ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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レッテルを貼ると安心

2015-12-30 | 育児
 子どもに問題行動があった時に、その原因をいろいろ探ります。その原因がはっきりしない時は、不安を感じます。しかし、その原因が見つかると安心します。

 これは、脳のはたらきによるものです。

 空白の原理と言って、脳は、空白を嫌います。(NLPの基本がわかる本より)

 わからない状況(空白)は、自分でコントロールできないために、不安を感じることになります。わからない状況(空白)が埋まるとコントロールできるために、不安が解消されます。つまり、安心・安全を感じます。

 例えば、

 授業中に落ち着かない子どもがいた時、「どうもこの子には、障がいがあるのではないか。」と疑う事があります。「障がいがある」となれば、原因がはっきりして、その「障がい」に合った対応をすることができます。

 病気でも同様です。「咳がなかなか止まらず、これは、どうも風邪ではないみたいだ。」 と不安に思っている人が、病名を医師から聞くと安心します。処方箋があるので、安心な状態になります。


 親が「この子に合った趣味は何だろう。」と不安になっている時は、いろいろ興味ある体験を用意し、子どもに与えます。「趣味」がわかれば、その趣味を磨くように安心して支援することができます。 

 このように私たちは、「人」や「出来事」に対して一旦レッテルを貼ると安心してしまいます。

 一旦安心した状態になると不安を感じないために、その安心した状態が当たり前になってしまいます。

 一番怖いのは、この安心した状態にどっぷりと浸かることです。

 例えば、「人」に対してです。

 「あの子は優しい子だ。」と決めると、「優しい子」の面をたくさん見つけることになります。そして、「優しい子ならば、こんな事はしない。」と枠をはめて見るようになります。
 そういう見方が定着していると、ある時、「あんな優しい子がなぜこんなふうになったの?」と裏切られたという事が起きます。
 元々優しい面ばかりでなく、違う面をもっていたにも関わらず、「優しい」という面があたかもその人のように見ていたために、裏切られたということになってしまいます。
 元々あったと考えれば、裏切られたことにはなりません。

 喧嘩をした子どもの「だって、〇〇さんが~したから。」という言い訳を信じて、対応していたのにも関わらず、後から原因が違っていたとわかり、子どもに「何で嘘をつくの?」と責める親がいますが、これも同じです。
 子どもの言葉を信じて行動したために、間違った対応をしてしまったことになり、「嘘」をつかれたと子どもを責めることになります。
 もし、子どもの言い訳に嘘があるかもしれないと疑いをもっていたら、対応が異なっていたかもしれません。

 このように私たちは、「人」にレッテルを貼り、一つの側面からいつも見ようとする傾向があるため、新たな側面を発見した時に動揺してしまいます。もともとその側面があったにもかかわらず、信じてしまっていたから、新たな状況に対して準備ができなかったのです。

 わが子の問題に関して、「わが子を信じなくて、誰が子どもを守るのか。」と言われるかもしれません。でも、子どもを信じるということは、子どもの言葉ではありません。子どもそのものの存在を信じることになります。

 私を一喜一憂させてくれるわが子です。よさと可能性を抱えたわが子です。そんな素敵な存在としてのわが子です。


 嘘をつかなければならなかった子どももわが子の一面です。もし、嘘をつかなければならなかった子どもの心も掴めなかった自分ならば、目の前の子どもを見る事なく、わが子が発した言葉に振り回されている自分だと気づくことになります。

 言葉はすべてではありません。ほんの一部でしかありません。人を信じることは、その人の言葉ではなく、その人になります。
 
 言葉だけに頼るのではなく、目の前の人をじっくり観察し、その言葉が表出された背景をきちんとつかむことがなければ、ただ、自分の安心・安全のために振り回されることになります。

 このレッテル貼りは、「出来事」でも同じです。同じ出来事でも見方によってはかなり異なる見方もできます。

 素敵な出来事であっても、当たり前の出来事に見えたり、それはあり得ない出来事にもなります。

 一つのミスを許さないという人もいれば、誰でもミスはすると許す人もいます。締切を守らない人を許さない人もいれば、仕方ないと許す人もいます。一つの面で、とらえているからこその判断になります。

