しらの風景

自然と野鳥や生き物が大好き!自然の中には学びがいっぱい。
デザインの仕事をしながら、楽しく生きる智慧を探します。

死に向かい合う。(9/20*火)

2005-09-20 | 人間大好き!
先日、お見舞いに行った野鳥の会の先輩が亡くなった。まだ57才の若さで、会は惜しい人物をなくしてしまった。去年、胃を摘出して回復に向かうはずだったのに今年に入って再発。先月、調子が悪くなって入院してからあっという間の出来事だった。どんなふうに死に向き合い、受け入れていったのか。先月お会いしたときも笑顔を絶やさずヒョウヒョウとしていて深刻さを回りに感じさせなかった。それだけに彼の心中を察すると心が痛む。生きたい心と滅んでいく体。どこに妥協点を見いだせばいいのだろう?今日偶然、レバノン生まれの詩人ハリール・ジブラーンの詩集を読んでいた。その中に死についての一節があったので、ここに引用しよう。そして、彼の冥福を祈ろう。

死ぬとは風の中に裸で立ち 陽の中に溶けることではないか。
呼吸をとめるとは絶え間ない潮の動きからこれを放ち、
何の妨げもなく昇らせ、ひろがらせ、
神を求めるようにさせることではないか。
沈黙の川から飲むとき そのとき初めてあなたは真に歌うだろう。
山の頂きに辿りついたとき そのときこそあなたは昇り始めるだろう。
からだが土の中に横たわるとき そのときこそあなたは真に踊るだろう。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お別れ (しらら)
2005-09-23 08:31:34
仲間を失う機会が、このところ増えたなあ~と感じる。野鳥の会としても、また一個人としても、悲しい出来事でしたね(合掌)

詩を読んでいたのは決して偶然ではなく、彼からのお別れメッセージのような気がします。詩を味あわせて頂きましたが、死とは、何と安らかで解放的で、尚且つ自然体なんだろうとも思いました。ただそこに、しばらくの間淋しさが漂っているだけなんだ…
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解き放つ (しら)
2005-09-23 19:34:43
死はもしかしたら、窮屈な体から抜け出して自由になれること。死が恐いのは、私たちの住んでる社会の洗脳なのかもしれないね。アボリジニの本を読んだ時に、彼らの社会ではもう天に帰りたいと願うとすぐにお迎えにきてくれるって書いてあった。それはそれは、自然で優しい感じだったよ。
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詩とはなんとすばらしいものか (たーたん)
2005-09-25 09:33:55
ご冥福をお祈りいたします。

57歳といったらうちの父ほどの年齢。

家族の悲しさが想像されます。

未来におこるさけられない出来事として

今までいた家族があっという間にいなくなる寂しさに

私は耐えられるのか心配ですが、

もしこの詩のように死が安らかなものならば

救われますね。



わたしの墓の前で、泣いたりしないで下さい

そこに私はいません

眠ってなんかいないのです

私は千の風になって、空に吹いています

ダイヤモンドのようなきらめきになって

雪の上に照り輝いています

暖かい日差しになって

実った穀物に降り注いでいます。

秋の雨になって、やさしく地面をぬらしています。

鳥になって、やわらかい朝の光の静けさのなかを

かろやかに飛んでいます

私の墓の前で、泣いたりしないでください

そこにわたしはいません

わたしはしんでなんかいません



2004  12  11  朝9:00



この言葉は誰の言葉なのか私(たーたん)は知りません。

初めてみたとき、衝撃を受け、感動し、

ずっと部屋に張っておいたものです。





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Unknown (み~ちゃん)
2005-09-25 12:48:06
『千の風になったて』新井満
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『千の風になって』の誕生 (しら)
2005-09-25 12:50:19
「千の風になって」は、いかにして生まれたか?     By 新井満



