ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

力を合わせて

2009-05-31 | 育児
 子育てを一人で頑張るよりも関わりのある人たちと連携をとりながら、協力して取り組んだ方がよことは、分かっている。しかし、この連携がなかなか難しい。互いの考え方ややり方が違っていると育てられる側が混乱する。
 十分な話し合いをし、互いの考え方ややり方のずれや溝を埋める努力をしなければならない。こんな考えで取り組みましょうと考え方を決めるだけでは、十分に話し合ったとは言えない。具体的な場面を想定し、実際にどんな指導をするのか、イメージしないと共通の行動にはならない。「こんな時、どんな対応をしますか?」と質問し、具体的な行動が一致するかどうか対応の仕方を探ってみる。自分がイメージした対応と一致すれば、共通行動がとれると考えられるが、これがずれているとすると考え方にずれがないか疑ってみることが必要だ。対応の仕方には、いろいろあるからそれぞれの対応の仕方ですればよいのではと考えていると成果を上げるのに時間がかかったり、思いような成果にならなかったりすることがある。対応が違ってくるということは、どこかに違いがあるはずだ。その違いをよく理解して対応するのと理解せずに対応するのでは、大きな違いが生じる。対応が違ってくると子どもは、「○○先生は、こう言った。でも、△△先生は、こう言った。」と違いを指摘したり、「でも、□□先生がこう言ったからその通りにしている。」と言い訳をしたりと自分にとってその場をうまくかいくぐり、逃げ道を与えてしまうことにもなりかねない。よく理解しているとその違いについて説明し、「今は、こうすべきだ。」「こんな姿を願ってどちらも話していることだ。」等と説得することができる。そして、これが、逃がす隙間を作らない指導になる。話し合いは、あくまでも言葉だ。具体的なイメージを揃えることで、言葉の理解が進む。力を合わせるためにもこの理解を違いの思いこみに終わることなく、行動まで理解し合えるよう常に具体的な場面を想定して話し合いたい。

笑顔で接する

2009-05-29 | 育児
 子どもたちの学校生活も安定し、この頃から、様々な問題が出始める。そのため、悩むことも多くなり、笑顔で子どもと接することが減ってしまったと感じることはないだろうか。
 笑顔には、いろいろな効果があると医学の面からも指摘されている。
・ストレスを緩和するはたらきがある。
・免疫システムの働きを高める。
・痛みを軽減する働きがある。
・ガン細胞をやっつける働きがあるNK細胞を活発にする。
・脳の活性化につながる。
 また、笑顔でいる先生を見た子どもたちは、
・受け入れてもらえそうだ。
・認められている気分になる。
・話しやすそうだ。
・気分が明るくなる。
と感じるだろう。
 笑顔には、こんな素敵な面があり、使わないのはもったいない。
 それでは、どんな時に笑顔を増やすことができるだろう。
<笑顔で関われ場面>
・話をする前に全員を注目させ、笑顔を見せる。
・叱った後には、必ず笑顔で誉める。
・よさを見つけ、笑顔で紹介する。
・子どもの話を笑顔で聞く。
 笑顔でいる状態は、相手に心を開いた状態となっている。だから、関係を深めることができる。まずは、教師から笑顔をたくさん子どもたちに振りまきたい。