 そして、もう気づかれたかもしれませんが、このレッテル貼りは「自分」に対してもやっています。

 「私は、ダメな人間だ。」と決めたからそのダメな自分で居続けることになります。「ダメでない自分」を疑っていないのです。「私は優秀だ。」と決めたから「優秀な自分」でないと許せないため、優秀な自分で居続けるための努力をしています。
 「私は、時間を守る人だ。」と決めたから、「時間を守る自分」で居続けようとします。


 大切な事は、可能性を広げるだけの器かどうかということです。誰もが安心・安全を求めていますが、本当に安心・安全だからいいのかと疑う自分も大事にしたいと思います。

 このようにレッテルを貼っても、疑って「人」や「出来事」、「自分」を見ることで、新たな見方ができるようになります。ゆとりをもった対応もこの視点が必要になります。

 疑うことは、自分の視野を広げることになります。
 信じつつも、どこかでほんの少し疑ってみる自分をもっていることがゆとりにつながります。そして、新たな可能性を生みます。

 今の安心・安全で満足してしまう自分はないだろうか、疑ってみませんか。

感情のコントロール

2015-12-27 | 育児
 私たちは、今を生きています。
 同じような日々を過ごしているように感じている人もいるかもしれませんが、出会う人も出会う人から受け取る言葉も、交わす会話も常に同じではありません。

 今の自分の状態も全く昨日と同じではありません。

 このことを考えると、これは、ある意味、私たちは、変化する今と向き合って生きているということになります。
 よりよく生きたいと願いながら生きていると、常に情報は新しいものとして映ります。変化に対応しながら、常に今を生きているという状態だろうと思います。
 この時に一番影響を与えるのが、今の自分の状態になります。
 やる気をもって過ごしている自分があれば、スピード感をもって過ごすことになります。悩みや苦しみがあれば、なかなか前に進まないことになります。

 これでは、安定して前に進むことはできません。

 平穏ではあっても、確実に自分を変化させつつ前に進むことができた方が、安定感があります。

 常に自分のペースで進めればいいのですが、人と関わらない時はありません。
 
 この「人」がペースを狂わせてしまうとなると、自分を生かし切ることはできません。

 人の波に合わせるよりも、常に平静な自分でいられることが、人と関わる時にでも有効になります。

 常に影響を与え合っている私たちです。感情によって動いています。自分の状態もこの感情に動かされてしまうことが多々あります。


 人がやる気をもってい過ごしている高い波ならば、平静な自分は、その波の外から冷静にその波を見ることになります。また、人のやる気の波が低ければ、平静な自分は、その波を高める役割を担うことになります。

 このことから考えると、人に影響されることなく、自分の状態をきちんと管理できることが、集団にもよい影響を与えることになります。

 それには、感情のコントロールがとても重要になります。

 親子であっても、夫婦であっても、家族であっても、地域の一人であっても、どの立場になろうとも、感情をコントロールし、自分の状態を平静に保ち、ペースを守ることが、自分を生かすことになります。

