ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

校務分掌

2007-03-31 | 育児
 校務分掌が変わる時に誰もが不安に思う。「自分にできるだろうか。」「以前にやっていた人たちの姿を思い浮かべると私にはできない。」などと思うことは多い。校務分掌は、大所高所に立って、適材適所に人材を配置されるように行われる。ここには私情はない。(ここに疑問を感じるようなことがあろうと、受けとめるしかない。)受け取った校務分掌をどうせしなければならないのならば、自分にプラスになるように仕事をしなければ、充実した仕事はできないし、楽しくない。
・私の可能性を試されているのだ。
・新しい流れを作ることを期待されているのだ。
・この仕事を通して、子どもの見方が変わるかもしれない。
・この仕事をすることで、人への対応も変わってくるかもしれない。
・新しい仕事について、以前より深く考えることができるようになるかもしれない。
 前向きに生きている姿を子どもは見ている。だから、自分にとってプラスになることは、必ず子どもにとってもプラスになる。新しい校務分掌は、研修の機会を得たととらえたい。

修了式と始業式

2007-03-27 | 育児
 修了式は、1年間の最後の行事であり、最高の姿を見るよい機会。特に話を聞く場面が多いと思うが、話の聞き方は1年の総仕上げとしてじっっくりと子どもたちの姿を見てみたい。自分の1年間の指導の成果が現れた子は誰で、現れなかった子は誰なのかをつかむことができる。また、何故現れなかったのか、指導にどんな問題があったのかを明確にすることができる。逆に、1学期の始業式は、1年間の最初の行事であり、子どもの実態を把握するためによい機会。この姿をどうやって1年間で育てていくとよいのか。どんな手段で取り組めばよいのかなどを明確にするチャンスでもある。(始業式の前に教室で構えを話しておくと、教師の話をじっくり聞いてそれを実行できる子かできない子なのかを始業式の中で把握することができる。また、教室に帰ってきてから褒める材料もできる。)節目となる行事をうまく利用することで自分の経営の課題を見つけることができる。行事をこなすだけに終わらないように自分なりに目的をもって指導に当たるとそれなりの成果を得ることができる。

夢を伝える

2007-03-23 | 育児
 学校教育への信頼回復のために外圧がかかる時代。教師として生きづらくなってきている。その外圧に負けることなく、子どもたちに夢を語り伝え続ける教師でありたい。
 子どもは、教師を見ている。
 生き方そのものを見ている。
 子どもに恥じない生き方ができる教師でありたい。
 子どもが夢をもって生きるためには、まず教師自身が夢を語れる教師でなければならない。そして、それを伝えたい。
 「お世話になった先生にお礼をしたい。」と子どもたちが、お礼の言葉を書いた色紙や寄せ書きをもってきた。いつも笑顔で登校してほしいと願いをもちながら、朝の登校指導で挨拶をし続けた。
 子どもたちから「元気な挨拶ができた。」「楽しく挨拶ができた。」「いろいろな挨拶ができた。」「挨拶を褒めてもらって嬉しかった。」などと、挨拶についての言葉が多く書かれていた。子どもたちに私の願いが伝わったのかもしれないと思うと嬉しくなる。何気なく交わす挨拶一つでも、夢をもってし続けると子どもが変わる。できることの中に夢をもち、これからもし続けたい。

子どもから離れない

2007-03-22 | 育児
 NHKスペシャル「学校って何ですか?」で公立学校の教育が取り上げられた。改めて教師は子どもから離れてはいけないと強く感じた。子どもから離すような仕事は、教師にとって邪魔でしかない。それをすれば、相手が国であろうと、県や市町村の教育委員会であろうと邪魔でしかない。目の前の子どもとじっくりと関わる時間を奪う外圧に耐えることは本来すべきことではない。子どもを守るために、子どもを育てる教師を守ってくれる立場にいる人が守ってくれなければ、誰が教師を守ってくれるのだろう。(教師が安心して、子どもと向き合える社会にしたい。)
 自分たちで守れというのは、いかにも辛い。教育は、学校だけで成り立つものではない。社会全体が子どもを育てる側に立たないといけない。子どもの教育に無責任、無関心な人が一人でも少なくなるように努力する仕事も教師がしているように思う。これには大変なエネルギーが必要だ。教師を子どもから離さないで欲しい。そして、教師は子どもから離れないで欲しい。