核となる子

2009-05-28 | 育児
 どの子も平等に育てることは、当然であるが、学級を作っていく上で、必ず核となる子が必要だ。これはリーダーという意味ではない。むしろ逆かもしれない。どの子もいいところがあり、どこのも伸ばさなければならないところがある。一つの方向に向かって全員ができるようにしたいと思うと、必ずできない子が生まれてくる。常にできない状態でいるとその子は、仲間から非難されたり、差別されたりしやすくなる。教師も同じ目線でこの子を見ていると、この子の居場所が学級にはなくなってしまう。そして、この姿が定着すると、学級の中に差別を平気でし、できる子たちとできない子たちの層を作っていく。しかし、これに気づいていない教師が多い。それに気づいていない教師はできる子を使って学級を作っていこうとする。それは、教師の思いを分かって子どもが動いてくれるから、教師からみれば楽だし、子どもが主体的に動いているように見えるので、いい学級を作っているように感じてしまっているからだ。しかし、これをできな子たちの立場からすると、いつも活躍する子が決まっていて、自分たちは隅っこに追いやられ、差別感をいつも感じ、できない自分たちは取り残されている思いでいる。これでは、思いやりのある温かい学級を作ることはできない。教師にとって都合のいい学級かもしれないが、温かい学級ではない。温かい学級では、できる子とできない子の層ができにくい。それは、どの子も大事にされ、どの子もできるようになっていくからだ。これは、どの子も見捨てられることなく、できるようにしようと学級の仲間が助け合うからだ。つまり、できない子をいつも意識し、できない子を中心に学級が回っていくのだ。ここには、自分さえできればよいという考えはない。必ずできるまでみんなが待っているのだ。揃うまで応援したり、助けたりしてできるまで待っているのだ。だから、できる子だけが誉められるわけではない。支えようとする子が認められていくのだ。また、そういう子に「ありがとう。」という感謝の言葉をかけ合うのだ。そして、できない子ができる子になっていく姿をみんなで喜び合うのだ。全員ができるまで見逃さない姿が温かい学級を作り上げていくことになる。できない子と呼ばれる子がいつもできない子として扱われている学級では、子どもの思いやりは育たない。その核となるできない子の回りにそのできな子をできるようにするために活躍する子が一杯できる学級になれば、子どもの思いやりが育っていく。ここには、どの子も見捨てないという教師の強い意志が働いている。だから、できない子への思いやりをもった子が核となる子の回りに集まってくるのだ。

問題が起きたとき

2009-05-27 | 育児
 問題が起きると、体中が熱くなる。何とかしたいと燃えてくる。こんなときが一番自分らしさが出るときなのだろう。考えだけでなく、感情も注がれる。まさに全力だ。必死になればなるほど、自分のすべてが出てくる。そのため、受け手には丸ごと伝わっていく。何となく熱いものを感じたり、心を動かされたりする。そして、本気だと分かる。問題が起きたときにこそ、自分らしさがはっきりとみえてくる。
 保護者からの苦情の電話があった。電話の向こうで訴える不満に対してどんな気持ちで応えようするかは、自分次第だ。何を問題にしたいのか。どんな解決を求めているのか。いろいろ聞きながら思いを探る。解決の糸口が見えたら、精一杯自分らしさで対応をする。非があれば、非を認め、提案できる内容があれば、提案し、何とか今後も仲良く関わりを持ち続けるための方策を考える。決して決裂してはいけない。決裂すれば、間に入って苦しむ子どもの顔が浮かぶ。子どもを幸せにしたい、子どもを守りたいという気持ちは保護者も教師も同じだ。必ず進むべき方向が見えてくる。ここを見つけることは、必ず子どものためになる。自分を守ろうとすれば、必ず相手にそれが見えてくる。子どものために誠意をもって日々苦しみながら取り組んでいる自分であったり、子どもの成長を喜べる自分であったりすれば、必ず会話の中にも子どもの姿や子どもへの思いが出てくる。言い訳はしない。事実が大事だ。子どもの明日を考えるために向き合っていることを常に念頭に置きながら、誠実に対応したい。心の問題はそれほど簡単には解決できない。時間をかけ、誠意を持って丁寧に対応し続ければ、必ず伝わるはずだ。子どもを信じるように保護者の可能性をも信じて精一杯努力したい。

