ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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叱ること

2007-09-13 | 育児
子どもの行動に問題がある時に叱ることがある。
叱り方を間違えると子どもとの信頼関係を損ねることがあり、これもまた難しい指導だ。
<心がけていること>
1 感情的にならないこと
 感情が入ると怒ることになってしまう。感情の方に意識が取られてしまうと叱られている内容が十分理解されないことがある。 
2 叱る場を考えること
 全体の前で叱るべきか、個別に叱るべきかを意識する。
 その子自身の問題なのか、全体に関わることなのかを考えると叱り方も変わってくる。
3 叱った後を見届けること
 叱ることで行動が変わるかどうかを見届けると、その子の努力が見えてくる。努力をした姿を褒めることで叱られたことがプラスになったと実感できる。
 本気で叱っているかどうかは、叱ったことへのこだわりからわかる。
 「絶対に許さない。」「見逃さないぞ。」の気持ちがあると叱ったその場だけでなく、その後の生き方が気になってくる。そんな教師の意識が見届けをする姿になってくる。それは、「あなたをいつも心配して、見守っているんだよ。」のサインでもある。忘れてしまってはもったいないし、叱られたら謝ればよしになってしまう。大変なことなんだという気持ちは、叱られた時だけもてばよいわけではない。叱られた意識をもって繰り返し行動を変えていくと生活が変わってくる。
 それだけの価値のあることを「叱られること」から学ばせたい。

オウム返しはなぜ悪いか

2007-09-12 | 育児
 子どもの発言の後に「○さんの言ったことは・・・。」「わかる?こういうことだよ。」などと説明したり、補足をしたりする姿はよく見かける。
 分かってもらいたいという気持ちが強いとどうしても子どもの前に立ち、説明をしてしまう。いわゆる「オウム返し」である。これは、教師が子どもの発言をうまく利用して、内容を説明しているので、子どもを生かしているように見えるが実は子どもを殺していることになる。
 「オウム返し」はなぜ悪いのか。
1 子どもの発言を横取りしたことになる。
 生かしたつもりでも、子どもの発言よりも教師の説明の方が丁寧でよくわかることが多いため、聞き手の子どもたちは、子どもの発言で理解したというよりも教師の説明で理解したことになる。これでは、話し手の子どもは生かされない。
2 理解を妨げる原因の一つとなっている。
 話し手の発言した内容を聞き手が理解したかどうかは、わかったとうなずくだけではわからない。わかった振りをしているだけかもしれないし、自分の都合のよいところだけをわかったと言っているのかもしれない。
 話し手の内容をきちんと話さないと、理解した内容はわからない。
 例えば、「○さんの言うことはこういう事ですか?」と質問したり、「私は○さんと同じでこう思います。」と話したりしたときに初めて理解しているということがわかる。
 また、「○さんのここはわかるが、ここはわからないので教えてください。」などという質問をし、自分で理解を深めようとする子どもにとっては教師の説明は邪魔である。(子どもの理解の道筋は同じではない。個々によって異なっている。)
 聞き手が話の内容を理解しようと頭をフル回転している最中であるからここは説明をせず、子どもの理解を妨げないように反応を楽しむことが大事である。
3 子どもの活躍の場を奪うことになる。
 一人の発言は、話し手の考えを理解し、自分の立場をはっきりさせるために質問したり、意見の交流をしたりする大切なきっかけになる。子ども同士で発言し合うことで、自分なりの立場を明確にすることができる。しかし、教師が説明すれば、子ども同士が発言する機会が奪われ、常に受け身となる。
4 表現力を伸ばす機会を奪うことになる。
 一度でうまく説明することは我々大人でも難しい。まして、子どもである。発表は、仲間から質問を受け、補足したり、分かってもらえずに説明の仕方を工夫したりする機会にもなる。教師が説明することは、聞き手を意識しながら話し方をうまくするせっかくの機会を教師が奪っていることになる。
 説明する教師の顔には、自信が満ちあふれている。ここにおごりはないだろうか。
 ・子どもの説明よりも私の方がうまい。
 ・私が説明すれば、効率がよい。
 ・私の説明ならば、わかるはずだ。
 もし、そうだとしたら「話し手はどこへ行ってしまったのだろう。」私には、話し手を主役にできない教師にしか見えない。
 オウム返しをしない努力は、かなりきつい。それは、わからせたいと思う気持ちと子どもを生かしたいと思う気持ちの狭間で生きなければならないからだ。
また、
・先生はちっとも教えてくれない。
・友だちの説明では分かりにくいのにどうして助けてくれないの?
などと、教師を頼り、助けを求める子どもたちには不親切に映るからだ。教師に教えてもらうことになれている子どもには、この時間が無駄のようにも感じる。
 オウム返しは、傍にいて手を引いていることになり、自分の力で歩むことにはならない。
 人生を歩むとき、いつも師となって導いてくれる人がいるとは限らない。自ら考え、判断し、実行しなければならない。
 学習はまさにそれだ。自らの力で勝ち取るたくましさが必要である。
 我々教師は、次代を担う子どもたちを日々育てている。日々こつこつと積み上げていく努力なしには子どもは育たない。
 さて、毎日どれだけの子どもを生かしているのだろう。殺していることはないだろうか。

