先日、お見舞いに行った野鳥の会の先輩が亡くなった。まだ57才の若さで、会は惜しい人物をなくしてしまった。去年、胃を摘出して回復に向かうはずだったのに今年に入って再発。先月、調子が悪くなって入院してからあっという間の出来事だった。どんなふうに死に向き合い、受け入れていったのか。先月お会いしたときも笑顔を絶やさずヒョウヒョウとしていて深刻さを回りに感じさせなかった。それだけに彼の心中を察すると心が痛む。生きたい心と滅んでいく体。どこに妥協点を見いだせばいいのだろう?今日偶然、レバノン生まれの詩人ハリール・ジブラーンの詩集を読んでいた。その中に死についての一節があったので、ここに引用しよう。そして、彼の冥福を祈ろう。
死ぬとは風の中に裸で立ち 陽の中に溶けることではないか。
呼吸をとめるとは絶え間ない潮の動きからこれを放ち、
何の妨げもなく昇らせ、ひろがらせ、
神を求めるようにさせることではないか。
沈黙の川から飲むとき そのとき初めてあなたは真に歌うだろう。
山の頂きに辿りついたとき そのときこそあなたは昇り始めるだろう。
からだが土の中に横たわるとき そのときこそあなたは真に踊るだろう。
死ぬとは風の中に裸で立ち 陽の中に溶けることではないか。
呼吸をとめるとは絶え間ない潮の動きからこれを放ち、
何の妨げもなく昇らせ、ひろがらせ、
神を求めるようにさせることではないか。
沈黙の川から飲むとき そのとき初めてあなたは真に歌うだろう。
山の頂きに辿りついたとき そのときこそあなたは昇り始めるだろう。
からだが土の中に横たわるとき そのときこそあなたは真に踊るだろう。