ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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手を握ってくる子

2009-02-28 | 育児
 廊下で調べ事をしていると、傍に来て「何しているの?」と声をかけてくれる子どもがいる。特に低学年の子どもの中には、自分のことを話しかけてくる子がいる。その中に手を握ってくる子もいる。握られた手は温かく、何となく気持ちが落ち着いてくる。
 この子はどうして私の手を握ったのだろう?
・私に親しみを持っているのかな。
・何か訴えたいことがあるのかな。
・つながりを作りたいと思っているのかな。
と、いろいろ想像する。そして、手を握った後に、「僕、こま回せるよ。」などと話してくる。
「そう、すごいね。」などと言葉を返し、会話を楽しむ。子どもと笑顔で話をする楽しい一時だ。
 それほど、特別に親しくしているわけでもないし、名前も分からない。そんな子であるのに、手を握って話をしてくるのだ。誰にでも手を握るわけでもない。私からの関わりは薄いにもかかわらずこんなことができる子がいる。
 さて、私に対するイメージをいつどのように作ったのだろうと想像してみた。一番可能性が高いのが、担任が出張等でいないときに帰りの会の時にする話。
 身近な生活にある子どもたちに伝えたいことを元にした作り話を即興で作り、子どもの前で演技をし、面白く話をする。子どもたちは、時には笑い、時には真剣に見つめ、時には自分の体験をつぶやく。子どもにとっては日常にはない楽しい一時なのかもしれない。
 もし、それが子どもにとって私を身近な存在として感じさせるものだとすると、私にとってこれは子どもとのつながりを作る大切な武器になる。
 日常の学校生活の中にちょっとした変化をもたらすことは、子どもにとって楽しいことである。毎日こつこつと指導し、子どもと関わっていると変化を作ることがなかなかできない。それでも、ちょっとした変化があると生活に潤いをもたらすことになる。そんな変化を創り出す教師は、子どもにとって素敵な存在になるのかもしれない。 

一度に2つは見えない

2009-02-27 | 育児
 子どもたちのどこを見ているのだろうと見ている焦点が気になることがある。集団を高めるときに、いつも気になるのが集団からはみ出す子ども。何とかしたいとその子どもに焦点が当たると、他の子どもが見えなくなってしまう。一生懸命にその子を何とかしようと力を入れれば入れる程他の子が見えなくなってしまう。これは、誰もが経験することだ。それは、私たちは一度に2つを見ることはできないからだ。それでは、どうすればよいかということになる。
 焦点の当て方をはみ出す子どもからはみ出す子を見る子どもたちに変えてみる。「困っている子がいるよ。みんなはどうするの?」と集団に中にいる子どもたちに焦点を当てる。すると、いろいろな動きが見えてくる。
 何をしてよいのか分からずに見ている子、傍に行って働きかける子、声をかける子、心配して見ている子等、様々な子どもの動きを見つけることができる。つまり、焦点の当て方を変えるだけで、見えるものが違ってくるのである。
 その取り組みのどれがよいのかを見ようとすると今度は、はみ出す子と関わる子の関係を見ることになる。刺激する子と反応する子との関係と実ながら、どの対応がよかったのかを評価する。よかった取り組みを紹介することで、次は、誰がそれを真似するだろうかと見ている。すると、今度は、同じような動きをする子に焦点が当たる。
 このように、自分が決めた思いに合わせて子どもを見る時の焦点が決まる。
 子どもをよく見なさいと言われてもどこを見るかは、決まらない。見たいと意図したことで見えるものが変わってくる。
 何を見たいと思うかという指導する側の見方考え方でポイントである。意図して見ていることをもって子どもを見ていることが子どもの質を高めていくことになる。自らを磨くしかない。

