ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

共感することの難しさ

2007-11-30 | 育児
 共感的に子どもの話を聞きなさいといわれるが、これがなかなか難しい。自分流に解釈したくなることはよくある。自分の理解の仕方でわかろうとすることは、共感的ではない。「どうして?」「なぜ?」を連発して、相手を問いつめていく。なぜ、そんな気持ちになるのかがわからない。だから質問をする。「気持ちがわからない。」が出発にあることがもう自分流。
 これでは、聞かれた方はたまらない。常に責められ自分の思いが伝わらないと感じる。自分と先生との間に壁を感じる。この先生にはわかってもらえないと思う。話をする時間が辛くてしかたない。それでもまだ質問され続ける。もういい。話をしたくない。話から逃げたくなる。適当にその場をごまかそうとすると、納得できないと言ってまた別の質問が出される。一体この時間は何だろう。
 あるがままの自分を受け入れてくれる教師こそ共感できる教師だ。
 気持ちがわからないならば、「へー、そうなんだ。」「そんな気持ちになるんだ。」・・・とその子の中に新しい発見をしたという聞き方をしてくれる。子どもは「わかってもらえた。」「認めてもらえた。」と安心感をもち、話しやすくなる。もっと話を聞きたいからと「それで、どうしたの?」「その時の気持ちは?」などと子どもの中にあるものを外に出そうとしてくれる。
 指導をしようと思うと自分が顔を出す。共感とは別の世界に置いておこう。

せめて自分にできないことは要求しないで

2007-11-29 | 育児
 子どもへの願いが強いとどうしても子どもに要求することが多くなる。子どもの思いから離れ、自分の思いを強く伝えたい時には自分にもできないことを要求していることがある。
 「~すべきだ。」「~あるべきだ。」という言葉から生まれる行動は、かなり子どもにとって厳しいことがある。乗り越えなければならないことがあるにもかかわらずその乗り越える壁が見えなかったり、簡単に超えられる壁に見たりして要求している。「できて当たり前でしょ。」も同様。子どもが見えないから大人である自分の目から見て当たり前に見えてしまう。
 例1 当番でしょ。静かにさせて!
  注意をしてもなかなかきかない子いる中で当番の仕事だからと言って子どもに注意をさせ続ける。
 ※教師が出ればすぐにできるの?その子の注意が聞ける仲間なの?
 例2 仲間が助けてくれるから頑張って!
  学級の仲間だから助けることが当たり前と考えている。
 ※本当に助けてくれる子がいるの?困っていることをみんな知っているの?
 例3 昨日勉強してわかっていると思うからこれは?
  学習したことは定着していると考えている。
 ※どの子もわかっていると考えていいの?困っている子はいないの?
 教師の思い込みやこうなって欲しいという思いが子どもに無理な要求をしていることはなかなか自分には気づけないからこんな言葉かけを平気でする。でも、子どもたちは言われたことに精一杯応えようと努力をする。そして、先生を責めないで自分の力のなさに自信を失うことがある。
<大切なことは> 言った後の見届けが「言葉かけ」のこれらの問題から救ってくれる。
 言いっぱなしにしないで、かけた言葉通りにできるかどうかを見届けていると子どもにできるのか、できないのかが見えてくる。言い過ぎたと振り返れば「ごめん。」も言える。「言い過ぎた。」も言える。突き放していけば、どんどん子どもとの関係は悪化する。せめて自分にできないことは要求しないように自分の言葉に責任をもちたい。

同じ願いをもって

2007-11-28 | 育児
 理科の出張授業に行っている同僚と理科の授業の子どもの様子について語り合う時間を作ることができた。理科で育てたい子どもへの願いを語りながら、お互いに日頃していることや感じていることを率直に話をした。
「どうも考える力が弱いように思う。」「結果の交流だけでは力が付かない。自分がした実験で集めた事実をもとに考察までさせ、その考察の交流を通して事実を見つめ直す交流をしているけど、どうだろう。」「なるほど。そうそう、この前見てきた学校では言葉にこだわった面白い発表があったよ。」と資料を見せてもらう。
「そうだね。言葉を共通にもつことは大事だね。僕も『この事から』という言葉を子どもたちが最近多く使うようになったと思っている。」「理科室の掲示に『こんな言葉が使えるといいね。』などというコーナーを作ろうか。」「それはいい。」・・・などと話が弾む。
 子どもの姿についてお互いの考えや取り組みを語りあうことは、自分を見つめ直すよい機会となる。毎日の仕事に追われながらも、この機会は楽しい時間になる。
 新しいものを生み出すことができるのは、互いに認め合い、共通の願いをもって語り合う時間かもしれない。

