ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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道草してもいい

2007-12-31 | 育児
 忙しい毎日を過ごしているとゴールへ向かうために一番効率がよい近道を選びたくなるのはいつもの自分。ちょっと道草をしてみると新しい発見をすることがある。同じ考えをしている人を見つけたり、思わぬ近道を見つけたりすることができる。日記を書きながら他の人の書いた日記を読んだり、関心のある内容を発見したりする。これも道草。目指すゴールさえ見失わなければ、道草はする価値がある。
ゆとりを作れば、道草ができる。時間のゆとりも大事だが、気持ちのゆとりが一番大事だと思う。子どもたちにもゆとりを作ってやりたい。ゆとり教育の見直しと言われるが、ゆとりを生み出す努力なしで見直しはない。理念としてわかっていてもその理念に基づいた実践が不十分なために、このような問題が起きてきたと思う。 これは実践する側の努力不足に他ならない。教師だけでなく、社会全体にそれは言える。
・ゆとりのある生活を子どもにさせてきただろうか。
 (空いた時間を有効に利用させる生活をさせていなかった。体験を通してじっくりと自分で知恵を作る時間ではなかった。)
・子どもたちがゆっくりと時間をかけて取り組む環境を作って出迎えただろうか。
 (体験できる場や仕組みを作りきっていない社会の状況がある。ようやく動き出したところが出始めている現実がある。いわゆる受け皿がまだまだ少ない。)
・働くことに一生懸命で子どもから目を離している保護者が子育てから逃げていないだろうか。
 (安心して働ける環境というのは、親が子どもから離れて安心して働く環境ではなく、働きながら安心して子育てができる環境だと思う。)
・家庭や地域の教育力の低下といいながら、土日をその家庭や地域に任せてしまっていないだろうか。
 (家庭教育学級の質の低下を感じる。子育てが個人まかせになっている。)
・学校教育を批判することによって教育のよりどころが見えにくくなってしまっていないだろうか。(評論家が多く、実践家が少なくなってしまっている。)
・失敗を許さない厳しい社会の中で生きていかなければならないという現実の社会に合わせて、子どもにもその生き方を要求していないだろうか。
 よりよい生き方を求めながら自らの足でこの21世紀をたくましく生きていく子どもを育てるというゴールを目指して、道草をしながら歩む実践家でいたい。
 大晦日を迎え、新たな課題を作るために子育ての現状について私流に振り返ってみた。

何かが違う今を変えるのは

2007-12-30 | 育児
 久しぶりに同級生と酒を飲んだ。医者、会社経営者、警察官等様々な職業の仲間だ。話題になるのが、今の世相。
・どの職場でも人間関係がぎすぎすしていて権利を主張する人たちが増えていること
・アメリカナイズされていて日本人のよさが消えてきていること
・情で動くことが少なくなってきていること
・目先の事にとらわれていて、長い目で見ることができなくなっていること
・マスコミの影響が大きく、マスコミの情報に動かされている人が多くなり、真実が見えにくくなっていること
様々な問題を抱えている日本の姿が具体的に見えてくる。何かが違うと疑問を感じながら生きている自分たちがいる。未来から自分を引っ張ることができるのは、やはり教育しかない。どの世代にも未来から自分を引っ張る人はいる。一人でも仲間を増やし、渦を作る必要があると強く感じた。
 一人の力ではなかなかできないが、一人でも多くの仲間を作り、本質からずれることのない確かな目をもち夢に向かって歩みたい。

目指すところは自立

2007-12-29 | 育児
 親や教師が子どもを褒めたり叱ったりするのは、子どもの将来を思う愛情からであって、それぞれの都合ではない。感情的になることもあるのもその思いが強いからだろう。しかし、親や教師の思いとは違って、子どもは子どものペースで自立に向かっている。自立するまでの歩みは個々によって異なるが、環境の影響は大きい。その環境を整えることが私たちの仕事のように思う。その環境を見る視点として、「人」「もの」「心」で考えてみたい。
「人」・・・・・支える人、導く人、共に歩む人、描く人
「もの」・・・・力を付けるもの、心を耕すもの、安らぎを与えるもの、生活を支えるもの
「心」・・・・・影響を与える要素(場、時間、言葉、見方考え方)
 すべてがそろっていることはない。すべてを揃えることよりも「今、この子には何が必要なのだろう。」と考え、対応することの方が子どものためになるのではないだろうか。
 冬休みに入った今、「一人一人をじっくり見つめる時間を作れそうだ。」と年賀状を書きながら考えた。