伝えたいこと

2009-05-26 | 育児
 子どもたちにこれだけは大切にしてほしいと思っていることが、子どもたちにきちんと伝わっているかどうか不安になることはないだろうか。毎時間の授業の中で伝えているから伝わっているだろうと思ってもそれが本当に伝わってるかどうか確かではない。伝える側がどんな訴え方をしているかによって受け取り方が違ってくる。
 例えば、他事をしていて話を聞いていない子どもにはどんな声かけをしているのだろう。
・「話を聞きなさい。」
・「他事をしていてはだめだ。」
・「そんなことをしていたら、勉強が分からなくなるよ。」
・「その姿は、許せない。」
・「みんなに迷惑をかけることになるから話を聞きなさい。」
等いろいろある。私は、「無視されているようで、とっても話し辛い。」、「思いやりを感じない。」などと訴える。そして、話を聞いていてくれる子どもには、「有り難う。優しいね。とっても嬉しいよ。」と声をかける。
 子どもの心に響く言葉になっているのかどうかはわからないが、週3回の授業で訴え続けている。一人でも私の気持ちを分かってくれる子が増えていけばいいなあと思っている。
 聞くことへのこだわりは、どうしても譲れない大事なことだと考えているから、繰り返し言い続ける。そして、手だてを講じて少しでも聞く姿を高めたいと考えている。
・必ず反応を求める。
・評価する。
・内容を確認する。
・感想や意見を求める。
 聞いていない子どもがいることが分かっているのに平気で授業を進めることができない。聞いていない子どもを見捨てることはできないのだ。だから、どの子もできるようにするための努力を怠らない。これは、自分の生き方にもつながる大切な事だと考えているからだ。

比較すること

2009-05-25 | 育児
 本来一人一人の子どもを大事し、育てていけばよいのに、子ども同士を比較して指導することがあるのはなぜだろう。比較することによって違いが明らかになる。友達と同じだと安心できるから、その違いを埋めようとする。レベルの違いがあれば、レベルの高い方に合わせようとする。例えば、ノート作りでも見やすく、わかりやすいノートを作ろうとする。決して見にくい、わかりにくいノートに合わせようとしない。よいものに合わせようとする。比較するのは、このよりよいものを求めようとする力を利用して、子どもの力を伸ばすことにある。
 これを競争にして勝ち負けにするとおかしくなる。負けることで、自信をなくしたり、興味関心がなくなったりすることがあれば、比較することが子どもにとってマイナスに働くことになる。あくまでも子どもを育てるために比較を利用するのだ。だから、どの子にもプラスに働くようにしないといけない。
 感覚的には、早い方が遅い方よりよいと感じることが多い。「早くしなさい。」と言うのもそれだ。ただ、結果としての早さを求めると早くするために活動が雑になったり、大事な事を欠いたりすることがある。早さだけではだめだから、丁寧さをも求める。すると、一度に2つはできないから、子どもは混乱する。結果は結果を生むまでの様々な過程の積み上げによって生まれてくる。その過程の一つ一つに願いがあるのならば、その過程の一つ一つが確実に願い通りになることをまず、求めないと指導が雑になる。一つ一つを丁寧に扱えば、時間はかかる。しかし、この丁寧な扱いがやがては助けとなる。今はその丁寧さが求められる時期だ。
○授業作り・・・聞く・話す・書く、課題作り、問題解決の仕方、まとめ方など
○ノート作り・・・字の丁寧さ、色使い、線の利用、ノートの使い方など
○朝の会・・・・あいさつ、健康観察、歌、係からの連絡、先生の話など
○掃除・・・・めあての確認、仕事分担、もの準備、掃除の仕方、反省等
比較しながら、一つ一つの内容を丁寧に仕上げていく。つまり、比較することは、子どものよさと可能性を引き出すことになる。うまく比較しながら、子どもを育てていきたい。