あなたを信じているから

2007-11-27 | 育児
 まったく無理だと思っていても、新たな発見をすると結果はどうあれ、子どもの可能性に期待してまずは挑戦させたくなる。「あんな姿があるのだから、何とか伸ばせるのではないか。伸びて欲しい。」と願い、心の中は、「あなたを信じているから。」という気持ちで一杯になる。時には、声に出して「あなたならできる。絶対にできる。頑張ってみようよ。」と話す。おだてるわけではなく、本気でそう思っている。ごまかして言うわけではなく、発見したからそう思うのだ。
 例 暴力を振るう子どもが友達に優しくした一面を見たとき
   いつも真似ばかりしている子がはっとする考えを出したとき
   文句ばかり言っている子どもが、友だちをかばったとき
   強がりを言っている子が弱さを見せたとき
   おとなしい子が、友だちと活発に遊んでいる姿を見たとき
   声の小さい子が休み時間に大きな声で話している姿を見たとき
   いつも笑顔がなく暗いと感じる子が笑顔を見せたとき
 状況が変われば変わることもある。こちらの対応を変えれば変わるかもしれない。ない姿は見ることができないが、その面があるから見せてくれるのだ。あとは、条件を見つけたり、支えを強力にしたりし、可能な限りしやすい状況を整え作り出すことだ。
 仲間の応援が支えになることもある。
 教師の見守りが支えになることもある。
 見通しをもたせることが支えにもなる。
 条件を変えることが支えにもなることもある。
 階段を用意することが支えになることもある。
 突き放すことが支えになることもある。
例<暴力を振るう子を振るわない子にしたい>
・暴力を振るう自分を自覚する。
・暴力を振るわない努力をしなければならないと考える。
・振るわないように頑張る自分を認めて欲しいと思う。
・仲間から認められる自分があることに喜びを感じる。
・努力をしていると変わる自分があることに気づく。
・暴力を振るわないといいことがあることに気づく。
・暴力を振るわくても自分を生かせそうだと思う。
 この一つ一つに仲間や教師の支えを日々用意する。(頑張りを認める場、変化に気づかせる場、自覚を促す場等を用意する・・・みんなが揃った時、我慢した時、本人と向き合った時など)
 あの手この手と試行錯誤をしながら、子どもの変化を見る。変化が見えるまで手だてを打ち続ける。その子に合った手だてが見つかると子どもは変わってくる。可能性が見えてくると、「あなたを信じてよかったわ。」と言いたくなる。それと同時に打った手だてが財産ともなる。「他の子どもにも使えないだろうか。」と欲がでる。人にも伝えたくなる。そして、今の自分がここにいる。
 指導力を身につける・・・・それは、子どもを信じるところから始まる。 

愛情が見えるように伝える

2007-11-26 | 育児
 先日、警察の方と話をする機会を得た。非行に走った子どもたちの取り調べをしている方の話だ。「きまりで縛る前に人としてすることがあるはず。それをしないから子どもが育たない。」と。
 ある子どもに取り調べの後に食事をおごった。食事中何も話さない。黙って黙々と食べている。そして、ぼろっと「米粒を食べたことがない。」と話す。朝はカップヌードル、昼はコンビニでパン。夜はマックでハンバーグ。親からもらったわずかなお金で食事をしている。その後、心を開き家庭の様子を話した少年。愛情に飢えていると。食事を一緒にすること一つでも、子どもへの愛情の表れ。子どもが求めているものはお腹を一杯にすることだけではない。子どもは食事を通して心を愛情で一杯にしたがっている。
 自分の都合で子どもを振り回す親が多くなっている。愛情を形にして子どもに愛情を伝える努力をしなければならない。これは、教師も同じ。自分の都合ではなく、子どもが愛情を感じるような形にして子どもたちにすべきことを伝えなければならない。形の裏にある子どもへの思いや気持ちを強く意識しないと子どもには愛情は伝わらない。
 「静かに聞きなさい。」→聞き逃して困らないことを願っているよ。
 「勉強しなさい。」→困っていたらいつでも助けるよ。
 「友だちと仲良くしてね。」→仲良くできるか見ているからね。
 「丁寧に書いてね。」→できるじゃない。頑張るあなたが好きよ。
 日本人は愛情の伝え方が下手だと言われるが、それだけでは済まない。