習慣を見直す

2009-02-26 | 育児
 私たちは、自分の癖に気づかずに毎日を過ごしている。習慣として身に付けてしまっている。意識して、行動しなければ、すべて自分の習慣として身に付けた行動だ。その行動を変えると違った新たな自分を創り上げることができる。
<見つめ直していく手順>
A1 行動を振り返る場を設ける。
A2 自分の行動を記録する。
A3 身に付けた能力を探る。
A4 行動の裏にある願いや思いを考える。
A5 その時の感情の流れを感じる。(心地よくなっていく流れかどうか)
A6 願いや思いは自分にとって価値があるかどうか疑ってみる。
A7 関わった相手の立場(思い)に替えて振り返ってみる。
A8 相手によい影響を与えているかどうか疑ってみる。
A9 よりよい願いや思いはないか、疑ってみる。
A10 他の行動はないのか考えてみる。
A11 他の行動ができない理由を考えてみる。
A12 習慣として身に付けている行動はこのままでよいか疑ってみる。
 もし、問題点が出てきたならば、それが新たな自分の目標となる。
目標が明らかになれば、その目標達成のための取り組みを考える。
D1 目標の確認をする。(肯定的な表現で決める)
D2 目標達成された自分をイメージする。
D3 目標が達成された自分が活躍している場を具体的にイメージする。
D4 目標が達成されたときの周りへの影響を考える。
D5 目標達成のためにすでにもっている自分の力や状況や環境を見つける。
D6 目標達成の邪魔をしているものを探る。
D7 目標達成の意味をはっきりさせる。
D8 何から始めるのかを決める。
<例>友だちをお茶に誘った
A2 事前に都合を聞いた。お茶する場所を決めた。注文を自分からした。話を積極的にした。お金を二人分払った。
A3 願いを実行に移す力がある。相手への配慮ができる。主体的に行動する。
A4 後輩に願いを伝えたい。素敵な教師になってほしい。私の思いを分かってほしい。
A5 話を聞いてくれている相手の姿を見ながら、思いが伝わっていく感じがして段々と心地よくなっていく。 
A6 うなずきや相手の意見の内容から話した内容は価値があった。
A7 先輩の話だから、聞かなければならないと考えていたかもしれない。時間の都合をつけるのに不安があったかもしれない。知らないことや気づいていないことが分かってよかったと思ったかもしれない。
A8 これからの教員生活の役に立つ話が聞けたと思ってもらえただろう。
A9 都合をつけて時間を割いてくれたことへ感謝をしなければならない。先輩という点での遠慮があったかもしれない。こちらから一方的な話で十分思いを聞くことができなかったかもしれない。
A10 相手の思いをもっと聞くこと
A11 伝えたいという思いが強すぎる。相手に十分合わせていない。
A12 相手に寄り添って話を伝える自分になりたい。
-目標達成のための取り組み-
D1 相手に寄り添って話を伝える自分になりたい。
D2 相手の願いに合わせて、的確な内容で話せる自分
D3 職員室で悩みの相談に答えている自分
D4 悩みの解決ができ、職場が明るくなっている。心が通じ合い、気持ちよく働ける職場になっている。
D5 問題解決のための具体的な手だて、経験、誠実さ、相手への思いやり 問題解決のためのスキル、問題解決に関わる時間がある、期待にそえる自分になりたいと思う気持ち
D6 相手の気持ちを十分捉えていない。十分見ていない。
D7 一人一人の職員が輝きをもって子どもと生活できる職場を作る
D8 職員に話しかける時間を確保する。
 まだまだ努力しなければならない自分が見えてくる。素敵な未来のためにできることから始めよう。

体調管理

2009-02-25 | 育児
 子どもの前では明るく元気な姿をいつも見せたい。子どもたちは、先生をよく見ている。それは、先生が好きだからではない。常に目の前に立って導いてくれる人だからだ。それは子ども自身が自分を守ることにもなっている。「先生に叱られたくない。」「先生に認められたい。」という気持ちをもつのはそのためだ。
 体調が悪くて、子どもの前で暗い姿を見せていると、子どもはこれでいいのだろうか、褒めてもらえないのはよくなかったからだろうか等と不安になる。そのため「OK」のサインをもらったことにはならないため、することに時間がかかったり、躊躇したりすることがある。逆に明るく元気でいると、声に張りがあり、子どもへの反応も早く、「NO」か「OK」かのサインが分かりやすい。
 最近は、花粉症で苦しむ教師も多くなり、マスクをかけて授業をなさる風景をよく見かける。教師の表情がなかなか見えにくい。子どもたちには、教師の顔の表情がわかりにくく、表情から判断しにくくなっている。言葉だけではなかなか伝わらない。表情の豊かさが会話にはとても重要だとよくわかる。体調が子どもたちに大きな影響を与えていることにもっと敏感になる必要がある。
 うまくストレスを発散し、休養を十分取れるように体調管理をすることは、子どもを相手にしている職業だからこそ余計に大切にしたいと思う。
 体調が悪いときに、「先生、無理しないで。私たちで進めるから。」「私たちで頑張れるよ。」と優しい声をかけてくれるのも、日頃は元気で明るい教師でいるからだ。この一言は、教師をしていてよかったなあと思う瞬間であると同時に、「こんな子どもたちのために早く元気になろう。」と思う瞬間でもある。子どもたちに余分な苦労をかけないためにも、転ばぬ先の杖ではないが、体調管理には十分気をつけ、いつも元気で明るい教師でいたい。体調管理は、自分自身のためだけでなく、子どもたちのためでもある。