しない指導よりする指導

2007-09-11 | 育児
 子どもは何をすべきかがわかると動くことができる。
「~をするな。」の指導よりも「~をしなさい。」の方がわかりやすい。
  ~しない       ~する
 席を立たない  → 席に座わっている
 いじめない   → 友だちとなかよくする
 しゃべらない  → 口を閉じる
 ゴミを捨てない → ゴミをゴミ箱に入れる 
 無駄遣いしない → 節約する
 傍観しない   → 関わる
 差別をしない  → 平等にする
・「静かにしなさい。」
 本当は、人の話を聞かせたいという願いがあるはずなのに私語をしている子に話す時には、こんな言い方をすることがある。(黙っていればよいわけではない。話し手の考えを理解するように頭を使って考えさせたいのである。)
 それならば、この言葉で終わらないで話を聞く姿を求める指示が必要となる。
・「悪口を言うな。」
 言わない言葉をはっきりさせることも大事であるが、関わり方が悪いから「悪口」となることを考えるとどんな言葉を使えばよいのかを教えなければならない。
・「いじめるな。」
 仲の良い関係を作ることが大事になることであって、関わりを切ってしまっては大変。関わり方を教えないとうまく関われない。また、いじめてしまう心をどのように押さえればよいのかを教えないといじめの解消にはならない。
 願いへの向かい方にはいろいろある。「しなさい。」にしたときには、願いや思いをきちんと伝えないと次の手が打てなくなる。
 「だって先生がしなさいと言ったから・・・。」
と言い訳の手段に利用される。
 「しなさい。」はあくまでも願いに向けての一つの方法。それがすべてではない。幅がある。願いについての理解が深まればすることも変わってくる。中には願いが分かれば自分ですることを考える子も出てくる。それを生かすこともある。
(このことは、子どもには理解しにくいことでもある。)
※信頼関係にない場合、「言うことが違う。」「なぜ○さんはすることが違うのに。」と反感を買うことにもなるため、することが異なる場合は納得できる説明をして「すること」を指示しなければならない。
例 願い「困っている人を助けてあげたい。」
 「困っている子に声かけをしなさい。」
   「どうしたの?」「大丈夫?」などと声をかける。     
      ↓
 「今は声をかけないで!ちょっと見てて。」
    相手の心を察して対応を変える必要がある。
   「今は自分でじっくりと考えたいと思っているから。」
   「少し落ち着かないと考えられないから。」
 理解の程度が子どもによって異なるため一斉指導だけでは済まない。
 することを指導した後が大事。不十分な理解のままでいる子は次に同じことで失敗する。
「前にも言ったでしょ!」「何度言えば分かるの!」などと叱れば、子どもとの関係は一層悪くなる。
(納得させられなかった教師側の問題なのに子どものせいにして関係を悪化させてしまう。)
 これは、「する指導」だからこそ生まれるてくる問題である。しかし、これをしないで「しない指導」をしていては子どもとの関係を深めることも子どもをよりよい方向に育てることもできない。自らの力量を高めるためにも積極的に「する指導」に取り組みたい。