いじめを見つける目

2007-11-25 | 育児
 いじめは、いつどこで発生するかはとてもわかりづらい。アンテナを高くして子どもの様子をつかめとよく言われるが、いじめの情報はなかなか集めにくい。その中にあっても子どもの心を探るために努力をしている私たちである。心を映し出す眼鏡があったらどんなに便利だろうと思う。
 いじめはいろいろな形で行われる。言葉遣い以外にも、「無視をする」「汚い物にでも触るような扱い」「噂を広げる」「仲間だけの秘密を作る」「仲間に入れない」など様々である。いかにこれらを早く発見し、解消するかは日頃の教師の努力しかない。

例1 弱い子をいじめる(自分よりも劣ると感じる子を卑下する場合)
 この場合、学級担任ならば弱い子になるのが誰かをつかんでいるのでいじめを見つけることは容易にできる。弱い子の周りにいる子がどんな対応(言葉かけ、関わり方など)をしているのかを観察しているといじめが発見できる。

例2 目立つ子をいじめる(優れていると感じる子に嫉妬する場合)
 この場合も学級担任ならば目立つ子が誰かをつかんでいるのでいじめを見つけることは容易にできる。目立つ子の言動や変化を見逃さないでいるといじめが早く発見できる。

例3 身近な子をいじめる(関係を支配する場合)
 子ども同士の人間関係はなかなかつかみにくい。この場合のいじめは日常観察だけではなかなかつかむことができない。子どもからの情報が頼りとなることが多い。雑談や日記などからも情報を集めることができる。(給食中の会話は、無防備なのでよく聞き取ると子どもの人間関係が見えてくる。)

例4 関わりの少ない子をいじめる(いじめを楽しんでいる場合)
 これは陰湿ないじめとなり、なかなか見えにくい。子ども同士の人間関係をつかむ努力も必要となる。また、仲間との関わりの薄い子を中心に日常観察をすることも大事であるが、子どもたちのいじめを許さない構えを作り、情報が集まりやすい状況を作り出すことが必要となる。
 日記や子どもからの直接情報だけでなく、投書箱などの用意も必要となる。

 子どもたちだけでなく、保護者、同僚、養護教諭などからも情報がもらえるように受け入れやすい構えを作っておく。

 子どもの心の病みがいじめとなることが多い。笑顔が一杯で明るく仲間と力を合わせて一つのことをやり遂げる学級からは、いじめは生まれにくいと思う。(一人の悩みをみんなで解決しようという姿勢があれば、何事も他人事にはしない。)

忙しいとは言わないゆとり

2007-11-24 | 育児
 子どもたち同様、毎日の生活の追われて生活をしていると目の前の事で精一杯で、周りを見るゆとりもなくなってしまう。ゆとりが心を耕す場ともなる。
 久しぶりにNHKのテレビ番組「課外授業」を見た。こどもたちが日常生活とかけ離れた活動がそこにはある。講師が自分の人生を振り返り、子どもたちに活動を通して語りかける。子どもたちは精一杯にそれに応えようとしている。何かを感じ、これからの自分の生活に役立てようとしている。
 ゆとり教育の見直しがなされる今日、このような時間を生み出すことが今後の学校教育の中で保証されていくだろうか不安になった。日常生活の中に忙しく働く教師ではあるが、心にゆとりなければ子どもたちに豊かな心を育むことはできない。忙しさですることだけを要求してしまう。心をどこかに置いてくることがある。心はすることの裏側にあるはずなのに。「早くしなさい。」「遅れるでしょ。」「みんながしているから。」などとすることができればまずは満足している保護者の姿を見ることも多い。することに追われ忙しく動かなければならない子どももそこにいる。
 図工の時間に作品作りに一生懸命に取り組む子どもたちの周りを「はい、ゴミ屋さんです。」とゴミ箱をもって回った。「先生、はいゴミ。」「ありがとうございます。」「先生こっち来て!」などと声をかけてくる子ども。「おー、すごいね。こんな工夫ができるんだ。」「「すごいよ。○さん、こんな紙コップを使い方したよ。」などと褒めたり仲間に紹介しながら歩き回る。「先生、こうしたいけどどうしよう。」「ちょっとここもって。」などと助けを求める子ども。
 作品作りをしている子どもたちを見ながら、ゴミ屋さんとして回ろうと決めた時、心にゆとりがあった。ゴミ屋さんに気軽に声をかける子どもたちの心にも温かいものを感じた。
 もし、担任ならばきっとこんなことをしていないかもしれない。「道具の使い方は正しくできているだろうか。」「どの子もきちんと評価しなければ。」「できるだけ多くの子どもの支援をしなければ。」「自分の出したゴミは自分で始末させなければ」「時間通りに進んでいない子どもへの配慮は十分か。」などと頭の中は、支援すべきことや指導すべきことで一杯となり、忙しく頭を回転させている。・・・・・忙しいと思うとそれだけで忙しくなる。「忙しい」につながる言葉は、ゆとりをなくす。せめて子どもには「忙しい」を言わないでおこう。