卒業式練習

2007-03-21 | 育児
 卒業式に立ち向かう子どもたちの姿は、やはりどこか違う。子どもたちなりに一つの区切りとしての行事として大切にしている感じがする。ただ、気になるのが厳粛さを求めるために形に関わる指導が多くなること。形が形のままになると応用が利かない。形に対する思い入れが、心の教育につながる。私は、卒業する一人一人が主役になる場ととらえ指導したい。
 6年間で培った力に自信をもっていいよ。
 それは、自慢できることだよ。
 胸をはって堂々としていればいいよ。
 仲間と力を合わせ、心を一つにできる小学校生活最後のチャンスだよ。
<それが形となって現れる。>
 歩く姿、返事、呼びかけの声等・・・・自信に満ちた姿
 歌声、全体の動き(起立、礼など)・・そろう美しさ
ー在校生は、その6年生の姿から学ぶ場となるー
・6年生の顔を目で追いながらお世話になったことを思い出そう。
・6年生に感謝の気持ちを声や態度で示そう。
・安心して任せてもらえる私たちだと訴えよう。
<それが形となって現れる。>
・拍手、呼びかけの声、歌声、動きなど・・・感謝、お礼、任せて
 卒業生、在校生がこの思いに立ち、一緒になって卒業式を作り上げようと子どもたちに訴えたい。

意図的指名

2007-03-19 | 育児
 授業を通して分かるということは、教師や一緒に学習する仲間から階段を一歩一歩上るように自分の思考を高めていくことだと考えている。子どもは、どんな分かり方をするのだろう。10人いれば10通りの分かり方があるはず。分かっていく道筋が分かれば、何を支援すればよいかが明確になる。「思考の連続」とは、まさにそれだと思う。授業の中で誰を指名すると、その考えは誰に役立つ情報なのだろうか。受け取った子どもはどのように役立てたのだろうか。こう考えて指名することが意図的な指名となっていく。思考を連続させるためには意図的な指名が必要不可欠である。
<あり得ない指名>
・まとめて指名
 挙手した子どもから数名をまとめて指名して発表させる。
・「1つだけ」指名
 子どもの発言の内容を制限する。「みんなに発表してもらいたいから1つだけね。」と釘をさしてから指名する。
・順番指名
 1班から順番、出席番号順に発表などとあらかじめ決めておく。
・「他には?」指名
 別の内容だけを求め、その子が何を考えどのように整理しているのかを見ようとしない。
・無作為指名
 「今日は○日だから、○番の子」「じゃんけんで決めよう」など遊び要素を取り入れる。
 授業を楽しくするために発表の機会を増やそうとか遊びの要素を入れようとするのは姑息な考え。あくまで子ども自身が分かろうと努力し、その努力を見届け、励ましていく。子どもは分かっていけば楽しくなる。意図的指名は教師の力量に支えられている。また、続けることで子どもを理解することにつながり、力量を上げることになる。

見届ける

2007-03-18 | 育児
 私たちは、明日に向かって生きている。子どもたちにもそんな生き方をして欲しいと全力で事に当たる。そして、それに一生懸命になればなるほど周りが見えなくなってしまうことがある。そこで、忘れがちになるのが「見届け」
・学校を休んでいる子
 目の前にいる子どもたちに対する指導に時間を取り、休んでいる子へは、「お体を大切に。」「まず、体を治すことが大事だから、じっくりと休んで。」との言葉ですませていないか。
<休んだ分、学び損なったことを学ぶことなしに次の日を迎える不安を取り除くことが必要>
・指導している時間に学級から抜ける子
 体調が悪くなって保健室へ行って休む子や係の仕事で一斉に指導している最中に教室から離れる子がいる。 (中には「職員室まで○○を届けて。」「取ってきて。」などと指示をする教師がいる。)
 抜ける子どもは、抜けている間に何が学級の中で行われているのか知らないし、その時間に学ぶべきことを学べない。
<抜けさせない事も大事であるが、抜けざるを得ない子への配慮に指導したことを伝えることが必要>
・つまずきのある子
 教えることに一生懸命になり、子どもが学び取ったかどうか知らないでいることがある。子どもが学び取って初めて、教えたことになる。つまずきのある子は、自信が持てず、不安な日々を過ごさなければならない。
<つまずきを取り除き、つまずきを乗り越えるための支援が必要、またつまずきを乗り越えたかどうかの見届けも必要>
・指導が済んだこと
 一度指導してしまうと忘れてしまうことがある。忘れてしまってもよいことと忘れてはいけないことがある。指導した足跡を振り返り、子どもの姿に照らし合わせて指導すべき事はないかを見つめ直す。(子どもの身になるまでこだわったことは、指導し続けたことの現れ。子どもの姿や作品から指導の足跡が分かる。)「負」を背負っている子はいないか、「負」を背負わせた子はいないか。何かできることはないかを見つめる機会が見届け。見届ける行為の裏には、子どもへの愛情が隠れている。