 感情のコントロールは、自分を生かすためにとても重要なことだと感じるようになりました。

学び続けること

2015-12-25 | 育児
 人が生涯にわたり学び・学習の活動を続けていくこと・・・・・生涯学習は、社会教育の分野でよく使われます。

 学校教育は、社会に出るまでの役割を担っていますが、実際には、この生涯にわたり学び・学習の活動を続けていくための基礎・基本を学ぶことが、学校教育だと思います。
 
 「勉強しなさいと言われるから、勉強をする」では、勉強を続けることはできません。

 「おかしいな。どうなっているのだろう。」と問題解決学習を学校教育の中では大切にしていますが、対象が変わるだけで、生活の中で見つける問題はいくらでもあります。

 これも生涯学習につながります。

 教科書を教えるのではなく、教科書で教えるという教科書のとらえ方もこの生涯学習に生きる考え方を育てるための教科書に対する見方になります。

 子どもが将来、どのような生活をすることを望んでいるのか、その考え方が学校教育での指導一つ一つに影響を与えます。

 学校では集団生活をしているので、その集団での生き方も社会生活を営む上での基礎基本となります。

 学校は、子どもが作る次の社会の縮図にもなります。

 それでは、教師は、どんな働きができるのでしょう。

 子どもの個性がうまく生きるように支えたり、集団がよりよい方向に歩み出せるように支えたりすることになると思います。

 これは、自分の理想に近づけるための営みではありません。子ども自身が主体的に、自分の生きる世界として生き生きと生活させる営みになります。

 2学期を終えた今、もう一度、自分の学級を振り返ってみると、残された3学期に何をすべきかが見えてくるように思います。

 子どもが作り上げた学級なのか、それとも教師が強引に引っ張って作り上げた学級なのか、どちらでしょう。

 子どもたちで作る世界ですから、失敗は、つきものです。
 その失敗を自らの学びとして乗り越えて来たのか、それとも、教師が教えて乗り越えてきたのか、どちらでしょう。

 うまく行くこともかなり多いと思います。
 その成功を互いに認め合う仲間になっていたか、教師に褒められて満足していたか、どちらでしょう。

 どの子も生かすことができる学級を目指しています。
 教師にとって苦手な子もいます。苦手な子も生きた学級なのか、苦手な子を生かされない学級なのか。どちらでしょう。

 教師としての人生をこの生涯にわたり学び・学習の活動を続けていく生涯学習に照らして見直してみるよい機会が、年が変わるこの時期だと思います。

ありがたいメッセージ

2015-12-16 | 育児

8月下旬からメール相談をしている不登校のお子さんをもつ親さんから、先日、次のようなメッセージをいただきました。
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 息子の情緒が最近、少しずつ落ち着いてきたのか週明けでも、今朝は元気に学校に行けました。
 昨日は、地区のクリスマス会でした。少し前の息子なら一人で参加できなかったでしょう
 地区のクリスマス会に一人で参加し、ビンゴ大会にも参加してきました。

 私は、昨年辛い体験をし、その心の穴埋めにLINE依存症になりました。
 ネットのブログで知り合った友人とLINEをすることで心の穴を埋めていたのだと思います。初めてグループLINEにも入りました。
 友人達はすべて女性ですが深夜23時24時と遅くまでLINE通知が来ます
一時主人にいやがられたぐらいです。

「○○さんが言ってることはごく一部の意見でありそれは正しいか正しくないは目の前の子供の成長を見ていればわかる。」と自分自身の子育てに不安を抱いていた私ですが、
すー先生と出会い、お話を聞いていただくうちに
自分ならどうしよう
もっと学びをしたい
息子ともっともっと寄り添いたい
家族と過ごしたい
という気持ちがばーっとあふれ出てきました。
それに対し評価をつけるのは赤の他人の○○さん達じゃない
家族であると。
LINEについては、今はほとんど活用されていません旦那からの連絡が入る程度です。
批判されたときは悲しかったけど、「悲しいと思うからこそ人間なんだ。」と。

相手はまだ理解していないため、いまだ批判をかき続けています。
それ故、お子さんがきっと辛い思いをしていると思うと余計胸が締め付けられますが、その家庭の価値観があるので私自身がそれに対しとやかく文句はつけられません。
 ここ数ヶ月私とって一番のステップアップの時と感じております。
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 まだまだ、未熟な私ですが、私と関わりを大切にしていただき、自分のあり方に気づき、自ら変化されていく姿には、感動しました。
 ありがたい出会いに感謝しています。

自分を磨く事

2015-12-15 | 育児
 日々生活している中で、まだまだ至らない自分を感じることがたくさんあります。
 そして、至らない自分を感じた時に自分で課題を作り、課題解決のために努力をします。その努力をして、課題を一つ一つクリアしていけば、未熟な自分が多少、改善されることになります。
 