+評価

2007-09-10 | 育児
 親しい人には自分から挨拶ができる。より親しくなれば、今の自分を分かってもらいたいから気持ちのこもった挨拶ができるようになる。これは、自然な姿である。
 しかし、子どもが教師に挨拶するのは、親しみをもっているから挨拶するだけではない。そこには、評価される自分がある。
 教師は評価する側であり、子どもは評価される側になる。
 教師が来ると姿勢や行いをさっと変える子どもがいるが、まさにそれだ。
 子どもはよい評価を受けたいと思っている。これは意識的にしているというよりも無意識のうちにそういう自分を教師に見せていることが多い。
 だから、「私にとってどんな先生なのか。」が気になり、子どもは教師をよく見ている。そして、この評価の受け方で教師との関係を決めていく。
つまり、評価をする教師次第で子どもとの関係が決まるということになる。
 何も言われなければ、ただの大人と見る。
 自分の思いとずれていれば、批判的に見る。
 自分の思いとずれていてもその通りだと思えば我慢する。
 自分の思いと合っていれば、親しみが沸く。やる気もわく。
例 「先生、おはようございます。」の声に対して
・黙って通り過ぎる先生
 言っても返してくれない信頼できない先生と映る。 
・「おはようございます。」と返事をする先生
 自分にとって益にも害にもならない先生
・「おはようございます。」続けて「・・・だね。」(評価)をする先生
 評価の内容によって教師との関係が決まる。
 「もっと大きな声でいいなさい。」などと言う。
  →好意をもって次から挨拶できる子どもはわずかとなる。
 「いい挨拶だね。やる気が沸いてくるね。」などと言う。
  →嬉しくなり、次からも挨拶したくなる。そして、関係を築こうとする。
 挨拶運動を展開するということは、挨拶+評価をすることになる。
 どんな評価を子どもに返すかが鍵となる。
 そして、挨拶から自分がどんな教師と映っているのかを見ることができる。
 これは挨拶だけに限らない。「+評価」で子どもとの関係が決まる。
 教師である以上、子どもからどのように思われようと「+評価」をしなければならない。そして、子どもとうまく関係を築きながら子どもを育てる「+評価」を磨きたい。

自分の考えを伝える

2007-09-09 | 育児
 自分の思いをきちんと正面から受け止めてくれる人には、素直になれる。
 これは、子どもだけではない。子どもは、素直に反応するため受け止めてくれないと思えば、そっぽを向いたり、こっちみてよと要求したり、分かりやすい反応をしめすことが多い。中にはそれがわかりにくい子もいる。また、状況によっては伝えることを拒むこともある。
 受け止める側がきちんと正面を向くことがまず第一歩だと思う。(「面倒だな。」「なんという子だ。」などと自分の思いが優先すれば、相手は心を開かない。)
 あなたのことが「知りたい。」「分かりたい。」という思いからの働きかけが子どもに伝われば何か反応を示す。
1 一番分かりやすいのが顔
  目がどのように動くのか。
  口の形はどうなるか。 
2 次に手を握ってみたり、肩に手をやり 体に触れてみる
  力が入っているか
  拒んでいるのか
  手を握りかえしてくるかどうか
3 言葉にできなければ、こちらが言葉に置き換えて確認をする。
 「こういうこと?」「こうしたいの?」
 ここまでは、伝えることができない子どもには、繰り返し、繰り返しやり続ける。スキンシップは、相手との距離を短くすることにとても役立つ。こちらが本気で心配していることも伝えることができる。相手に意思が見えたら、その思い通りの動きをすれば、心を開き、安心して意思を伝えようとするようになる。
 私を理解してくれているという安心感が自分の意思を伝えるきっかけとなる。話しても無駄だと思えば、話さなくなる。分かってもらえると思えば、甘えたくもなる。
 授業中の発表も同様である。自分を理解してくれている仲間だから安心して自分の思いを伝えられる人間関係を築いていれば発表できる環境になる。
 発表しなさいと言われても「受け入れてくれるだろうか心配だ。」「攻められるかもしれない。」などと不安をもっていれば発表しようとは思わない。
 発表することに目標を持たせて、競争させたり、グループで確認しあったりしても学級が自分を受け入れてくれるものでなければ、発表したいという雰囲気は生まれてこない。
 子ども一人一人が相手を受け止めることができるように、上述の1~3ができる場を多く作ることから始めないと自分の意思を伝え合う学級はできない。
 「私のことをわかってくれている人がいる。」
 「私のことを分かろうとしてくれる人がいる。」
 このことが、子どもの存在感となる。