春休みの過ごし方

2007-03-17 | 育児
 長い休みの中で春休みが他の休みと比べて一番、指導の難しい休みである。
<理由>
・旧担任が新年度に入って点検や評価ができないため、夏休みや冬休みのような課題がない。
・学年の切り替わりのため、子どもの意識が次の学年に向き、旧担任から意識が離れ、縛られることがない。
 そのため、子どもは気が緩み、生活が乱れたり、誘惑に負けたりすることがある。事件や事故に巻き込まれやすいのもこの休みである。
<指導したいこと>
 新年度に向けてどんな自分であればよいのか、そのためにどんな毎日を過ごせばよいのかをじっくりと見つめさせたい。
ー春休み中にしなければならないことー
 (自分の部屋や机などの整理、旧学年の物の始末)
 (新年度に向けて必要な物の準備)   
 (復習を中心にした学習)
ー生活を律するためにすべきことー
  点検表の準備
  春休みの計画(毎日すること)
  お金や時間の使い方(自分のため、家族のため)
 「先生は点検できないから、おうちの人にしてもらうことになるよ。」、「だから、どんなものを作るとよいか相談するといいね。」と言って準備を進めることを話す。夏休みや冬休みのように計画を立てるが、点検表や計画表は自分で作らねばという気持ちに追い込む。(ただし、教師が作成したものは準備し欲しい子にはあげる。・・・・ほとんどの子がそれを欲しいと言うことは想像できる。)そして。「先生は、通信に書いておうちの人にお願いしておくから、おうちの人に点検してもらうんだよ。」と言って通信を渡す。
<保護者にお願いしたいこと>
 保護者には、子どもの春休みにおける気の緩みや危険性を十分伝え、保護者が子どもの生活に配慮をしないと生活の乱れにつながることを十分伝えたい。そして、そのためにこれだけの準備をしたこと、保護者として見届けることをお願いしたいことを伝えたい。(夏休みや冬休み明けに担任が確認したり点検したり評価したりしてきたが、それができないので、保護者が教師の代わりなって行わなければならないことを伝える。)次の担任に引き渡すまでは、子どもを離さない気持ちを保護者に伝え、連絡先を知らせたい。(保護者が困ったときや子どもへ励ましをしたい時に自分だけで抱えないで教師を利用してほしいことを伝える。)
 短い休みではあるが、学年を切り替えるとても大事な休みである。保護者の協力なしには乗り越えられないのがこの春休み。共稼ぎの家庭が多いこの時代。どのように保護者と向き合うかはとても大事になる。子どもだけで過ごす家庭もある。家庭訪問や電話連絡をし、常に子どもを見守る姿勢をもっていることを伝えると保護者も安心される。場合によっては春休み前に保護者と十分に話し合う必要がある。

責任を取る

2007-03-16 | 育児
 知り得た情報の管理は、慎重に扱わなければならない。不安になるとつい話しやすい人に相談したり、自分の判断は「これでいいでしょ。」と情報を知っていない人に同意を求めたりすることがある。このことにより情報を持っていない人にも情報が流れてしまう。本来なら情報を得た自分が、判断し、情報を生かす行動をしなければならない。相談や同意にしても、話しやすい人ではなく、情報を共有する人でなければならない。それが話しにくい上司であっても、組織の一員として動くためには仕方ない。情報が他に漏れることや伝えるべき情報を伝えないために
混乱したり、問題解決に時間がかかったりすることはよくある。
・伝えるべきか伝えるべきでないのか。
・誰に伝えるのか。
・いつ伝えるのか。
・どのように伝えるのか。
 これらは、すべて情報を得たものの責任で行われる。情報管理は、情報を得たものの判断力が問われている。

