幕末・明治の江戸・東京は、中江兆民の生涯を小説にする場合、その主要舞台となります。生まれ育った土佐の高知が第一の舞台であるとすると、最初の留学先である長崎が第二の舞台。そして第二の留学先である江戸(幕末・維新期の江戸・東京)が第三の舞台。そして第三の留学先であるフランス(パリ・リヨン)が第四の舞台。ジャン・ジャック・ルソーの主権在民論をフランス留学時代に吸収して帰国したのが明治7年(1874年)ですが、それ以後の人生のほとんどを兆民は東京で送っています(小樽・札幌・大阪・堺などで暮らしたこともありますが)。したがって、兆民の小説を描く場合には、江戸・東京の当時の風景を知ることが必須となります。私の『波濤の果て』では、昨年出版した「中江兆民のフランス」でフランス留学時代までを描いたので、これからは明治7年以後の兆民の生涯を描くことになります。幕末の江戸と維新期の東京については、「中江兆民の維新」で描きましたが、実際に東京を歩いて丹念に取材したわけではありません。丹念に取材したわけではない、と言えば、土佐の高知や長崎も取材はしたものの納得いくまで取材したわけではなく、ましてやフランスのパリやリヨン、イギリスのロンドンなどは一度も足を踏み入れたことはありません。しかし、3年前にこのブログを立ち上げて、取材旅行の報告をするようになってから、現地を実際に歩くことの大切さを思い知ることになりました。吉村昭さんの真似はできないけれども、神奈川近辺であれば、幾度も足を運ぶことが出来る。そう思い至って取材旅行をするようになったのです。その経験から言えば、『波濤の果て』の第1巻~第4巻までは、それなりに力を込めはしたものの、「頭」で書いたもので「足」で書いたものではありません。現場を踏み、兆民が歩いたり暮らしたりした道や街を、私も実際に歩いてみて(当時は歩くことが基本でした)、兆民が出会った風景や見たであろう風景を、これからはしっかりと描写していきたいと考えています。兆民が小説の主人公であることは変わりありませんが、兆民が生きた時代の街や村の風景や景観も生き生きと描いていけたら、と思っています。明治7年(1874年)以後の東京という街の移り変わりというものを、彼の没年である明治34年(1901年)までおよそ25年間をしっかりと描いていくのが、これからの大きな課題となります。 . . . 本文を読む