本当の問題は?

2009-02-24 | 育児
 言葉に出してしまうと、その言葉が一人歩きし始める。受け止めた相手が勝手に解釈して、その解釈で動いてしまうことはかなり多い。
 例えば、「頭が痛い。」と訴えたとき、風邪だろうか、睡眠不足だろうか、悩みがあるからだろうか。いろいろと原因を探る。実際にはもっと詳しく調べてみないと分からない。子どもの他の部位を調べてみる。熱はないだろうか、生活の乱れはないだろうか、何か変わった出来事はないだろうか、友だち関係はどうだろう?
 一つ探っては、本当の問題かどうかを見極めていく。本当は別の所に問題があるのではないだろうかとまた、探ってみる。毎日この繰り返しをしながら、一人一人の子どもの問題解決にあたっている。
 1つ1つの問題に対応することも大事であるが、その問題が起きるパターンを見つけると問題解決が早くなったり、問題を事前に防ぐこともできる。ただ、このパターンを見つける作業は問題発見の繰り返ししかない。上辺だけでなく、心の中まで入り込んで問題(悩み)の解決に付き合える教師は、子どもからの信頼も厚くなる。
 様々な子どもと関わりのある私たちは、どの保護者よりもその経験は豊かである。その意味からすると、数人の子育てしか経験のない保護者にとって、教師はよき相談相手として役に立つ存在である。多くの子どもたちの問題(悩み)の解決に対応できる教師であれば、それだけ保護者の問題(悩み)の相談相手になることも可能である。保護者が教師を頼りにしたいのもその点だ。
 子どもの抱える問題にどこまで真剣に付き合って考えることができるかは、教師次第だ。子どもが「私のことを本気で心配していてくれる(大事にしてくれる)。」と感じるまで「大丈夫?」「もうあの件はよかった?」と声をかけ続け、関わることが本当の問題発見につながる。保護者に対しても同様に「心配事はありませんか?いつでも相談に乗りますよ。」とドアを開けていると保護者は入りやすくなる。保護者からもらう情報が子どもの本当の問題発見につながることも多い。情報を得る所が多ければ、多いほど本当の問題発見により早く近づくことができる。

教師としてのものの見方考え方

2009-02-23 | 育児
 教員の世界は狭く、世間知らずだと言われることがある。教員の常識は世間の非常識だとまでいう人もいる。どうして、そういう言われ方になるのだろう。
・徹底すべきことを徹底的にこだわる。
 妥協して、折り合いを付けないから大事なことが伝わると考えている。
・理想を語ることが多い。
 現実よりも理想を大切にするから、現実とのギャップを感じさせる。
・子ども中心に物事を考える立場が多くなる。
 子どもを取り巻く環境(家庭の事情等)への配慮に欠けることがある。
 次代を担う子どもたちのために必要なことは生き方として大切に扱いたい。だから、非常識と言われることもしなくてはならないことがある。10年後、20年後の子どもたちの世界を見据えたとき、子どもにとって何が大事なのかを考えて、今すべきことをする。現実と合わないことでも当然大事にしなければならないこともある。教師だからできることもある。
 しかし、変化の激しい今、今を乗り切ることに振り回され、理想を語ることも少なくなっている。本当にしなければならないことがしづらくなっている。現実と合わないからと言って批判を浴びることも増えている。
○もともと、子どもにとって学校や地域は安全な所であったのに、安全を保つために教師がその配慮をしなければならない。
○学校への信頼が前提にあったのに、信頼を築き上げる努力をしながら子どもの教育に当たらなければならない。
○教師のすべきことが増えたにも関わらず、保護者や地域・社会から求められることが多くなっている。
○「あなたは教師として適性は欠けていませんか?」と教員の資質を問う新しい制度に振り回されながら教育に当たらなければならない。
 教師として生きづらい時代であっても、じっくりと教師としての自分を見つめ、本当にすべきことは何か、何を大切にしなければならないのかを見失わないようにしたい。
 「本当に今それが必要なのか。」「なぜ、そうしなければならないのか。」を考えて、行動したい。子どもを目の前において、指導している教師しか、子どもを変えることはできない。まさに教育は現場で行われているのだ。