他人事にしたとき、きめ細かさは消えていく

2007-12-28 | 育児
 きめ細かい指導をしようと思えば、きめ細かい指導がだれにでもできるわけではない。できない人にはできないし、できる人にはできる。力量の違いと言えばそれまでだが、この違いはどうして生まれてくるのだろう。その原因の一つに教えることへの構え方の違いがあるのではないだろうか。
<きめ細かさを欠きやすくなる個への構え方>
・伝えたことを理解するのは子ども。伝えた後は子ども自身の問題だ。
・できないのは努力が足りないからだ。
・ここまで教えたからあとは子ども自身で考えてできるようにすることだ。
・能力を発揮できないのは、子ども自身に問題がある。
・教えることは教えたから私には問題はない。
<きめ細かさを欠きやすくなる集団への構え方>
・こちらが思っている反応があったからわかってくれたと思う。
・このレベルの子どもたちの反応があれば、理解ができたと信じている。
・能力に差はある。教えてもできないのは、能力の問題だ。
・わからない時は聞いてわかればいい。
・わかってくれる子がいるから、私のやり方に間違いはない。
 子どもの自主性や主体的な取り組みを大切にしたいという考えは大切にしなければならない。また、自ら考え判断し行動できることを目指している私たちであるから、子ども自身でできるようにしたいと思う気持ちから子どもに任せようとする気持ちもわかる。しかし、これらの構えが、きめの細かさを欠くことにつながる。できるまでの種まきをせず、実をならすことはできない。できないのに子どもに任せてもできるようにはならない。
・子どもが自分でできるところはどこまでなのか。
・本当に任せてもできるのだろうか。助けなければならないことはないか。
・どの子も本当にわかっているのだろうか。つまずいている子はいないか。
・つまずきを乗り越えるだけの力を付けてきただろうか。
・やる気をもたせるだけの配慮はしているのだろうか。
・困っているときにいつでも助けを求める環境を作っているだろうか。
・安心して私についてくるだけの人間関係を築いているだろうか。
 このように他人事にせず常に自分との関わりを作り、自分事としてできること、足りないところを探すことできめ細かさが生まれてくる。教材に対する理解の深さがきめ細かさを生むのは当然ではるが、わかる・できるまでの子どもの歩みをスモールステップで考え、それぞれの場で、自分にできることはないかを考えることで、きめ細かな指導ができる。
 安心して子どもを手放せるのは、「いいよ。自分でできるから。」と子どもが主張し、その後「そう、それじゃあ。本当にできるか、見ているからね。」と子どもをいつでも支える気持ちで身構えながら見、「すごい。自分でできるね。」とできた時に喜びの感動を伝えた時からだと思う。それまでは、歩き始めた子どもの前に立ち、手を広げ、いつ転んでも支えようと構えている母親と同じ気持ちで子どもたちを見続けたい。