忙しいとは言わないゆとり

2007-11-24 | 育児
 子どもたち同様、毎日の生活の追われて生活をしていると目の前の事で精一杯で、周りを見るゆとりもなくなってしまう。ゆとりが心を耕す場ともなる。
 久しぶりにNHKのテレビ番組「課外授業」を見た。こどもたちが日常生活とかけ離れた活動がそこにはある。講師が自分の人生を振り返り、子どもたちに活動を通して語りかける。子どもたちは精一杯にそれに応えようとしている。何かを感じ、これからの自分の生活に役立てようとしている。
 ゆとり教育の見直しがなされる今日、このような時間を生み出すことが今後の学校教育の中で保証されていくだろうか不安になった。日常生活の中に忙しく働く教師ではあるが、心にゆとりなければ子どもたちに豊かな心を育むことはできない。忙しさですることだけを要求してしまう。心をどこかに置いてくることがある。心はすることの裏側にあるはずなのに。「早くしなさい。」「遅れるでしょ。」「みんながしているから。」などとすることができればまずは満足している保護者の姿を見ることも多い。することに追われ忙しく動かなければならない子どももそこにいる。
 図工の時間に作品作りに一生懸命に取り組む子どもたちの周りを「はい、ゴミ屋さんです。」とゴミ箱をもって回った。「先生、はいゴミ。」「ありがとうございます。」「先生こっち来て!」などと声をかけてくる子ども。「おー、すごいね。こんな工夫ができるんだ。」「「すごいよ。○さん、こんな紙コップを使い方したよ。」などと褒めたり仲間に紹介しながら歩き回る。「先生、こうしたいけどどうしよう。」「ちょっとここもって。」などと助けを求める子ども。
 作品作りをしている子どもたちを見ながら、ゴミ屋さんとして回ろうと決めた時、心にゆとりがあった。ゴミ屋さんに気軽に声をかける子どもたちの心にも温かいものを感じた。
 もし、担任ならばきっとこんなことをしていないかもしれない。「道具の使い方は正しくできているだろうか。」「どの子もきちんと評価しなければ。」「できるだけ多くの子どもの支援をしなければ。」「自分の出したゴミは自分で始末させなければ」「時間通りに進んでいない子どもへの配慮は十分か。」などと頭の中は、支援すべきことや指導すべきことで一杯となり、忙しく頭を回転させている。・・・・・忙しいと思うとそれだけで忙しくなる。「忙しい」につながる言葉は、ゆとりをなくす。せめて子どもには「忙しい」を言わないでおこう。