安心して失敗できる

2009-02-22 | 育児
 子どもと生活しているとどうしても上からの目線で見ることが増えていく。人生の先輩として、子どもたちにこれだけは伝えたいと思うのもそれだ。これは、大切なことであるが、押しつけになっていないか常に自戒しなければならない。私たち大人は、いろいろな経験を経て、「これは大事だ。」という内容を獲得してきている。しかし、子どもはその経験がない。同じような経験をしていれば、きっと「これは大事だ。」と言われても分かるだろうけれど、経験がなければ、分からないことの方が多い。まずは、体験をじっくりと見守り、体験をしたことに意味付けや価値付けをしていくことの方が子どもの学びに合っているし、無理がない。
 いいことを言っても、納得してもらえないのは、その体験の違いによるところが大きい。だから、
 「安心してやってごらん。先生はいつでも、手助けできるように、あなたを見ているから。」
 と、子どものすることを見守る姿勢が重要になる。これを進めると、
・一つのことを学ぶのに多くの時間を費やすことになる。
・失敗することが分かっているのを見ていることの辛さに耐えなければならない。
・多様な子どもの取り組みに対応できない未熟さを感じることになる。
・本当に失敗させてよいか不安になる。
 しかし、自分の力で乗り越えたときに、「よく頑張った。」と子どもの力に感動したり、自分のとは違う乗り越え方をしたときに発見したりすることができるのもこの取り組みがあるからだ。
 子どもを信じて見守ることは、辛いことでもあるが、子どもの可能性を生かすことにもなる。教師の立ち位置で子どもの動きが決まる。
 犬をつれて散歩に出かけるときに首に付けるひもの長さはどの程度に決めているのだろう。子どもへの指導はそのひもの長さを決めることに似ている。絶対に自分の思い通りに動かそうとすれば、短いひもの方が扱いやすい。しかし、犬にとって不自由になる。犬の自由性を高めるとなるとひもの長さは長くなる。教師と子どもは、信頼と呼ぶひもで結ばれている。そのひもの長さは、子どもが決めるのではなく、教師が決めている。
 鵜飼をご存じだろうか。(地元長良川で行われている。)一度に5~10数羽の鵜を操り、鮎を獲る鵜匠の姿が、私たち教師のひもさばきと重なって見える。

教育は人なり

2009-02-21 | 育児
 教育は人なりとよく言われる。このことを否定する人はいない。さらに、それがどれ程重要なことなのかを自覚している人の方が子どもを育てる力をもっていることに気づく。自覚している人は、子どもと関わる自分が今の自分でいいのだろうかというところに焦点を当てている。だから、次のような傾向が見られる。
<子どもの姿の問題を自分の指導の問題として考えることができる>
 子どもは教師の働きかけに反応していることが多い。教師の働きかけが変われば、反応が変わると考えているから、自分の指導の問題と捉えることができる。
<仕事の順番が子ども優先になっている>
 子どもを育てることが仕事と考えているから、子どもとの関わりを大切にすることができる。
<問題解決に時間をかけず、即対応する>
 子どもの気持ちを大事にするから、悩みや苦しみから少しでも早く解放してやりたいと考え、トラブルへの対応が早くなる。
<子どもに力がついたかどうかを常に気にかけることができる>
 指導した成果は、子どもの姿で見ることができると考えているから、変化を気にすることが多い。
<子どもの願いや気持ちを大切にする>
 子どもの願いや気持ちが分からないと子どもに合った指導ができないと考えているから、子どもの様子を見たり、質問したりしながら子どもの願いや気持ちを探ろうとすることが多い。
<子どものために自分の時間を犠牲にできる>
 ここまでは、子どものためにしてやりたいという思いが強いため、このことに時間をかけることを惜しまない。
<愚痴をいわないで黙々と仕事をする>
 行動しないと現実は変わらないことを知っているから、悩む前に行動に移すことが多い。愚痴を言う前にすでに行動に移している。
<頼まれた仕事は、断れない>
 子どものためならば、自分にできることはしようと考えているから、子どものためにと頼まれた仕事はなかなか断れない。ただ、頼まれた仕事であっても誠実に取り組み、それなりの成果を上げる。
 これは生き方であり、関わった人がそれを感じる。「私のために尽くしてくれる。」と受け止められるので、子どもだけでなく、保護者からの信頼を得ることも多くなる。
 自分を守ろうと壁を作っていると、なかなか人から受け入れてもらえない。その壁は自分自身が作る壁であり、他人からは見えている。しかし、その壁を無意識に作っていることも多く、本人が気づかないでいることがある。つまり、自覚しないでいると気づかないで平気で過ごしてしまうことになる。まさに教育は人なりだ。