いずれ一人でできる自分に

2007-12-27 | 育児
 学級経営上問題が起きている時、自分の力で何とか解決できると判断するか、他の先生の力を借りようと判断するかは自分次第。
 「これは助けないといけないな。」と周りが先に気を配り支援することもあるが、一つ間違うと自信を喪失していまうことにもなりかねない。
 自分一人で抱え込むと問題にのめり込み、見えていたものさえ見えなくなることもある。こうなると問題から抜け出られなくなってしまう。
 自分の力を見極める冷静さをもつことが自分を救うことにもなる。何ともならない状況になってから助けを求めても問題が複雑になってしまっていては修復に余計な時間を取られてしまう。
 「私にはできないが、何とか自分の力で何とかしなくては。」と考えるのではなく、「今はできないがいずれはできるようになるはずだ。」と前向きに考えると一歩踏み出すことができる。できるようになるまでの時間を稼ぐことが必要な自分と思えば、気持ちが楽になり、助けを求めることができる。
 それには、温かい支援をくださる方を身近に見つけることが一番の近道。そして、問題を乗り越える大きな力となる。
 困ったときにはあの方に相談しよう。きっと問題解決の糸口をくださるはずだ。・・・・これは自分で解決するための時間を自分で作っている姿に他ならない。
 「最近の先生は相談をすることが少ない。」と嘆くベテラン教師もいる。相手を気遣い遠慮していることが結果として迷惑をかけてしまうことにもなりかねない。今の自分にできることは、それなりに見通しがあるから自分でしようとする。見通しが立たなければ解決に近づくことにはならない。
 温かく支えていただける先輩を見つけよう。そして、いずれ一人でできる自分になろう。

未来を読み取る通知票

2007-12-26 | 育児
 子どもたちが手にする通知票。大事に長く保存される保護者もいる。
 しかし、最近その通知票ではわかりにくいという声をよく聞く。
子どものよさを全面に出し、次に何をすればよいのかがわからないと言う。これは、課題を書かなくなっていることが原因だ。
 課題を「マイナス面」と捉えられていることが記述を避けているのではないだろうか。課題はマイナスではない。未来へ自分を運んでくれる大切な道しるべだ。
 「こんなことができるともっと素敵なあなたになるよ。」・・・・このメッセージは未来の自分を予感させてくれる。また、教師の子どもにかける夢も見える。そんな通知票になれば、きっと保護者にとっても残しておきたい通知票になるのではないだろうか。

 いつも成果と課題をセットにして考えたい。

 子どもの生き方に少なくとも1年間は関わるであろう私たちである。関わったことへの責任を果たし、子どもを生かそうと精一杯取り組んだ自分を通知票に現すことは、決してプラス面を評価することだけではない。可能性を引き出す面も示さなければならない。

 私たちと出会ったことが子どもの幸せにつながると信じ、精一杯の思いを伝えたい。

 「一期一会」・・・・私の好きな言葉

 必ず別れが来る。その別れるまでの日々を大切にし、子どものために尽くしたい。通知票を点検しながらこんなことを考えている。

「おはよう。」の後の一言

2007-12-25 | 育児
 何気なく挨拶を交わす。挨拶の後に一言付け加える先生と挨拶だけを交わす先生とがいる。人間関係ができていると「おはよう。」の後に一言をかけやすいのは確かであるが、人間関係とは無関係に『全校の子どもを全職員で育てる』という構えをもてば、どの子にも声をかけることができる。この一言はその子のよさであったり、指導したい内容であったりいろいろ考えられる。
<挨拶に何を加えるとよいのか。>
・月の目標があれば、月の目標に合わせた一言
 進んで挨拶できたね。大きな声だね。等
・受け取った挨拶への受け取り方を一言
 その挨拶、気持ちがいいね。嬉しいな、やる気が出てくるよ。等
・その子の頑張っている姿勢
 子どもの取り組みのよさとして、「大きな声で挨拶できたね。」
 「ちゃんと相手の名前を呼んで挨拶できたね。」等
 しかし、今までこの声かけをしていなければ、すぐにはできるようにならない。意識していないとなかなか身につかない。回数を重ねることで一言の声かけができるようになる。また、挨拶を交わした後、担任に挨拶する姿を伝えると子どもの情報が共有できる。全校で意識的に指導するためには、この情報の交流が活発になることだと思う。それぞれが勝手に自分流の挨拶をしていても学校としての質は高まっていかない。
 「おはよう。」の後の一言をお互いに子どもに伝え合い、一緒に子どもを育てていきたい。

いい仕事をしたい

2007-12-24 | 育児
 掃除中に気になるこんな姿がいろいろある。私語をする子、「それは僕の仕事ではない。」と分担について不満を言う子、「僕にもその仕事させて。」と自分の仕事を主張する子、「こうしたら。」と友だちの仕事に注文をつける子・・・もっと一生懸命に仕事をしたらどうだと言いたくなる。
 綺麗にすることに一生懸命になっていれば、誰がその仕事をしようとどんな仕事であろうと関係ない。お互いに助け合って一つの仕事を成し遂げることに邁進させたい。
 