自ら考える

2007-09-08 | 育児
 子どもたちを育てようといろいろと子どもたちに教えることがある。しかし、これも一つ間違うと子どもが自ら考えないで、教師に頼ってしまう子どもになる恐れがある。
 ・「先生、次何するの?」
 ・「これは、どうしたらいいの?」
 ・「もう、終わったから遊んでもいい?」
 子どもが困っているとき、何とかしなければと子どもに丁寧に教える。
 「はい、次はこれをしましょう。」
 「これはこう考えてこうするといいよ。」
 「何をしているの?だめでしょ。これをしなさい。」
などと教師の思い通りに動くように子どもへ次から次へと指示をしてしまう。
 的確に指示をすれば、失敗をせずうまくいくことが多い。
 これは、教師に依存することが失敗をしないでうまくいく方法だと子どもたちが学習することにもなる。
 また、子どもが困りながらも自分なりに考えて行動したことで失敗しても許されるゆとりがあれば、失敗から学ぶこともできる。しかし教師がそれを許さなければ、子どもたちは失敗を恐れて教師の指示に従うことを選び、失敗から学ぶことはない。(それでも失敗すれば指示した教師の責任にする子もいる。)
 子どもが困っているときにすぐに答えを教えるか、選択肢を出して選ばせるかだけでも子どもの育ちは違ってくる。
 自ら考えようとするかどうかは教師の構え次第である。
(私たちは、「そんな悠長なことは言っておられない。」とつい言ってしまうことがいかに多いことか。)
 無ければ教える必要がある。
 有れば教える必要はないが、時間を与える必要がある。
(どの子にも同じように教えるのではなく、相手次第で教え方も教える内容も違ってくる。)
 教師の顔色を伺って、前に進めない子どもを見るといかに教師の指示に慣らされてきているかを痛感する。

身に付くと気になる

2007-09-07 | 育児
 見えるものは見えるが、見えないものは見えない。
これは当たり前の事であるが、身に付いたかどうかを判断する上でとても重要なことのように思う。
例1 廊下を静かに歩くことが身に付いている子が体育館に入ったときに騒々しさを感じる。
(話ながら歩いて体育館に入る子は感じない。)
例2 さびの研究をした子どもが「先生。この真ちゅうの釘、さびているみたい。」と日常生活の中での発見を訴えてくる。
(研究していなければ、釘の変化に気づかないで見過ごす。)
例3 友だちの話を一生懸命に聞こうとしている子が無駄口をしている友だちに「静かにしてよ。」と声をかける。
(無駄口をしている子は、うるさいこととは感じていない。)
 身に付くと身に付いた視点でものが見えてくる。
 「ごみ拾いができる人にゴミを捨ている人はいない。」と言われるが、まさにこのことだ。
 教師として子どもたちに身につけさせたいことはたくさんある。指導したことを子どもが生活に生かしている姿を見つけたときは、やり甲斐を感じる一瞬である。

どんな自分?

