ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

執着しすぎていませんか?

2015-06-19 | 育児
 私たちは、目の前の子どもに対してこんな姿になってほしいと願うことがあります。思いが強ければ強いほど、行動は明確になります。
 綺麗好きな子になってほしいと思えば、常に綺麗な環境を整えたり、綺麗に整える技を教えたり、整っていない環境に対して、嫌悪感をもって接したりします。
 時間を守ることの大切さを伝えたいと思えば、一度の失敗も許さない程の勢いで、子どもと向き合い、決して時間に送れることを許しません。遅れた時には、徹底して責め、二度と失敗させないように叱ったり、新たな約束を作ったりします。

 しかし、そこまで徹底しないと伝えたいことが身につかないかと言えば、そうではありません。

 自分の価値観に執着しすぎると、その価値観で自分を責め、生きづらくなります。

 幸せな人生を送ってもらいたいと言う気持ちが根底にあるにもかかわらず、この価値観が生き方を狭め、苦しめる結果になります。

 誰でも失敗することがあります。失敗しない人生などありません。その失敗から学ぶことを大事にした方が、本当は、幸せにつながります。
 
 価値観に執着しているのは、失敗を恐れているからです。

 失敗してもOKと考えれば、10回中2~3回失敗しても価値観が失われることはありません。

 10回全部成功しないと価値観が身につかないと考えているから苦しめることになります。

 2~3回と判断しましたが、ひょっとすると4回でもOKかもしれません。価値観を大切にするかしないかどちらか選択するときに価値観を大事にする選択ができればよいのですから、選べない状況の5分5分よりも少し回数が多ければ大切にしたい価値観を選ぶことになるからです。

 その程度の力の入れ方で十分です。

 力みすぎていませんか?子どもを苦しめていませんか? 

今、子どもが危ない

2015-06-11 | 育児
 テレビや新聞での報道を見ていると、子どもたちによる犯罪が近年増加し、悪質化しているように感じます。このように感じるのは私だけでしょうか。

 その原因の一つは、子どもが育つ環境にあるのではないかと考えています。
 子どもは、与えられた刺激によって育ちます。その刺激の質が子どもの質になります。

 私たちが生きている今の社会を考えると、とても変化が激しく、変化に取り残されないようについていくのがやっとという感じではないでしょうか。
 
 経済格差が広がり、より多くの収入を得て、豊かな生活を求めて共働きの家庭が増えています。

 その結果、子どもと関わる時間が減っています。そればかりか、子どもを見ることよりも仕事への関心が強くなり、子育てについて、他人の手に委ねている家庭も多くなっています。

 子どもを預けたり、塾に通わせたりしている家庭は年々増えています。

 そして、家庭においても子どもと関わりをもつ時間がとても少なくなっています。一緒にいても、子どもが、テレビやゲームにかける時間が増え、子どもと関わる時間が少なくなっています。

 そのため、子どもたちが生きていく上で役立つ「我が家の価値観」が育ちにくくなっています。

 「我が家の価値観」が育っていないと、子どもは目の前に起きる出来事に対して、損得、勝ち負け、好き嫌いなど低次欲求で動いてしまいます。
 つまり、刹那的な対応しかできない子どもになっているということです。
 すぐに怒ったり、泣いたり、人に八つ当たりをしたりして、感情を吐き出すことになります。
 
 
 マズローの欲求の5段階説から考えても、人は、低次欲求を満たすことからしか動かないため、当然と言えば当然です。

 家庭で守られている子どもは、「我が家の価値観」が育ち、多少の苦しさにも耐えうるだけの忍耐力を身につけることができます。
 
 すぐに切れる子どもは、この「我が家の価値観」が十分に育っていないために、刹那的に刺激に対して反応するしかありません。

 預かりや塾などは、それぞれの家庭に合った支援をしてくれるわけではありません。それぞれの目的に合った支援しかできません。

 事件が起きるとその家庭の問題として取り上げられることが多いのですが、個々の家庭の問題として扱うことができない大きな問題が、背景にあるということです。どの家庭でも起こりうることがたまたまその家庭で起きたと考えることができます。

 言い換えると、今の日本の社会が抱えている問題がそのまま刺激となり、子どもに降りかかっていると言っても過言ではないと思います。

 子どもはその社会の犠牲者のように映ります。夢が語りにくい時代、ゆとりをもって子育てができない時代・・・こんな時代の副産物ではないでしょうか。

 親が親としてわが子の成長に責任をもたなければなりません。しかし、今の社会は、責任をとれと言っても取りにくい社会だということになります。

「時間がないから」「お金がないから」などの言い訳は通用しません。なければ、ないなりの関わり方を考えるしかありません。

 社会のせいにすることは、できません。愛するわが子がその社会の犠牲者になっては大変です。

 今、私たちができることは、何でしょう。

 心は時間とは無関係です。もちろんお金とも無関係です。

 私たちは、子どもにどんな心で接し、どんな心を大切にしているかを伝えることしかできないのではないかと思います。

 どんな形であろうとも、短い時間の中で、お金が少ないなかで、いかに効果的に子どもに心を伝えていくかを真剣に考えなければなりません。

 他人事ではありません。事件は、誰にでも起こりうるのが今の社会です。他人事にしないで、「今、子どもが危ない」と危機感をもち、目の前の子どもたちを支えることが重要です。

