ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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地域行事へ親子で参加

2013-05-27 | 育児
 子どもたちは、様々な環境に対応しようと精一杯生きています。それは、家庭だけでなく、学校や地域でも同じです。
 一番安心・安全な家庭から一歩外に出るということは、無意識のはたらきから考えると、どんな危険が待ち受けているかわからない不安な状況に置かれているため、常に安全・安心の確保のためにかなり多くのエネルギーを費やしています。
 安心な場所が増えれば、安全・安心の確保のためのエネルギーは少なくて済みます。
 安全・安心な場所であれば、それだけ、自分らしさを発揮することにエネルギーを費やすことができます。

 しかし、最近、地域との関わりを余り作ろうとしない保護者の方が増えています。
 子ども会への入会を拒んだり、地域行事への参加が消極的であったりします。これは、子どもにとってとても大きな損失になります。

 地域という環境は、子どもにとって自分をためすよい場所です。
地域は、異年齢の集団であり、その集団も時と場がを変えると違う集団になります。集団が変われば、その集団のルールも変わってきます。ですから、自分が身につけた価値観が試される機会が多いのです。
 つまり、家庭や学校で培った自分なりの価値観を実践する場になります。
 また、転居しなければ、避けて通ることのできない人間関係があります。
ここでうまく生活できると、将来出会うであろう人との関わりもうまくできる可能性が広がります。

 関わる時間がないとか、忙しいとか、時間の問題にされる方がいますが、決して時間の問題ではありません。根本的には、他を受け入れたがらない自分がそうさせているのです。

 自分と他との間に壁を作ることで自分を守ろうとしているのです。
自分の生活を脅かされないように守っているのです。

 しかし、壁があるうちは、決して平穏ではありません。それは、常に壁の向こうを意識しなければならないからです。
 壁を取っても安全で安心できる関係を築けば、不安を解消することはできません。

 例えば、家の鍵と同じです。外の世界に危険があると思うから、鍵をかって家族を守るのです。しかし、鍵をかけなくても安心な世界であれば、鍵をかける必要はありません。

 子どもは、必ず社会で生きていかなければなりません。いつまでも鍵をかけて守っているつもりでも守り切れません。失敗から学ぶ体験が多ければ、社会に出てから失敗することも少なくてすみます。ですから、社会に出るための訓練ができる場が目の前にあるということになります。小さい頃の失敗は、保護者がカバーして支えることができます。ですから、今だからこそ役に立つのです。
 地域の生活をうまく利用することが子どもにとってこれから生きていく急激な変化をする社会での生き方を学ぶよい機会になります。

 地域の行事に参加しないことは、とてももったいないことだと思います。それも、子どもの意志ではなく、保護者が参加の機会を奪っているとすれば、子どもにとって不幸なことだと思います。

 地域で生きる私たちです。子どもたちにもたくさん経験させたいと思います。 

将来を見通して

2013-05-20 | 育児
 子どもが育つにつれて、親として要求することが次第に高くなることがあります。そして、子どもの将来の展望を考えたとき、可能性を広げるために多くの努力を強いることになります。

 例えば、「将来いい大学に入るために、今、勉強を一生懸命にしなさい。」「今勉強しないと、行ける高校が限られてしまうわ。」などと勉強することの理由として取り上げることがあります。

 本当にこれでいいのでしょうか。

 可能性を広げるためのこれらの言い方は一般的で、子どもはそれを自分の事として受け入れることはできません。

 「我が子らしさ」を知っているにも関わらず、可能性を広げるためと言って、その子らしさをつぶすようなことになりかねません。

 発想の豊かな子ならば、その発想を生かした道があります。こつこつと決められたことをていねいにすることが得意な子には、それを生かした道があります。機械いじりが好きな子には、機械いじりが生かせる道があります。

 自分らしさを生かすための努力ならば、子どもが嫌がることはありません。
ですから、限られた時間をうまく効率的に利用し、自分らしさを磨く時間を作り出すことが大切だと思います。