2007-09-06 | 育児
 行事を行う前に必ず事前指導を行う。そのときに必ず子どもたちに問うのが、
「この行事を通して、どんな自分になりたいの(したいの)?。」
である。行事のねらいが忘れ去られ、行事をこなすことになる大きな原因は、ねらいを自分にとって価値あるものにしていないからだと思う。
<どんな自分>
1 ねらいを子どもたちに話す時、具体的な場面を想像させながら、そこに現れる姿をイメージさせる。
 いろいろな場面を出すことで、自分が目指す姿がイメージしやすくなる。
例 運動会
 みんなで声をそろえて応援する・・・・力一杯声を出す自分
 時間に遅れると練習時間が短くなる・・時間を守る自分
 演技を工夫すると楽しくなる・・・・・工夫する自分
 競技で友だちと声を掛け合う・・・・・助け合う自分
 指示に従ってすばやく動く・・・・・・人の話が聞ける自分
2 いろいろな自分が見えてくる。
その中から自分が目指す新しい自分を決める。
 これをめあてとして記録させ、把握しておく。
3 練習の始まり、練習中、練習の終わりでこの視点から子どもの姿を評価する。
・「すごいね。力一杯声を出す自分に近づいてきたね。」
・「時間が守るために声かけをしたね。ここにも助け合う自分があるんだね。」
・「○さんは、助け合う自分に挑戦しているんでしょ?今の姿はそれでいいの?」
・「助け合う自分になっている子が増えたね。すごいよ。」
4 本番での姿を見届け、運動会終了後に評価する。
 練習中の取り組みが生かせたこと
 繰り返し挑戦したこと
 ※努力してよりよい自分を目指したことの素晴らしさを扱う。
 ※個としての成長と学級集団としての成長の両面を明らかにする。 
5 そして、次の取り組みに生かす芽にする。
・時間を守る自分・・・・日頃の授業の始まり
・助け合う自分・・・・・授業中の助け合い
・人の話が聞ける自分・・授業中の聞く話す など
 行事を点にしないで、自分を見つめていく線にするためのきっかけにすることで子どもは自分の成長を見つめることができる。これは自分にとっても学級にとっても価値ある取り組みである。

活動し続ける

2007-09-05 | 育児
 指導のこつをつかめば、年齢に関係なく素敵な授業が展開できる。そのこつがなかなかつかめないで苦労していることが多い。そして、試行錯誤しながらつかんでいるのが現実。私たちは、多くの場合次の手順で授業を進めている。
<手順>
1 したいことをはっきりさせる。(教材研究をする)
2 子どもへの働きかけを考える。(実態に合わせる)
3 実際にはたらきかける。(指導する)
4 反応をみて自分の取り組みを振り返る(反省し、次に生かす。)
 1や2に時間をかけることでより子どもたちに深い内容をよりわかりやすく提供できる。しかし、現実的にはなかなか時間を増やすことは難しい。自分一人で悩まないで身近な同僚や先輩の力を借りることが質を高める近道となる。(時間を増やす努力する姿勢は崩したくないが。)
 3は教師が共同で活動を行う以外はなかなか目の前の子どもに合った指導を見る以外は少ないため、どうしても試行錯誤となる。
 ただ、次の視点を考えて試行錯誤するだけでかなり指導が変わる。
ポイントは「どの子も」
○簡単に納得しない → 「他の子は?」
 ※期待した返事や姿が現れたからといって次に進まない。どの子もわかって欲しいと思っているから、1つの質問にでもどの子も立ち向かってほしいと思って全体を見渡す。
・いろいろな考えを出させたいと考えるのではなく、あなたの考えが知りたいと迫る。
・人の考えやしたことに必ず反応させる。(同じか違うか)
○全体に振る    → 「分からない子は?」
 ※分からないことを放っておいても前に進まない。今の自分を知ることから次がはじまる。
・教師が答えるのではなく、分かっている子に答えさせる。
・分かっているようで分からないところも潜んでいることに気づかせる。(説明を求める。)
・分からない子は分かっていく過程をはっきりさせる。(ここまで分かった。ここがまだ分からない。)
○空になる時間を作らない → 「次は何をするの?」
 ※し続けることが質を高めることにつながる。逃げないで分かろうとし続ける。分かるまで(できるまで)は逃がさない。
・考える→表現する(話す、書くなど)→反応を見て考える→表現する→反応を見て考える→・・・・
・できて安心している子を見逃さない。
 (できたら次は表現につなぐ。一人でしゃべって確認する、となりの子に話すなど表現に結びつける。)
・一回表現したらおしまいにしないで、何度もさせる。
 期待する反応が出たら次に進むのではなく、立ち止まり、「どの子もできるのか。」「どの子もわかるのか。」と自分に問いかけをし、子どもに返す。→この努力が授業の質を変えていくきっかけとなる。