 あなたが関わる子どもは、「我が家の価値観」をもって生きている子どもでしょうか。それとも刹那的に生きている子どもでしょうか。 

価値観を緩める

2015-06-10 | 育児
 私たちは、子どもを育てるために自らの価値観を高める努力をします。そして、身につけた価値観を大切にしたいという思いから、全力で子どもたちにぶつけます。
 「あの先生は、~については厳しい。」「絶対に許してくれない。」などと子どもたちがとらえるほどの強烈さをもって接することもきっとあるのではないでしょうか。


 「授業中に席を立たない。」

 これは、教師として当たり前の事だととらえますが、教師によってその対応が異なります。ここに価値観の違いが生まれます。

 このことの重要度が高い人の中には、一度でも立つ姿を見かけると、血相を変えて叱ります。中には、理由も聞かずに叱る方もいます。
 何度も立つ姿があると、そばに行って手をつかみ、強引に席に座らせようとされる方もいます。(立ち歩きが少々あると、その行為そのものが許せないという気持ちが高ぶり、感情的になってしまいます。)

 もし、けがでもさせれば、傷害の罪になりかねません。そんな危険が潜んでいます。

 本当にそこまで厳しくしないと子どもは、「授業中に席を立たない。」というルールを守れないのでしょうか。

 子どもは、「授業中に席を立たない。」ということは、わかっています。「わかっていても、できない。」・・・こんな子どもはたくさんいます。
できない理由は、必ずあります。

 その理由を聞けば、許せることもあります。
 理由を聞いても許せないこともあります。

 しかしながら、

 低学年の子どもならば、いろいろなことに興味を示すことがあり、授業からずれることがあります。

 子  「アッ、虹だ。」
  
 教師 「わあー。きれいだね。みんな見てごらん。ほら。見えるかな?立ってもいいよ。」・・・少し経ってから「そろそろ授業にもどろうか。」

 授業からずれた子どもを早く授業に戻すために、子どもの興味に乗ることも時には必要です。

 これを強引に授業に持ち込んでも、子どもは、不満をもったまま授業に参加するために、意欲的に取り組むことはありません。

 ここが価値観の緩めどころになります。

 子どもの気持ちをうまく生かしながら、授業に向かわせることできるのは、教師の力量になります。価値観が高ければ力量があるということでもありません。

 授業の主役はあくまで子どもです。子どもが授業に集中することで、授業の成果が上がります。
 
 価値観を緩めて、教師の力量を上げる教師が増えると子どもの主体性は高まってきます。この方が、教師として楽に授業を進めることができます。   

子どもを悪人にする

2015-06-04 | 育児
 多くの人数を抱える学級の中には、自分の思いがなかなか伝わらない子どもや何とかしなければならないと感じる子どもが一人や二人はいるものです。
 そういう子がいると、「この子がいなければ、もっとスムーズに授業が進むのに。」とか、「もっと自分でやってきてくれればいいのに。」などと心のどこかで感じるのではないでしょうか。

 面倒だと思っても、そういう子どもと関わろうとするか、それともその子に辛く当たるかによって、その後のその子の生き方に大きな影響を与えます。

 例 授業中に時々席を立つ子どもがいました。

 「みんなに聞きます。今席を立っている子は、悪いと思う子、手を上げて!」と教師が学級の子どもに話します。

  多くの子どもが手を上げます。

 教師としては、何とか学級の仲間と同じ行動をとってほしいとの願いからこのような言葉を子どもたちに話したのでしょう。

 もし、受け取った子どもが「私は、悪い子だ。」と受け取ったとすると、大変なことになります。

 他の子どもは、行動を注意します。もちろん、子どもは正しい事だと思っていますから、何のこだわりもありません。しかし、その子は、常に叱られる側の立場になります。

 次第に他の子どもから遊離していきます。自分を守ってくれる人は周りに誰もいない状態になり、孤立してしまいます。友達のそばにいたいのに、仲間から、排斥される自分ですから、常にさみしい気持ちでいます。