教師らしさ

2009-02-20 | 育児
 教師という顔で子どもたちの前に立っている私たちであるが、教師としての自分(教師としてこうあるべきだ)を意識して毎日の生活を送っていることは意外と少ない。無意識のうちにいつもの自分が顔を出して、自分らしく子どもたちと接していることの方が多い。
・物事の捉え方
・行動の仕方
・物事の進め方
・物事の感じ方
・褒め方や叱り方
 すべていつもの自分が勝っている。
 しかし、子どもたちは違う。「うちの先生はこう言った。」「先生がこうしているから。」などと一挙手一投足を教師として丸ごと捉えている。
そして、これが教師だと信じて一生懸命に真似る。1年間を通じて真似続けるから担任と似てくる。
 無意識にしていることがどれ程多くの影響を子どもに与えているかを考えると恐ろしくなる。・廊下を歩いている時の自分は教師らしいだろうか。
・机に向かって仕事をしている自分は教師らしいだろうか。
・子どもと話をしている時の自分は教師らしいだろうか。
・子どもと一緒に食事をしている時の自分は、教師らしいだろうか。
・同僚と話をしている時の自分は教師らしいだろうか。
 このように一つ一つのことに「教師としてあるべき姿なのか。」を問い続けていたら、きっと息が詰まってしまう。しかし、保護者や地域の方々、社会も子どもと同様に捉えている。毎日の生活を教員のいる世界だけで過ごしているとなかなかその感覚が分からない。常に教師としての自分を見られている。
 教師である前に人間だと言いたくなるが、教員の不祥事として新聞記事でよく取り上げられるように、教師である以上、学校だけでなく、社会生活をしているどの場面でも教師という顔を外すことはできない。これも教師になった宿命である。教師になった時点から、全てが教師としての自分に見られてしまうのである。
 自分を磨くことは、この何気ない日頃の一挙手一投足に教師としての魂を入れることに他ならない。授業力をつけるだけが、教師の顔になるわけではない。趣味を増やすにせよ、人間関係を別の場面で作るにせよ、人間としての自分を高めていく営みは、教師としての顔を保ち続けるための努力にもなる。
 これを辛いことだと考えているか、これを生き甲斐として捉えるかは、一人一人の生き方になる。ただ、「あの人は、立派な人だ。やっぱり教師だ。」と言われることが多くなれば、教員の社会的地位がもっと向上する。「私も先生のような立派な教師になりたい。」と憧れをもつ子どもも増えてくる。教員の社会的責任が強調される時代ではあるが、それにつぶされることなく、私たち一人一人の生き方が教員の社会的地位向上に役立つことをもっと自覚し、自分を磨いていきたい。