 いい仕事をするためには、多少我慢しなければならないことはある。人の仕事でも手伝おうとする構えが必要だ。

 掃除を通して働くことについていろいろと学ばせることができる。
・美しくすることの楽しさ
・一緒に助け合って掃除を成し遂げた充実感
・仲間の思いやりのある行動への感謝
・掃除をすることの価値
・掃除に対する構え方
・美しくする方法 等

 これらのことは、掃除に限ったことではない。どの仕事にも通じる生き方だ。掃除に向かう教師の姿勢がそのまま子どもに映っていく。美しいものを作り出す教師でいたい。

子どものためにやるしかない

2007-12-23 | 育児
 人間誰しもいい所ばかりではない。欠点もある。教師も同様。1年間担任していると子どもが担任に似てくるが、いい所だけでなく欠点さえも似てくる。いい所だけを選んで学ぶことはできない。これは仕方ない。子どもたちは、毎日の繰り返しの指導(意識しているしていないに関わらず教師の一挙手一投足が指導)から子どもたちには癖として身に付けてしまっている。
 2学期も終わり、いよいよ最後の3学期を迎えることになるが、生き方として何を身につけさせたのだろう?
・学習に立ち向かう姿勢で身につけさせたことは何?
・友だち関係を密にするために身につけさせたことは何?
・生活の中でいつも気を付けさせてきたことは何?
一つでも二つでもこれだと言えることがあると、「次年度の担任にこれはできるようにしたから。」と胸を張って話すことができる。話さなくても子どもの姿として伝わる。丸投げで「後はお願いね。」では、次の担任が、ゼロからの出発となる。子どもたちが学んだことを生かしながら積み上げていくためにも伝えてバトンを渡したい。3学期はそのためのまとめの時期だ。足りないところを補うだけでなく、できることは全員ができるところまで引き上げていく。その努力が伝える自信にもなっていく。
 子どものためにやるしかない。不完全な自分であっても、自分のよさだけはどの子にも伝え、できるようにして次に渡したい。

「道すがら」で意識を高める

2007-12-22 | 育児
 校外学習の引率をした。引率をして毎回思うことであるが、多くの子どもたちをいかにうまく引率できるかは、教師の構え一つで決まる。
 見学場所について一生懸命に考えることは当然であるが、学校と見学場所の往復に道すがら話す内容によっては、仲間意識や相手意識を高めることができる。
<大事にしたいこと>
○前の子との間隔を空けないで歩くこと
 横断歩道一つ渡るにしても短時間で行動できる。
 指示が通りやすい。(危険を早く知らせることになる。)
 子どもの動きを掌握しやすい。(問題行動の発見が早くできる。)
○回りに気を配って行動すること
 いろいろな人が利用していることに気づかせることができる。
 対応の仕方(マナー)を学ばせることができる。
 気を配る行動を身につけることができる。

<道すがら>
 歩いてるうちに段々事前指導したことへの意識は薄れていく。よく先頭に立って教師が歩いている姿をよく見かけるが、これだけでは不十分。歩く場合なら、危険箇所は交差点。ここへの注意を十分すれば、先頭を歩く必要はない。子どもの力で十分歩くことはできる。
<子どもたちへの働きかけ>
・前との間隔を空けないこと
・自転車や車が来たら注意を促すこと
・通行人への配慮をすること(近所なら挨拶)
・路側帯等を利用して端を歩くこと
 これらの指導と共に、できている姿にはできていると評価したり、合図を送ったりしながら意識を持続させる。
 公共交通機関を利用するときには、これに次の内容を加えたい。
・私語を慎むことや小声で話すこと
・通行人の邪魔にならない姿勢でいること
・車内放送がいつでも聞けるようにしていること

