ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

お子様の幸せを願って、メール、スカイプでの相談、面談を行っています。是非ご利用ください。

オウム返しはなぜ悪いか

2007-09-12 | 育児
 子どもの発言の後に「○さんの言ったことは・・・。」「わかる?こういうことだよ。」などと説明したり、補足をしたりする姿はよく見かける。
 分かってもらいたいという気持ちが強いとどうしても子どもの前に立ち、説明をしてしまう。いわゆる「オウム返し」である。これは、教師が子どもの発言をうまく利用して、内容を説明しているので、子どもを生かしているように見えるが実は子どもを殺していることになる。
 「オウム返し」はなぜ悪いのか。
1 子どもの発言を横取りしたことになる。
 生かしたつもりでも、子どもの発言よりも教師の説明の方が丁寧でよくわかることが多いため、聞き手の子どもたちは、子どもの発言で理解したというよりも教師の説明で理解したことになる。これでは、話し手の子どもは生かされない。
2 理解を妨げる原因の一つとなっている。
 話し手の発言した内容を聞き手が理解したかどうかは、わかったとうなずくだけではわからない。わかった振りをしているだけかもしれないし、自分の都合のよいところだけをわかったと言っているのかもしれない。
 話し手の内容をきちんと話さないと、理解した内容はわからない。
 例えば、「○さんの言うことはこういう事ですか?」と質問したり、「私は○さんと同じでこう思います。」と話したりしたときに初めて理解しているということがわかる。
 また、「○さんのここはわかるが、ここはわからないので教えてください。」などという質問をし、自分で理解を深めようとする子どもにとっては教師の説明は邪魔である。(子どもの理解の道筋は同じではない。個々によって異なっている。)
 聞き手が話の内容を理解しようと頭をフル回転している最中であるからここは説明をせず、子どもの理解を妨げないように反応を楽しむことが大事である。
3 子どもの活躍の場を奪うことになる。
 一人の発言は、話し手の考えを理解し、自分の立場をはっきりさせるために質問したり、意見の交流をしたりする大切なきっかけになる。子ども同士で発言し合うことで、自分なりの立場を明確にすることができる。しかし、教師が説明すれば、子ども同士が発言する機会が奪われ、常に受け身となる。
4 表現力を伸ばす機会を奪うことになる。
 一度でうまく説明することは我々大人でも難しい。まして、子どもである。発表は、仲間から質問を受け、補足したり、分かってもらえずに説明の仕方を工夫したりする機会にもなる。教師が説明することは、聞き手を意識しながら話し方をうまくするせっかくの機会を教師が奪っていることになる。
 説明する教師の顔には、自信が満ちあふれている。ここにおごりはないだろうか。
 ・子どもの説明よりも私の方がうまい。
 ・私が説明すれば、効率がよい。
 ・私の説明ならば、わかるはずだ。
 もし、そうだとしたら「話し手はどこへ行ってしまったのだろう。」私には、話し手を主役にできない教師にしか見えない。
 オウム返しをしない努力は、かなりきつい。それは、わからせたいと思う気持ちと子どもを生かしたいと思う気持ちの狭間で生きなければならないからだ。
また、
・先生はちっとも教えてくれない。
・友だちの説明では分かりにくいのにどうして助けてくれないの?
などと、教師を頼り、助けを求める子どもたちには不親切に映るからだ。教師に教えてもらうことになれている子どもには、この時間が無駄のようにも感じる。
 オウム返しは、傍にいて手を引いていることになり、自分の力で歩むことにはならない。
 人生を歩むとき、いつも師となって導いてくれる人がいるとは限らない。自ら考え、判断し、実行しなければならない。
 学習はまさにそれだ。自らの力で勝ち取るたくましさが必要である。
 我々教師は、次代を担う子どもたちを日々育てている。日々こつこつと積み上げていく努力なしには子どもは育たない。
 さて、毎日どれだけの子どもを生かしているのだろう。殺していることはないだろうか。


3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
よかった (POOHママ)
2007-09-12 21:15:27
お久しぶりです。

同じ考えの人がいて、ほっとしました。
うちの学校では、
オウム返しは「よいこと」「ぜひやりましょう」
になっています。
それは、子どもの発言が小さな声でも、
わかりにくい発言でも、
教師が介することで、わかりやすくなり、
子どもが活かされると思っているからです。
私は、それが疑問でした。
というより、
いちいち介していたら、
「どうせ先生が再度言ってくれるから」と
子どもの発言を聞く必要がなくなると
思っているのです。
でも、それを言うと、
「小さな声でも精一杯表現している子に、
 何度も言わせるのはかわいそうだ」
などと反論され、
うまく返せませんでした。

また、勉強になりました。
ありがとうございました。

返信する
久しぶりです。 (岐阜のすー)
2007-09-13 03:12:30
 生きる力を身につければ、自分の力でいろいろな問題を切り開いていくことができると思います。
 この視点に立って物事を考えていくと、結構教師がしてはいけないことをしているように思います。実態によって指導の方法は変わりますが、何を目指すかをきちんと捉えていないと見失いますね。
 声が小さい子への指導は、まず聞き手の指導が大事だと思います。
 「小さくても聞ける子にすること」が先だと思います。小さい声でも自分の考えに自信を持ち始めると徐々に声が大きくなります。(発言することに慣れないと声の大きさの指導はなかなか入りません。)
返信する
そうですね。 (POOHママ)
2007-09-15 14:58:38
今の子どもは、
国語の教科書でも、
コミュニケーション能力という意味で
「話す」ことばかりが重要視され、
人の意見を聞いたり、
書物を読んだり、
記録として書いたり
という作業が足りない気がします。
話すことも大切なのですが、
他人の考えにも耳を傾けることも
コミュニケーションで大切なことだと思うのです。
自己主張をしても、
他人の意見を受け入れないわがままや
個人主義が目立つような気がします。

すーさんの言うように、
まず「聞く」姿勢をしっかりすることで、
「聞いてもらえる」気持ちよさがわかったら、
話術ばかりを強調しなくても
話せるようになったり、
声も大きくなったりすると思うのですが・・・。

若年者に伝えていく難しさを感じるこのごろです。
返信する

コメントを投稿