めあてをもつ

2007-09-04 | 育児
 いつも活動に主体的に取り組む子どもは活動に対して自分なりにめあてをもっている。それが、指示された活動であろうが、しなければならない決められた活動であろうが活動の内容とは無関係である。それは、活動を自分にとって価値ある活動にしようとする構えがあるから。主体的に事にあたる子どもにしたいと願っている私たちであるが、その近道はどの活動にもめあてをもたせることである。
<留意点>
1 「めあてを作れ。」と言われてもめあては作れるものではない。 
2 見通しがなければめあてはもてない。
3 「やってよかった。」という体験がめあて作りの意欲につながる。
4 繰り返ししないと自分からめあてを作り出せるようにならない。
<具体的な方策>
1について
・活動の価値を知らせる。(大事なことだ。力がつく。)
・あこがれになる姿を見せる。(あんな姿になりたい。)
・必要感をもたせる。(こうしなければならない。)
・めあての例を示す。(これがめあてになるんだ。)
2について
・すべきことを知らせる。(こうすればいい。)
・活動の流れを知らせる。(この順序ですればいい。)
・活動する時間を知らせる。(いつまでにすればいい。)
・活動する場所を知らせる。(ここですればいい。)
・一人でするのか、仲間とするのか知らせる。(誰とすればいい。)
3について
・意志をもって活動したことを褒める。
 「こんな願いで頑張ったことがよかったね。」
・めあての実現を一緒に喜ぶ。
 「願い通りになってよかったね。」
・めあてのよさをほめる。
 「こんなめあてが作れるなんてすごいね。」
4について
・活動を始める前にめあてを確認する。
 「どんなめあてでがんばるの?」
 「あなたのめあては、何?」
・活動中にめあてを確認する。
 「今どんなめあてで取り組んでいるの?」
 「こんなめあてで取り組もうとしているのかな?」
 「そうか、そのめあてで頑張っているのか。」
・活動後に次のめあてを確認する。
 「それなら、次はどんなめあてにするの?」
 「反省を生かすとどんなめあてがいいのかな?」
・活動に合わせてめあてを作る。
 「この活動で、めあては作れるかな?」
・めあてをもって活動している子を紹介する。
 「めあてをもって活動していると動きが違うね。」
 「めあてをもっているから、あの子はこんな姿になるんだね。」
 「あの子をみてごらん。~しようと動いているよ。」
そして、常に
 「この子はどんなめあてでこの活動をしているのだろう?」
 「この子はこの活動のめあてをもっていないぞ。」
 「きっとあの子は、今こんな気持ちでこの活動をしているはずだ。」
などと子どもの意思を探り続ける。子どもの行動の裏に隠れた意志を見抜くことができれば、適切な指導ができる。意志を確認し続ける努力をすると意志と行動をつないで見られるようになってくる。