 自分一人でこの努力をしていても、自分という枠から離れてみることはなかなか難しいものです。

 自分では、これが課題だと思っても、少し離れた場所にいる他人が見ていると「それは、本当に課題ではない。」と言われることもあります。

 離れてみるということは、視野は、広がります。

 広い視野からみると見え方が変わるということになります。

 離れてみるという見方は、空間的に離れるという事もできますが、時間的に離れてみるという見方もできます。

 立っている位置を変えて、離れて自分を観察することは、空間的に離れてみることになります。

 また、将来の自分から見て、今の自分を見ることは、時間的に離れて自分を見ることができます。

 これらの努力をしながら、自分の課題を探ることができます。

 しかし、これでもまだまだ本当の課題に出会うかどうか、わかりません。

 自分が身につけた見方・考え方という枠の中からは出られません。

 そこで、役立つのが他者の評価になります。

 「自分はこう思うけど、どう思う?」と尋ねることによって他者の見方・考え方を知り、見直すことができます。

 これは、子どもたちが育つ時でも同じです。

 自分の考えに固執していると、なかなかその考えから広げて考えることはできません。

 人の話を聞くことは、自分の考えを広げることにもつながります。

 その人の話を「よい」「悪い」で判断すれば、それは、自分の価値観していることになり、自分の枠から出て考えたことにはなりません。

 「理に合わない。」とか、「無茶苦茶だ。」とか感じる時は、自分の価値観では考えられないことになります。

 この時が、自分の価値観を離れたところでの見方・考え方になります。

 これは、苦しむことになります。

 その苦しみを受け入れるか、それとも拒絶するかによって、その後の自分のあり方が変わってきます。

 逃げない自分が新たな価値観を作り出すことになります。

 これは、思春期に子どもが親に反発するときの様子と似ています。

 その時は、受け入れられなくても、自分が親になった時、親の考えが生きた体験をした時などに、「そうだったんだ。」と感じることがあります。

 「理に合わない」「無茶苦茶だ」と感じたことは、今すぐには受け入れられないことかもしれません。

 でも、いずれ役に立つと思い、拒絶することなく受け入れてみることで、自分が変化する可能性を残すことになります。

 目の前に起きるすべては、学びになると思います。

 それを受け入れられるためにも、「よりよく生きたい」と自分を磨き続けるしかありません。

父親として

2015-12-08 | 育児
 仕事から帰宅した時「ママに怒られた。・・・。」と泣いてきた娘さんへの対応に困っている父親からの相談メールが届きました。
子どもさんに理由を聞くと、「せっかく習い事(見学会、体験会)に連れて行ったのに、1時間半も無駄にした。」と母親から怒られたそうです。「行きたくなにのに、行きたい」という子どもの心理を知りたいとのことです。


みなさんならどのようなメールを返しますか?


<このような返信メールをしたい私です。>

大変ですね。このような事態は、家族で生活をしていると起きてくることが普通だと考えた方がよいと思います。

 今回の件だけで考えるのではなく、常に起こりうる出来事だと考えて対応することで、出来事が起きてくる本質をつかむことができます。

 父親の立場は、とても難しい立場だと思います。
 母親とわが子の間に入っているわけですから、どちらともうまく関わらなければなりません。
 そのために葛藤する場面が多くなります。

 今回で考えると、娘さんが泣いてきたから、対応しなければと、娘さんの心理を理解して、娘さんの立場になって解決方法を考えようとされているのではないでしょうか。(奥様に泣いた理由を聞かれているのも娘さんの立場に立っての行動になります。)

 もし、このような対応をしていると、今度は、奥様から、娘さんのことで相談があった時には、奥様の立場になって解決方法を考えることになります。
 これでは、いつまで経っても問題は消えません。

 今回の場合、子どもの心理というよりも、父親としての自分を考えるとよいと思います。

 今回の出来事に関わって、父親として、何をされてきたかを振り返ってみましょう。
 

「父親として」ということは、
・子どもの習い事について、父親としての考えを奥様に伝える。(両者の合意で習い事をさせることになります。)
・娘さんに習い事に対する考え方を伝える。
 (父親の立場として、母親と同じ考えをもっていることを子どもが理解する機会を設ける)
 その上で、
・習い事の見学に行くことについての父親としての考えを両者に伝える。
・習い事に対する考え方がはっきりしていれば、その考え方から今回の件についての判断をする。
・両者にその判断を伝え、三者で、今後の事について話し合う。

