丁度65年まえの昭和20年6月。いまでも思い出すほど怖い夢を見た。中学三年生だった。
護防剣を吊り三八式歩兵銃を担いで、両側に榊のびっしり植えられた幅の狭い境内を行進し、拝殿の前に整列した。30人くらいいたろうか。すると指揮官が「日本陸軍は無条件降伏をした。しかしまだ海軍があ―る」と怒鳴った。びっくりして起き上がった。鳥居をくぐったのまで覚えている。赤い色だったからお稲荷さんかもしれない。
こんな話、他人に云ったらとんでもないことになる。けれど、とても黙ってはいられない。恐る恐る友人に打ち明けた。彼は気楽で「それは逆夢だ。日本が勝ったんだ」と喜んだ。本心かどうかはわからない。
当時私は福島県の海岸に疎開していた。ある晩海ですさまじい音がした。翌日私の勤務していた部隊の隊長さんが「昨夜請戸の沖で海戦があった。敵の潜水艦を撃沈した」と教えてくれた。しかし、すでに浜の人たちから「昨夜輸送船がやられて死体が打ち上げられた」と聞いていたので、あまり喜べなかった。ドイツはもうだいぶ前に降伏して、これは大変ショックだった。そんなこんなで怖くなり、負けるんじゃないか、とビクビクしていたのだろう。他人に言えないから夢に出てきた。
あのころは多くの人が、もう駄目だと思っていたのだろう。云えないから強がりばかり云う。まるで北朝鮮のアナウンサー。彼らを笑えない。ついこの間まで私たちがああだったのだから。
護防剣を吊り三八式歩兵銃を担いで、両側に榊のびっしり植えられた幅の狭い境内を行進し、拝殿の前に整列した。30人くらいいたろうか。すると指揮官が「日本陸軍は無条件降伏をした。しかしまだ海軍があ―る」と怒鳴った。びっくりして起き上がった。鳥居をくぐったのまで覚えている。赤い色だったからお稲荷さんかもしれない。
こんな話、他人に云ったらとんでもないことになる。けれど、とても黙ってはいられない。恐る恐る友人に打ち明けた。彼は気楽で「それは逆夢だ。日本が勝ったんだ」と喜んだ。本心かどうかはわからない。
当時私は福島県の海岸に疎開していた。ある晩海ですさまじい音がした。翌日私の勤務していた部隊の隊長さんが「昨夜請戸の沖で海戦があった。敵の潜水艦を撃沈した」と教えてくれた。しかし、すでに浜の人たちから「昨夜輸送船がやられて死体が打ち上げられた」と聞いていたので、あまり喜べなかった。ドイツはもうだいぶ前に降伏して、これは大変ショックだった。そんなこんなで怖くなり、負けるんじゃないか、とビクビクしていたのだろう。他人に言えないから夢に出てきた。
あのころは多くの人が、もう駄目だと思っていたのだろう。云えないから強がりばかり云う。まるで北朝鮮のアナウンサー。彼らを笑えない。ついこの間まで私たちがああだったのだから。