言葉に表れない心の内を探る

2007-03-14 | 育児
 「おはよう。」と子どもに声をかける。返ってくる「おはよう。」「おはようございます。」の言葉は様々。それ以上に子どもの表情は様々。「おはよう。」と挨拶を交わしたとき、発した言葉よりも表情の裏にある子どもの心が気になる。
 何が、あの小さな声にしているのだろう。なぜ、いつも返事が返ってこないのだろう。こちらから声をかけないと声が出ないのはなぜだろう。 私との距離、子どもの家庭生活、生育、人間関係等々過去が気になって仕方ない。今、どんな思いで歩いているのだろう。楽しみはあるのかな。何か辛いことでもあるのかな。何が今のあの子を作っているのだろう。
 あの子に笑顔は作れないだろうか。いろいろな思いが駆けめぐる。
逆に元気に挨拶を返してくれる子どもからは、未来が見える。その声からはその子のもつエネルギーを感じる。どの子もきっと精一杯生きているのだろうが、前を向いて歩いているにもかかわらず、未来が見える子と過去が気になる子がいる。
「あなたの笑顔は素敵だよ。その笑顔はあなたの財産だから、いつでもその笑顔を大事にしてね。」と、卒業間近の6年生に声をかける。さて、過去が気になる子どもには何と声をかけばよいのだろう。

学校の教育目標

2007-03-13 | 育児
 子どもをこんな姿にしたいということはいろいろある。しかし、個々の教師が描いている姿は様々。それでは、子どもたちの育ちはバラバラとなり、教師の力量差による子どもの育ち具合の差も生まれてくる。(毎年ゼロから学級作りをしなければならないとか、前学年でどこまで育ててもらっているのかが見えにくいとか、昨年度と同じことをしても時間がかかるとか感じることはないだろうか。)そこで登場するのが、学校の教育目標。 学校として、こんな姿にしたいという願いがこれ。
 次年度の準備をしている今、一番大切にしなければならないのが、この学校の教育目標だと思う。この扱いをこの時期だからこそ、次の点から見つめてみたい。
・学校の教育目標を具体的にイメージし、共通理解されているか。(「こんな時に、こんなふうに考え、こんなことをする子を求めているのだ。」と言える)
・学校の教育目標の具現がどのようになされていくのか、様々な全体計画からその道筋が分かるように作られていること(「こんな子どもにするためには、こんなことをこんな場で、こんな順序でこのように取り組めばよさそうだ。」と言える。)
・これにスパイスをきかせるのが、校長の経営方針 (「次年度は、何に重点を置き、どんなステップでどのように子どもを育てようと考えているのか。」が分かる。)
 次年度に向けて、いろいろな提案がなされるこの時期。それぞれの提案が形式的になっていたり、十分理解がなされていなかったりすると次年度の学校の教育目標に対する取り組みは期待できない。活動をこなすだけになり、学校の教育目標は絵に描いた餅となってしまう。
 様々な提案は、この学校の教育目標や様々な全体計画につながっている。
(作らなければならないから作るでは、つながりは生まれないし、職員には見えない。)
 異動で職員が変わっても、多くの子どもは6年間同じ学校で過ごす。
 つまり、子どもを全職員で6年間かけて育てることやその6分の1が次年度であることを考えると学校の教育目標を共通理解することの重要性が見えてくる。
 それぞれの提案がバラバラではなく、学校の教育目標という山にいろいろな角度から登っていくのだということが分かるかどうか、そして、次年度は特にどんな登り方を大事にしようとしているのかが見えるかどうかを問える自分にしたい。

授業時数

2007-03-12 | 育児
 どの子にも分かってもらおうと授業を進めているとついつい1時間が2時間に、2時間が3時間になってしまうことがある。しかし、年間の総時数は決まっており、どこかで授業時数のやりくりしなければならない。若い頃は、特別活動や道徳を軽視し教科時間に振り替えたり、別の教科や単元を簡単にすませたりして何とかやりくりしていた。しかし、どの教科、どの領域も軽視できない大切な内容を含んでいるし、自分だけで子どもを育てている訳ではなく、小学校で言えば6年間のうちの6分の1であり、やるべき事をきちんとやらなければ、子どもにしわ寄せがいく。この問題を改善するには、授業そのものの改善しかない。1時間1時間をもっと大切にする構えが必要だと改心した。そこで、
・安易に時間割を変更しない。
 (毎週、次週の予定を子どもたちに示す。)
・必ず定刻通り授業を始める。
 (子どもより先に教室で待ちかまえる。)
・家庭学習を充実させる。
 (家庭学習の点検評価を充実させる。)を意識して取り組んだ。
 授業の質の改善については、日々の努力しかない。子どもが分かる(できる)授業作りと子ども自身が自ら学ぼうとする授業作りを課題として取り組んだ。
 次の3点を大切に学級作りを行った。
・「いつでも反応」・・・挙手のルール作り
・「記録評価の充実」・・・補助簿や観点別評価ソフトの開発
・「通信の充実」・・・・・子どもの姿や願いの啓発
 そして、必ず学期毎に授業時間数を見直し、計画通り進んでいるかどうかを確認し、調整のための時間割の変更などを行った。授業時数を意識することで授業の改善ができ、時間を大切にするようになった。