思いこみ

2009-05-23 | 育児
 やっているつもりが実はやっていなかった。できているつもりでいたが、実はできていなかった。・・・こんなことはいくらでもある。思いこんでしまうと、そこから抜け出られなくなる。抜け出るためには、「本当にやっていますか?」「本当にできていますか?」と疑うことから始める。そのときにはっきりさせるとよいのが、「いつ」「どこで」「だれに」「何を」「どのように」である。
・いつもやっているのだろうか。
・どこででもやっているのだろうか。
・だれに対してもやっているのだろうか。
・思いつくすべてのことをやっているだろうか。
・思いつくすべてのやり方でやっているだろうか。
 こう考えていると、やれていないことやできていないことが見えてくる。そして、まだまだ努力しなければならないことが見えてくる。
 これは、子どもに対するときにでも同様だ。できていると思っても、できていないことに気づかせたい。
「いつでも、できているの?例えば、休み時間。授業中。」と具体的に例を挙げて見ると以外にできていないことに気づく。同様に、「誰に対してもできているの?例えば、異性に対して、年上の子や年下の子に対して」等と言うことも同様だ。
 そして、「できるということは、一度や二度できることではない。いつでもできることなのだ。一人でできるようになることなのだ。」と子どもたちに説明すると「本当はできていなかったんだ。」と気づくことができる。
 ただ、常に完璧を求めていると子どもは「うるさい。」「またか。」「無理だ。」と逃げ出したくなる。だから、子どもの実態に合わせて、ある程度できたと思うことは、一緒に「できたね。」と喜び合いたい。また、逆にこれは絶対に譲れないということには、確実に身に付くまでは譲らない姿勢を貫き通す必要もある。ここに教師のこだわりが見える。子どもを納得させるだけの強い信念がそこにはある。だから、行動だけでなく、見方や考え方、価値観等、教師自身の生き方としてもっているものを総動員して子どもにぶち当たることになる。すると子どもはその力強さに圧倒されて、「そうなんだ。」「そこまで、頑張らなければいけないのだ。」と思い、教師の方に引き寄せられていく。これは、やり甲斐のあることだ。ただ、この生き方さえも、時々「子どもにとって本当にそれがいいの?」と疑ってみたい。子どもの幸せのために貢献できる自分であることを忘れてはいけない。

大丈夫?

2009-05-22 | 育児
 自分一人で抱え込むことは、自分だけでなく、仲間にも迷惑をかけるとにもなる。それをなくすためにも、ちょっと視点を変えて目の前に起こることを見てみることがとても重要になる。職場の仲間として、仲間にどんな声をかけているのか見つめ直してみることも時には必要だ。ひょっとすると学級の子どもだけしか見えていない自分に陥っていないだろうか。考えてみたい。そんなとき、「大丈夫?」と声をかける言葉がどれだけ大事なのかに気づくことができた。
○もうすぐ紙(石灰)がなくなるけど、大丈夫?
 物が不足すると、したい仕事が滞ってしまう。それを事前に防ぐための温かな言葉がこれ。気持ちよく仕事をすることができた。
○今日の給食の食器の付け方がいつもと違うけど、大丈夫?
 調理員さんの仕事が増えないようにとの配慮から出た言葉。おかずのつけ間違いが汚れを増やし、手間が増えるのではないかと心配をされての温かい言葉だ。
○打ち合わせが十分できないけど、大丈夫?
 活動を進める上で見通しを持ったり、互いの連携の仕方を確認したりできると活動中に戸惑ったり、時間をロスしたりすることがなくなる。その打ち合わせの時間が不足となることに危惧しての言葉だ。
○あの子、最近元気がないけど、大丈夫?
 自分の学級の子どもだけでなく、全校的な視野に立ち、他のクラスの子どもの様子にも気を配っての言葉だ。これができると多くの目で子どもを見ていることになるので、事が起こる前に対応できたり、子どもを見つめ直したりできる。
○校外学習への引率は大丈夫?
 安全への配慮を考えて、どのように人を配置するとよいのかを考えての言葉だ。出張や病気等のためどうしても人の配置が不足気になるが、全校的な視野で考えて自ら進んで引率を引き受けようと思っての温かい言葉だ。
○時間割の変更になるけど、子どもたちの準備の方は大丈夫?保護者は、大丈夫?
 子どもの活動する姿をイメージされ、子どもたちが困ることはないか、保護者が不満に感じることはこないかと心配されての言葉だ。
○明日は雨になる予定だけど、その辺の対応は大丈夫?
 早めに対応を決めておくと、慌てずに事を進めることができる。関係者への連絡を早くすることができ、事をスムーズに進めることができた。
 お互いに助け合い、よりよい活動にするためにこんな温かい言葉が飛び交っているように感じている。事が起きてからでは遅いが、それを未然に防ぐために気づいたことをちょっと口にするだけで、大きく対応が違ってくる。人それぞれ気づくことが違う。自分らしい気づきは必ずある。そして、この言葉を聞くと、「なんて素敵な人だろう。よく気づかれるなあ。」と感心してしまう。こんな言葉を伝え合い、楽しい職場にしたい。