保護者の期待に応える

2009-02-19 | 育児
 保護者が子どもを安心して学校に登校させることができることができるのは、学校との信頼関係ができているからだ。これは、日々の取り組みの努力でしか、得ることはできない。いくら立派なことを言っても、通用しない。
・学校が好きだと言っている。
・学校に喜んで行く。
・楽しい学校の話を家でする。
・楽しみにしていることが学校にある。
 こんな姿を見せるのは、学級での生活が充実しているからだ。
この姿を作り出すために一人一人に恵まれた環境を用意しているだろうか。そして、生き生きと学校で活躍できる場を用意しているだろうか。この時期だから概ねできていると考えられる。
 しかし、「どの子にも」と考えると疑問が残る。光りを当てていない子はいないだろうかと見つめ直すのもこの時期である。
 次年度に向けて、子どもたちの人間関係をじっくりと観察し、光りを当てていない子が見つかれば、すぐに対応したい。
「困っていることはないですか?」
「悩んでいることはないですか?」
「心配していることはないですか?」
と、子どもに尋ねてみたい。どの子にも声をかけたい。そして、「いつでも、待ってるよ。」と受け入れ態勢を整えたい。
 このことは、子どもだけでなく、保護者にも通信等で聞いてみたい。きっとこの時期だからこその悩みや不安をもっている保護者も多いと思う。

素直に聞く、見る

2009-02-18 | 育児
 完璧な教師などいない。誰もが不完全である。そして、少しでもよりよい自分にしようと努力している。しかし、努力できることは、意識しているほんの一部のことだけだ。意識していないで無意識のうちにしていることの中に問題が潜んでいることが多い。
・どんな口癖があるのだろう。
・どんなしぐさがあるのだろう。
・どんな考え方があるのだろう。
・どんな感じ方をしているのだろう。
 そして、それがどれ程影響を与えているのだろうか。1年間一緒にいると子どもが担任に似てくるというが、それを考えるととても恐いことだ。
自覚がないことほど恐いことはない。
 自分の中に客観的に自分を見め、ちょっと高いところから自分を見る自分がいればよいが、なかなか自分のことは分からないことが多い。となると、自分のことをよく見て、指摘してくれる人がとても重要になる。
 そんな人が傍にいるうちは、自分を伸ばすことができる。独りよがりになってしまうと伸びなくなる。
 大人は言葉を選んだり、衣を着せて話したりするため、本意が伝わりにくいことがある。しかし、子どもはストレートに話してくれることがある。子どもの一言の中には本質をついていることも多い。
 子どもの何気ない言葉に敏感に反応し、自分の問題点を見つけることができれば、かなり自分を伸ばすことができる。
 だから、1年間一緒に過ごした子どもの言葉や行動に素直に耳を傾けたり、見つめたりすることは、とても重要なことになる。力が付いていないからだと腹を立てることでもない。
・子どもの行動が揃わなかったのは、私の言動に何か問題はないのだろうか。
・あんな反応が返ってくるのは、きっと私の言い方に何か問題があるはずだ。
・いつもこんな状態になるのは、きっと何か私に癖があるのではないか。
・聞き返されたり、質問が来たりするのは、私の話し方に問題があるはずだ。
・いつも「何をするの?」と指示を求めてくるのは、私の考え方に何か問題があるのかもしれない。
・困ったときに立ち止まってしまう子どもが多いのは、私の手だてが不足しているのではないだろうか。
・活動の後の机や靴の乱れが多いのは、指導に中途半端さがあるのかもしれない。
・机の上にいつもものが乗っている子どもが多いのは、何か足りないことがあるかもしれない。
 探せばいろいろと見えてくる。1年間も一緒に過ごしてきたこの時期だからこそ、無意識にしている自分の癖を子どもから見つけることができる。これを見つけることは、必ず次年度に生きて働く。まずは、子どもの力不足として見るのではなく、自分自身が気づかずに指導してきた癖によるものかもしれないと疑ってみるところから初めてみたい。