「馬鹿」を本気で叱る

2007-11-23 | 育児
 相手を傷つける言葉はたくさんある。気づかないうちに傷つけている言葉もある。
 友だちを「馬鹿」と言った子どもを本気で叱った。いつもにない大きな声と恐い顔で、ふざけていた顔が真剣な顔に変わった。学級全体が緊張感に満ちてきた。
「友だちに馬鹿とはなんだ。先生は許さないぞ。」「自分の方が偉いと思っているからそんな言葉が出るんだ。それは、友だちから学ぼうとしない姿だ。」「誰でも失敗することはある。失敗したことをけなされたら、失敗するのが恐くて何も言えなくなることだってある。友だちを傷つけるばかりが友だちをだめにする。」
「平気で友だちを傷つけ合っているから、みんな自信をなくしている。発表が少ないのもそれだ。間違えたらどうしよう。みんなから変なことを言われないだろうかと思うから何も言えないでいる。どの子もいいところあるのに発揮していない。もったいない。」
 謝らせて授業を続けた。「ほら、いい考えもっているでしょ。」「○さんが話してくれたからこんな意見も出るでしょ。」「□さんは友だちの意見を聞いたからこのことが言えたでしょ。」「こうやって安心して話ができるといろいろな考えが出てくるでしょ。」
 休み時間に「先生、○○さんが馬鹿って言ったよ。」「死ねと言ったよ。」などと多くの子どもが話に来る。傷つける言葉をどんどん見つけてくる。
 休まれた担任の日頃の大変さを体験する1日となった。

愛情に飢えている姿

2007-11-22 | 育児
 最近の子どもたちの荒れる姿を見ていると、愛情に飢えていると感じることが多い。「ねえ、先生。こっちを見て。」「私の方を見て。」と訴えているように感じる。
 うまく表現できないで、いつもの自分が顔を出す。家庭でしている表現がそのまま学校でも出たり、家庭でできないから学校でしてみたりする。
 甘えたいのに甘えさせてくれない。だから、泣いたり、反発したり、暴言を吐いたりして何とかこちらを向かせようとする。
 叱っても相手にしてもらえることの喜びの方が先にくる。叱られても叱られたことはあまり気にならない。相手にしてもらえることが嬉しい。
 ぐっと腕を握り、人に迷惑をかける行動を止めて叱る。少しずつ力を緩めていくが私の手から離れていかない。傍にいて相手になると次第に落ち着いてくる。いいところがあるのにもったいない。自分のよさにも気づいていない。愛情を求めるだけで精一杯の子ども。生かされることの喜びよりもまず、つながりを欲しがっている。

・手をつないでやりたい。
・ぐーっと抱きしめてやりたい。
・話をじっくりと聞いてやりたい。

 グループ机にして一緒に昼食を食べながら、叱られた時とは全く違い、無邪気に笑顔で話す子どもの話を聞きながらそう思った。

班行動させるだけで班行動の質は高まらない

2007-11-21 | 育児
 集団の意識を高めるために班を利用することは多い。しかし、集団の意識を高めるためには、班での行動や活動への支援の仕方で変わってくる。班を作ると必ずリーダーを作る。それが当たり前のように行われる。リーダーを作る前に班の仲間意識を高める指導が十分されないと作ったリーダーへの負担が大きくなり、時にはリーダーをつぶしてしまうことにもなりかねない。リーダーを育てる前にまずは、グループの仲間意識を高める指導が必要である。
 <仲間意識を作るための3つの約束>
・仲間は離れないこと
 席をくっつける。グループで輪になる。
 離れるときには仲間に伝える。
・仲間は助け合うこと
 みんなが経験する。交代する。順番にする。
 欠けると心配する。遅れる子やできない子に気を配る。
・することは、仲間と相談して決めること
 話し合いの場を作る。
 自分の思いや願いを話す。友だちの思いや願いを聞く。
 友だちに尋ねる。仲間の承諾を得る。
 グループの姿をこの3つから見て、できていないことがあれば指導し仲間とうまく関われるグループにする。うまく仲間と関われるようになると、
 ・仲間を気遣って声をかける子
 ・素敵なアイデアを出す子
 ・仲間に注意をしてまとめる子
 ・相談相手になり、頼りになる子
 ・判断が的確で仲間から認められる子
などが現れてくる。リーダーを決めなくても、しなければならないと追い込まれると誰かがリードし動き出す。1日2日、リーダーがいなくても班で活動はできる。その1日2日で誰をリーダーにするとよいかを班で決めても遅くはないし、仲間の合意で決めることができる。また、リーダーとフォロアーの関係を築く前に互いに同じ班の仲間だと自覚させ、仲間意識を高めるきっかけを作るのは、班の質を外から客観的に見ることができる教師。教師しかできない。
 「あの子は、グループの仲間を意識していない。」「あのグループは、活動に時間がかかる。」「仲間を見捨ていていることに気づかないでいる。」「あのグループは、離れていても平気でいる。」などと感じられるからこそ指導ができる。これはリーダーの責任ではない。気づかせていない教師の側に大きな責任がある。リーダーを作った後でも、この3つの約束から子どもを見続けることでリーダーの支援ができる。
 相手を思いやる温かい仲間に囲まれる班にするかどうかは教師の働きかけ次第である。

