をすればよいか再度考えさせられる機会となった。

言葉をつなぐ

2006-10-27 | 育児
 よく子どもの思考の流れに沿った授業を目指そうという。学習の主体が子どもである以上、その通りである。それでは、子どもの「思考の流れに沿った」とは一体どういうことなのか?子どもの思考が見える姿は、「言葉」である。子どもの言葉がつながるようになっているかどうかを考えてみるとそれがよくわかる。
例 「好き嫌いなく何でも食べよう。」 (課題作りまでの流れ)
 好きなもの、嫌いなものの実態を明らかにする。「好きなものや嫌いなものがある。」
T「好きなものや嫌いなものがあっていい?」
P「だめ、だって体によくない。」
 「お母さんが、何でも食べなさいというよ。」
 「丈夫な体にならないって聞いたよ。」
T「丈夫な体にならないって?」
P「うん。だって・・・・」
 「よくわからない。」
T「よくわからない子もいるね。実は・・・(働きを説明)」
 「野菜は、体の調子をよくしたり、うんこを出やすくしたりする。嫌いだといって食べないと病気になったり、うんこが出なくておなかが痛くなったりするよ。」
P「へえー。」
 「そうなのか。」
 「それは、困る。」
 「嫌いなものでも食べないと・・・。」 
T「そうか、嫌いなものでも食べないといけないということ?」
 「どうしよう。食べられるかな?」
P「好きなものと混ぜて食べればいい。」
 「私は目をつむって食べるよ。」
 「鼻をつまんで食べるといいよ。」
T「いろいろありそうだね。ちょっと整理するよ。」
 「今、みんなが言おうとしていることは、『何でも食べられるように、嫌いなものでも食べる方法を見つけよう。』ということかな?」
P「うん。」「そうそう。」
T「それじゃあ、今日の課題は、『嫌いなものでも食べる方法を見つけよう。』でいいかな。みんなで読んでみましょう。」 
 (課題成立)

立ち止まること

2006-10-26 | 育児
学級に乱れが生じたとき、自分の力で何とかしようともがいてもなかなかうまく行かないことがある。そんな時、子どもの力を借りることができると楽になる。
 個々の問題を取り上げているとどうしても、全体が見えなくなるので、一度全員を立ち止まらせ、全員で学級の問題点を考える。個の問題ではなく全体の問題として考える。
・問題行動を起こす子がいること
・問題行動を許していること
 (見て見ぬ振り、分かっていても言えない、巻き込まれたくないなど)
・問題行動に気づいていない子がいること
など
 学級全体の前で言いづらい時は、書かせることも一つの手。問題行動を起こす子よりもそれを許している子が多い。問題行動を起こす子の思い、問題行動を起こす子への対応の仕方、問題行動を起こす子への思いなどを話題にしながら、今後の取り組みについて話し合う。
 教師は、どの子も大事にしたい。全員が仲間だということを常に意識しながら、問題行動を起こす子に誰もがなりうるという立場で対応する。必ず心の問題が浮かび上がるはず。つらい思いをしている仲間がいること、その問題をみんなの力で解決することが学級をよくすることを訴える。決めた後は、自分勝手は許さない。いいわけをして逃げる子を許さない。(つらい思いをしている子を何とかしたいという思いで諭す。)
 少しでも変化があったら、みんなで喜び合い、努力を認め合うこと
 どの子も輝いて欲しい。一人で悩まないでほしい。

授業参観

2006-10-25 | 育児
 授業参観は、子どもの育ちを見るチャンス。授業をする側も参観する側もそのつもりでいる。先日、一流、二流、三流の話題が学校で出たが、内容を一生懸命に教えている先生は、まだ二流だと思う。そして、子どもが内容を作り出すように導く先生が一流だと思う。教師が主役になっているのか、子どもが主役になっているのかその違いが一流と二流の差となっていると思う。一流の教師は、授業の中で、教師が子どもを育てようとしている働きかけをする。育った子どもの姿を評価し、紹介する。
 NHKの放送に出ている授業をする先生方をこの視点で見るとさて一流だろうか?それとも二流だろうか?確かに三流ではないとは思う。

育てた姿

2006-10-24 | 育児
学び方を育てた姿というのは、授業中にどの子も遊ばないための手だてを講じていることだと思う。
○すべき事が済んだら、何をすべきかを明確にしている。
○実行されているかどうかを見届けている。
こんなことは、指示がなければできないはずだと思ったことができているとき、「育ててある。」を実感できる。
例1 資料を提示したら、子どもがすぐに挙手をし始める。
(「この資料から、何が分かるでしょう?。」の指示がなくても挙手する。)
例2 教師が子どもの前に立ったら、作業を止めて静かに教師を見る。
(「はい、作業やめ。こちらを見て!」の指示がなくても静かに教師を見る。)
例3 実験が終わったら、すぐにノートの実験の結果を書き、考察し始める。
(「実験が終わったら、結果を書いて!」「分かったことが書けるといいね。」などと実験中に指示をしなくてもし始める。)
 見事にどの子もそれができていると美しささえ感じる。

地域とのふれあい

2006-10-23 | 育児
 地元の行事に参加することは、地域との関わりを密にする絶好のチャンスである。歩いていると「先生!」と声をかけられたり、笑顔で挨拶をされたりする。
子どもの話をする訳ではないが、ただそこにいるだけで仲間意識が芽生えてくる。
 運動場を横切ると、スポーツ少年団の子どもたちからも「こんにちは。」の声がかかる。思わず手を振って挨拶に応える。指導者の方々にも「お世話になっています。」の挨拶をする。
 ほんの数時間の努力で、得られる信頼は大きいと感じた。