私のふるさとは新潟市です。この町で弁護士をしている川上耕君は、私のおさななじみです。

彼の家には奥さんの桂子さんと三人の子供たちがいて、とても明るく幸せな家族生活を営んで

いました。

ところがある日、桂子さんはガンにかかり、あっというまになくなってしまいました。

後に残された川上君と子供たち三人のおどろきと悲しみは尋常ではありません。絶望のどん底に

蹴落とされたのも同然です。なぐさめの言葉を言う以外、私にできることはありませんでした。

しかし、そんなものが何の役に立つはずもありません。



桂子さんは、地域に足をつけた地道な社会貢献活動を行う人でもありました。

たくさんの仲間たち が協力して追悼文集を出すことになりました。

「千の風になって-川上桂子さんに寄せて-」という文集です。

文集の中で、ある人が「千の風」の翻訳詩を紹介していました。私は一読して心底から感動しました。

<よし、これを歌にしてみよう。そうすれば、川上君や子供たちや、あとに残された多くの仲間たち

の心をほんの少しくらいはいやすことができるのではなかろうか……>そう思ったのです。



何ヶ月もかけて原詩となる英語詩をさがし出しました。それを翻訳して私流の日本語訳詩を作りました。

それに曲をつけて歌唱したのが、この度の「千の風になって」という歌です。

私家版のCDを数枚だけプレスし、そのうちの一枚を川上君のところに送りました。

CDは桂子さんを偲ぶ会で披露されました。集まった人々は一様に涙を禁じ得なかったそうです。

そして泣きながらこの歌を歌ってくれたのだそうです。
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受け入れる (み~ちゃん)
2005-09-25 13:11:36
ごめんなさいm(_ _)m 

間違って送信してしまいました。

た~たん、その詩は、作者は不明ですが、

その詩を、翻訳した人が新井満さんで、『千の風になって』という本を出してます。CDもあります。



私の友人の娘さんが、ガンで、あと3ヶ月と医者に言われ、その時がきたら、病院から家に帰る時の洋服の準備をしておいてくださいと言われたそうです。

友人がその娘さんのために、レース編みでウエディングドレス作ったのを、おばあちゃんが準備したら、言うのですが、友人は受け入れたくなく準備するのが、イヤだと・・・

友人の受け入れたくない気持ち、すごく分かるし、言葉が出なくなります。

彼女の話を全部聞いてあげた後、

希望はすてないで!

でも、もしその時がきたら、感謝しながら、逝けるように魂の人生で考えてあげてね。と言ったのですが・・・

もし、自分だったら、私もなかなか受け入れられないだろうなぁ~と思いました。
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受け入れる (み~ちゃん)
2005-09-28 00:36:20
その、友人の娘さんが今朝早く亡くなりました。その後、おばあちゃんが車の中に入れておいた、友人の手作りのウエディングドレスを着せてあげると、硬直していた娘さんの顔が、微笑んだそうです。嬉しかったんだね。ほんと、ウエディング姿がとても綺麗で今にも起きてきそうでした。娘さんの彼と仲間たちが、アルバムを見ながら思い出話をしている時、一緒に話しをしているかのように、顔がニコニコしているようでした。友人も娘さんの様子をみて、悔いはないと・・・医者から、あと3ヶ月と宣告されて2ヶ月間、そう簡単には受け入れられなかったと思います。元気になる!と思っていたそうです。そうだよね。

ごめんなさい。暗い話になって・・・

私も、いざとなると、なんて言葉をかけていいかわからなくて・・・?
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命。 (しら)
2005-09-28 07:54:40
そうですか。できることが間に合って良かったね。私の友人の息子さんも,先日突然亡くなりました。20才で。若い人の死は、なかなか受け入れられないけれど,それでもその人がその短い中でも一生懸命生きたと思ってあげれたらいいですね。ある人が,病気も事故も自殺さえ、その人の寿命なんて言ってましたがそうなのかもしれません。それに死は解き放たれるものと思えばあの詩のように祝福さえしたくなるものかも・・。お友達に何もできなくてもそばで話を聞いてあげれたら何よりのプレゼントになるのではないかな?

大きなもの前では,人は本当に無力だと思う。だから,寄り添うのでしょうね。
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