 習い事をすることは、娘さんだけの問題ではありません。それを支えるためには、母親と父親の協力が必要になります。ここに様々な問題が発生します。
 例えば、送り迎えがあれば、時間の使い方も変えなければなりません。その時間を確保するために奥様は、今までの生活のパターンにそれを加える努力が必要になります。
 お金もかかります。そのお金を工面するためのお金の使い方も考えなければなりません。
 まだまだいろいろあると思います。

 これらのことを夫婦で話し合い、それぞれが支え合って、子どもを一緒に育てることになります。
 もし、これらの取り組みが一つでもされていなくて、奥様にお任せの状態ならば、奥様には、不満が募ります。
 実は、奥様の怒りは、子どもには向けたくなかった怒りかもしれません。


 このように子どもの心理を探ることよりも、まず、父親としての自分の姿を振り返ることが、今後、起こりうる事態を防ぐことになります。

 もし、父親として、ここに挙げたことの一つでも欠けているようでしたら、
―奥様に対して―
 「ごめんね。私が悪かった。せっかく子どものためにしてくれたのに。私は君のためにすべきことをしていなかった。こんな事になって本当にごめんね。」
―娘さんに対して―
 「大好きなお母さんから叱られて辛かったね。お父さんがもっとあなたのためにしてあげなければならない事があるのに、それをやらなかったからこんなことになったんだよ。ごめんね。これからは、こんな辛い思いをさせないようにお父さんも頑張るから、許してね。」

と伝えてみてはいかがでしょう。

 誰も、子どもに辛い思いをさせたいとは思っていません。それをさせたのは、そこに至るまでの何か配慮が足りなかったと考えた方がよいと思います。

 今回の事は、子どものせいでも、奥様のせいでもありません。

子どもの心理についての回答とは異なりますが、今回の事を父親としての自分を見つめるための学びの機会ととらえてはいかがでしょう。

子どもは五感を通して学ぶ

2015-12-07 | 育児
「三つ子の魂百まで」と言う言葉をよく聞きます。
 また、3歳までに脳は80%発達すると言われ、10歳までに90%とも言われます。

 この事から考えると、昔の人は、経験的に脳の発達をとらえていたのだろうと思います。

 となると、かなり幼い頃の体験や経験が重要だということがわかります。

 親として、子どものためにと、本やおもちゃ、学習教材などいろいろな教材教具を与えることがあると思います。

 しかし、1日の生活全体からみると、それらと関わる時間は、ほんのわずかでしかありません。

 一番関わりが多いのは、何でしょう。
それは、乳幼児を世話する大人ではないでしょうか。


 つまり、世話をする大人の一挙手一投足から子どもはいろいろな情報を得ているということになります。

 接する大人の見方・考え方・感じ方の影響を常に受けていることになります。

 見方・考え方・感じ方は、癖のようになっているので、自分ではなかなか気づかないと思います。

 例えば、きれい好きな人は、部屋をきれいに整えて生活します。子どもはそれが当たり前の環境として五感を通して味わっています。

 少々辛目が好きな人は、食事が全体に辛くなります。子ども用に別に食事を用意する場合は別ですが、大人と同じ感じ方になります。

 寒がりの人は、部屋の温度を少し高めに設定します。それを子どもは体感しています。

 強い言葉で会話をしてれば、それが当たり前として聞いているので、その感覚で人と話をします。

 テレビ番組一つでも何を見ているか、子どもに何を見せるかは、親の考え方で決まります。

 本が好きな人は、本がすぐに手に入る環境を作ります。その環境を子どもは見て、感じて生活しています。

 否定的なものの考え方をしていると、子どもも否定的なものの考え方を学び続けることになります。

 つまり、子どもにとって一番影響の強い教材は、関わる時間の多い人だということです。
 
 このことから考えると、癖になっている見方・考え方・感じ方から醸し出された一挙手一投足を、願い子どもの姿と照らし合わせて見直すと、願う子どもの姿に近づける近道になります。
  