 一人でいる自分と比べて、他の子が楽しく遊んでいる姿を見ると腹が立ちます。誰も気づいてくれません。誰も助けてくれません。

 いたずらをして、困らせたくなります。行動に出ると他の子どもたちは、益々離れていきます。

 授業中に大声を出して、邪魔をしたくなります。先生からも注意を受けます。

 次第に、周りは敵ばかりだと感じるようになります。

 どの子も「あの子は、怖い子だ。自分勝手な子だ。」と益々避けるようになっていきます。

 自暴自棄となり、少しの不満でも行動に出てしまいます。

 「どうせ、私なんか、いない方がいいんだ。」

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 きっと、こうやって悪人が育っていくのでしょう。
 
 悪人を作ったのは、誰なのでしょう。

授業の導入を大切に

2015-06-01 | 育児
 授業では、「~ができるようになる。」とか、「~がわかるようになる。」とか必ず出口の子どもの姿を作ります。そして、授業のねらいに合った具体的な姿が明らかになっていれば、評価は、可能です。これが曖昧だと評価も曖昧になります。子どもに力をつけるには、出口の姿が具体的になっていることが大切です。
 
 ただし、出口の姿だけ明らかにしても、子どもに力をつけることはできません。むしろ、出口の姿に向かう過程で行う細かなステップでの評価の方が大切です。

 授業は、ご存じのように大きく3つに分けられます。導入→展開→終末です。
 これは、どの教科においても通用します。

 それぞれの段階での、通過率が授業の成果の良し悪しにつながります。

 導入での通過率が低ければ、展開、終末がいくら高くても子どもに力をつけることはできません。

 このことから、導入の大切さが重要だということはすぐにわかります。

 この導入には、2つの力が働きます。

 1つは、導入の工夫をする教師の力量です。
 もう一つは、学習する集団の組織力です。

 興味関心がもてるように導入を工夫することは、大切だと言われます。当然、誰もがわかっています。教師ならば、その努力をしています。しかし、毎日の授業の中ではなかなか思うようにできないのが現実的です。 
 となると、頼りになるのが、学習する集団の組織力です。

 子ども一人一人が、目標に向かって、集団の中で、精一杯自分の力を出し切ろうとすることが、授業の質を高める上で大きな力となります。

 これは、授業を始める時点で決まります。

 つまり、子どもが授業に向かう姿勢を見ることが、授業のカギになるということです。

 授業の始まりに、仲間と一斉に挨拶をする学級があります。これは、気持ちをそろえる意味でとても重要になります。一緒に頑張る仲間を自覚させるよい機会になります。
 まずは、気持ちをそろえることが一番です。
(挨拶がなければ、子どもたちの目線を教師に集めることがそれにつながります。)

 何気ない活動ですが、毎日行っているとマンネリ化し、この重要性を忘れてしまうことがあります。

 一斉に挨拶する場合ならば、その姿にを感じるかどうかです。
 ・姿勢が早くそろうだろうか。
 ・声の大きさは、どの子も精一杯かどうか。
 ・声はそろっているだろうか。
 ・動作は機敏だろうか。

 挨拶がなければ、一人一人の授業に向かう集中度を探らなければなりません。
 一人一人を見つめ、教師に正対しているかどうか。
 目にやる気を感じるかどうか。

 これが組織力につながります。

 (組織を作るのは、子ども一人一人です。一人一人の状況をつかまなければ、通過率がさがります。)

 その前提として、次の3つについて指導してあれば、授業に向かう姿勢は高くなります。残念なことにこの3つの指導をしていない教師をよく見かけます。

 ・物がそろっているか。→「忘れ物をしたら、忘れた子どもが悪い。」と子どもの責任にして、フォローしない教師が多い。(授業を成功させるためには、一人でも不備な状況で授業に臨ませないという強い姿勢に欠ける。)

 ・体調の確認をしているか。→体調不良を起こした時に対応する教師が多い。(事前に体調管理の重要性を自覚させる指導が不十分) 

 ・めあてをもって授業に向かわせているか。→1時間の授業の出口を事前に知らせていない教師が多い。(授業内容にめあてをもつことが力を伸ばすことになることを自覚させる指導が不十分で、評価が具体的になっていれば、子どもに事前に伝えることができることを理解していない。)

 私は、子どもには、「3つの準備」という形で年度初めに指導します。
「どの子もこの3つがそろうように助け合うのが、学級の仲間だ。」ということを徹底すれば、組織力は高まります。 

(例えば)

 忘れ物をする子→「貸してあげる」(助けてもらったら必ずお礼を言う)
 体調管理→「大丈夫?」「トイレ、言った?」等と声をかけ合う。
       体調不良ならば、事前に知らせたり、保健室に付き添ったりする。
 めあてをもつ→「何を頑張るの?」など授業の話題をし合う。

 教師は、その見届けをする中で、「いい仲間でよかったね。」「一緒に頑張れたね。」と集団の組織力を高める手立てを打ちます。

 教材研究をし、授業の質を高めることも大切ですが、それ以上に組織力を高めるための教師の日々の取り組みが重要になります。

 怒って、叱って、形を作っても何の力にもなりません。集団の組織力が低くなるばかりです。

 集団の組織力が高ければ、わからない子やできない子への子ども同士の助け合いが生まれます。

 あくまでも、授業の主役は、子どもです。組織力の高さは、その象徴です。