ゼロの子を生かす

2007-03-11 | 育児
 授業を進めるときによく子どもを生かすと言うが、どの子を生かしているのだろう。できる(できている)子は、見本やモデルとして紹介したり、よい方向へ導くために見方や考え方を考えさせたりすることは普通の授業の中でよく見かける。しかし、できずに困っている子、まして何もできない子を授業で生かす努力はされているだろうか。ときどき「学校は間違える所だ。だから間違っていると思っても自分の考えを発表しよう。」などと子どもに話す教師がいる。自信が持てず、不安な自分の考えをどうして発表できるだろう。そして、あなたは間違っていたのだと発表した後に仲間から指摘されることが分かっていることをあえて言えるほど子どもは強くないし、そんなことはさせたくない。私は、「この自分で考える時間の間、自分が持っている力を出し切って精一杯考えたでしょ。それは、嘘じゃないでしょ。足りないことはあっても間違いではないよ。精一杯考えた証拠だから自信をもって話しましょう。そして、何が足りないのかお友達の話を聞いて見つけましょう。それが勉強なんだから。」と話す。自分の考えを話すことは、自分を大事にすることだとも伝える。時間を使ってせっかく考えたことを無駄にしている。その考えに加えていくことで自分を生かすことができる。
 ゼロの子には、「(ゼロになった理由を言わせながら、)(ここが)分からないので教えてください。」と話すように促す。少しでも考えた子には、「途中だけど、ここまで考えた。」と話すように促す。できた(できている)子は、自分の考えを丸ごと全部話すように促す。(友だちが同じようなことを言っても自分が考えたことを自分の言葉で言うことが自分を大事にすることになる。「○○さんと同じ」では許さない。これに自分の考えを加えさせる。) 誰もが授業に参加し、授業を通して自ら学ぶためには、どの子も生かそうとする裁量が、教師にあるかどうかである。

研究を進める

2007-03-10 | 育児
 来年度の研究推進について話し合う機会がこの時期にもたれる。今年度の研究の成果と課題から話し合いがなされるが、これは一般論でしかなく、具体性に欠けることが多い。
・仕方ないからする。
・よく分からないからついていけばいい。
・うまく授業ができるようになりたい。
・自分を磨きたい。など
 研究に向かう姿勢に差があるから、当然個々の取り組みには差が生まれる。この差を埋める努力がこの時期に大事だと思う。一番大事にしたいのは、願う子どもの姿。これが明らかになっていないから進めないことが多い。どんな姿にしたいのか。どんな子どもにしたいのか。それも具体的な場面をイメージした話し合いをしないと意識の差を埋めることはできない。授業の中でのこんな姿にしたい。こんな動きをする子にしたい。こんな場面で、こんな考え方をする子にしたい。具体的な姿ならば、分からないという人はいない。これさえ明らかになっていれば、あとは「どのように」があるのみ。これは、整理できるものが整理し、示せばよい。
 まずは、ゴールを具体的にイメージできる職員にすることが来年度に向けての準備として必要だ。

掃除

2007-03-09 | 育児
 もくもくと掃除をする子どもたちになってきた。1年かけてようやく全校が働く子どもたちで一杯になってきた。職員も一丸となって掃除をする。掃除にかける20分間は、何があっても掃除を優先しようという教師の構えが子どもを変えてきた。心が育ったとは言い難いが、ただ、「働くこと」を見つめる機会にはなっている。
・みんながやっているから
・先生に叱られるから、見ているから
・友だちに注意されるから、見られているから
・綺麗になると嬉しいから、気持ちいいから
・美しくしたいから
 様々な思いがありそうだ。どんな気持ちがどれ程育ったのか、子どもたちに尋ねてみたい。