語ったことにならない

2007-11-20 | 育児
 子どもたちを何とかよりよい姿にしたいと思いながら日々子どもたちと過ごしている。子どもに願いを語っても聞く側の子どもたちに聞く気もちがなければ、語ったことにならない。聞かせるその場の雰囲気も大事であるが、それ以上に日頃の取り組みが左右する。子どもたちとの人間関係を築き上げてきた努力がここで発揮させる。
・先生は私のことを大事にしてくれる。
・先生は私のことをよくわかっていてくれる。
・先生に助けてもらったことがある。
・先生の話は、よくわかる。
・先生の話を聞くとやる気が沸いてくる。
・先生と一緒にいると楽しい。
・先生に言われたら仕方ない。等
と子どもたちが思っていてくれたら語りやすくなる。ただ、語った後が大事。語りが自己満足になっていては、語ったことにはならない。「子どもは何かを感じてくれただろうか。」「少しはわかってくれただろうか。」などと感謝する姿勢で子どもの聞いた後の姿を見つめる姿でいれば、語った値打ちも見えてくる。
 「そうなんだ。その姿を先生は言いたかったんだよ。」「それ、それ、それでいいんだ。よくわかってくれたね。」「ここまでわかっていてくれたとは。すごい。」「ありがとう。すぐに行動に移してくれて。」「わかる。この子の姿だよ。先生が言ったことをしてくれた姿は。」
 語りは、子どもの姿を何とかしたいという願いから生まれるものであるから、必ず子どもの姿を意識したい。願いが通じたことへの喜びがまた次の語りにつながる。
 ー今日の語りー
「わからない子に無理に手をあげさせるのはやめてほしい。」
「そう思っている子、手をあげてごらん。たくさんいるね。」
「先生は『みんなが、自分で考え、決めて、やる子になるといいなあ。』と思っているんだよ。人に言われて動くのでは自分の力にならない。みんなはロボットじゃないでしょ。自分で決めて動くから力になるんだよ。わからないと何をしたらよいか決められないでしょ。だからまず考えを決めるためにもわからないときはわからないと手を上げて欲しいと思っているです。ここがみんなの思いと違うところだね。このクラスは優しい子が一杯いるでしょ。わからなかったり、困ったりいたらすぐ助けてくれるでしょ。怪我した時のように。わからないと友だちが言ったら必ず助けてくれるお友達がいるはずです。だからちゃんと助けてくれるから安心してわからないと手をあげてほしいんです。」
 ↓
 授業を始める。授業の中でしぶしぶ(ちょっと恥ずかしそうに?)「わからない。」のサインで挙手する。
 ↓
 「わからない子が自分だけでなく、たくさんいるでしょ。」
 「助けてくれる子はいる?」
 「ほら、わかるように説明を詳しくしてくれたでしょ。」
 「優しいお友達がいてよかったね。これなら頑張れそう?」
 「みんなで助け合って勉強しようね。」
 久々に子どもたちの前で語る機会を得た。週に一度しかないこの子たちとの触れ合い。これからの授業の取り組みが楽しみだ。

磨き続けないと錆びてしまう

2007-11-19 | 育児
 子どもと一緒にいる生活しているといろいろな問題にぶつかり、時には疲れを感じることもある。悩み、苦しみ、逃げ出したくなることもある。しかし、子どもから少し離れ関わる機会がすくなくなった今、子どもともっと近くで関わり続けたいと思うことが多い。
 関わりが少なくなると手入れをしない刀が錆びてくるのと同様に指導力が落ちてくる。
<指導力の低下を感じること>
・子どもの心が読みにくくなる。
・子どもの行動が読めなくなる。
・目の前の子どもに合った適切な言葉が出にくくなる。
・抽象的な言葉が多くなる。
・要求が多くなる。
・机間指導に時間がかかる。
・子どもつかみに時間がかかる。
・認め励ましが少なくなる。
・子どもの思考に合った指導が弱くなる。
・板書等に子どもを生かしきれないと感じることが多くなる。等