思い通りにならない

2009-05-21 | 育児
 概ね、こうすれば、多くの子どもはこうなるという手が見つかれば、それを繰り返し使う。そして、この手を増やす努力を日々している。今までの手が使えない子どもと出会うと有効な手を見つけるための努力が始まる。これを苦労と考えるか、新しい手の発見の機会ととらえるかは、教師次第である。苦労だと思えば、避けようとする。新たな挑戦だと思えば、取り組もうとする。一人前の教師だと思っていても、その挑戦をやめたら、対応のできない子どもが増え、一人前の教師ではなくなってしまう。時代の変化と共に変わる子どもへの対応は、この新たな挑戦なのだ。今まで使った手が通用しなくなっていることにも気づかず、子どもを責めて、「子どもの問題だ。子どもが悪いのだ。」と言っても解決にはならない。だから、思い通りにならない時の自分を見つめたい。子どもが悪いと考える自分だろうか。それとも自分の取り組みが不十分だと考える自分だろうか。ここが大きな分かれ目となる。
 「困っています。どのように対応したらよいのか、教えてください。」という先生がいる。まさに自分の取り組みの不十分さを感じての言葉だ。この苦しんでいる姿には、全力で力を注ぎ、応えたい。
 思い通りのならない子どもがいた時、思い通りになる子の方がきっと多いはず。この多い子どもと対決する子どもの味方になることが、問題解決の近道になる。味方になることとは、「そう言われても、苦しくなることは誰でもあるでしょ。」「分かっていても、できない事ってあるでしょ。」と一般化して、思い通りにならない子の心に共感させ、それを乗り越えるための新たな挑戦をみんなにさせるのだ。思い通りにならないときこそ、その挑戦のチャンスとなる。思い通りにならない子を責めるのではなく、乗り越えるための新たな取り組みを子どもたちと一緒になって考える。子どもと一緒に新たな手を見つければ、苦しさよりも楽しさが増す。子どもってすごいなと新たな発見も生まれてくる。そんな子どもといると益々子どもが好きになる。子どもと一緒にいるときこそ、子どもと一緒に成長できる自分でいたい。