 子どもを育てる人は、自らを磨くことから始めることになります。

めあてを立てる

2015-12-05 | 育児
いよいよ12月に入りました。学校生活もいよいよ2学期のまとめの時期に入ってきます。
 12月は、1年の締めくくりと新しい年を迎える準備の時期になります。
ここで大切にしたい事は、「めあて」を立てることになります。
 子どもが立てるめあては、様々です。次のように整理することができます。
 1 目の前の出来事を変えるためのめあて 
  例 遊びたい・・・・遊ぶ友達を探そう(誘おう)、楽しい遊びを探そうなど
 2 少し先を見通し、出来事を変えるためのめあて
  例 100点を取りたい・・・間違いを直そう、何度も練習しよう。自信をつけよう。など
 3 もう少し先を見通し、出来事を変えるためのめあて
  例 忘れ物をなくしたい・・・時間割を必ず夜の間に合わせよう、朝確認しよう。など
 4 遠い先を見通し、出来事を変えるためのめあて
  例 思いやりのある人になりたい・・・・人に親切にしよう、困った人を助けよう、相手の気持ちを考えよう。など
願いを実現するための取り組み方がめあてになります。
 1→4に行くにしたがって、取り組みのめあてが立てにくくなります。広がりがあり、実現することに時間がかかるからです。そのため、忘れやすくなります。
 私たち大人でも同じですが、この「忘れる」ことが、夢を実現できない一番の原因です。
そこで、忘れないためには、次の取り組みが大事になります。
<わすれないために>
 ・繰り返し使う。       めあてを使って話をする。めあてをくらしにつなぐ。など
  ・めあてを残しておく。    めあてや願いを掲示に残す。人に話をする。記録する。など
  ・振り返りをして、確認する。 振り返る時間を設ける。記録に成果と課題を残す。話し合う。など
 新年を迎えるための準備が今始まります。めあてを話し合い、新しい自分に変化させるためのとてもよい機会です。この機会をうまく利用しましょう。

実は、私たちは無意識のうちにめあてを立てて、生活をしていますが、それに気づいていません。
 意識的に「めあて」を立てることで、自分自身の暮らしをより早く変化させることになります。

ただ、子どもに「めあてを立てなさい。」と言っても立てられません。
そこで、親が見本を示すことになります。新年を迎えるこの機会がチャンスです。
 どんなめあてでもいいのですが、
「どのような願いをもっていて、その願いを実現させるためにこんなめあてを立てている。そして、忘れないようにこんなことをしようと思っている。」
「あなたは、どんな願いをもっていて、どんなめあてを立てるのかな?」・・・尋ねた後に
「一緒に頑張ろうか。」と刺激をすると、子どもも前向きになります。

子どもを取り巻く人々を見る

2015-12-01 | 育児
 将来を担う子どもたちを育てる教員は、世間の厳しい批判を真摯に受け止めながら、日々子どもたちの健全育成に努力してなくてはなりません。
 
 自分にとって無縁だと感じる批判であっても、実は、無縁でないこともあります。

 そう感じるのは、今の自分の立場から見ているからに他なりません。

 他人事であっても自分事にしながら、考えることが重要になります。

 これは、人権感覚でも大切にしなければならない重要な視点になります。

 学習について語るならば、学習者である子どもの立場になって考えることになります。

 保護者に子育てを語るならば、保護者の立場になって考えることになります。

 子どもの生き様を扱う時には、その子どものこれまで育ってきた過程を理解することになります。

 教える内容があり、評価することに慣れている教員は、自分の立場を主張することが多くなりがちです。

 しかし、実際に変化を求めるならば、相手を理解することがなければ、理解を促すことはできません。

 子どもを育てることが一番大切な事はわかっています。そのための保護者であり、同僚であり、地域の人です。

 これらの人々と一緒になって子どもを育てることになります。

 それぞれの立場でそれぞれが自分の思いを語ります。しかし、大切なのは目の前の子どもです。

 常に子どもの立場になって対応することが、子どもとズレなく支援することができます。

 「目の前の子どもにとって、大切(必要)なことなのか。どうか。」「目の前の子どもにとって、これは、役にたつのだろうか。」などという視点を大切にしながら、関わることができるのも、間をつなぐことのできるのも、子どものそばにいる教員だと思います。

 子どもを見つめ、子どものために一番よい姿を提供できるように、決して一人よがりにならず、視野を広げて、子どもを取り巻く人々を見ていきたいものです。