 一般論として助言することが親の仕事ではありません。親だからこそできる助言をするのが「わが子らしさ」を知っている親の仕事だと思います。

 就職しても「この職業は、私には合わない」とか、「人間関係がうまくいかないので、無理だ。」などと仕事を辞めていく人が多くいます。
 
 子どもも悩みながら、自分の将来を考えています。その時に「あなたには、こんないいところがあるから、こんな道を選んだらどうか。」と助言は、親だからできる助言です。

 また、自分の特性に合っていれば、多少の困難も乗り越えることができます。挫折することなく、自分で環境を作り替えていくこともできます。

 みんなと同じことができて、同じように育つことが、その子らしさを生かすことにはなりません。

 自分一人ですべてをするわけではありません。互いに支え合って生きているのが社会です。

 その社会に出た時、人の助けを拒み、助けを受けることが自分の能力のなさだと決めつけ、自分を卑下することがあってはなりません。自分を責めてもいけません。

 自分を責めている時は、人を見ることができません。そのため、支えてもらっていることへの感謝の気持ちももてません。

 
 自分のよさや可能性は、社会の中で役立ちます。社会から離れて生かすことはできません。


 自分を責めている時は、社会の中で生きているのに、社会の中で生きている自分を見つめることができません。自分の殻の中ですべてを解釈してしまいます。これでは、自分のよさや可能性を生かすことはできません。


 自分との関わりを強くする社会を作ると、社会が、自分のよさや可能性を引き出してくれます。

 私たちの中に、社会との関わりを避けるような姿勢はないでしょうか。わが子を生かす場が社会であることを考え、社会との関わりを常に意識しながら、わが子らしさを伸ばす努力が必要ではないでしょうか。

 親の生き方が子どもに反映されます。社会との関わりを持ち続ける親でいたいと思います。

 これは、親に限らず、子どもと関わるすべての大人が考える必要があります。 
 

5月が山

2013-05-13 | 育児
 新年度の緊張感も取れ、自分らしさが出始めるこの時期に、子どもが体調を崩したり、不調を訴えたりする事が多く出始めるように思います。

 子どもたちなりに小さな胸を痛めているのでしょう。

 新しい学級の中で孤立感をもっていなか、チェックが必要です。

 学級のルールがはっきりしてくるこの時期に、そのルールに合わせて生活できれば、問題はありません。でも、学級のルールが合いにくいと感じていると、「みんなはできるのに、私はできない。」という気持ちから、次第に学級にいることが辛くなることがあります。

 これは、学級のルールを作り上げる過程で、取り残された子どもが味わう感覚になります。

 ルールはどの子もできてルールとしての役割を果たします。

ルールを守れない子どもが責められる対象になれば、辛くなるのも当然です。

 温かく見守られながら、一緒に頑張ろうとする仲間の支えがあれば、まだ救われます。

 緩やかな時間の流れの中で、自分のペースを大切にしながら、支えられていれば、一緒に頑張ろうとする気持ちも沸いてきます。

 逆に、性急に「みんなができるのだから、あなたもできるはずだ。」と責められ、できない子どもの努力不足としてすべて扱われると辛くなります。

 子どもの様子を見かねて、保護者からの苦情が来るのも、この頃になります。

 ルールを否定されては、学級を作り上げることはできません。

 集団生活を営む上で、どの子もできるようになってほしいという教師の願いだけでなく、子ども自身もそのルールがあった方が集団で生活しやすいというものになっているはずのルールです。

 ですから、できるようになっていく過程で重要です。その過程で、支え合い、助け合うことで、仲間の一人として認められていると感じられるように支えられる子どもが実感できるように支援する必要があります。

 それは、できないことを責めることではありません。少しでもできるように努力する姿を承認することで生まれてきます。

 承認できるのは、「あなたも学級の大事な一人だよ。」「決して見捨てないし、必ずそばにいて支えるからね。」・・・・・この思いが教師にあるからです。

 できないことや苦手な事に挑戦することは、誰でも時間がかかります。自分一人ではなかなか取り組めないこともあります。

 できない子どもの心の中をわかろうとする姿勢が必要になります。
「ルールだから、守りなさい。」では、子どもが愛情を感じることにはなりません。
これは、力づくで作り上げることになります。ですから、ルールを守れない子どもが責められる対象になります。