集団で歩く

2009-05-20 | 育児
 子どもたちと校外学習に出かけることがある。学校の外へ集団で出て行くことに慣れていない子どもたちだ。集団で歩くことに注意を払わないで、目的地まで子どもを引率していても子どもは育たない。
 よく見ると友達と話をしていて、前の子たちから離れてしまう子がいる。手をつないで歩くことができず、手を離してしまう子がいる。集団で固まって歩くことができない子どもたちだ。
 先頭を歩いて、時々後ろを振り返り「前に詰めて歩きなさい。」と声をかける先生がいる。これだけでは、子どもは育たない。時間がたてば、また離れる。注意を受けるから、直すということでしかない。自ら離れないようにしなければ、育ったことにはならない。
 できる限り、子ども一人一人に「あなたはこれができているよ。」というサインを送り続けたい。
 危険箇所では、十分な注意が必要であるが、そんな場所ばかりではない。例えば、交差点以外であれば多くの道は安全である。そんな時は、先頭を歩く必要はない。子どもに先頭を任せて、歩き方をチェックする。手をつないで歩いている子、前に詰めようと早歩きをする子、前を見ながら歩いている子など誉める機会はたくさんある。また、離れていた事に気づいたことを誉めたり、自分から手をつなごうとしたりする子どもも誉めたりすることができる。個々の取り組みの違いは歩きながらたくさん見つけることができる。常に誉めて歩くことができる。
 この取り組みをしようとすれば、当然、一定のペースで子どもと一緒に歩くことはできない。ある時は立ち止まり、またある時は列の前まで走る。危険箇所が近づけば、先頭に着く。列の前後を忙しく動き回らなければ、これだけのことはできない。のんびりと子どもの先頭に立って歩いている暇はない。子どもを育てる気概がこんな姿を創り出す。
 集団で歩くことに慣れてくれば、子どもの中から前に詰めるように声をかける姿も出てくる。固まって歩く集団を壊さないでうまく友達と話をしながら歩く姿が生まれてくる。教師が忙しく動き回ることも少なくなる。手をかければかける程子どもたちの歩き方はうまくなる。号令も伝わりやすくなる。一斉に道路を横断することも上手にできるようになる。引率がなくても十分担任一人で歩かせることができる。そこまで、子どもを育てて集団で歩かせたい。

心の準備

2009-05-19 | 育児
 「授業は準備八割。」と聞いたことがある。これは、事前の準備をしっかりしておけば、授業は成功したものと同じだということを表している。このことは、教師だけでなく、子どもでも同様だ。
 学習の準備として、忘れ物をしないというのもそれだ。ただ、準備はそれだけではない。体調を整えたり、構えを作ったりして望んでいる授業は、質が違ってくる。
 授業に遅れてきた子どもが、「遅れてごめんなさい。」と言う。しかし、その後の取り組みを見ていると「本当にごめんなさい。」と思っているのかと疑いたくなる光景を見る。遅れてきた分を取り戻そうとする構えがないと「ごめんなさい。」が単にその場を繕うだけの言葉になってしまう。仲間に悪いと思ったら、仲間のために何か償いをしようとする子どもにしたい。遅れた分を取り戻すためにみんなよりも授業に集中して、不足を補おうとする子どもにしたい。
 構えは、願いがあっての構えだ。「こんな自分になりたいと思うから、そのためにはこんな姿勢で臨もう。」となるのだ。だから、構えができていないと嘆くよりも、どんな願いをもっているかを探った方がよい。構えは、その後の授業中の姿にも大きな影響を及ぼす。「できるようにしたい。」「わかるようにしたい。」という願いをもって授業に臨んでいれば、「そのためには、どんな構えでいたらいいの?」と尋ねれば、必ず前向きの言葉が返ってくる。ここがポイントだ。子どもの内面を探る習慣を身につけると必ず、訳を聞いたり、気持ちを聞いたりすることができる。必ず願いと結びつけて、一緒に内面を見ていきたい。心の中が見えないときには、「大丈夫?」「心配だ。」と声をかけながら、子どもとの関係を築くことに力を注ぎたい。まずは、教師との信頼関係が重要になる。ものの準備だけでなく、心の準備にも力を注ぎたい。

