よく「見守る」という言葉を聞いたり、話したりする。しかし、「見守る」ってどういうことなのだろう。見守り方の違いから、「任せ放しでは?」と思うこともある。逆に見守るために「支援をしなくちゃ。」と思うこともある。また、それが見守りなのと疑問に思うこともある。
「見守る」とは、手や口を出すか出さないかの違いではない。
子どもを見守るとき、そこには子どもへの思いがある。子どもの自立を願う見守る側の深い愛情だ。その深い愛情から子どもの自立を見つめているにも関わらず、実際の場面になると今までの自分が躾られてきた経験で子どもを見ている「見守り」になっていることが多い。
自立した姿には、いろいろなレベルがある。そのレベルに合わせて見守り方が違ってくる。(前提となるのは、自立しやすい環境を整えておくことは見守る側の責任だと考えている。)
○行動レベルでの見守り
「できる」「できない」が明確になる。
○能力レベルでの見守り
「ある」「ない」が明確になる。
○見方・考え方、価値観レベルでの見守り
「している」「していない」が明確になる。
○アイデンティティーレベルでの見守り
「こんな子である」「こんな子ではない」が明確になる。
見守る側は、つねに見守るレベル以上の視点で見守らないと見守りにならない。
例 机の上の整理ができない。
行動レベルで見守っていると「やり方」「手順」「道具」などの行動に関わることにしか目が向けられない。
もし、アイデンティティーレベルで見守っているとすると、「この子は、机の上の整理をしなくても仕事がしやすいと考えているから整理をしないのかもしれない。」と子どもの価値観レベルで捉えることができるし、「この子には、机の上の整理をする能力がないのかもしれない。」と能力レベルでとらえることもできる。
つまり、目の前の行動だけを見ていても見守りにはならないということだ。行動の裏にある能力や価値観などを探ろうとしながら見守ることで適切な支援もできる。また、できない原因を探ることもできる。
「見守る」とは、手や口を出すか出さないかの違いではない。
子どもを見守るとき、そこには子どもへの思いがある。子どもの自立を願う見守る側の深い愛情だ。その深い愛情から子どもの自立を見つめているにも関わらず、実際の場面になると今までの自分が躾られてきた経験で子どもを見ている「見守り」になっていることが多い。
自立した姿には、いろいろなレベルがある。そのレベルに合わせて見守り方が違ってくる。(前提となるのは、自立しやすい環境を整えておくことは見守る側の責任だと考えている。)
○行動レベルでの見守り
「できる」「できない」が明確になる。
○能力レベルでの見守り
「ある」「ない」が明確になる。
○見方・考え方、価値観レベルでの見守り
「している」「していない」が明確になる。
○アイデンティティーレベルでの見守り
「こんな子である」「こんな子ではない」が明確になる。
見守る側は、つねに見守るレベル以上の視点で見守らないと見守りにならない。
例 机の上の整理ができない。
行動レベルで見守っていると「やり方」「手順」「道具」などの行動に関わることにしか目が向けられない。
もし、アイデンティティーレベルで見守っているとすると、「この子は、机の上の整理をしなくても仕事がしやすいと考えているから整理をしないのかもしれない。」と子どもの価値観レベルで捉えることができるし、「この子には、机の上の整理をする能力がないのかもしれない。」と能力レベルでとらえることもできる。
つまり、目の前の行動だけを見ていても見守りにはならないということだ。行動の裏にある能力や価値観などを探ろうとしながら見守ることで適切な支援もできる。また、できない原因を探ることもできる。