 力ではなく、互いの総意で作られたルールならば、ゆとりをもって子どもたちの姿を見ることができます。

 決めたあなたたちだからこそ、支え合うことが重要なのだと諭すことができます。そして、努力する姿を認め合うことができ、仲間全員がルールを守ることができるようになった時には達成感を味わうことにもなります。

 「この学級でよかった。」「この学級ならば、やっていけそうだ。」と小さい胸をなで下ろすことができれば、子どもは学級にいたくなります。そして、学級が好きになります。

 「支えてくれる仲間がいる。」「私のことをわかってくれる仲間がいる。」・・・・これがあれば、子どもは安心して、学校に通うこともできます。

 これまでに、学級には、いくつのルールができあがったのでしょう。そして、それはどのように作られたルールなのでしょう。

 長い1年の始まりです。この時期の子どもへの指導が、1年間の指導の土台になっていきます。1つ1つのルールを大事に扱いたいものです。

5月の学級経営

2013-05-06 | 育児
 大型連休も終わり、いよいよ本格的な学級経営が始まります。
この頃になると子どもたちは、学級での生活にも慣れ、次第に自分を出し始めます。
 そのため、4月には見られなかった、子ども同士のトラブルや学級全体で考えなければならない問題が起きることがあります。
 これは、とても自然な事です。安心の場が提供されているから起きてくることです。
 
 これに異常に反応することが、問題を複雑にしたり、解決困難な状況を作り出すことがあります。
 
 つまり、教師の価値観が強く出過ぎて、教師が問題を解決しようと力むと子どもからの反発が出てくるからです。

 子どもたちが自分たちの問題だととらえ、自らの力で解決するために教師が知恵を出し、解決の糸口を作るように見守ることができれば、子ども対教師という構造は作られません。
 むしろ、教師の支援を望む子どもた増えることになります。

 ここが一番教師の力が試される所です。

 「子どもの力で、どこまで問題解決できるのだろうか。」「その時に活躍するのは誰なのだろう。」また、「どのような人間関係ができあがるのだろう。」などと子どもを信じて、子どもたちの一挙手一投足に着目し、子どもの可能性を見つけ出すことができれば、問題を解決したときの子どもの自信にもつながります。

 これには、多少時間が必要です。
 
 教師の焦りや都合がそれを邪魔しています。つい、「時間がないから。」「すべきことが他にあるから。」「こんな風にしたいから。」などと教師の考えが優先してしまいます。

 せっかく力を出そうとしている子どもであっても、「このくらいの時間で解決できないようでは、だめだ。」「他との関わりを考える力がない。」「もっと全体を考えて、効果的な取り組みをしなければならない。」などと教師の価値観で子どもを裁き始めるのです。

 失敗から学び、自分の成長につながります。

 子ども自身が学ぶ機会を奪い、教師の価値観で裁かれた子どもは、自信を失います。

 いくら素晴らしい価値観であったとしても、過剰に反応することは、光と影を作り出します。

 子どもを承認し、子どもの言動を活かすための価値判断が必要になります。

 学級の目標と結びつけながら、
「今あなたがしようとしていることは、どんな値打ちがあるの?」
「この学級がよりよくなるためにあなたは何ができるの?」
「今の取り組みは、仲間のためにどんな力になったの?」
などと子どもに語りかけながら、知恵を授けたいと思います。

 この5月を乗り切ることは、学級づくりの土台を強く、大きくすることになります。

 1つの問題解決の仕方がすべての問題解決の仕方につながっていきます。その土台作りがこの5月の取り組みになります。

 自らの価値観を学級の目標と照らし合わせながら、どのように対応することが子どもを活かすことになるのかをじっくりと考えてみたいと思います。