ラジオ体操

2009-05-18 | 育児
 体育の授業の前に準備運動を行う。昔はラジオ体操を全員で行うことが多かった。しかし、今ではそのラジオ体操を行うことも少なくなり、授業で特に準備運動の必要な部位に焦点を当てた運動をしたり、ストレッチ運動を行ったりすることが多くなった。地域の方々からは、夏休みにラジオ体操をしても、ちっともまともにできないという批判を受けるが、学校で行っていないことが多いためできなくて当たり前だ。
 そのため、学校でラジオ体操を行うように依頼をするように要請する方もみえる。できないことは何でも学校に頼めば済むという時代は終わった。地域・家庭・学校が連携をして子どもを育てるという立場で考えてもらう必要がある。子ども会が中心に夏休みのラジオ体操を行っている地域が多いので、ここは保護者の出番となる。夏休みのラジオ体操の折に子どもたちの前に立ってラジオ体操の見本をする保護者や地域の人材を育成することの方が地域の教育力を高める上で重要となる。
 子どもができないから学校に頼むのではなく、子どもができるように地域で育ててもらう。「そのためにお手伝いはしますよ。」というスタンスで保護者や地域と関わるようにしたい。
 保護者のためのラジオ体操練習会を設けたり、10分間のラジオ体操の持ち方についての説明会を開いたりすることはできる。慣れてくれば、地域の力で夏休みのラジオ体操をすることは十分できる。
 ただ、困ったら何でも学校に相談できるという便利屋としての学校は地域にとってとても有り難い存在だ。家庭・地域・学校の連携と言っても教育に関わることでは、やはり学校が中心になってくる。ここは、育てるプロの集団であることは自負したい。しかし、学校がするのではなく、家庭や地域で子どもが育つように手助けをする構えでいることが重要なのだ。家庭や地域を育てるのも学校の役割だと考えたい。
 これは、日頃から行っている子どもへの指導の延長になる。なかなか子どもが育たないと嘆くよりも子どもが育ちやすい環境作りに努力したい。その方が子どもが育ちが早いこともある。それぞれの家庭の考えに合わせるという考えもあるが、社会の中で生きていく上で必要な社会性を養うための指導はどの家庭の考え方にも当てはめることができるはずだ。
 学級通信などを通して、日頃の学級での子どもを育てる技術や大切にしている考え方を伝えることは可能である。また、学校からもHPや通信などでも情報発信ができる。事実だけの情報ではなく、家庭や地域を育てるための情報発信にも心がけたい。

トラブルの解消

2009-05-16 | 育児
 子どもたちは学校生活になれ、仲間関係も少しずつ明らかになってきた時期になった。緊張感がとれ、互いに気心が知れ、気を張らないで気楽に話ができたり、一緒に行動したりできるようになってきている。そして、学級の約束も何となく体に染み込んでくる。そのため、このころからトラブルが発生することが増えてくる。このトラブル発生をどのように解消するかが、学級経営の鍵となる。
 問題を起こした子だけを取り上げていると、その他の子どもは関係のない第三者になってしまう。問題が起こるのは、集団の中だから起こるのであるから、何らかの関わりを常に持たせながら問題解決に当たる。
・問題をどのようにとらえているのか。とらえないといけないのか。
・問題とどんな関わりがあるのか。あったのか。
・問題は誰にでも起こりうることだと考えているか。どうか。
・問題が起きる学級をどう思うのか。
・問題が起きる学級の一人として何ができるのか。
・学級の一人として、これから何ができるのか。しなければならないのか。
・学級の仲間として一緒に何ができるのか。
 問題を起こした子が悪いという考えで見ていると、また新たな問題が起きてくる。仲間としての自分を意識したり、自分と置き換えて問題を見たりするから次第に学級の仲間意識が高まっていく。もぐらたたきをしていては学級としての仲間意識は育たない。どんな問題であっても関わりがあるととらえさせることで自分のすべきことが見えてくる。
・見守ること
・手を出して助けること
・声をかけること
・一緒にすること
・一緒に考えること
・相手の立場で考えること
・相手のことを思うこと  等
 学級の仲間としてできることはたくさんある。それをさせないとつながりができない。直接関わることだけが関わりではない。心をつなぐことは、見えないつながりを教師が意図的に作ることで強くなる。これからが学級経営の見せ所だ。