学校の教育目標を意識する。

2009-02-17 | 育児
 活動を進めるときに、いろいろなねらいを決め、ねらいを達成させるために指導を工夫し、実践をしている。そのときにいつも意識の底に大切に掲げているのが、学校の教育目標だ。これが忘れ去られていると何のための活動なのかが分からなくなる。塾や家庭で教科の学習を進めているわけではない。学校の教育目標を具現するための学習なのだ。
 「学校に通わせる意味がわからなくなった。」と言う保護者がいる。「なかなか宿題をしてこない。」と子どもを責め、保護者に宿題をするようにいつまでも迫る教師がいる。先生の指示通りに動き、早く指示してくれないかと指示を待っている子どもがいる。こんな姿を目にするとき、本当に学校の教育目標を大事にしなければならないと強く思う。
・学習や生活に向かう子どもの姿に自立に向かう道筋が見えない。
・目標に向かうために、考え、悩み、苦しみ、乗り越えるたくましさを養う道筋が見えない。
・仲間を思ったり、支えたり、時には厳しく突き放したり、よりよい暮らしを創り出す仲間作りの道筋が見えない。
 小学校の6年間、中学校の3年間を通して作り上げていく子どもの姿をイメージし、その時々に必要な行動・能力・価値観などを身に付ける。行動が最終の目的ではない。また、能力を身に付けることが最終の目的でもない。意識の底に常に学校の教育目標を意識して、今の子どもの姿はこれでよいのかを自問自答してみたい。
 次年度の準備が始まっている今こそ、この学校の教育目標にどのようにつながるのかを意識し、計画を立てたい。学校の教育目標が飾りにならないためにも、つながりをより意識し、具体化できる道筋を明らかにしたい。

みんなで決めたから

2009-02-15 | 育児
 子どもが主体的に取り組むために子どもが話したことを取り上げて、進めていくことはよくある。しかし、この子どもが話したことをよく吟味しないと子どもの本当の思いとずれてしまうことがある。
 一番危険なのは、教師の考えに近い言葉を発した時だ。これが一番教師にとって言って欲しい言葉だとすぐにそれを取り上げて、「みんなもそう考えるの?」などと便利に「みんな」という言葉を使う。そして、今度はその「みんな」を一人歩きさせてしまう。「みんなが言ったから。」「みんなで決めたから。」と広げて使ってしまうのだ。たまたま一人が言ったことをあたかも学級全員の考えのように取り上げてしまうのだ。教師にとっては、自分の考えに近いため、その考えに基づいたいろいろな行動を用意しているため、子どもたちがその考えに合わない行動になったときに「なぜ、みんなで考えたなのにやらないの?」などと使うことができる。そして、これを多用し、子どもたちを教師の思い通りにしてしまうのだ。
 安易に「みんなで」となると、必ず不満が出てくる。「でも本当はそんな気持ちじゃなかったんだ。」「仕方ないからそう言っただけだ。」「みんなが勝手に決めた。」などと言い訳をする。
 それでは、どうすればよいのだろう。
・一つ一つの考えを丁寧に取り上げる。
 子どもの本意は、どこにあるのか。考えを補足したり、他の子の質問に答えたり、考えについて深く理解できるようにする。
・どの子も同じ考えか、確認する。
 取り上げた考えを何人が指示するのかを挙手で確認する。多数の意見であっても「みんな」ではなく、「多くの子」だと認識する。
・違う意見の取り扱いを考える。
 一つの考えにまとめるときには、違う考えを切り捨てるのではなく、取り入れられる事はないかを考えさせ、全員が納得できる考えにする。
・考えを確認する。
 分かったつもりでも言葉にするとうまく言えないことがある。考えを自分の言葉で説明できるかどうかを確認する。言えなければ、十分理解していないと考え、再度、考えを確認する。
・より具体的にする。
 考えに基づいたとき、「何をすることがその考えに合っているのか。」を考えさせる。多数の行動を出させて、出てきた行動を一つ一つ取り上げて、考えに合った行動かどうかをみんなで確認する。
・みんなで作り上げた考えであることを確認する。
 「みんなの考えと決めていいか。」と返事の声や、挙手で確認する。
 このように確実に一人一人の子どもの意思が入るように、挙手したり、話したりしながら、「自分も考えた考えだ。」という意識になるまで丁寧に扱う。
 みんなの考えを一つにまとめるということは、多数決で決めれば、まとめられると言うほど単純なものではない。多数決を使えば、数の力で、我慢しているだけだ。それでは、みんなが楽しく学校生活を送ることはできない。我慢せず、違った考えも生かしながらみんなで一つの考えを作り上げる努力が必要だ。