 道路で静かに教師が歩いている姿を目にすることが多いが、全員に聞こえる声で指導したり、身近な数名の子どもに指導したりと声を出し続けている教師は少ない。(ただ、公共交通機関では、話はできるだけ少なくし、ジェスチャーなどを交えて静かに指導援助をしなければならない。)
 教室にいるときと同様に子ども一人一人に合わせて指導し続ける姿勢をもちたい。 恥ずかしがっている場合ではない。子どもの仲間意識を育てる大事な機会を逃してはもったいない。

ありがとうの言葉が出るとき

2007-12-21 | 育児
 いよいよ2学期も大詰めとなった。担当している教科の授業も最後。
 学び方が身に付いていない子や、授業を妨害する子がいる中でどうなることかと不安で一杯だった4月から比べると今はスムーズに授業が進むようになり、子どもたちの成長を見ることができる。毎回行うノートの記述の評価を楽しみにしている子どもたち。実験で見つけた事実を元に自分で考えようとする子どもたちになってきた。嬉しくて子どもたちに「ありがとう。三学期もよろしくね。」と話した。
 ありがとう・・・・この言葉を1日の生活でどれだけ使っているだろう。
<私のために「ありがとう。」>
・私の思いや願いが伝わった時、「ありがとう。嬉しいな。」
・私を思う気持ちから動いてくれた時、「ありがとう。わかってくれて。」
・私と一緒に責任を負ってくれた時、「ありがとう。助かったよ。」
・事を終わらせ、次にしたいことがある時、「ありがとう。そこまででいいよ。」
・借りを作った時や返す時、「ありがとう。助かったよ。」
・教えて(気づかせて)もらった時、「ありがとう。わかったよ。(気づいたよ。)」「勉強になった。」
<みんなのために「ありがとう」>
・当番活動等でみんなのために動いてくれた時、「ありがとう。よくやってくれたね。」「あなたのおかげだよ。」
・見本となる姿を見せてくれたとき、「いい姿だね。見本だね。ありがとう。」
・仲間を気遣ってくれたとき、「ありがとう。よく気が付くね。」
 まだまだ、ありそうだ。
 きっとこれも人によって異なると思うが、「ありがとう。」の後に続く言葉が大事なように思う。自分の思いを感謝しながら相手に伝えている自分が見えてくる。互いに生かし合っている私たちがここにいる。

冬休みの取り組み

2007-12-20 | 育児
 いよいよ冬休みが近づいてきた。冬休みは、どの子も家族と一緒に過ごす機会が増えてくる。
 家族と一緒に過ごすといっても、年末年始の過ごし方は昔とはかなり変わってきている。年末の大掃除、おせち料理作り、年始の初詣などをしない家庭が増えている。とても残念だ。
 1年の節目であり、自分や家族の有り様を見つめる大事な機会になる。この節目は大切にしたい。時間と共に流れている私たちが、自分を見つめ振り返る機会はなかなか作れない。まして子どもは、目の前しか見えない。立ち止まらせて自分を見つめ、自分の回りを見つめ、これからの挑戦を決める。そんな時間を作らせたい。
<宿題として出したいこと>
・おうちの人と自分や家族について話し合いの場を作ること
 頑張ったこと、これからすること、家族のためにすることなどを話し合う。
・おうちの人と一緒に活動すること(手伝い等)
 掃除、洗濯、食事など日頃の家庭での仕事を一緒にする。
・読書や書き初め
 一人で自分を見つめる時間を作ることになる。書き初めならば、どんな字を書こうかと考えるところが大事になる。うまく書くことではなく書く構えや思いを大事にしたい。

 長期の休みは家庭に返すから、家庭に任せればよいというものではない。家庭教育を支援をする立場でいなければ、子どもへの思いが家庭には届かない。いつでも手助けをしますよという姿勢でいたい。ただ、この支援が難しくなっていることは確か。
 家庭での計画があるから、余分なことはできないと拒否する家庭もあるので、負担を少なくしながらできることを探すしかない。
・短い時間にできることにする。
・準備が必要とならないようにこちらで用意する。
・強制ではないとしながらも、子どもには学校でやる気をもたせておく。ただし、結果としてできなくても叱らない。努力を認める。
 子どものためだと考え、少しでも家庭の力になることをしたい。