願いを形にする

2009-05-15 | 育児
 子どもたちは、「こうしたい。」「こうなりたい。」などと願いをもっている。願い通りにならないのは、願いが叶うまでの歩みが自分には見えないからだ。目の前の自分で精一杯で、その自分が今どんな姿なのか、ちょっと離れて見られないことが原因になっていることが多い。
・目の前に起こることに振り回されている自分
・人の言動に振り回されている自分
・一つのことに精一杯頑張っている自分
・他にも頑張らないといけないことに気づいていない自分
・願いを忘れている自分
 今を生きている自分をちょっと止めて、今の自分をふり返る。
子どもの力ではなかなか止めることはできないので、最初から止める時間を作っておくか、こちらから意図的に止める。この時に見つめたいのが、「現在の自分」「過去の自分」「未来の自分」だ。
1 今、自分がしていることは何か。
2 それは、どんなねうちがあることなのか。
3 願いを決めて取り組んできた自分と今の自分とは、つながるのか。
4 今の自分のままでよいのか、それとも、変えなければならないのか。
5 それは、これからの自分にとってプラスになることなのか。
6 それができたら、どんな楽しい未来が待っているのか。
7 これから願いに向かってしたいことは何か。
 こんなふり返りをしたい。願いに向かって頑張る自分を励ます自分。そんな自分を作る機会を生かしたい。授業であれば、授業の終末。一日の生活であれば、帰りの会、週であれば、土日。学期であれば、学期末。一年であれば、年度末。節目が肝心だ。
 ただ、願いが強くなければ、長続きはしないし、忘れやすい。だから、始めの願いをもたせるところは前提として大切にしたい。
 だから、授業の終末は、願いを形にするためにも大事に扱いたい。単に知識だけを身につければよい訳ではない。教科の中でどんな自分を作るのかが大事にしたい。これは生涯学習につながる大事な芽にもなる。

環境を整える

2009-05-14 | 育児
 職員玄関は、来校者の出入り口になっている。その玄関には、いつも花が飾られている。花係がいる訳ではない。印刷室が余り紙で一杯になり汚れていいはずだが、綺麗に片づいている。美しく整えられている場所が増えている。とてもありがたいことだ。
 互いに助け合い自分にできることをし、ちょっと今よりいい環境を創り出そうとする営みが職場の雰囲気を変えていく。気づかないうちに少しずつ変化していく。肩の力を入れなくてもいい。足りないことを補い合うというのは、このことなのだろう。嫌みがない。「大丈夫?」と相手を気遣って声をかける。そんな姿が日常的に見られる。
 環境がよくなると人の動きや考えもよくなる。居心地のよさが、いろいろな活動にプラスになって働いている。トラブルも少ない。
 これは、子どもの世界でも同様だ。居心地のよい場を提供することで、子どもたちは生き生きと自分を発揮できる。子ども同士で環境を創り出すというよりも活躍できる環境作りが大事だ。提供する側が、「どの子も活躍できますように。」「互いに信じ合えますように。」・・・そんな願いで環境を整える。ただ、整っているのではない。その環境で活躍する子どもたちをイメージしながら整えるのだ。
 願いをもって環境を整えるとその願いが子どもたちに伝わるのだ。これは、信じるしかない。子どもたちがこんな活動ができたのは、きっとこんな環境を創り出したからだろうと。
 私たちの願いは、子どもの健全な成長だ。環境は一つの条件でしかないが、環境に願いを込めることで子どもとつながっていく。
 例えば、椅子が乱れていたら、「この椅子がここにあると仲良く関われるだろう。」と考えて椅子の乱れを整える。机が汚れていたら、「この机を使う子どもが気持ちよく使えないだろうな。気分よく学習に取り組めないだろうな。」と考えて机を拭く。また、机が隣の机とくっついていなければ、「気持ちも離れてしまわないか心配だ。」と考えて、机を揃える。また、「どの子も発言したら自分の考えに自信をもってもらいたい。」と願い、氏名カードを準備する。願った数だけ環境が整う。丁寧に一つ一つ整える。願いを込めてしたことが多ければ多いほど、子どもに願いが伝わりやすくなる。それは、「こうしたのは、みんながこんな姿になってほしいからだよ。」とサインを送り続けていることになるからだ。していることを子どもたちが知ることで子どもたちの動きも変わってくる。慌てず、動じず、時間をかけてじっくりと取り組みたい。まさに熟成だ。