見通しをもつ

2007-09-03 | 育児
 見通しをもつというがどのくらい先まで見通すことができるのだろう。乳児期の子どもは、体験を繰り返し、失敗したことは繰り返さないように、同じ体験だと判断すると対応を変えていくし、うまくいくと同じ対応を何度もするようになる。
 言葉でこちらが話しても通用しない。失敗したとき、うまくいったとき、喜びを伝えたり、慰めたりと傍に寄り添い子どもの行動に注意をしながら見守ることしかできない。幼児期の子どもは、体験も多くなり、自分で判断して行動することが多いが、判断できないときには、友だちの真似をしたり、指示を待ったりすることが多い。見通しが持てないため、不安を抱いたり、「教えて」とサインを送ったりすることが多い。この場合の見通しは次の自分がすることであり、将来起こりうるであろうことではない。
 この場合は、子どもの行動を見たり、子どもに話を聞き困っていることや抱えている問題を発見したりして、よりよい行動を教えたり、諭したりすることができる。
 幼児期までは、子どもの自由な意思の中で活動が進み、その1つ1つの活動が興味関心に左右されていることが多い。しかし、小学生になってくると、生活が幼児期と異なり、決められたスケジュールの中での生活が始まる。
(最近では、すでに幼児からこれを求められる子どももいる。早くなることがよいかどうかは疑問である。)子どもにとって大きな試練となる。
 小学校では、1日の生活の見通しをもつ生活が始まる。
1年生の始まりは、まだ一人ではできないため保護者や教師の支えを得ながら、1日の生活のリズムを作っていく。
 ここで1日の生活のリズムを作ることで1日の生活を見通すことができるようになっていく。(子どもにとっては、「やりたくてもやれない。我慢しなければならない生活」かもしれない。)
 1つ1つの活動がパターン化されていれば、その活動の見通しももてるようになる。ここまで考えると小学校の低学年では、1時間の活動、1日の生活への見通しがもてるようにすることができそうである。
 中学年になると仲間意識との関わりが深まり、これに係活動などのやや長期的な見通しが必要となる。
 (係活動だけについて考えと低学年では決められた仕事をすることが中心で高学年になるに従って係活動を企画し、実行する力が求められていくようになる。)
 委員会活動なども入ってくると半月や1ヶ月ほどの見通しが必要となる。(中学年では、言われたことをする側で自分で見通しをもって取り組むというようり先輩の様子を見て習うということになる。)
 高学年になると視点が変わり、全校をリードする立場から物事を考えなければならない。自分だけの動きではリードすることができないため、動かすための時間が必要となり計画的に進めていくことが新しい視点で必要となる。
 これを考えると半月や1ヶ月先を見通すことができるようにしなければならない。また、自我が目覚めてくると、自分のもっている課題解決に向けて努力する姿も見られるようになってくる。ここまでくると課題によっては解決に1ヶ月以上を要することも生まれてくる。
 日頃の指導で見通しをもたせるための指導はどのようになされているだろうか。それぞれの活動をこなしているだけでは子どもの見通す力はつかないし、子どもの発達に応じて段階的に指導しなければならないものである。意図的に働きかけないと育てられないのである。(リーダーとなる一部の子どもだけ育てばよいというものではなく、どの子にも育てなければならない。ゆとりのある生活は、この見通しがもてる生活を作ることから始まる。)
例1 毎日生活ノートに明日の予定を書かせることの意味
 毎日書かせることがどの程度の見通しを持たせることになっているのだろう。
 (明日の予定程度ならば、低学年に身につけさせたい。中学年以上であれば1週間は見通せる子どもにしたい。)
 ※私は、1週間分の予定を事前に配付することを勧めたい。
  低学年では保護者に助けてもらいながら1週間の準備をする。
  中学年以上は自分でできるように段階的に指導する。
   (持ちものの準備、学習内容についての準備等)
例2 月行事のお知らせ
 よく保護者宛の通信に1ヶ月の月行事を知らせるが、中学年以上であれば、子ども自身がその活動に向けての準備ができるように段階的に育てるよい機会となる。
 意識的に指導できるかどうかは教師次第である。毎日の生活そのものに関わることであり、これができるかどうかは子どもの将来にとって大きな影響がある。