ボランティアを迎える

2009-02-13 | 育児
 ボランティアとして活動に参加して頂く方々をどのように迎えることがよいのだろう。いつも悩むところだ。どの程度の配慮をしなければならないのかという枠があるわけではない。
 ただ、少なくとも、来てもらって当たり前という気持ちで接することは、失礼である。特に教師は、世間知らずと言われ常識がないと思われがち。配慮不足で相手に不快感を味わわせては大変だ。
 「子どもがすることだから。」と、大目に見てもらえることもあるが、事前に、子どもを動かす教師に配慮があれば、子どもはそれなりに動く。
 言葉遣い一つでもそうだ。来て頂いて有り難いと思えば、感謝の言葉も出るだろうし、相手を敬う言葉も出てくるだろう。それが、子どもから出てこないとすれば、教師がそれを教えていないからだ。
 ボランティアの方々には、できる限りのもてなしの心で接することが大事であるが、子どもと直接関わりのある方々ならば、配慮が不足していても、「我が子のためだから。」とある程度我慢はしていただける。(本来ならばここは甘えるべきではないが。)
 これが、全く関わりのない方々だとすれば、そうはいかない。一度の失敗は、取り返しの付かない失敗となる。
 もうボランティアとして参加したくないと思えば、「あの学校は、」となる。つまり、学校の代表としての活動と見られてしまうのだ。だから、今年は受けてもらえたが、次年度からは受けてもらえないということになってしまう。そうなると、次年度からの活動に支障を来すことにもなりかねない。このことを考えるとボランティアを迎えて活動するだけでは済まない。ボランティアの方々が「やってよかった。」「また、やってあげたい。」と思っていただけるような活動にすることが最低限必要となる。
 子どものためにボランティアとして純粋に参加しようとされる方々が一番参加して嬉しい事は、子どもたちと触れ合う事だろう。その中で心温かい言葉が飛び交えば、きっと喜んで頂ける。
・参加してくださったことへの感謝を示す事
・活動中に教えてもらったり、助けてもらったりしたときの感謝を示す事
・ルールを守って教えてもらったり、助けてもらったりする事
・活動中の姿に素直に感動し、それを「すごい。」などと伝える事
 これは、日常的に人との関わりで大事にしていることに他ならない。日々の取り組みがボランティアの方々に見られているということになる。

活動の質を見る

2009-02-12 | 育児
 学校生活では、いろいろな活動がある。その1つ1つの活動の質を見ようとするかしないかで、かなり子どもへの働きかけが違ってくる。
<活動の質を見る視点>
1,活動するための環境に焦点を当てる。
 活動しやすい状況を作り出せば、安心できる。
2,活動中の行動に焦点を当てる。
 しなければならないことができれば、安心できる。
3,活動に必要な能力に焦点を当てる。
 し続けなければならないことができれば、安心できる。
4,活動への見方や考え方に焦点が当たっている。
 見方や考え方が身に付けば、安心できる。
5,活動への姿に焦点が当たる。
 願う姿になれば、安心できる。
<例>卒業式の合唱練習
○全員が揃っている。
 1,練習場所に全員が揃っているか。
 2,合唱の練習をしようとしているか。
 3,自分のパートに必要な能力を身に付けようとしているか。
 4,卒業式に向かう構えができているか。
 5,卒業式にふさわしい姿になっているか。
 卒業式の自分の姿をイメージさせながら練習するか、自分のパートが上手くできる姿をイメージさせながら練習するかでは、子どもの姿が違ってくる。
 練習計画を立てるときにねらい(目標)を明確にして取り組むが、ねらいは飾りではない。ねらい(目標)は、活動を通して身に付けさせたい出口の自分の姿を示している。ねらい(目標)を忘れてしまい、目の前の行動に振り回されてしまう活動をよく見かける。
 練習を初める前に「どんな自分になりたいの?」と尋ねることは、とても意義あることだ。ここに焦点をあてながら、活動の度に振り返りをする。どの一瞬を取り上げても、「なりたい自分なの?」と問いかけができるから、歌い終わったあとの姿勢にもこの視点から見ることができる。話を聞く姿にもこの視点から見ることができる。このように活動の中に見られる様々な行動にも目を向けることができれば、活動の質は自然と高まっていく。
 それとは別に、姿勢は姿勢、聞く姿は聞く姿と別々に焦点を当てて指導すると指導する内容が多くなる。これでは、活動の質はなかなか高まらない。教師の焦点の当て方一つで授業の質が決まる。