先生は、先生

2006-10-22 | 育児
 中学校に送った子どもたちと日曜の授業公開で出会うこととなった。一回りも大きくなった子どもたちではあるが、小学校では見られなかった「荒れ」「乱れ」を感じた。自習の時の落ち着きのなさは、いったいなんだろう?そう思って、子どもたちの近くによっていくと、こちらを気にしながら、姿勢を変え、勉強に向かい始める。
 「本当は、いけないと分かっているんだな。」と思いながら「中学校は楽しいかい?」と声をかける。
 中学校へ行っても、小学校の先生はやはり「先生」なんだと実感した。

席を譲れる子に

2006-10-21 | 育児
 障害をもつ子どもが集う運動会に参加した。観覧席の近くで立っていた。近くにいた先生が、子どもに「先生、こちらへどうぞ。」と言って席に座ってもらうように話している。子どもが私に「先生、こちらへどうぞ。」と声をかけてくれる。
「え、座っていいの?ありがとうね。」と返事をした。にこにこ笑顔で頭を下げる子ども。
 素敵な先生のご指導で、気持ちよく席に座ることができた。
 障害を負った子どもたちが生きていくこれからの時代、決して楽ではない。
人との関わりが少しでもうまくできるように配慮しながら、生き方を教えておられる先生に頭が下がる。

一人よがり

2006-10-20 | 育児
 最近の教育実習生の様子を見ていると、私たちの若い頃と違って自分なりの考えをもち、自信に満ちあふれている。実習中の態度にもそれが現れ、担任からの意見を素直に聞かず、自分の考えを主張する。ある意味ではとても素晴らしいことではあるが、過信になっている。
 分かったつもりであるが、実は分かっていない。
 できたつもりであるが、実はできていない。
 見ているつもりであるが、実は見えていない。
子どもと対決する中でそれがはっきりしていくが、謙虚さや誠実さが必要だと強く感じる。
 先輩から教えていただくことは、自分の器を広げること。 よりよい教師になるように方向を示していてくださること。 何よりも実践の裏付けがあること。 まずは、やってみること(納得できなくても)。
こんな思いで一杯になる。教育実習を経て自分を見つめ直せる学生が教師に向いていると思う。

お利口さん

2006-10-19 | 育児
子どもの素敵な姿を見つけたとき、思わず「お利口さん」と言って頭を撫でたくなってしまう。1年生の子どもが廊下ですれ違ったとき、大きな声で挨拶をしてくれた。思わず、「すごい。お利口さん。素敵な挨拶だね。」とにっこり挨拶をしてしまった。子どもが頑張っている姿を見ると嬉しくなる。子どもに元気をもらった一瞬だった。

仲良し

2006-10-18 | 育児
学校教育に求められている社会性を一言で表すと、「誰とでも仲良く過ごせる。」ということになる。子どもに任せていても、仲良しは増えない。仲良しの姿を時ある毎に子どもに示すことが大事。
「○○さんと○○君は、仲がいいね。」
「そうすると仲良しになれるんだね。」
と、笑顔で子どもたちに語る。
 地道な努力で仲良しを増やしていく。常に仲良しに結びつけていく努力をする。
例1 話を聞く、話す
 「優しいね。友達の気持ちを分かろうと真剣に聞いているね。友達思いの仲のいい姿だね。」
例2 ものの貸し借り(忘れ物)
 「困っているときに助けてもらうと嬉しいね。ちゃんとお礼が言えたね。仲良しだね。」
例3 席(隣の机)
 「机をくっつけてね。離れていると仲が悪く見えるよ。机がくっついていると『僕たちは仲がいいよ。』と言っていることになるんだよ。」
例4 声かけ、注意
  「優しいね。声かけ(注意)は、友達がよくなるように考えているからできることだね。こうやって声をかけて(注意をして)くれる友達がいることは幸せなことなんだよ。声をかけてもらってよかったね。(声をかけられてよかったね。)」
例5 一人でいる子
「一人ぼっちは寂しいね。一人でいる子を見つけて誘える子は優しい子だよ。こんな優しい友達たくさんいると仲良し一杯の学級になるね。」
例6 廊下歩行
「廊下を静かに歩かないとうるさくて、教室で勉強している友達の邪魔になるよね。みんなは、勉強している友達のことを考える優しい友達だから、きっと静かに歩くよね。友達思いの優しい子は誰かな。」
例7 窓開け
「窓が開いていると気持ちのいい風が教室に入ってくるね。気持ちのいい場所で勉強できるようにしよう考えて窓をあけてくれる友達って優しいね。そんな友達がいるから、この学級は仲良しなんだよ。」
「係に任せればいいなんて言わないで!忘れることは誰でもあるでしょ。」
例8 明かり
  「暗いと見づらいね。見やすいようにと電灯のスイッチを言われなくても入れてくれるなんて優しいね。こんなことにも気を遣える友達がいると嬉しいね。ありがとう。」
 学校生活のどの場面でも見つけることができる。ほんわかと優しい気持ちになれる一瞬をどれだけ作れるだろうか。教師の声かけ一つである。

言葉の暴力

2006-10-17 | 育児
 教師の言葉で子どもがいじめられ、自殺に追い込まれた。何気なく使っている言葉が弱い子どもを追いつめている。子どもへの愛情不足、子ども理解の不十分さ、自分の指導力の過信などいろいろ考えられるが、もっと子どもを見る目を養って欲しい。同じ教育者として、心から申し訳ないと思う。
 もっと自分の生き方を見つめ、子どもにとって目標となる生き方ができる教育者でありたいし、どの教師もそうであって欲しいと思う。