親と子を一緒に育てる時代

2007-12-19 | 育児
 教師と子どもの関係は、親と子どもの関係よりも両者の距離が離れている分、子どもを育てる上で、教師は冷静でいられることが多い。しかし、教師がいくら我が子同様に愛情を注いでも、我が子を思う親の愛情には勝てない。ただ、最近はその親の愛情をうまく子どもに伝えられない親が多いように感じる。
・仕事に追われて、子どもと接する時間が短くなっている保護者。
・子どもの数が少なくなり、多くの子どもを見る機会がすくなくなっている保護者。
・核家族化が進み、愛情に満ちた子育て情報を得る機会が少なくなっている保護者。
・身近に相談できる人がいなくて一人で悩んでいる保護者。
 その中で保護者が願いを必死に訴えているように思える。確固たる信念をもって子どもを育てるよりも迷いながら試行錯誤で子育てをしている。願いを子どもに伝えても、子どもの思いとのずれがあり、なかなかうまくいかないと悩む保護者はいつの時代にもいる。今の時代が特別なわけではない。
 ただ、教師への信頼が薄れ、直接声を出して願いを訴える保護者が多くなった今の時代、これを受け入れるしかない。学校への不満の声というよりも、子育てに悩む保護者の叫びの声として受け入れたい。その分、目の前の子どもよりもその後ろにいる保護者に気を遣いながら子育てをしなければならない。
 しかし、これは我々にとって保護者も一緒に育てる大きなチャンスにもなる。ただ、子どもを育てるだけで済んだ時代よりもかなりの力が必要とされる時代であるから、それなりの自分にしなければならない。それには、信念ともいえる揺るぎない教育にかける思いとそれに裏付けられた実践が必要となる。
 新米の教師であろうが、ベテランの教師であろうが保護者にはとっては関係ない。どの教師であっても大事な子どもを育てる教師として映っている。
 曖昧さは保護者を不安にしたり、反発を買ったりする原因となる。
 一人で耐えるだけの力を備えている教師は少ない。だからこそ、子育てについて自分の力を磨きながらも、教師集団として支え合い、助け合わなければならない。一人で問題を抱え込まず、職員が一丸となって子育てをする構えが今の時代には必要なのである。
 願いを強引に子どもに伝えてもいずれ反発がくることを教師は知っている。つまずきを乗り越えさせる方法を教師は知っている。何よりも教師は、子どもとの信頼関係を築きながら、子どもの願いをうまくめざす姿にする生き方を作り上げている。この教師が、家庭での子育ての支えにならないわけがない。
 目の前に起こるいろいろな問題に振り回されることなく、子育てに自信をもち、目の前しか見ていない保護者に5年後、10年後を見せたり、狭い社会から広い社会を見せたりしながら、目の前子育てができる教師になりたい。そして、保護者がこの力を欲しがるほどの教師になりたい。

「わかった?」から「説明してごらん。」

2007-12-18 | 育児
 子どもがわかる道筋に子ども自身を乗せるには、説明をさせることが一番だと思う。わかるということは、自分なりに論理を確立することになる。人の説明にうなずいていても本当にわかったかどうかは疑問が残る。都合のいいわかり方をする子もいる。聞き方によっては誤解して理解することもある。
 「わかった?」・・・「はい。」で終わっては教える側の自己満足でしかない。「はい。」と言ったら、「それなら説明してごらん。」と質問する。一部だけわかっている子ならば説明を聞くと「わかったこと」と「わかっていないこと」が見えてくる。また、誤解している子ならば、都合のよいところだけ取り入れていることがわかり、誤解している内容も見えてくる。わかるまでの過程は、個々によって本当に違う。一律に指導してもつまずきが必ず出てくる。ここにメスをいれなければならない。
 この姿勢を常に大切にするとわからないことを質問したり、納得するまで譲らなかったりするようになる。
「わからない。」・・・・わかりたいと思う子どもの心の叫びだと思う。「何、このくらいわからないの。」「教えたでしょ。」ではない。
「わからない」・・・この言葉は、どこにつまずいているのかを発見するチャンスになる言葉だ。「そうか、わかっていることを話してごらん。」「困っていることを話してごらん。」など子どものつまずきを発見する言葉をかけたい。「何を話していいのかわからないの。それなら聞いたことを話してごらん。」と理解の道筋を再度確認するとつまずきが見えてくる。
 日頃の授業でわかったことを説明させるのは当然であるが、わかったことを説明する機会を意図的に作ることもできる。
<例>
・テストの答え合わせをする。
 間違えた事は、答えを写すだけでなく。間違えた理由や正しい考え方を書く。
・友だちと交流をする。
 一方的に話すだけにしないで、友だちに「わかった?」と尋ねる。
・家庭学習をする。
 繰り返しの学習だけでなく、まとめの学習をし自分のわかったことを自分なりに見つめ直す。繰り返しの学習ならば、間違えたとき、テストと同様の取り組みをさせる。
 子どもたちの考える力が落ちていると言われるが、この「説明できる子」はまさに考える力をもっている子ではないだろうか。 