 子どもと一緒にいることは自分自身を磨くチャンスが多いということだ。悩みや苦しみの先には磨かれた自分の指導力があると考えると子どもと一緒にいられる時間を大事にしたいと思う。
 子どもと一緒に遊ぶこと
 子どもと一緒に食事をすること
 子どもと一緒に話をすること
 子どもと挨拶を交わすこと
 子どもの作品や動きを見ること 等
 担任が子どもと一緒にいることは、まさに宝の山の中にいるようなものだ。磨く材料をたくさん見つけることができる。

安心を甘えにしない

2007-11-18 | 育児
 子どもたちが安心して学校生活が行えるように常に安全に気を遣いながら、日々の実践を行っている。しかし、配慮が子どもの自立を妨げていることはないか考えたり、自主性の名のもとに子どもに任せて配慮を欠くことはないかを考えたりすることは、教師自身の安全意識の違いによるところが大きくその判断はなかなか難しい。教師が言わなくても、傍にいなくても安心してできるまでに次のことをしたい。
1 傍にいて教えたり、やってみたりする。
 見本を示したり、師範をしてしたりしてみる。この時、なぜこうするのか、何に気を付けているのか思いや願いを一緒に伝える。
2 傍にいて、子どもにさせてみる。
 子どもの仕方に誤りがないか、足りない所はないかを見極める。この時「何に気を付けているのか。」「何を考えているのか。」「なぜそうするのか。」を問うて思いや願いも同じかどうかを確かめる。
3 離れて子どもにさせてみる。
 「見ていなくても一人でもできるかな。」と問い、子どもだけでできるかどうかを確かめる。この時、「心配や不安はないか。」を問うて相談に乗る。できれば、「一人でもできるね。」と自信をもたせる。
4 安心して任せられるか情報を集める。
 本人ではなく、他から情報を集め、一人立ちできているか確認するための情報を集める。この時、「○さんはうまくできているかな。」「○さんの様子の最近の様子はどうかな。」と心配から声をかける。
5 他から集めた情報をもとに安心を伝える。
 他から集めた情報を本人に伝える。この時「やっぱり○さんだね。他の子がこんな事言っているよ。これなら安心して任せられるね。」「頑張っているね。他の子からも聞いたよ。すごいね。」と声をかける。
※癖になるまでし続けるなければ安心につながらない。悪い条件が重なると事故につながる。
<安全に関わる具体的な場面>
 登下校、廊下の歩き方、遊具の使い方、理科・生活科・図工・家庭科での道具の使い方、はさみ・カッターなどの文具の扱い方、道具のしまい方、集団での行動の仕方等
 指導の途中で見届けを忘れたり、安心するのが早かったりすると子どもだけでなく、教師にも甘えが生じる。いつも隣に危険が口を開いていることを意識したい。また、安全指導は、それだけで指導することは少なく、他の指導と同時に行うことが多い。つい忘れがちとなる。
 「本当に任せてよいのか。」「任せられるのか。」「これで安全か。」を問い続ける目を持ち続けることが、本当の安心につながる。

時間を意識する

2007-11-16 | 育児
 私たちは時の流れの中で生きている。意識とは別に過ぎていく。時間と結び付けながら行動すると動きが変わってくる。子どもは活動に夢中になると時間を気にせずしたいことをし続ける。活動前に時間を知らせることで時間を意識する子が増える。また、時間の中ですることをはっきりさせるとさらに見通しをもち時間を意識し歩み出す子が増える。残り時間を示すとさらに時間を意識する。
 代表的なものは、日課に合わせての鳴るチャイム。
これ以外にも生活や学習の中でいろいろと意図的に合図として使うことがある。合図は言葉であったり、音や曲であったりする。見通しをもたせたり意欲を喚起したり、活動の流れをつかんだりするのに役立つことがある。
 子どもたちの活動の妨げにならないような配慮があると心が和む。
音楽を使うことも有効に働くことがある。オルゴールの音色は落ち着いた気持ちになるので私は好きだ。