挑戦

2007-09-02 | 育児
 いよいよこちらでは、2学期が始まる。この機会に子どもたちと同様に何か挑戦することを決めおくことも大事なことである。
・1学期にできなかったこと
・年度当初自分が描いていたこと
・1学期の実践を通して新たに見つけたこと
きっと挑戦することは、見つかるはずである。
 挑戦が自分を後押ししてくれる。
・話に勢いが出る。
・新たな視点が見える。
・対応の仕方が変わる。
 挑戦を自分一人の心に締まっておかないで、話すことで子どもの教師の捉え方も変わってくる。
・つまずきや壁を乗り越える話ができる。
・子どもの共感を呼ぶ。
・子どもとの一体感を生む。
 子どもだけでなく、保護者にも話すことで保護者との関わりも強くなる。
・担任への理解が深まる。
・共通の話題が広がる。
・子どもへの対応が変わる。
 結果を恐れずとにかく挑戦する。
この生き方は、必ず子どもを変えていく。
 「先生も挑戦しているよ。一緒に夢に向かってがんばろ!」
 「先生も苦しいことあるよ。でも負けないから。」
 「辛いことがあったら、言ってね。話を聞くから。」
 「今ここまで来たよ。みんなは?」
 「うれしいことがあるんだ。挑戦してきてよかった。」
など、子どもへ働きかけていく姿はまさに人生を語る師である。
 今の時代、保護者を巻き込まないと効果が上がらないこともある。これも挑戦。

動きを止める

2007-09-01 | 育児
 子どもは常に動いている。立ち止まらないで動いている。脇目も振らずに動いている。
 夢中になっていると他のものが見えなくなる。
 (ボールを追いかけて飛び出すのがそれだ。)
 夢中になっていると他の声も聞こえなくなる。
 (声をかけても返事をしないのがそれだ。)
 夢中になっていると他のことを考えなくなる。
 (○が欲しいとだだをこねるのがそれだ。)
 このことが1つのことを深く考えたり、鍛えたりすることにもなるから否定することでもない。しかし、立ち止まって、今の自分を振り返り、次の動きを見直す機会を作ることは、見方を変えたり広げたりすることができ、自立を促すことになる。動きを止めるには
・大声を出す。
・肩を両手でつかんで、子どもの前に立ち、目を見させる。
・振り返りの時間を定時に作る。
・場をかえる。など
 止めるのは振り返りをさせるためだから、止めた後が大事。
・今の状況を説明する。
・今の状況を語らせる。
・今の状況を見させる。
 そして、今の状況をよりよくするには、「これでよいのか。」それとも「変えなければならないのか。」を決めさせる。決められないときには、叱って強引にこちらの意図を伝えて聞かせるのではなく、意図を語り納得させることも状況によっては必要となる。(保護者が我が子を怒って聞かせようとする姿をよく見かけるが、これは自立につながりにくい。つまり「叱られたからする。」になり、自立につながらない。)年齢とともに、これは、1つの動きだけでなく、1つの活動、1日の生活など時間が長くなっても見つめられるようになる。
 大事なことは、教師が子ども自身で振り返りができるように場を設定していることである。(子どもに任せても子どもの中にその意識がなければできない。習慣化するためにはまず教師が作る必要がある。)
 ・1つ1つの動きの後の確認
  「この動きでいいんだ。」「こうすべきだ。」など
 ・活動の後の反省会
  「この取り組みはよかった。」「取り組みは変えないといけない。」など
 ・1日の振り返りの場
  「今日は○、明日は・・・。」「学校生活では、家庭では」
 習慣化したかどうか見届けるところまでが大事な仕事。習慣化すれば教師の仕事はうんと減る。後は自立の方向がよいかどうかを見極めて導くことになる。ここが生き方の指導になる。(何をすべきか。何が素晴らしいか。など)
(失敗から学ぶ姿勢を作っておけば、困ったら相談にくる。)