きめの細かい指導って?

2007-12-17 | 育児
 特別支援教育への関心も高くなり、子どもたちに力をつけるためのきめ細かい指導や援助について話題になることが多い。
 少人数指導も同様に期待されているのもこのきめ細かい指導である。 子どもたち一人一人に目を配り、子どもがわかっていく(できていく)過程で教師が一人一人の子どもとの関わりが増えるたり、一人一人が活躍する場が増えたりすることが期待されている。
 しかし、きめの細かな指導援助は、特別支援学級や少人数指導学級で行う指導援助を指すわけではなく、指導についての考え方であり通常学級でも行われなければならない。
 きめの細かな指導をするため、教師が子どもの間をていねいに回り実態をつかみ指導援助することは当たり前であり、黒板の前でどんと構えている授業ではそれはできない。
 また、きめの細かい指導を指導援助する機会や時間を増やすことが本当のきめの細かさにはならない。一人一人のわかる(できる)ステップに合わせて、指導援助しなければいくら時間や機会を設けても荒い指導しかできない。
 これには、子どものわかる(できる)までのステップを細かくつかむための指導援助の階段を導き出していく日頃の努力しかない。
 子どもの回りをていねいに回ることは、きめの細かい指導援助のステップを作り上げるための努力の一つだと思う。
 「そうか、この子はこんな考え方をするのか。」
 「なぜ、こんな考え方をするのだろう。」
 「これを生かすには何をしたらいいのだろう。」
 「この子には、何が足りないのだろう。」
などと自問自答しながら、子ども一人一人に当たる。
 決して正しい道筋を教えて、「こうするんだよ。わかった。」ではない。これは、押しつけであり一番簡単な取り組みである。子ども自身が自分の力で正しい道筋を作っていかなくては自分の力にはならない。
 例えるならば、赤ん坊が階段を一人で上がれるようにするとき、意欲をもたせたり、安全に上れるように傍にいて見守ったりするけれど、決して手を引っ張って強引に上らせることはない。
 だから、きめの細かさは、教師の動きを見ているだけではわからない。子どもの傍で何を話しているのか、その言葉かけを聞かないとわからない。
 「どうしたの?」「今、何しているの?」
 「何をしたいの?」「どこに着目するといいのかな?」
 「あのヒントを参考にしてみたら?」
 「お隣さんの意見を参考にするといいよ。」
 「いいことに気づいたね。」「よく気づけたね。」
 「そんな取り組み方があるんだ。すごいね。」 
 「課題とつないで考えると何と言ったらいいの?」
 「よく考えたね。お話できるかな?」
 「お隣さんに話してごらん。」「うまく話せたね。」
 「発表できるかな?」
など、今子どもが歩んでいるステップに合わせて、つまずきや次の取り組みを明確にしたり、歩みを認め励ましたりすることで自ら歩み続けることができる。いろいろな言葉かけがあるが、子どもに合って初めてきめの細かさになる。
 きめの細かい指導援助ができるようになるためには、日頃から子どもとやりとりをし、瞬時に子どもを的確にとらえて判断し、子どもの今の力を見抜く技量を磨くしかない。楽をしたり、機会がすくなくなったりすると鈍くなる。是日々精進。